初めてやキッカケなど忘れてしまった。




おやすみがたり




「ね、先生。ファーストキスとかって覚えてる?」
「んー?…や、覚えてないなぁ」
唐突な会話の出だしに、眠りに落ちかけていたカカシは、ゆっくりとサクラの方を向いた。
天井のどこか一点を見つめるサクラの、質問の意図は読めないが、とりあえず素直に答えてみる。
と、サクラががばっと勢い良く身を起こした。
「ええーっ!何で!?初めてよ?初めてのキスって重要じゃない!?」
「…え、そうなんだ?」
意外な剣幕に押され、カカシは眠たそうな目を瞬いた。
隣のサクラが信じられないとでも言いたげに、目蓋をこするカカシを見る。
「そ、そうなんだって先生…。あ、じゃあ甘酸っぱーい初恋とかは…」
「はは、忘れちゃったよー」
笑いながら、また正直に答える。
そんなカカシを、サクラはあんぐりと口を開けてしばらくマジマジと凝視したが、おとなしくベッドに潜った。
だがカカシの答えに納得したわけではないらしく、視線はまだ何かを言いたげにカカシに向けたままだ。
わかりやすすぎる不満にカカシは苦笑した。
体はベッドに沈めたまま、枕代わりに肘をついて、サクラを見る。

「なに?なーんでそんなこと」
「――私のことも」
「え?」
「私のことも忘れちゃう…?」
消え入りそうな小さな声で。
布団を鼻まで持ち上げて、しかし翡翠色の瞳は不安を隠しもせず、真っ直ぐにカカシを見つめていた。
その表情にカカシが思わず言葉を失ったのを、早合点しただろうサクラが一瞬ひどく泣きそうな顔をして、隠すように背を向ける。
「ウソ!今のなし!眠かったのに変なこと言ってごめんなさい」
すぐにわかってしまうサクラの無理な明るさに、カカシの胸がぐっと詰まった。
(うーん…)
罪悪感ではなく締め付けるようなこの息苦しさは、いわゆるトキメキというものらしい。
いまさらそんな感情も人並みに持ち合わせていたのかと、自嘲気味な苦笑が漏れた。
「サクラ」
むき出しの薄い肩に呼び掛けて、振り向かないサクラの背中を抱く。
少し湿った肌のぬくもりが気持ちいい。
首筋に鼻を埋めれば、肩を竦めて抵抗された。
「やだ。先生、今日はも――」
「覚えてるよ」
「やだって――…え?」
耳朶に直接囁けば、サクラの動きが止まった。

「覚えてる」
サクラだけに聞こえるように、声を落としてもう一度言う。
サクラは何度か躊躇って、ゆっくりと自分を抱きしめるカカシの腕に手を置いた。
おそるおそる振り向いた顔には、まだはっきりと懐疑の色が残っている。
カカシはまいったねと微苦笑して、眉を寄せるサクラの眉間にそっと唇を寄せた。
額をつけて、至近距離で真意を確かめるように見つめ合う。
「サクラと初めてあったのは七班の顔合わせのときでしょー。そんで、サクラはサスケが大好きーって宣言してて、将来の夢までサスケ一色でー」
「ちょっと先生」
すらすらと喋りだしたカカシに、サクラの眉間はさらに深いシワが刻まれた。
低い声音は、はぐらかされたらしいことへの憤りと、昔話の気恥ずかしさが混じっている。
「ナルトのピンチもサスケサスケで、オレがチームワークを説いたの覚えてるか?」
「…そ、そういうのじゃなくて…」
にこりと笑いかけると、サクラはバツが悪そうに視線をそらした。
その頬に流れ落ちたピンクの髪をすくって耳にかけながら、カカシは続けた。
「二人が里を出て、サクラが五代目に弟子入りして…ま、接点減ったよな。オレも単独任務増えたこともあるし。――で、オレが木の葉に戻ったとき、たまに一楽一緒に行ったり、甘味屋にいるとこ見るなーって思ってたわけだけど、女の子の成長って早いのねーって感心してたよ」
「え、うそ。私知らない」
「今初めて言ったからねー」

普段どおり淡々と言えば、サクラの頬がぷぅっと膨れた。
こういうところは昔と同じだ、とカカシは目を細めながら頬をつつく。
昔と違うのは、そういう表情をするサクラと自分の立ち位置だろう。
会うたびに身長が伸び、大人びていくサクラは、元教え子の欲目もあってか、単純にかわいいと思ったものだ。それと同時に、何故だかサクラの周りで見かける見覚えのない忍者に感じるようになってきたのは一抹の不安。まるで父親のようだと苦笑したカカシに「アンタ、それって先生の目線?ホントに?それだけ?」とやけにしつこく笑っていたのは、紅だったか。
「でさ、初めてキスしたのはアレでしょ?五代目の超攻撃回避の修行だっけ?終わったあとに気絶してたサクラからオレが奪っちゃったやつ」
「――奪っ、え、ちょ!それも私知らない!」
「あれー?」
「センセー!」
頬をつついていた指で唇に触れると、サクラの頬が月明かりの下で朱に染まった。
何故あのとき不意をつくように掠め取ってしまったのか、カカシにもわからない。
どうこうするつもりなどなかったはずなのだ。
ただ、かわいい生徒の様子を見に行き、気づいていた綱手に、暇があるなら目が覚めるまで側にいてやれと言われただけで。
久し振りに見たサクラはまた少し大人びて、伸びた髪の毛が風に舞って唇にかかったのを払ってやろうとしただけだった。
本当にそのつもりだったのに、触れた指先の感触を、どうしようもなく確かめたくなったのだ。

「しまったって思ったんだよねー。あー、これで警戒されちゃうなーって」
まだ目覚めないと高を括っていたサクラと目が合ったときは、さすがのカカシも驚いたものだ。思わず視線を逸らしても、なかったことにできない姿勢と距離に、観念してサクラを見た。
「ちょっと……じゃああの時、私が目ぇ開ける前にしてたの!?」
「うん。でも驚いた顔が可愛かったんで、も一回ちゃんとしたでしょ」
「ちゃんととかそういう問題じゃなく……!ていうか先生もういい」
「いやいや。サクラさんが可愛いからもう少し」
「もういいってば――」
ぐぐっと思い切り両手でカカシの顔を離そうと力をこめるサクラの、その手のひらに口をつけながら、カカシは思い出して思わず笑った。
「サクラ、サクラ。初めてのときって覚えてる?サクラさ、オレの見て言っ――」
「センッセイ!!!」
薄明かりの下で、こんなに顔色がわかるのも珍しい。
真っ赤な顔で睨みを利かせたサクラが、カカシの口をこれでもかというほど強く両手で塞いでいる。サクラの手がもう少し上まで覆っていたら、窒息させる気だったのかと疑えるほど、肩を怒らせているのが、妙にかわいいと思う。

「もうわかったってば!」
「ん」
怒るサクラと対照的に、満足げに眦を下げて頷くと、カカシは口を塞ぐサクラの手に自分の手を重ねた。力を入れずに誘導すると、おとなしくサクラの手が離れる。
そのまま手首を軽く引いて、サクラの体を抱き寄せた。
すっぽりとおさまる体は、表面がすっかり冷えている。
それを暖め直すように抱きしめて、カカシはサクラの額に唇をつけた。
「覚えてる。忘れやしなーいよ」
他のどんな女の感触が、どこまでもおぼろげであろうとも。
今ここにある存在を忘れられるはずがないとわかる。
こんな感触。こんなぬくもり。
「…なんか」
腕の中のサクラがぽつりとつぶやくのに、カカシは頭を下げた。
考え込むようなサクラに首を傾げる。
「んー?」
「それって先生の常套句ぽくない?」
「…え、ちょ、信じようよ」
慣れすぎと眉を上げたサクラに、何故か半眼で見つめられ、カカシはがくりと肩を落としたのだった。




カカサク。inベッドですねこれ。

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