夜のから騒ぎ



1.
ペトラは酒に弱いわけではない。
たまの酒宴では頬を赤らめながら、それでも周りに気を配りくるくると動き回る姿は、リヴァイだけでなく班員全員が良く知っている。けれども若さ故の圧倒的な経験不足か、はたまた生来の気質なのか――。
一定の酒量を超えると、急に酔っ払い然とした言動に転じることがあるということも、リヴァイ班なら、また誰もが知っている事実だった。
酒癖で致命的な過ちを明かすわけでもないから、一滴も飲むなということもない。
だが、翌日には何も覚えていないらしいペトラになるべく酒は勧めない。
それが暗黙のルールでもあった。


***


近々迫った壁外調査に向かう隊員達の壮行会という名目で酒の席が設けられたのは、夕食を終えてすぐの頃合だ。
エルヴィン以下分隊長も総出のものとなれば、もちろんリヴァイ班も参加する。
いつものように適当に飲んで適当に捌けるつもりだったリヴァイは、仲間の喧騒を縫って側に来たグンタの困ったような耳打ちに、いつも眇めてみえる視線を更に細く顰めると、舌打ちをして立ち上がった。
開始から大分時間も過ぎて、酔い潰れそうな隊員は、自主的に戻るか適当に寝息を立てている。
傍目には全く普通に見えるだろうペトラが、近づいてくるリヴァイの姿を見つけた途端、花が咲き零れるような笑顔を向けた。

「リヴァイ兵長!」
「……戻るぞ、ペトラ」
「え?あのでも、今からハンジさんが兵長のどこがどうすごくて、どんなに格好良いのか、ちゃんと具体的に教えてって――」
「いやあ、愛されまくってるねえリヴァイ!」

きょとんとした表情を向けるペトラの横で、にやにやと笑いながらハンジが彼女の肩をぐいっと抱き寄せた。それに「えへへ」と照れ笑いで答えるペトラは、確実に、相当酔いが回っている証拠だろう。

「いいところなんだから、野暮な邪魔はしないでよ」
「蹴り殺されてえか、クソメガネ」

それも充分理解しているのだろうハンジのにやけ笑いを一蹴して、リヴァイはペトラの肩から腕を払った。

「行くぞ」
「えっ」
「命令だ」

素気無く告げると、はっきりと落ち込んだペトラが小さな声で「はい」と呟く。
一見理不尽にも見えるリヴァイの後ろを項垂れたまま歩くペトラを怪訝そうに見送る他の班員や、安堵の息を吐いたリヴァイ班の面々の間に、するりと移動したハンジが、興味津々といった瞳をギラギラと輝かせた。

「あれが噂に聞く酔ったペトラかー。テンション高めの絡み酒にしか見えなかったのに!リヴァイ班はよく気づくなあ。さすが!」
「ほっとくと笑い出したり説教が続いたり、結局最後はいかに兵長が素晴らしい人かって話を、どっちかが潰れるまで延々されたりしますよ……」
「へー!見えない!」
「兵長の事なら、俺の方が良くわかってんだバーカ!ってなるんですよ……クソが……」
「ははは!オルオ。君は完全に酔ってるってわかるからいらないよ!」

気になるなー、分解酵素の問題かなー、血ぃくれるかなー、等と酔ったペトラより数段ハイテンションのハンジに若干引き気味で苦笑しつつ、隣で船を漕ぎ出したオルオの頭を机に落とさせながら、エルドは手元のグラスをぐいっと煽る。
どうか明日のリヴァイ兵長の機嫌が悪くありませんように、と心中で手を合わせながら、ドアに消えた二人の姿を見送った。


**************


「やっぱり、私じゃダメですか……っ」
「何でそうなる」

足取りだけならまだ正常そのもののペトラを居室まで先導する道すがら、リヴァイは何度目か知れない答えを返していた。
支給されている短い隊服のジャケットの裾をきゅっと掴まれてはいるが、歩くのに邪魔というほどではない。
しばらく酒を飲むなと言ったリヴァイに、きょとんと大きな目を瞬いたペトラが、次の瞬間から子供のように「どうしてですか」と質問を連発してきた末のこの質問は、この短い時間で既にもう五回は同じ回答をしている気がする。

「じゃあどうして――や、やっぱり私じゃ筋肉質すぎて、兵長、触るのもイヤなんですか……」

何をどうしたら、今の流れでそんな方向に話が行った。
自分で言って自分で傷ついたらしいペトラに呆れながら、リヴァイは居室の前で足を止めた。

「ペトラ」
「ホントは男の人が好きとか」
「ふざけんな。――お前もう寝ろ」

後ろを振り返るのも馬鹿馬鹿しい台詞を低い声音で途中で遮り、リヴァイはペトラの部屋のドアを開けた。
中はどこも同じ簡素な作りになっていて、無駄な装飾品を置くようなスペースはない。
同じように割り当てられているリヴァイの部屋との違いといえば、僅かばかりの広さと出窓の形、そこに置かれた野の花で彩られた花瓶の有無くらいのものだ。
控えめな主張がペトラそのものを表しているようで、リヴァイはそれを横目に中に入ると、ベッドシーツに手をかけた。
まだリヴァイの裾を掴んだままで、しかし大人しくついてきているペトラをようやく振り返る。

「じゃあ、何でですか……」

と、俯いていたペトラが小さくそう呟いた。

「ペト――」

ぐず、と鼻を鳴らしたペトラが突然リヴァイに抱きついてきた。――というより、しがみ付かれたという方が正しいかもしれない。
甘さのない力強いだけの抱擁で押し切られて、ペトラに突撃されるように、リヴァイは彼女ごとベッドに倒れこまされてしまった。

これは少し予想外だ。

今までも何度か酔ったペトラを見てきたし、他の班員が部屋に連れて行ったことだってある。
が、皆一様に延々とリヴァイの話をされるか、本人へのダメ出しをされたとげんなりする程度だったはずだ。
リヴァイ自身も「兵長、兵長」と名前を連呼されたり、「寝るので手を繋いでください」と言われるくらいの被害しかなかった。

ペトラが自分に尊敬と好意を抱いていることは見ていて気づかないほどバカじゃない。
けれどもそれがどの程度の熱を孕んだ感情なのか、敢えて暴くつもりも必要もない。
それはペトラ自身もおそらく理解していて――だからこそ、たまに近づきすぎる微妙な距離を互いに牽制出来ていたのだ。

(……酒のせいか)

そういえば、今日の席にはいつもよりアルコール度数の高い酒瓶が転がっていた。ハンジの私物か。
そのせいで少しボタンが掛け違ってしまったのかもしれない。
どちらにせよ、酔っ払いを相手にどうこうするほど、リヴァイは酔っているわけではない。
ほとんど初めてに近い接触を強引に図ってきたくせに、酔いが醒めれば綺麗さっぱり忘れられるペトラの酒癖が、こんな時だけ妙に恨めしくも都合が良い気がして、リヴァイは視界の端に映るペトラの金髪越しの天井を見つめ、息を吐いた。

「ペトラ、どけ」
「……兵長が全然触ってくれないんです」

しかし、やはり会話が噛み合わない。
酒の成せる意思不疎通に、リヴァイはちっと舌打ちしたい気分を、眉間の皺に宥めてすごす。

「触ってんじゃねえか。お前がこのまま大人しく寝るなら、頭くらいは撫でてやる」

今だって不本意とはいえペトラを上に乗せたまま、引き剥がそうと肩にも手は触れている。
リヴァイの言葉に、しかしペトラは顔を上げないまま微かに首を横に振った。

「そういうのじゃありません。わかってるくせに……」

その言葉に、リヴァイの眉がピクリと動く。そういうの、とはどこまでだ。

「そんなの、エルドやグンタだって出来ます。オルオは断固拒否しますけど」
「……男に抱かれなきゃならんほど、ホイホイ飲むんじゃねえよ」

表情の見えないペトラの旋毛に言った台詞は、意外なほど低くなってしまった。
部下の酒の失敗を窘める、というだけの声に聞こえない。
ちっとまた舌打ちすると、ペトラが小さく頭を振った。

「飲んでません。酔ってるフリです。兵長だけです。私は、ずっと、兵長だけなんです。だから――」

身体に回されたペトラの腕が、懇願するように強められる。
胸板に顔を押し付けているせいでくぐもった口調は、それでも明確な熱を持って、リヴァイの耳に届いてしまう。しがみ付かれているせいで耳を塞ぐことも出来ず、リヴァイは努めて冷酷にすら聞こえる声音を心掛けて、ペトラを呼んだ。

「……酔いすぎだ。離せ」
「触ってください、兵長」

人の話を聞かないにも程がある。
リヴァイは眉間の皺を最大限に深くして、誰憚ることもなく舌打ちをした。
いくら酒を理由にしても、男にしがみ付きながら女が言っていい台詞じゃない。
それがどんな効果を生むか解っていないガキの酔言ほど、性質の悪いものはないとリヴァイははっきりと苛立ちを感じた。

ペトラは何も解っていない。
流されてやることは簡単なこの状況下で、リヴァイが理性を手放さないのは誰の為か。
身体の奥から馨しい女の匂いを纏わせながら、柔らかな肢体を押し付けられて、それでも望みどおりに抱き返さないのは何故なのか。

これ以上甘やかすのは得策ではない。

ペトラの両肩を掴んで引き離そうと力をかける――と、まるで離すまいとするかのように、ペトラの腕がきつくなった。

――いい加減にしろ、クソッタレ。

無理に離そうと思えばいつでもできる。
だがそうはせずに、リヴァイは沸々と募ってくる苛立ちを感じながら、肩に掛けていた手を、つと、ペトラの頬へと移動させた。

「ペトラ」

聞こえやすいように横顔を隠す髪を掻き分け、唇を寄せて名前を呼ぶと、ペトラの身体がびくりと反応した。
それでも張り付いたままで離そうとはしないペトラの耳朶に、リヴァイはもう一度、今度は直接吹き込むように呼んでやる。
ペトラの頬が熱くて火傷をしそうだ。
同じくらい、そこに触れたリヴァイの手も熱を持ち始めていることには気づいていたが、酒のせいだと内心で一人ごちる。
その頬に手を差し込んで促すと、やっとでペトラが顔を上げた。

「リヴァイ、兵長……」

いつにない至近距離で自分を見下ろすペトラの瞳が、涙を湛えて潤んでいる。
震えるように呼ばれた名前は、叱責を怖れる子供のようにも、艶を含んだ気体に満ちているようにも聞こえて、リヴァイはそう考えた自分に内心で「バカか」と悪態を吐いた。
都合の良すぎる解釈は、リヴァイの胸次第でどうとでもなる。

酒が抜ければ記憶がないとわかっていてどうこうするほど若くはないし、リヴァイ自分が一個人として――男として何を望むかなど、口に出来るほど軽くはなお現状が、常日頃から渦巻いている。
それら全てを酒を理由に壊してしまうには、向けられる信頼が大きすぎて、失うだろう喪失もまた大きいということが嫌でも想像に難くない。
現実的な思考に捕らわれたせいで、表面上は眉間の皺が深くなった程度のリヴァイに睨むように見つめられても、ペトラは目を逸らさなかった。

「――ペトラ」

呼んだ自分の声が、おそろしく何かを求めて熱を帯びていた。
それを理解できる理性がある内は、まだ大丈夫だ。
リヴァイはペトラの腕を引いた。
突然の引力に成すすべなく、身体を反転させたリヴァイは、ソファに押し付けたペトラの顔にぐっと近づける。そうすると、ペトラの表情が僅かに怯えの色を含んだように見えてホッとした。
ここで腕でも伸ばされたら、さすがに不味かったかもしれない。

「お前が俺を好きなのは知っている。だが酒を飲んでも自制しろ」

言いながら、何様だろうなと変わらない表情で自嘲する。

「……」
「……」

不自然な沈黙が落ちてリヴァイは訝しんだ。
そんなに脅したつもりはないが、と念の為で僅かばかり身を引いて、リヴァイは何故か自分を凝視したまま固まっているらしいペトラの頬を軽く叩く。

「おい、ペト――」

 ――ボン、と。

例えるならまさにそんな音でも出しそうな勢いで、ペトラの顔が真っ赤に染まった。
思わずあっけに取られたリヴァイの下で、ペトラはばっと両手で顔を覆ってしまった。

「……な、んでそれ……。え?あの――、私、い、言ってませんよね?え……!?」

隠しきれていない部分が、いや、むしろ覆っているはずの手指すら真っ赤なペトラの言葉に、リヴァイは耳を疑った。
触れと言ったり押し倒してきたのはどこのどいつだ。
だいたい普段から明確な言葉はないだけで、意識を向けられているとわかるのは、特に最近の話ではない。
エルヴィンやハンジに限らず、ミケやナナバにまで揶揄されたことが一度や二度におさまらないリヴァイからすれば、その態度は驚きよりも呆れの方が先に立った。

「あんだけしといて隠してるつもりだったのかお前……」
「だって、す、好きなんて、そんなの知られるわけにはいかないじゃないですか」
「好きなのか」
「ちっ、ち、違います!」
「……ほう。なら男に抱きつくのはお前の趣味か。大層なご趣味をお持ちだな、ペトラよ」
「違いますっ!けど……っ、そのっ」

リヴァイの言葉に慌てて顔を見せたペトラはやはり真っ赤な顔のまま、大きな目に涙をいっぱいに溜めて、言葉にならない唇をパクパクと開閉させている。

「まあ、別にどっちでも構わねえが」
「ど、どっちでもって……」

ふいと視線を逸らして、リヴァイは続けた。

「お前くらいの歳なら珍しくもない。身近にいる年上のおっさんに抱いた憧れを吊り橋効果で勘違いっつーのもよくある話だ。気にするな」

隊の中で、そういう話を聞かないわけじゃない。
危機迫った戦闘の真っ最中に好いた腫れたはあり得ないが、命ギリギリの前線で戦えば、壁内に戻って人心地つけた頃、タイミングを見計らったようにチラホラ聞こえてくる浮いた話は少なくない。
大抵は数ヶ月と経たない内に淡い想いと共に任務に果てるか、自身の成長に伴って笑い話になるか。又は憧れの君の俗な一面――という名の本質に気づいて「ない」と勘違いに気づくかだ。

ハンジ・ゾエに対する進入隊員の憧憬は見ていて痛々しくなるものがあるが、リヴァイの知る限り、最短数秒後に後者の理由で消える最も卑近な例でもある。

「違います!私、私は――」

腕の中で、ペトラが大きく首を横に振った。
視線を戻せば、まだ顔は赤いが、それよりもリヴァイの言葉に傷ついたのだとわかる。
ち、と舌打ちをしかけて、リヴァイは眉を寄せるに止めた。

「……お前の場合は新兵じゃねえからな。吊り橋が意外と長いのかもしれねえが」
「そんなこと――!」

ぐしゃりと表情を歪めたペトラが、リヴァイのシャツを掴む。
その頬を、堪え切れなかった涙が零れる。

「聞け」
「……っ」

シーツに染み込む前に親指の腹で拭ってやる。
目を逸らすかと思ったが、挑むように見返してきたペトラの瞳からは、ボロボロと止め処なく涙が溢れていた。
男に組み敷かれて抵抗もせず、何て顔だとリヴァイは苦々しい気持ちでペトラを見下ろす。
正直、抱いてくれといわんばかりだ。
素面で保てていた距離を、酒ごときで簡単に決壊させやがって、と恨み節もつい出てしまいそうになる。
触れと迫られてもそう簡単に触れてしまえない男の気持ちを、ペトラが解しているとは思えない。

――これで最後だ。

酔っ払いを相手に、真正面から諭したところで理解がなければ意味がない。
リヴァイは今夜近づきすぎた己を自戒しつつ、濡れたペトラの頬を乱暴に、だが出来るだけ優しく挟んで額をつけた。
柔らかな肌が掌に吸い付く。
触れた額がどちらのものかわからない熱で痺れ、吐息のかかる距離で驚いたように瞬くペトラの瞳に、リヴァイの胸が苦く痛んだ。

触れろ触れろとあれだけ騒いで、実際に触れれば驚くのだからまだガキだ。

「……おっさんでも男だ。自覚しろ。簡単にこんな距離を許すんじゃねえ」
「し、知ってます!私は、兵長が男だなんてそんなこと――」
「なら知るんじゃなく理解しろ。お前の触ると俺の触るはまるで違う」

突き放すように冷たく言って、言葉に詰まったペトラを開放してやるつもりだった。

けれども退きかけたリヴァイの手首をペトラが取った。触れた指先が震えている。
怯えるくらいなら離せばいい。無理をするなと言い掛けて――。

「――なら、兵長が教えてください」
「何?」

指と同じ震えた声が、リヴァイの耳に静かに届く。
聞き違えたかと見下ろした先で、リヴァイを見つめるペトラは、もう泣いてはいなかった。
残滓で赤く潤ませた瞳は、誤魔化しようもなく真っ直ぐにリヴァイを捉えている。
意思に反して重力に引き寄せられるように、リヴァイの手がペトラに触れた。

(――……ザケやがって)

それは、浅はかに男を誘うペトラへか、それでも突き放しきれない自分自身に対してか。

涙の軌跡に唇で触れる。
ぴくりと反応するペトラに構わず、同じ場所に舌もつけて、舐め取っていく。

「へい、ちょ……」

薄く開いた唇から、囁くように名前を呼ばれる。
許可にも拒絶にも聞こえる声音は意識的に締め出して、リヴァイは唇で啄ばむように、頬から顎、顎から首筋を降りていく。

触れといったのはお前だろう。音を上げるにはまだ早い。

立体起動装置は外されているが、固定ベルトは装着したままのペトラを、シャツの上から丹念に触れる。
その度に息を詰めるペトラが、無意識に組み敷かれたリヴァイの下で身じろぐのを、割った膝の間に自身の膝を立てることで押さえつけて、僅かばかりの自由も奪った。
きっちりと閉められたベルトを片手で器用に外し、その間からシャツを引き出してやる。
顕わになった日に焼けていない地肌に、リヴァイはするりと手を滑らせた。
触れた場所から溶けてしまいと錯覚するほど、ペトラの肌は熱く、誘うように汗ばんでいる。
そうさせているのは自分だと自覚しながら、リヴァイは脇腹をなぞり、追いかけるようにつけた唇で覚えのある傷跡を舐った。

立体機動の訓練最中に出来たものは随分前のものだとペトラ自身が言っていたことを思い出す。
背中から脇腹にかけた大きな皮膚の引き連れは、壁外遠征での討伐補佐で、横手から奇行種の爪に引っ掛けられて出来たものだ。
傷も塞がり、ペトラが何度目かのハンジの診察を受けていた最中、エルヴィンからの指示を持ったリヴァイが返事も待たずにドアを開けたことがある。
振り向いて、何故だか固まってしまったペトラに気づいたリヴァイがおもむろに「……大分薄くなったもんだな」と脇腹の傷に触れた瞬間、「ひゃあああっ!!」とかき消すような悲鳴を挙げられてからも随分経った。

(……あれくらいで)

真っ赤になって半泣きのペトラに珍しく瞠目したリヴァイへ、ハンジが引き付けを起こしそうなほど笑い転げながら「セクハラ!セクハラ!ちょっとリヴァイ、いくらペトラが可愛いからって、ムードくらい作ってあげなよ」と言っていたのも思い出して、表面上変わらない無表情に眉間のシワを深くした。

あの頃より皮膚に馴染んで見える傷痕にリヴァイはそっと指で触れる。
後を追うようにキスをして、滑る舌でゆったりとなぞれば、ペトラが息を詰めたのがわかった。
今度は叫ばないのか、とリヴァイにしては珍しい揶揄が喉をつきかけて、しかしペトラの顔を見た瞬間に霧散した。
何かを耐えるように潜めた眉が、それでもやけに艶めいた女の顔でリヴァイを見ていた。

いつから――いや、ペトラの好意は知っていた。

知っていて、敢えて答えず、部下の一人に終始した――つもりだった。

応えてどうする。
こんな非日常が日常の世界で、せめてもっとマシな男に――安易に愛を語れる男にいつか気持ちを注げばいい。
そう思っていたはずなのに、ペトラの視線は簡単にリヴァイの決意に揺さぶりをかける。

「へい、ちょ……」

熱を孕んだ吐息混じりに呼び掛けられて、ねだるように腹に触れるリヴァイの手に指を絡める。

「……クソが」

もういいから、早く叫べ。
自分が足踏み出来ているうちに。

明日になればどうせ覚えていないペトラに、何をどうしても無駄なことだ。
それを言い訳に抱けてしまうほど、無謀な勇気を奮う若さはリヴァイにはない。
その視線にも絡んだ指先に気づかない振りをして、リヴァイは再び頭を下げた。
音をたてて跡の残らないギリギリで強く吸い上げる。
その度、ペトラの指がぴくりと跳ねて、人類に捧げたはずの心臓がざわざわと潮騒のように煩くなってかなわない。

止まれなかったらどうしてくれる。

没頭しそうな思考を皮肉で均衡を保ちながら、ペトラのへその窪みを遊ぶ。
唇でねぶるように上に向かい、ずれた下着の間から溢れ出た柔らかな膨らみに舌を這わせた時だった。

「――――う……、ひゃああぁぁっ!?」

ペトラが悲鳴のような声をあげた。
思わず感じ入ったというよりは、明らかに羞恥の限界点に上擦ったという方が近い。

「……おい」

叫べとは願っていたが、まさかここでか。
ここは喘ぐところじゃねえのか、と言いだしそうになった自分に舌打ちをする。
と、ペトラが慌てたように両手で口を塞いだ。リヴァイに向かってぶぶんと首を振った。

「ち、違います!今のは……っ、ええと……く、くすぐったくて、その」
「ほう」

愛撫で笑われたのは初めてだ。
そんなに擽ったかったのなら、脇腹に舌を這わせた時に仰け反って笑え。

身体を離したリヴァイに、赤いような青いような表情でペトラがびくびくと見上げてくる。
端からそんなつもりでベッドに運んだわけではないから、プライドを傷つけられた小さな苛立ちよりも、踏みとどまれた安堵の方が先に立ったのは確かだ。

「す、すみませーーきゃっ」

だが、男として、腹が立たなかったといえば嘘になる。
リヴァイは言いかけたペトラの腕をやや強引に引いて起き上がらせると、細い首筋に加減なく噛みついた。

「んっ……」

じゅ、という水音が生々しくリヴァイの鼓膜を震わせる。
突然生まれた鈍い痛みに声を漏らしたペトラの肩をゆっくりと離す。

「あ、の」
「……俺が本気になれば、こんなもんじゃすまねえぞ」

だから馬鹿みたいに無防備な真似をするんじゃねえよ、と心中で悪態をついた。
リヴァイの行動もその言葉の意味もわかっていないように見えるペトラにため息をつきたくなる。
だが、わかっている。
相手はどう見ても酔っ払いで、こうして最中に引かなければならない男の理性に頓着できるほどの経験がある女でもない。
強引にでもペトラを布団に押し入れて部屋を出なかったリヴァイが、明らかに引き際を誤った。

「寝ろ」

まじまじと見つめてくるペトラから瞼を下ろすことで視線を外して一言。
それだけ言ってベッドを降りかけたリヴァイの耳に、ペトラが小さく呟いた。

「……、いです」
「あ?」
「本気でいいです」

言葉と同時に、ペトラの手が視界に映る。
そう認識した時には、リヴァイの首にしっかりと腕が回されていた。
甘い懇願をしたペトラの背に、咄嗟に手を回して受け止める。
今し方、触れたばかりの柔らかな肢体ですり寄るペトラに、リヴァイはぐっと目を眇めた。

「ペトラ、いい加減――」
「私は、兵長に触ってほしい……」

誘惑と呼ぶには切ない吐息が耳朶に触れる。
が、そのままぐにゃりと力の抜けた身体に寄りかかられて、リヴァイは今度こそ何の遠慮もなしに盛大に舌を打った。

「……ここで寝る奴が言ってんじゃねえよ」

目尻の紅さはそのままに、艶めいた表情の一切抜けたあどけない寝顔が腕の中だ。
明日になれば、今夜の出来事など微塵も覚えていないはずのペトラは、乱れた服と首の跡に、一体何を思うのか。
あっさりリヴァイに聞いてくるような無自覚ならば、詳細に有り様を教えてやるか。
いっそこのまま隣で目覚めてやろうかなどと、するつもりのない仕返しを考えながら、リヴァイはペトラの身体をベッドに横たえシーツを掛けた。

「ん……。へ、……ちょ……」

むにゃむにゃと寝言を言うペトラの顔は幸せそうだ。
無表情に眉間を寄せたリヴァイの口から、知らず細い溜め息が出る。

「……お前はしばらく酒禁止だ」

意識のないペトラにそう宣言して、柔らかい金髪をくしゃりと撫でてから、リヴァイは部屋を後にした。



酔うことよりも、こんな誘いで煽られてしまう自分が問題だからだと、真相を告げるつもりは毛頭ない。



【END】

ペトラは酒豪でも潰れても酔っ払っても、兵長が舌打ちしながら付き合ってそうだなと。それで翌日覚えてたり覚えてなかったりの曖昧な記憶を抱えて、ひたすら謝ってても可愛いなと思います。わああ、ペトラ可愛いです。ペトラアアアア!!!





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