まだ恋じゃない(02)




 ケイオス・ラグナ支部、中央部分に多いいくつかのブリーフィングルームの中から、当たりをつけた部屋に進み、カナメは廊下を急ぐ。把握しているタイムスケジュールに変更がなければ、パイロット達の飛行訓練は終わっているはずだ。全体注意から個別指導に移ったとして、その後の指揮官レベルの打ち合わせは大抵ルームBで行われる。
 そこで特別な問題でも起きていない限り、そろそろ解散となる頃合いだろう。事故が起こったという話はまだ聞いていない。
 行き違いになってしまったら、わざわざ探して押し掛けてまで声をかける理由もないから、どうか何事もなく終わっていますように。そうしてバッタリ出会えますように。
 逸る足下を意識して押さえ曲がった先に目当ての人物を見つけ、カナメは咄嗟に声を張った。

「アラド隊長! メッサー君!」

 どうやらカナメの推測は当たっていたらしい。ルームBからそう遠くない廊下で立ち止まったアラドは、身体ごとカナメに向き直ってくれた。

「お、カナメさん。お疲れ様です。そっちも終わりました?」
「ええ。今日はもう解散」

 少し遅れてこちらを向いたメッサーは、彼にしては少しだけ長くカナメを見つめ、けれど目礼だけで言葉はなかった。それはいつものことなので、カナメの方からは微笑みかけて、早速本題に入ることにする。ふい、と視線を逸らされるのもいつものことだ。気にしていない。

「で、ですね……ジャーン!」
「おおっ! それはソフトクラゲ! ラグナ名物の高級薫製じゃないですか!」

 胸に抱きかかえていた袋を顔の前に突き出すと、元々クラゲ好きなアラドは身を乗りださんばかりに乗ってくれた。

「スポンサーからいただいたんです。どうです? これから裸喰娘々で一緒に」
「おおっ。いいんですか? じゃあ是非」
「メッサー君も。一緒に行かない?」

 よし。言えた。
 ごく自然な話題の振り方に、心の中でカナメは自分で自分を褒めた。この誘い方なら警戒は最小限で済むはずだ。勝手知ったる店名は、今やメッサーの家でもあるし、仲間の家でもあり、なんだかんだでケイオス支部の面々が何かにつけて寄る場所でもある。
 どうせこれから戻って食事をするのだから、カナメの誘いだってもののついでと考えてくれればいい。

「いいえ」

 そう思っていたというのに、目の前のメッサーは短い言葉で簡単にカナメの期待を打ち砕いた。

「俺はまだ仕事がありますので」
「おいおい。それは別に明日でもいいやつじゃないのか? せっかくレア物のクラゲが手に入ったんだから、たまには一緒に――」
「お二人で楽しんできてください。では」
 
 素気無い態度も、ここまでくればいっそ清々しい。

「おい、メッサー」
「そっか。じゃあまた今度ね。あ、でもお仕事早く終わるようだったら声かけて」

 まだ粘ろうとしてくれるアラドを制して、カナメは笑顔でそう言った。何とも言えない顔を向けてくるアラドは見えないフリで手を振れば、メッサーは小さく頭を下げる。

「……失礼します」

 大きな犬がちょこんと首だけ振ったような所作は、メッサーの普段の動きからは考えられないくらいぎこちなく見えた。すぐに踵を返してしまった彼の背中を長年染み着いた笑顔で見送って、カナメは内心の落胆を見せないままにアラドに向き直る。

「じゃあ、二人で行きましょうか」
「……なんつーか、無愛想ですみませんね。せっかくカナメさんが誘ってくれたっていうのに」
「そんなこと」

 どうせ勝率の低さは知っていた。メッサーは、まだ一度もカナメの誘いを受けてくれたことはないのだ。アラドを抱き合わせで誘えばあるいは、と下手な小細工がばれたわけではなさそうだったが、避けられているのでなければいい。

「アラド隊長が付き合ってくれるので嬉しいですよ?」

 これで二人共に振られていたら、今更ワルキューレのメンバーと食べたいなんて言いづらいことこの上ない。特にさっきの今だ。美雲に「あらあら」という目で見られたら、年甲斐もなくちょっと泣いてしまうかもしれない。
 だから本心からそう言ったのだが、隣を歩くアラドはどうにも煮えきらないような口調で頬を掻いた。

「急いで来てくれたことには気づいていたみたいなんですけどねえ」
「い――急いでませんよっ?」

 思わぬ指摘に声が上擦る。持っていたクラゲの袋が、ぐしゃりとひしゃげた音がした。
 アラドはカナメの腕からクラゲの袋を救出して、それから軽快な笑顔を見せる。

「またまたぁ。軍人を舐めないでください。わかりますって。ちょっと息が上がってたじゃないですか」
「ワルキューレを舐めないでください。小走りくらいでバレるほど息が乱れたりなんか――あっ」
「小走りでしたか。いや、本当、毎度メッサーがすみません」
「………………」

 しまった。アラドの鎌掛けにまんまと引っかかってしまったようだ。
 人好きのする食えない笑顔で眦を下げるアラドを上目で睨んで、カナメは顔を覆いたくなった。絶対に顔が赤くなっている。恥ずかしい。美雲にバレているかもしれないと思った時よりもちょっと――いや、かなり泣きたい。
 薄々勘づかれてはいたのだろうが、今ので完全にアラドにはバレた。
 ここ最近、正確にはメッサーがこのラグナ支部に配属となってから、カナメが二人を誘っていたのはどうしてなのか、を。
 目標はメッサー・イーレフェルト。
 もう誤魔化しようがないではないか。

「いやあ、薫製クラゲ楽しみだな」
「……………………それ以外、アラド隊長の奢りでいいですか」

 ニヤニヤではないが、年長者特有の余裕ある笑みを浮かべるアラドが、いいですよと平然と頷いてくれてしまったのもいただけない。手で押さえた頬の熱が尋常ではなく高まってしまう。演技を主体とする役者ではないが、アイドル時代からそれなりに悪くない対面を保つ技術には自信があったはずなのに。

「相談にも乗りますよ――うおっ!」

 どこか楽しそうにいらない気遣いをくれたアラドの横腹に、カナメは照れ隠しの拳を何の遠慮もなく繰り出したのだった。



                                    【 ⇒ 】

いつも誘いに乗ってくれないメッサーに嫌われているんじゃないかと考えているカナメさんと、そんなカナメさんにクラゲをエサに相談に乗るアラドと、
酔っ払ったカナメさんを見てたら輝いて見えてどうしようと思っているメッサーの片想い未満の話です。