メッサー・イーレフェルト中尉の事情(02)




2.【カナメ・バッカニアの言い分】

知らなかった。メッサー君に恋人が出来ていたなんて。
いつから? 私の知っている相手だろうか。

「あの、カナメさん……?」

昨日の職員の話ぶりでは、メッサー君は相当相手に入れ込んでいるらしい。しかも愛し合っちゃっているらしい。彼は自分でも認めていた。大好きでメロメロ。メロメロ。メッサー君がメロメロ。……そんな姿、長くパートナーを組んできた私は一度も見たことがない。だから彼にそういう相手はいないんだろうと思っていた。
クラゲ祭りの夜のこともあったし、ウィンダミアとの戦いで起こった共鳴のこともある。
ただ私の名前だけを呼んでくれた、文字通り命を懸けたエンゲージ。
だから、もしかしてもしかすると、メッサー君は私のことを想ってくれているんじゃないかと高を括っていたところがあったかもしれない。

――ううん。正直に言う。あった。ありました。

「カナメさん?」

メッサー君は私の歌が大切だと言ってくれて、いつも、いつでも一番に私の傍へ来てくれるから、それが、好意の表れなんだと思ってしまった。私が彼を好きだから。余計に都合良く解釈していたのだと今ならわかる。
よく考えたら勘違いだとすぐにわかりそうなものなのに。
だって一度も、メッサー君は私と二人で食事に行ってくれたことがない。

「カナメさん、どうしました。何かありましたか」
「――気にしないで」

ブリーフィングの後、恒例の小休憩に入ったところで、デルタ小隊とワルキューレの面々はそれぞれ部屋の思い思いに散らばり、雑談に花を咲かせ始める。彼らを尻目に、つい動向を窺うように凝視していた私に気づいたメッサー君が、訝しげな顔を向けた。
この打合せが終わった後はどうせフライトログの確認だろうと思っていたから、また夕食に誘ってみようなんて考えていたのが昨日まで。けど、もしかして例の彼女と合ったりする予定が入っていたりするんだろうか。
そう思ったら、胸の奥が痛むように締め付けられた。
知らなかった。メッサー君が、いつ、誰と、そんな関係になっていたなんて。私の方が重ねた時間は長いのに。その合間を突くように、彼の愛は盗まれていた。

「……いや、ですが」
「何でもないから」

私の返事に、しばらく何か言いたそうにしていたけれど、メッサー君は結局何も言わずに視線を前方に戻した。だからといってわざわざ離れることもなく、けれど私達の間に会話はない。これはいつもの私達の距離感だ。普段なら心地好いはずなのに、今日は私がそう思えない。
何度食事を断られても割りと平気でいられたのは、自分が彼にとっての特別だと思っていたから。
まさか恋人への配慮で断られていたなんて思ってもみなかった。
私が会話を切ってしまったせいで手持無沙汰らしいメッサー君は、どこからともなく取り出したブロックバーを口にくわえて咀嚼を始めた。横のデスクに置いていた端末にも手を伸ばす。
 
そんなメッサー君を見ていたら、もしかしてアイテールに向かう廊下でばったり恋人と会うことがあったかも、なんて可能性を脳が勝手に想像し始めてしまった。メッサー君を見つけて嬉しそうに手を振る彼女に、気づいた彼が微笑を返すことがあったかも。誰もいない給湯室、時間を示し合わせて悪戯をするように、こっそり甘いキスをしていたことがあったのかも、なんて可能性まで次々考えてしまうのを止められない。

キス。――メッサー君のブロックバーを食べているこの唇が、指が、触れるんだ。

そう思ったら、急に視界がぼやけてきた。

「カ、カナメさん!?」

慌てた声と同時に頬に指が当てられる。涙がこぼれたのだとわかって、私は誤魔化すように下を向いた。けれどメッサー君は離してくれない。端末をすかさずデスクに戻し、持っていたブロックバーを口にくわえて両手を開けると、もごもごさせたまま私の顔を覗き込む。
身長差があるから大変だろうに、膝を折った中腰で、両の掌で私の頬を包み込み、涙の跡をそっと拭ってくれてしまった。

「どうしました」
「……なんでもないの」
「何でもないことないでしょう。具合悪いですか? 医務室に行きます?」
「ちがう」

悪いのは心だ。
こんなに優しく気遣ってくれるのに、そんなことをしてくれるから勘違いするんじゃない、と失礼なことを考えてしまう。相手の女性にだって、こんなところを見られたらどう思われるか。私だったら気が気じゃないもの。メッサー君が、他の人に、こんなに距離を詰めていたら。
メッサー君は器用にブロックバーを口の端に移動させて、また私に語りかける。

「違うって、何が」

いいな。その薄い唇が食む携行食料にすら私は負けているんだな。
そう思うと、またぞろじわりと視界が滲む。

「……ブロック」
「ブロック?」
「いいなって、おもっ――」
「は?」

メッサー君の声が完全にクエスチョンマークを貼り付けている。
あれ、私、今、何て言ったっけ。
自分の言動を思い出そうとしたした瞬間、唇に固いものが押し付けられた。

「んぐっ?」

反射的に開けた口に、覚えのあるパサついた感触がする。それから小麦の素材そのもののような匂いが鼻から抜けて、ブロックバーをくわえさせられたのだとわかった。メッサー君の顔が近い。このブロックバーはいったいどこから。メッサー君の手は、相変わらず私の頬に添えられたままで、だから、これは、メッサー君がくわえていたもの……?

「――わお! メサメサ大胆!」
「ひかえろ〜。まだ全員いるぞー」
「失礼しました。カナメさん、ちょっと」
「んむっ? ま、まっふぇ、めっふぁーふん!」

一部始終を見ていたらしい面々から掛けられる言葉を見向きもせずに、メッサー君は私の手を取って歩き出した。慌てて追いかけるようについていく。シュン、と後ろで閉まったブリーフィングルームの自動ドアの音がした。
そのまますぐ隣の空き部屋に移動する間に、あまり美味しくはない、栄養を詰め込んだだけのブロックバーは、口の中の水分をこれでもかと吸い上げて、私は噎せそうになりながらどうにか全部を食べきった。

「で、何がありましたか」
「何がって?」
「本気でブロックバーが食べたくて泣いたわけじゃないですよね?」
「それは――」

当たり前だ。それほどお腹は空いていないし、よしんば空いていたとしても泣くほど食い意地は張っていない。
けれどメッサー君の優しさからくれた質問に、鼻の奥がツンと痛くなってきた。
本気で私の様子を気にかけてくれているのがよくわかる。無理には急かそうとせず、ただじっと私から切り出すタイミングを待ってくれているようだ。

優しい。メッサー君は私に優しい。

この優しさに特別なものを感じていたのは私だけだったんだと知ってしまった今となっては、無闇に涙腺を刺激される行為に過ぎなくなってしまったのがつらい。
でも、と思う。これはいわば自業自得だ。だって私は何の努力もしなかったから。
彼の気持ちの上に胡座をかいて、確かめることもしなかった。馬鹿の一つ覚えみたいに食事に誘っていたことは努力にもならない。結局一度もOKを貰えなかったのだから、ルーティンワークになっていたようなものだ。
彼の好むルージュの色一つわからない。
込み上げてくる感情を飲み込むように、私は、すん、と鼻を鳴らした。

「――たいしたことじゃないの、本当に」

気を抜かないよう、努めて明るい声を出す。語尾が少し震えてしまったのはどうしようもない。気づかないでいて。
ついさっき私の口中から水分を奪っていったブロックバーは、溢れてしまうこの恋心も奪ってくれれば良かったのに。

「……カナメさん」

メッサー君が私を呼ぶ。
そこに特別な響きが含まれていると思い込んでいた昨日までにはもう戻れない。
一瞬、言ってしまおうかとひどい考えが頭を過った。
私、メッサー君が好き。メッサー君は? 今の彼女とはいったいいつから? 私にもまだチャンスはある?――……

「本当に、大丈夫ですか?」

だけどその声に我に返った。
何てことを考えたんだろう。性格の悪い。そんなことをして、メッサー君が困るのは目に見えているのに。
メッサー君が今こうしてくれているのは、私のパートナーとしての優しさだ。わかっている。それでも私は、そんな彼の真っ直ぐな優しさまでも失いたくない。
心配そうに見つめてくれる綺麗なブルーの瞳の中に、情けない顔の私がいる。

……心の中にも入りたかったな。

でもちゃんと伝えなかったからもう遅い。私は息を吸い込んだ。

「あのね」
「はい」

最後にしよう。
最後に、ちょっとメッサー君の優しさにつけこんで、慰めてもらって思い出にしよう。

「好きな人に、フラれちゃった」

上手に笑ったつもりの頬に、涙がパタリと落ちていった。




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12/14メッサー君、誕生日おめでとう!