ジンクス前夜に交わすとしたら ここのところ溜まっていたらしいあれこれを吐き出したカナメさんが、ふうっと息を吐く。用意してくれたクッキーは、残すところ俺が持っている食べかけの一枚のみだ。 それをプラスチックの簡易容器に入った温いコーヒーの残りで流し込むと、カナメさんが申し訳なさそうな顔で俺を見上げていることに気がついた。 「どうしました?」 「いつも愚痴ばっかり聞いてもらっちゃってごめんね」 「いいえ」 ワルキューレの個々のスケジュール管理をしながら自身のマネジメントもこなし、更にデルタ小隊との連係調整も行う彼女の仕事量は、考えただけでも膨大だ。部下がいるとはいえ、空を翔ぶことだけに主眼を置いている俺とは、そもそも掛かる負担の種類が違う。 更に芸能活動にはつきものだろうファンサービスやら何やらで、彼女のストレスメーターはたまに振り切れることがあった。 「大したことはしていません」 そんなとき、格納庫の隅でこうしてたまに話を聞く僥倖にあずかるようになったのは、もう半年以上前になる。やり場のない憤りからか、給湯室でうっかりマグを落として割ってしまった現場に、偶然ログの整理で残っていた俺が居合わせたのが始まりだった。本来アラド隊長の受け持ち分を、他に簡単な雑務があった俺がついでに請け負いますと申し出た日の夜だったから、あれがなければ、きっと今こうしていたのは俺ではなかったことだろう。 「俺で良ければ、いくらでも付き合います」 二人きりで食事に行くことは出来ないけれど、職場で話を聞くことは出来る。 我ながらおかしい線引きだと思わないでもなかったが、彼女と必要以上距離を近しくしないでいられるギリギリの均衡は、こうして密かに守られている。 しかも最近では手作りのこんなクッキーの差し入れがあったりするので、それなりに役得だ。 「……ありがとう。でも、メッサー君の相棒は怒ってたりして。ごめんね」 「ジークフリードがですか?」 「うん」 けれどカナメさんは本当に申し訳なさそうに眉を下げ、まるで俺に話したこと自体を後悔しているかのように俯いてしまった。もっと話し上手であれば、彼女にこんな顔をさせないでいられるだろうに、聞き役が俺で申し訳ない。 アラド隊長なら、きっと笑顔にさせられただろう。人選としては、完全にカナメさんのミスだ。けれどどういうわけか、こういう話をもってきてくれるのは俺のところで、カナメさんがアラド隊長に打ち明けることはないようだった。 ――好きな相手に格好悪いところを見られたくない女心なのかもしれない。 「……」 俺の愛機を見つめるカナメさんの困ったような横顔に、今更何を言ってもとってつけたようなおべんちゃらにしかならない気がして、慰めの言葉一つ出てこない自分が嫌になる。 どうしたって俺の口は上手くないから、ここは相棒に手を借りることにした。 愛機に近づき、その機体に手を当てる。 今日は調整の為に格納庫内を数回車輪で走らせただけで一度も飛んでいない機体は元気いっぱいなようで、馴染んだ冷たい感触の下の声を拾い上げるように、俺はそこに耳を寄せた。 「メッサー君?」 短い沈黙にカナメさんの不思議そうな声がする。 機体に張り付くようにした態度を訝しんでいるようだ。 俺はわかったとでもいうかのように、愛機の身体をさっと撫でてから、カナメさんを振り返った。 「問題ありません。女神の声です。むしろ喜んでいる、もっと聞きたいと言っています」 だから気にする必要はありません。 それを伝えたつもりだった。 「……」 「カナメさん?」 けれどぱちくりと瞬いたカナメさんは、それから何故だかシュッと頬を薄く染めて、俺から視線を逸らしてしまった。何かまずいことを言っただろうか。けれど先程の気落ちした様子は影を潜め、かわりに唇が僅かに尖っているように見えた。怒っているのか? 「……メッサー君の生まれ故郷の惑星って、みんなそうなの?」 「はい?」 「たまにすごく情熱的」 「……は?」 と思っていたら、意味の分からない単語が飛び出て、俺の方が面食らう。 ジークフリードに気持ちを代弁してもらったら、情熱的になるんだろうか。むしろ子供っぽいと笑われる類のものではないのか。 「もっと聞きたいだなんて、口説かれてるのかと思っちゃった」 「そんなつもりは――っ」 「ふふ、冗談よ。ごめんね」 自分の不届きさ加減に愕然とする。思わず謝罪の言葉を紡ごうとした俺を遮って、カナメさんがおかしそうに口元に手をやった。なんだ。からかわれただけか。まったく心臓に悪いことをしてくれる。 「怒った?」 「いいえ」 小悪魔めいた瞳がちらりと俺を見上げる。 先程の名残か多少赤く染まった頬をそのままに覗き込むような視線は、あまり直視するものじゃない。余計な感情がわく前にさっと自分から視線を逸らす。けれどカナメさんは俺の横まで歩いてくると、同じように愛機にひたりと手を合わせた。 「ありがとう、ジークフリード君。私ももう少しお話したいな。いい?」 「……いい、と、先程言っていたので」 「ふふっ。良かった。ありがとう、ジークフリード君。あなたの相棒のメッサー君には、お礼にまたクッキー焼いてくるからね」 ありがとう、相棒。お前のおかげで秘密の格納庫以外でも彼女のクッキーが食べられそうだ。 労りと感謝の意を込めて触れた機体は勝手な事を言うなと怒っている気がしたが、その言葉は聞かなかったことにする。 カナメさんは何故か機嫌が良いらしく、時折ワルキューレのメロデイを鼻歌に乗せながら、ジークフリードの機肌を指先で柔らかく撫でている。それから何の脈絡もないような話題を俺に振ってきた。 「メッサー君の故郷って何か特別なイベントとかあった? ラグナのクラゲ祭りみたいな」 「……夏限定ですか?」 「ううん。そうじゃなくて、お祭りとか年中行事みたいなもの」 質問の内容に頭を悩ませる。イベント――イベント? それこそニューイヤーパーティはあったが、どの星もそう大差ない気がする。独立記念日、捻りがない。各地方での祭りならそこそこあっただろうが、あまりそういうイベントに参加する青春を送ってこなかったツケがまさか今になってくるなんて。仕方ないじゃないか。青春時代はほとんど空に捧げたといっても過言でないのだ。パイロットの養成機関は、それなりに過酷でスケジュールは密だった。 「そうですね、イベント……――ああ」 口に出して頭を抱え、俺はようやく一つを思い出した。 あったじゃないか。あの頃は当たり前すぎていちいち考えたこともなかったけれど、常夏のラグナのような星にきてから、冬場にたまに思い出す光景が。 懐かしい景色を頭の中で思い浮かべた俺に、カナメさんが興味津々といった表情を向けてくる。ああ、この人はきっと好きだったろうなと思えば、無意識に頬の筋肉が緩んだ気がした。 「12月になると25日まで広場にマーケットが立ちました。期間が長いですが、毎年ちょっとしたお祭り気分でしたね。宗教的な行事の派生でしたけど、観光客もそこそこ見込める立派な商戦込みのイベント行事でした」 「マーケット?」 「ワインやブルスト――焼き立てのソーセージですが――他にもオーナメントを売ってる店やガラス細工からナッツを専門に売り出す店や、そういう様々な露店が所狭しと出るんです。銀糸やライトでモミという大きな木に飾りつけをする習慣があって、家庭用の小さな装飾品もたくさんありましたね」 あの時期は昼間でもどこからともなく人がわらわらと集まってきているようだった。寒さが増した夜になっても、マーケットの明かりとツリーの輝きに引き寄せられるように着膨れた人の波がごった返して、思い出した瞼の裏では寒さはまるで感じない。 「……丁度真冬に当たるので、ラグナにはない雪が降りますから、氷点下の中マーケットを冷かしたりして、結構賑やかに過ごす時期でした」 「寒くないの?」 「寒いですよ。だからワインも温かいグリューワインです。子供はグレープフルーツジュースを温めたキンダーパンチだったり」 屋台に並ぶ人の手には、いつも湯気の出る飲み物があった。酒で赤らんだ顔が陽気な笑顔に溢れて、見知らぬ人同士で突然の酒盛りが始まったりもする。普段は真面目だ大人しいなどと言われがちな惑星ランク上位に位置づけられていたらしいアルブヘイムだが、あれを見れば、そんなことは誰も思わないのではと子供の頃から思っていたものだった。 もともと想像力は俺の比でなくありそうなカナメさんは、頭の中で色々巡らせているのだろう。柔らかく笑んで俺を見た。 「ふふ……すごく楽しそう。それにモミの飾りつけって見たことないんだけど、木自体は知ってるの。クレストのがっしり版というか、大きくて枝ぶりが立派な種類のあれよね? 枝全部に飾り付けるの? すっごく綺麗な気がする!」 「そうですね。綺麗でした。とても」 目を閉じれば今でもそこに描けるツリーは、柔らかく光り輝いている。子供の頃、たぶん父親が手ごろなモミを用意して家族で枝を飾り付けた。頂上には金色に輝く星を飾り付けて完成だ。最後にその大役を仰せつかって、小さな頃はやたらめったら大きな仕事をこなした気分になっていた。 そういえば、金の星は彼女のイメージモチーフだなとふと思う。 大人になって訓練所に入ってからは、街中や寮に飾られるそれを見て過ごしていた。 あんなにも毎年当たり前にそこにあって、なのにもうきっと二度と見ることは叶わないだろうモミの木は、不思議なほど記憶に残っているものだ。 「……」 感傷とも呼べない気持ちで記憶に耽っていた俺は、ふとカナメさんが押し黙っていることに気がついた。想像のモミで随分楽しそうだったのにどうかしたんだろうか。顔を覗いてハッとする。どこか辛そうに眉を寄せているのは、俺が過去形で話したせいだ。今はもうない惑星の思い出を聞いたことに、責任感の強い彼女は罪悪感を抱いているに違いなかった。 何一つカナメさんのせいじゃない。アルブヘイムが滅んだことも。マーケットのきらきらと輝く思い出も。 彼女の憂いを払拭できればと、楽しい話題を思い出してみる。 「ああ、そういえば」 「……ん?」 「その中にクラゲ祭りと似たイベントもありましたよ」 そうだった。これも思い出した。カナメさんの――というより女性はきっと好きだろう話題だ。 クラゲ祭り、と名前を出せば、カナメさんが少し元気を取り戻したように見えてホッとする。 「そうなの? あ、モミの木が光るとか?」 「そっちは、……普通でしたが」 そうきたか。まあオーナメントやライトで光ると表現できないこともないが、ヒカリクラゲとモミを同列に捉えるとは思わなかった。 「ええ、じゃあどういう――……メッサー君? ……笑ってる?」 「……っ、すみません。発想が思いの外突飛だったもので、つい」 思わず肩を震わせてしまったのは不可抗力だ。許してほしい。 彼女の頭の中で、俺の思い描くツリーが二転三転して発光した挙句飛んでいるのかと思ったら、小さく込み上げてくる笑いが止められない。そんな想像したことがなかった。 「ひ、ひどいっ! だって見たことないんだもの! メッサー君、バカにしてる!」 痛くもない拳でぽこぽこと殴られるのを甘んじて受け入れる。 「してません。可愛いなと」 「っ、や、やっぱりバカにしてるでしょうっ! もうっ」 膨れた頬を赤く染めてカナメさんがふいと横を向いてしまった。勘違いも拗ねる態度も、こんなに可愛いのは反則じゃないのか。やはり込み上げてきてしまう笑いと、胸の奥からじわりと這い出してくる柔らかい想いを咳払いで押さえ込み、俺は声の調子を整えた。 「宿り木です」 「……ヤドリギ?」 それが功を奏したのか、カナメさんがちらりと視線だけ向けてくれた。 悪意がない事を軽く両手を上げることで示して見せると、僅かに染めた頬のまま、俺の隣でまた一緒にジークフリードに背中を預けてくれる気になったようだ。 「クラゲ祭りは、『クラゲの下で愛を誓い合った恋人同士が永遠に結ばれる』というジンクスがありますよね。俺の育った惑星ではそれが宿り木という木の下になるんです」 「どんな木なの?」 「そうですね――……本来は寄生植物ですが、常緑で、まあ、こんな感じのリースだったり枝ぶりを束ねたものだったり」 色々由来はあっただろうが、生憎そんなにロマンチストな性質ではない。宗教意識も低かったから詳しい事情など知る由はないが、とりあえず木の下で行われる行事だったことは間違いなかった。 格納庫内では適当な代替品が見当たらないので、手振りでなんとなく形どって伝えてみる。手元を覗き込むようにしてきたカナメさんは、顎に手を当てて「なるほど」「ふうん」等と呟いていた。どうやら、また彼女の頭の中でヤドリギが構築されているらしい。詳細を聞けばまた笑い出してしまいたくなるおそれがあるので確認はせず、説明を続ける。 「宿り木の下でキスをした恋人たちは幸せになれると言われていました」 「キス?」 「それに宿り木の下では女性は男性からのキスを拒めないというルールもありましたね」 「強制ルールなの? 拒むとペナルティ?」 「翌年一年婚期を逃すとか」 「ひどい!」 言葉の割に、おかしそうにカナメさんがクスクスと笑う。 不意に、昔同室の奴が「それなのに殴られた!」と頬を腫らして帰ってきたのを、仲間内で爆笑しながら慰めた記憶が蘇ってきた。そんなこともあったな。忘れていた。思い出したくないことが多すぎて、楽しい思い出にまで蓋をするのは失礼な話だと気がつく。 「はい」 俺は、確かに生きている。生き残って、ここにいる。 辛いことも悲しい事も多すぎて、だけど、楽しいこともたくさんあったことをなかったことにしてはいけない。彼らの楽しかった気持ちも、会話も、表情も、もう俺しか思い出せる人間はこの世のどこにもいないのだから。 「……なので、その頃になると街の至る所に宿り木が設置されたりしていましたね」 「みんなキスし放題ね」 「今考えると、幸せの大安売りみたいな感じですが」 クラゲ祭りは恋人であることが前提だろうが、アルブヘイムはキスの強奪作戦といえないこともないなと思う。誰と誰が宿り木の近くを歩いていたとか、あれは絶対誘われたんだとか、思春期は特に、男女問わずソワソワし出す奴らが確かに多くなる時期だった。 常夏のラグナでは緑など珍しくもないが、雪で覆われるあそこの冬では、緑の宿り木の存在そのものがどこか心を浮き足立たせるような、特別めいたものになっていたのかもしれない。 「……ふうん」 「カナメさん?」 素っ気ない生返事に振り返れば、カナメさんが俯いていた。こういう話題は好きなものとばかり思っていたが、外れだったか。それなら他に何かあっただろうか。 「……メッサー君もした?」 そう思っていた俺に、カナメさんはぼそりと小さな声でそう言った。アルブヘイムのイベントに興味がないわけではなかったようだ。まだ俯き加減のつむじを見ながらホッと胸を撫で下ろす。 「キスを? 宿り木の下でですか?」 「うん」 「ないですね。イベント時期はパイロットの仲間と馬鹿騒ぎに繰り出すか、スクランブル待機に当たることが多かったですから」 これは本当の話だ。別に色恋がまったくなかったとは言わないが、それよりも空に夢中だった。 「……恋人はしたかったんじゃないのかな」 「どうでしょうね。誘われたことがないのでわかりませんけど」 「……」 これも本当の話だ。あの当時――今もかもしれないが、空と私とどっちが大事なの、などと言う恋人の話を同僚から聞く度に、そんなくだらない天秤にかけようとする相手とはさっさと縁を切ればいいのにと思っていた。 そもそもパイロットは一朝一夕でなれるものじゃ決してない。それこそ血の滲むような努力と、努力ではどうしようもない適性の末に空に選ばれるのを待つしかないのだ。その幸運にあずかれた身で、宿り木の為だけに当直を断り上層部の反感を買うのは正直馬鹿げている。そういうことを言ってくる女に限って、パイロットの恋人という肩書が大好きなだけということも知っている。 「幸せ祈願は結構したいものだと思う」 「そういうものですか」 「そういうものでしょう。好きな人となら、なおさら」 「……あの」 「ジンクスだってなんだって、縋りたいときはあるじゃない」 「カナメさん?」 「私だったらっ。…………したいもの」 「そう、ですか」 なんだろう、カナメさんが急に不機嫌になってしまった。 彼女に限ってフライトと自分を天秤にかけるようなことは言わなさそうだが、もしかして誰か想い人にジンクスを望んで断られたことでもあったのだろうか。昔の嫌な事を思い出させてしまったのだとしたら申し訳ないことをした。 「カナメさんは」 だから、今の恋を応援しているというつもりで、俺は一度息を吐いた。 本当はあまりこの手の話は振りたくなかったけれど仕方ない。 「クラゲの下で誓った愛は、幸せに育っていますか」 「…………」 俺としては断腸の想いを込めたつもりの台詞だったが、どうやらものすごく失敗してしまったらしい。言った途端、しまったと思った。失言だ。何がどう、とはわからなかったが咄嗟にそう本能が告げた。 カナメさんは眉を寄せ、目を見開き、薄く開いた唇は蛍光灯の灯りの下で急に色を失って見えた。今にも泣き出しそうな、怒鳴り出しそうな、そんな彼女の顔を初めて見た。 「あの」 今まで敢えて想像は避けてきたのだが、ここは現実を見るべき時にきたのかもしれない。今日、カナメさんがここに来た理由を考える。フラストレーションがたまっていたから。そうだ。ならその原因は? 仕事の愚痴はさっき聞いた。けれど俺のつまらない返しにも彼女が怒ったり傷ついたりするような気配はどこにもなかった。それがこれだ。宿り木のキスの話が切欠になったことは間違いない。 つまり、だから――……隊長と、喧嘩でもしたのだろうか。だから今日、カナメさんは俺の所へきてくれたのか。そうだとしたら俺は何を言うべきだろう。 話をした方がいいですよ? 大丈夫。あの人はきっとあなたを大切に思っています? 「……やっぱりメッサー君、バカにしてるでしょう」 「え?」 本当は言い出したくない慰めの言葉を頭の中で反芻していると、カナメさんがそう言った。馬鹿になんてしていない。驚きながら様子を窺うと、カナメさんの頬は僅かに膨れているようだった。 「あの、すみません。それはどういう――」 「育てたくても、そんなロマンチックなシチュエーションで告白なんてされたことないもの。知ってるくせに。メッサー君、嫌味」 「え――いえ、俺は」 確かにあなた達の告白の始まりなんて知らないけれど、と反論する前にカナメさんがキッと俺を睨み上げた。思わず両手を胸の前で上げて降参の意を示してしまう。 「メッサー君にはたくさん恋人がいただろうけど、私はどうせ無縁ですー」 「は? え、まさか」 「ヤドリギなんて知らないし、見たことないし、いいけど別に。メッサー君が誰にキス迫ってたって、どうせ私には関係ないし」 「え、いえ、だからそれはしてな」 「クラゲ祭りはいつもワルキューレのみんなで行くし、今年はメッサー君も誘ったのに仕事があるって来てくれなかったじゃないっ」 待った。待ってください、カナメさん。話の流れが速すぎて、若干内容が掴めません。 頭の中で突発事態に変更を余儀なくされた航行経路をシミュレーションするより早く整理してみる。 仕事のフラストレーションに関する話なら終わったはずだ。故郷のイベントを聞かれて冬の季節の話をして――そういえばその辺りからカナメさんの様子が少し違ったか? けれどよくわからない。そのまま宿り木とヒカリクラゲのジンクスが似ているという話をして――…… (――ん?) つまり今、カナメさんは特定の相手がいないし、ジンクスを試すようなシチュエーションになった経験もないと暴露していなかったか? 無縁? 無縁のわけはないだろう。あの人と付き合っているんじゃなかったのか。もしくは、まだ、の段階なだけで―― 「メッサー君付き合い悪い。ジンクス以前の問題だわ」 「すみません。いえ、ですがそれは――……俺は、仕事があったので」 確かに九月、カナメさんから一緒にどうかと誘われた。それを断ったのは俺で間違いない。あの時はまだクラゲ祭りという存在は聞いていたけれど、そこにヒカリクラゲのジンクスがあるとは知らなかった。知っていたら、たぶん余計に俺は行かなかったことだろう。 ヒカリクラゲの産卵に合わせて輝きながら空に浮かぶ光景は、それはもう幻想的なものだと思う。海の音と風と光の中で恋人たちが愛を囁き合えば、永遠にだってなりそうな気がする。だからこそ。 「嘘。アラド隊長が、今日は上がっていいぞって言ったんですけどね、って言ってたんだから」 ほら見たことかと鼻息荒く見つめてきたカナメさんから、俺ははっきりと視線を逸らした。ほら見たことかはこっちの台詞だ。隊長とそんな会話をしたのはクラゲ祭りの会場だったのだと簡単に予想がつくカナメさんの言葉に、俺はそっと瞼を下ろして息を吐いた。 そんな素敵な光景にうっかり見惚れていたら、次の瞬間姿を消した二人に気づくことになる。 そうしたら俺は後に何を想ってクラゲを黙って見ていればいいんだ。 誓い合う言葉もなければ捧げる想いは決して伝えないと決めているのに。しかも決まった人がいる相手に。 「……隊長と見られたなら良かったじゃないですか」 「良くないでしょう!」 「……はい?」 少し皮肉めいてしまった口調にこれ以上は口を噤もうと思った瞬間、カナメさんの大きな声が格納庫に木魂した。目を開ければ、むっと眉を寄せ唇を引き結んだ彼女の顔があった。目が合うと、いつの間にか正面に回っていた彼女に半歩間合いを詰められる。 「全然良くない。私はメッサー君と一緒に見たいって思ってたのに。だから誘ったのに。ヒカリクラゲの産卵は一年に一回しかないんだよ?」 「は? ――え?」 近い。近いです。わかっていますか、カナメさん。今までにない近さで迫っています。落ち着いて。 後ろがジークフリードなので、あまり逃げ場がありません。 どこかおかしなスイッチでも入ってしまったらしいカナメさんが、両手を前で握っておかしなことを口走っている。俺と一緒に見たかった? ラグナに対する惑星愛がいきすぎて、その産卵が恋人たちの愛を告白し合うイベントだということを、きっとカナメさんは失念している。年に一度の特別なものだということはもうわかったから離れてほしい。 「本当にラグナ一押しのイベントなの。仕事も明けたって聞いて、せっかくだから今年はメッサー君に見てもらいたいなあって思ってて、だから一緒にどう?って誘ったのに」 「あの、近いですが……」 「聞いてる!?」 「聞いてます」 不満をはっきりと顔に出したカナメさんにすかさず頷く。聞いているからこそ言わせてほしい。「一緒に」という単語が入り過ぎだ。こんなところを誰かに聞かれようものなら、カナメさんが俺を誘っているのだと勘違いされてしまうだろう。例えばそれがアラド隊長の耳にでも入れば、好ましくないのは俺よりカナメさんの方だろうに。 「来年はスクランブル以外でメッサー君に当直は入れないって、アラド隊長にも了承もらってるから予定は大丈夫だと思うの。緊急時は即応で。それなら平気よね?」 「は!?」 と、思ったら、既に本人に俺のスケジュールが押さえられている? 駄目だ。意味が分からない。彼女は隊長が好きなんじゃないのか。何でその本人に他の男と行く計画を話しているんだ。予定調整までさせて――というか、どうして隊長もそれに加担しているんだ。まさか本当は隊長に嫉妬をさせたかったとかそういうことか? だが、それにしてはあまりに計画が穴だらけだし、そういった小狡さをどこにも欠片ほども感じられない。そもそもそのつもりであったなら、OKを出されている時点でもっと違った反応になるはずだ。 ならこれは、職場の後輩である俺を先輩として、又は職務上のパートナーとして誘ってくれているんだろうか。彼女の性格ならそうかもしれない。けれどそれだと少し困る。 「だから来年は一緒に行こう? 仕事が遅くなるなら待ってるから」 「いえ、ですが」 「モミのデコレーションは用意できないけど、ヒカリクラゲも本当に綺麗なの。きっと後悔させないから、メッサー君にも見てほしい。だから一緒に行ってください。お願い!」 「……」 俺を見上げて、それから少しの上目遣いで小首を傾げるその表情に、打算めいたものは一つも見られない。パイロットだからだとか、仕事と自分を天秤にかけるだとか、そういったことは一切なく、ただ単純に素敵な時間を俺にも分けてくれようとしている。 純粋に可愛らしい人だと思う。お願いと言って瞬く青い瞳も、きゅっと結ぶ唇も、見上げることで頬から耳に流れる赤い髪も何もかも。 ――思うからこそ、この誘いには応じられない。 一方が友情を感じられない相手と行くには、ジンクスも何もかもがロマンチックすぎるのだ。 それは恋人たちのイベントなんだと、彼女はいつ気づいてくれる。 「〜〜〜もう! わかった! じゃあ交換条件!」 「は?」 けれどカナメさんは言うなりびしりと俺に人差し指を突きつけた。この人の頭の中ではまたどんな突拍子もない想像の末にそうなってしまったんだろう。まったくもってわからない。 むくれた頬で俺を見る表情はまるで少女のようなのに、腰に手を当て替えた様子は子供をしかる母親のようだ。そのアンバランスさに呆気に取られている俺の前で、カナメさんは宣言した。 「モミの木とヤドリギも調べて用意する! そっちも一緒に見よう? 25日までなのよね? ちょうど明日じゃない? モミはすぐには無理だけどヤドリギなら出来そうだし、明日ここに飾っちゃう? ね? だから来年は一緒にヒカリクラゲを見に行ってほし――」 「――宿り木があるとあなたはキスを拒めませんが」 「へ――……あっ!」 彼女自ら気づいてもらうのはもう無理だ。意気揚々とされた宣言にそう判断して、俺は途中でカナメさんの言葉を遮った。 カナメさんの頬が、俺の言わんとしたことに気づいてボッと音を立てて赤く染まった。 さあ、これでもうわかったでしょう。宿り木の下でするキスも愛の告白も、ヒカリクラゲの下で誓い合う愛の言葉も、想い合う男女がするものです。あなたが誘っている男は、弟でもなんでもない。世話を焼きすぎたら勘違いしていつ牙を剥くともわからない。 「……」 「……」 詰め過ぎていた距離にもようやく気づいてくれたらしい。無言のまま半歩下がったカナメさんは、ずりずりと真横に移動して、俺の隣でジークフリードに背中を合わせた。腕の触れ合う距離はやはりまだ近いと思うが、片手で顔を覆って俯く彼女は、俺に言ってしまった言葉の数々を猛省しているに違いない。 いいです。わかっています。あなたにそんな気はさらさらなかったことくらい。勘違いもしていません。なかったことにしましょう。それで、あなたはワルキューレのメンバーと、それからクラゲの下で本当に一緒にいたい相手を誘ってくればいい。 調子に乗って話し過ぎた今夜の会話はそろそろお開きに。 「……メッサー君」 そう口に出す前に、カナメさんが俯いたままで俺を呼んだ。同時に、左手が伸びてきて、真横の俺のジャケットを掴む。思わずカナメさんを見ても、こちらを見ない彼女の表情は見えない。けれどその耳がだいぶ赤い。白いはずの指先も、うっすらピンクに色づいて見える。 顔を覆っていた手がゆっくりと離れて、おずおずと視線が向けられた。 「……クラゲ祭り、来年一緒に行ってくれる?」 消え入るようなその声は、歌声とはまるで違って聞き取りにくく、だけどどうしても聞き逃せない。 わかっているのか。その意味を。 瞬きも忘れて彼女を見れば、顔全体を、とりわけ目元を朱に染めて潤んだその表情に、ついさっき蓋をしたはずの感情がじわりと滲み出してくるのがわかる。 これは何かの冗談だろうと頭が鈍い警告音を響かせてもいる。 ――ああ、でも。それでも。 宿り木の飾られていない場所では彼女に拒否権がある。いつかの仲間がそうだったように頬を腫らすことになるのか、それとも。 ねえ、とばかりに答えを欲する指先にジャケットを引かれ、俺の背中が預けていたジークフリードからゆっくりと離れた。 【 END 】 付き合ってないメサカナで、クリスマスっぽいお話です。 |