ぬくもりからロマン飛行(02)




 *****

 どうしてこんな状況になってしまったのか。今はもう思い出せない。
 ただわかることといえば、眠ってはいけないということだけだ。
 気を抜けばすぐにでも意識は瞼と共に落ちてしまいそうだとわかる身体は、震えそうなほどに冷えていた。冷たさが、睡魔を連れてくる。カナメは眠気に足元を掴まれていた。
 けれど駄目だ。また眠ってはいけない。
 もう少しで助けがくるとメッサーが言うのだ。
 それまでは、なんとしてでも意識を保っていなければいけない。

「……ねえ、メッサーくん」
「はい」

 カナメが眠ってしまわないように手を替え品を替え、身体を揺すっては声を掛け続けてくれるメッサーに、今度はカナメから話しかけてみることにした。
 そうだ。眠ってはいけないのなら会話をしよう。続けている間はきっと彼の反応が知りたくて、意識を保っていられる気がする。

「救助、いつ来るのかな」
「すぐです。もうすぐ。それまで頑張りましょう。大丈夫です」
「……ん、うん、だいじょうぶ。がんばろう」

 少し呂律のあやしい甘えた発音になってしまったが、それくらいはいいだろう。カナメは笑顔を作りメッサーに凭れたまま両手の拳を握って見せた。メッサーが微笑してそれに応える。
 そうだ。眠ってはいけない。
 頑張らなければ。頑張って起きていたら、彼のこんなに珍しい表情が見られるのだから。
 それにカナメはメッサーを信じている。
 彼が「来る」と言うのだから、きっと助けはすぐに来るのだ。
 いつだって信じている。
 信じているからどんな戦場でもカナメは躊躇なく歌うことが出来た。それを彼に直接伝えたことはまだなかったけれど、本当にずっとそう思っている。

(ああ、そっか――)

 ふとカナメは気づいてしまった。
 思っているだけではダメだ。もしこのまま眠ってしまったら、気持ちは一生メッサーに伝わらないではないか。
 この状況はピンチでもあるが、逆に素直になれるラストチャンスのような気もしてきた。
 カナメはメッサーの腕の中で小さく身じろぎ、その頬にゆっくりと手を伸ばした。
 信じている。ずっと。どんな時だって。

「カナメさん?」

 口の動きに合わせてメッサーの輪郭も動く。そんな些細なことすら大切で、カナメはふふっと微笑した。
 素直になろう。もしかしたらこれが最後になるかもしれないのだから。

「私ね、メッサーくんが飛んでる姿、すごく好きだったんだよ」
「え?」

 不意を突いたカナメの告白に、メッサーが驚いた表情を見せた。
 もっとこういう顔を見ていたい。
 素直な気持ちが、眠気を少しだけ奥に引き留めてくれる気がしてカナメは続ける。

「格好良いなって思ってた。格好良くて、綺麗で、すごく大好き」

 飛んでいる機体があんなにも綺麗だと思ったのは、メッサーのフライトを見るようになってからだ。誰の飛行でも技術面では本当に素晴らしいとは思っていたし、格好良いとも思っていた。マキナが飛行を褒める時の「きゃわわ」という感覚はちょっと理解出来なかったが、パイロットは技術職だ。心技の具現化であるフライトはパイロットの粋を集めた結晶のようなもので、素敵だと心底尊敬している。
 けれど、単純に「綺麗」と呟いてしまうほど見惚れたのは初めてだった。
 単純にフライト技術を褒められれば決して卑屈な謙遜をしないメッサーが、それでも少しだけ眩しそうに瞳を細めた。

「ありがとうございます」
「あとね、ライブの時デモンストレーションしてくれながらハンドサインをくれることがあったでしょう? あれも好き。気づいた時ね、本当に嬉しかった」

 けれど続けたカナメの台詞に、メッサーは思わずといった様子で目を見開いた。
 驚いている――というよりは戸惑っているといった表情だ。
 サインには気づかれていないと思っていたらしいことがわかって、カナメはふふっと微笑んだ。

 彼のサインに気づけたのは偶然だ。
 たまたま、本当にたまたまライブ会場でヴァール発生率を検知しようとしていた時のことだった。メッサー機が吹かしてくれたカラー煙の合間を、演出用に改良されたドローンに乗ってポーズを決めて飛び降りる。カメラワークが自分から美雲に映ったのを目の端で確認してからネイル端末を操作しようと上げていた手をふと見上げた先で、メッサーがコックピットからこちらを見ている姿が見えた。
 同時に右手が左右に振られ、指を折ったり開いたり。
 時間にすればほんの数瞬。
 なんだろうと思った矢先、隣に捌けてきたマキナが「きゃわわ〜」と言いながらカナメをとんっと肘で小突いた。彼女にはそれが何かがわかったらしい。
 ライブ終了後、一体何が「きゃわわ」だったのかと詰め寄り気味に聞き出した。
 それからだ。ハンドサインを見落とすまいとし始めたのは。

「……知っていたんですか」

言葉を探すように口を開いたメッサーは、見つめるカナメの瞳からバツが悪そうに目を逸らした。

「サインの意味? マキナに教えてもらったの。でも全部じゃないけど」
「……余計な事を。いえ――……あの、例えば、何を」

 動体視力には自信がある。けれど短すぎる時間とタイミングで全てを見つけられたわけでないのが残念だったが、いくつかはマキナに見よう見真似でサインを伝え、教えてもらい、勉強もした。

「例えば、『今のすごく良かった』とか『惜しい』とか『完璧』とか、――『かわいい』とか」
「…………」

 初めてそれに気づいた日は、その後のフォールドレセプター数値が爆上がりしすぎて、いったい何があったのかと、ライブの最中美雲にまで訝しがられたくらいだった。
 おそらくはコーラス後の一瞬、抜かれるカメラ目線で「好きよ」と台詞を入れたことについてのメッサーのサインだったはずだ。囁き気味に声に乗せ流し目で捌けて――
 次の動きをパートナー機と合わせる為に位置を確認しようと見つめた空で、カナメはそのサインを見つけた。

「かわいかった?」
「……可愛いですよ、あなたは。全銀河で誰よりも」
「ふふ、ありがとう。でも盛り過ぎよ」

 単純にライブの空気感を盛り上げてくれたのだと思う。
 メッサーは寡黙であまりそういった場面で騒ぐようには見えない人だけれど、心底嫌っているわけでないことをカナメはもう数年になる付き合いで十分すぎるほどわかっている。ライブの見せ方にしても、この方がより盛り上がるだとかグルーヴ感がどうだとか、彼はいつも真剣に打合せをしてくれる人なのだ。
 珍しく不貞腐れたような口調で言われた言葉に笑いながら礼を言えば、メッサーはカナメを擦る掌に力をこめたようだった。眠くならないようにだろうが、ぎゅっと抱え込まれるような動きにどきりと心臓が鳴ってしまう。

「本当です。かわいい」
「――……メッサーくん?」
「かわいいです。誰よりも可愛い。あなたが一番です。かわいい」

 近くなった唇が耳朶に囁く。
 見上げようとしたカナメの目元を、メッサーが掌で覆ってしまった。

「え、何? 見えない――」
「こっちを向かないでください」
「真っ暗だよ」
「いいから」
「でも眠くなっちゃうし」
「頑張ってください」

 凭れた身体に抱きしめられて視界を温かく覆っているくせに、眠るなとはずいぶん勝手だ。
 ぎゅっと肩を抱く手にやわやわと腕を撫でられて、カナメは仕方なく息を吐いた。

「わかった。ねえ、じゃあそっちは見ないから手だけ退けて?」
「…………」

 言いながら自分の目元を覆うメッサーの手に手を重ねると、僅かに抵抗したものの、メッサーは大人しくカナメの誘導に従ってくれた。
 約束通りメッサーの顔は見上げずに、カナメはその手を指先で遊ばせてみる。
 この手が操縦桿を操作するのだと思うと少し不思議な気がした。掌と五本の指。節があり、爪がある。自分と大差ないはずの形が、実際重ねてみるとまるで違う。大きさも厚みも、節の形も長さも太さも。
 両手で包み込むようにして重ね、それから片手の指を指の間に差し込んでみる。
 きゅっと握ると一瞬遅れて握り返してくれたメッサーの手は、想像していたよりもずっと大きかった。
 なんだか指先に鼓動が移ったような錯覚が起こる。
 とくんとくん、とどちらのものともわからない心音が聞こえてくるようだった。

「ね、メッサーくん」
「はい」

 この手があのコックピットの中にあるカナメには到底あずかり知れない数多のボタンを操作して、レバーを引き、サインをくれたのだ。同じに見える五本の指が器用に折れ、開き、音ではない言葉をカナメに向けて何度も伝えてくれていた。

「……ハンドサイン、私は上手く出来ないから、口で言ってもいい?」
「はい?」

 カナメはメッサーと繋いだ手を持ち上げて祈るようにそこを見つめた。
 嬉しかった。メッサーが褒めてくれたことが。
 一緒に作り上げたステージに彼も満足してくれたとわかったから。パートナーとの一体感。それが目の前に見える形で現れたと思ったほどだ。彼の全力のサポートに恥じないパフォーマンスで返したい。歌に、ステージに、全力を尽くす。強くそう思った。
 そんなときにくれた彼からの突然のワンサイン。
 イベントの熱気にあてられただけだったとしても放ってくれたその感情が、どれだけ嬉しかったか知れない。可愛い、は衣装が? ポージング? それとも表情? 言葉の放たれた瞬間がどこに向けられたものかはわからない。でもステージを降りた今でも、カナメに向けて言ってくれたさっきの言葉が少しでも本気であればと思ってしまう。

(もしかしてあの時、メッサーくんはキュンとしてくれた? 少しだけ耐Gとは違う意味で心臓が高鳴ったりしてくれた? フライトに支障をきたさない程度に、ちょっとだけでもときめいてくれたからくれたサインだったりした――?)

 だとしたらと期待しただけで、気分は上昇し、それに伴いフォールドレセプター数値は上がるらしい。
 きっと今誰かが端末で調べれば、数値はまた爆上がり真っ只中な自信がある。

「メッサーくんは全銀河で一番カッコいいパイロット。大好き。いつもありがとう」
「は――」

 本当はキスを落としたかったけれど、繋いだ手を解かれてしまっては勿体ないので、代わりに自分の胸元に抱きしめる。素直な気持ちが伝わるようにと願っていると、メッサーはしばらく逡巡して、それからもぞりと動き出した。
 体勢を変えて、カナメを後ろから自分の身体で抱き締めるような格好になる。すっぽり抱き抱えられて、けれど指を絡めた手は離さないでいてくれるらしい。温かさと、繋いだ手、それにメッサーの顔を見ないというすべての条件が整ったベストポジションだ。
 その姿勢で、メッサーはカナメに回した腕でぎゅっと自分の胸へと抱き寄せる。
 それから困惑したような口調でカナメの耳朶へと囁いた。

「……それこそ盛り過ぎかと」
「そんなことない」

 振り返って顔を見そうになったカナメを、メッサーが顎で後頭部を押し返してやめさせる。
 むっと頬を膨らませ、けれども約束は約束だ。顔を見るのは止め、けれども少しだけ身体の向きを変えて、カナメはメッサーの胸に身体を預ける姿勢になる。
 片手を繋ぎ、もう片方をメッサーの胸に当てジャケットを掴んだ。

「飛んでる姿、すごく綺麗なのよ? 迷いのない軌跡に惹きつけられるの。私、メッサーくんのことはいつだって信じてた。だから歌を届ける事だけに集中できる。メッサーくんは私にとって最高の人。バイザーを上げる瞬間も好き。ヘルメットと汗で少し下がり気味になる前髪も。私を呼ぶ声も好き。メッサーくんの笑ってるところを見られたら、それだけですごく嬉しくていつも泣きたくなるくらい幸せだなって思ってた。……ずっと、そばにいたかったの」

 感謝している。ずっと護ってくれたこと。
 いつだって勇気をもらっていた。大切だと思っていた。
 上手く伝わってくれただろうか。伝われ伝われと念じるように息を詰めるカナメを、しばらくして、メッサーがゆるゆると抱く腕から力を緩めた。

「メッサーくん?」

 まだ見てはいけないのだったか。顔を向けかけて止めたカナメの頬を、メッサーの手がするりと触れた。誘われるように視線を上げれば、熱を持った青い瞳がカナメを真っ直ぐに見つめていた。
その真ん中に、熱に浮かされたような顔の自分が入り込んでいる。

「……います、今。ここに」

 カナメが眠ってしまわないようにと何度も呼んでくれたメッサーは、そうだ、ずっと傍にいてくれた。カナメは瞬きも忘れてメッサーの瞳を見つめた。似ている自分の青い瞳にも、きっとメッサーが映っている。

「うん。あったかい」
「あなたも、カナメさん」

 救助が来るまできっとあと少し。
 それまで私達は眠ってはいけない。どちらかを一人残してなんて絶対にダメだ。
 カナメはメッサーのジャケットを掴んでいた手を離すと、自分の頬を撫でる彼の動きを真似るようにメッサーの頬へと手を伸ばした。
 指先を輪郭にそっと触れさせ、それから指の腹をひたひたと当てる。
 ふと、甘えるように頬を寄せてきたメッサーに誘導されて、とうとう掌で輪郭を包む。

 ああ、こんな形をしているんだ。手に馴染む。形も、体温も、何もかも。

「メッサーくん」

 カナメの呼び掛けに、メッサーは指先でカナメの唇をなぞる動きで答えてくれた。瞳が先を促している。

「ずっと私のデルタ2でいてくれる? 私だけのデルタ2」

 眠らないから。ちゃんと起きて、ここにいるから。

「……いつか、あなただけのデルタ1に」
「…………ん」

 メッサーの声を聞いて、体温を感じて、二人でいればきっと眠らないでいられるはずだ。
 コツン、と額を合わせてきたメッサーに微笑して頷きながら、カナメは繋いだ指先に力を込めて返したのだった。




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2017.01.01のお年賀コピー本としてecさんに送らせて頂いたメサカナssになります。
リクエスト頂いた内容は「寒いところで暖を取るメサカナ」(すごい端折ったw)的なノリで書かせて頂きました。
多分意図されていたものと180度違う方向に行ってしまいました///