朝焼けの待つ夜に(2)




 乾杯、とプルタブをあけたばかりのミラージュの缶に自分の缶を当てて、カナメは美味しそうに喉を鳴らす。全銀河ネットで流れる美味しそうな笑顔は、コマーシャル用に特別作っていたわけではないとわかるいい飲みっぷりだった。スポンサーの受けも良くなるはずだ。
 見た目より豪胆なカナメの行動につい微苦笑しつつ軽く喉を潤したミラージュに、カナメが薫製クラゲをつまみに勧めた。受け取った隣で自身もそれをつまみながら、カナメは片膝を抱くようにして座り直した。

「今日ね、メッサー君の月命日なの」
「あ――」

 何の気なしに言われた言葉に、ミラージュは慌てて居住まいを正した。
 忘れていた――といえば本当にひどい部下だと思う。けれど、あの日を、あの光景を忘れるわけは無論ないが、月命日までは正直気に掛けていなかった。

「す、すみません!」
「いやあね。なんでミラージュが謝るの。私が勝手に覚えているだけよ。お酒は別にメッサー君に捧げて飲んでいたわけじゃないし。いつもの晩餐」

 ふふ、と悪戯っぽく笑いながら本当に美味しそうにビールを飲み干す。
 あっという間に次の缶に手を伸ばそうとしたカナメに取って渡すと、ふにゃりとした笑顔で「ありがとう」と礼を言われてしまった。
 口調はしっかりしているが、見た目より少し酔っているのかもしれない。
 カナメがその笑顔のまま、あのね、と続ける。

「もう一周忌もとっくに過ぎてるし、終戦だって迎えたし。――今夜の懇親会でね、記念式典にかこつけた新イベント立ち上げの話が出たの」
「ワルキューレも参加するんですか?」
「どうだろう。でも本格始動したらたぶんね」

 復興はラグナに限った話ではない。
大なり小なり、球状星団全域に残された戦禍は未だ各地に根深く残っているものがある。けれどそこから人々は立ち上がりつつある。
 だが、ワルキューレの活動が楽になるというわけではなかった。
 ウィンダミアとの共同研究で少しずつ解明が進んできているとはいえ、ヴァール・シンドロームが完全に鎮静化したわけではないからだ。彼女たちの歌声によるワクチンライブの依頼はひきも切らない。
 紛争真っ只中で歌うことが激減しているという成果はあるが、やはり忙しいことに変わりはないのが現状だ。
 それでも精力的に仕事を受け、こなしているカナメが、懇親会とはいえ仕事を中座してくるというのは本当に珍しいことだ。
 おとなしく耳を傾けているミラージュの横で、カナメは缶ビールの飲み口を唇で食むようにして遊び始めた。その缶を持つ手首よりだいぶ下。そこに、大き過ぎる銀色の輝きが見え隠れしていることにミラージュは気づいた。真ん中に光の加減で濃くも淡くも見えるブルーのライン。

「仕事だしわかってはいるんだけど、……それでも今日みたいな日に、パイロットの尊い犠牲の上での平和がー、とか、英雄に乾杯とか言われると、まだちょっと、ね」
「……」

 情けないなあと言いながら見せた苦笑が一瞬とても寂しそうだった。
 ほんのりと色づく目元の赤さはアルコールのせいだけではないような気がして、ミラージュはそっと視線をカナメの袖口へと逃がした。かつて上官の腕で見慣れたブレスレット型携帯音楽端末は、ほっそりとしたカナメがつけると、手首と肘の中ほどまで落ちてしまっている。

(そういえばカナメさん、あれからずっと持ってるな……)

 あの日、マキナやレイナに呼び出され初めて知った尊敬する厳しい上官の想いの深さを、ミラージュは推測するしかない。クラゲ祭りの夜、これを彼から直接受け取り、そうして今も常に持ち歩いているカナメの気持ちの行方も。

「態度には出していないつもりだったんだけど、若いんだから浸りなさいって言われちゃった」

 懇親会でのやり取りを思い出したらしい。くすくすと肩を揺らして笑い出したカナメに、ミラージュはそれを言った人物の当たりをつけた。j
 そんな状況でカナメにその手の労りを言葉で掛けられる人物はそう多くない。なんだかんだで気配り上手なマキナは今夜の懇親会に参加していない。と、なると該当は一人。

「……隊長が」
「ううん。美雲に」
「美雲さんに!?」

 思わず素っ頓狂な声が出てしまった。
 いつも飄々として神出鬼没。人のことよりも歌のこと、を地で行く美雲に、そんな気遣いが出来ただなんて――。
 甚だ失礼な感想を抱いてしまったミラージュの反応をよそに、カナメはどこか嬉しそうに微笑んで缶ビールをくいっと軽快に傾けた。
 
「ふふ。そうなの。最近すっかり大人びちゃって」

 カナメが美雲の話をする時は、手のかかる子供を構っているようで、けれど少し誇らしげでもあるから不思議な関係だなと思う。ミラージュがデルタ小隊に入隊した時には既に二人はそれなりに信頼しあった関係に落ち着いて見えていたものだが、彼女たちはいわばライバル。一方は元エースで一方が現エースという、言葉にすれば微妙な関係に思えてしまう。

 けれど、美雲が実はクローンだとわかってからも、いや、むしろ戦闘の最中に敵方に囚われてしまった彼女を奪還してからのちの二人は更に、親密度合が増した気がする。ライバルであり、仲間であり、互いに信頼し合っているのが門外漢のミラージュからもよくわかるのだ。
 歌という才能と魅力にとらわれた者同士に繋がる何かがそうさせるのであれば、パイロットであるミラージュにはやはり推測するしか出来ない範疇だ。

「たまにこっちがドキッとするようなことを言い出すんだから」
「確かに……。いえ、美雲さんは元々とても女性らしい方ではありましたが、こう……最近妙に色っぽくなったような気が……?」

 外見に似合った大人の風味が板についてきたとでもいうか。
 以前はミステリアスクイーンの名のままに、言い換えればいっそ無邪気ともとれる言動が多かった美雲からは、最近しとやかな色気を感じる。小首を傾げながら同意したミラージュに、カナメはやはりどこか誇らしげな顔をした。

「そうなのよ。アラド隊長がいろいろ教えてくれちゃってるからかしらね。吸収が早い早い」
「へえ。そうなん――………そうなんですか!?」

 ビールを流し込みながら近況に相槌を打ちかけて、ミラージュはまた素っ頓狂な声をあげてしまった。何かとんでもないことをさらりと言われた。
 けれどカナメは燻製クラゲを噛みつつ、きょとんと目を瞬かせた。

「あれ? 知らなかった?」
「ししし知りません知りません! えっ? 隊長と美雲さんが……? い、いつから!?」
「結構前じゃないかしら。いつもの調子で『アラドがなかなかキスしてくれないんだけど、カナメ、どうしたらいいかしら』とか本人のいる前でぶっちゃけたことがあってね」
「そ、それで……?」

 聞いてもいいのだろうか。
 上官の秘め事を暴く後ろめたさよりもつい好奇心に負けてごくりと喉を鳴らしたミラージュに、カナメはまたくすくすと笑いながら、何かの真似をするように缶ビールを目の高さで右から左へと動かしてみせた。

「アラド隊長が珍しく慌てて美雲を引きずって行ったのよ。こう、ずるずる〜って」
「う、うわあ……」

 美雲とは別の意味でいつも飄々としているあのアラドが、そんなことになっていたとは。
 想像もしたことのなかった組合せに、けれどもなんとなくその状況が浮かんでしまって、ミラージュの口からおかしな感嘆符が溢れてしまう。

「すっごく嬉しそうな顔で戻ってきたからちゃんとしてもらったんだと思うの。あの子本当に素直で可愛いんだから。アラド隊長に嫉妬しちゃうくらい」

 優しげに目を細めてそう言ったカナメが、わざとらしく唇を尖らせる。その表情は何かを思い出しているかのような、少し切ない色を滲ませているように思えて、思わず勝手に口が動いた。

「あの……カナメさんは大丈夫なんですか?」
「うん? 何が?」
「その、アラド隊長が、美雲さんと、そ、そういうことになっても」

 カナメの気持ちを真っ正面から聞いたのは、きっとこれが初めてだ。本当は踏み込んではいけなかったかもしれないと頭に後悔が掠めたが、出した言葉を今更引っ込めることも出来ず、ミラージュはもごもごと口中で濁した。
 オペレーターの三人も、マキナもレイナも、カナメはアラドのことが好きなのだと話していた。それまではまったくそんな目で見ていなかったミラージュだったが、一度その可能性に気づいてしまえば、変に色眼鏡がかかってしまう。隊とグループを束ねる者同士、色々積もる話もあるのだろうと納得していた二人でいる姿にさえ、もしかしてと邪推が及んでしまった過去がないわけではない。
 そこにきてアル・シャハルでの彼との別れと、この現状。カナメはどう思っているのだろうか。
 緊張の心持ちで返事を待っていると、短い沈黙のあと、カナメは残りの缶を一気に開け、難しそうに眉間にシワを寄せて首を捻った。

「んー……美雲を取られちゃうっていうのはやっぱりちょっと悔しいけど、まあ、美雲が幸せならしょうがないかなって」
「そっちじゃなくて!」
「え?」

 聞きたかったのはそっちじゃない。
 想定外の答えに身を乗り出してつっこんでしまってから、ミラージュはハッと我に返った。

「――あ、ええと……その、美雲さんではなく、あの……」

 今のはもしかしてカナメなりのはぐらかしだったのかもしれないと気づいても後の祭りだ。だとしたら自分は何て無粋な聞き方をしてしまったんだろう。同じ寮で長く生活を共にしているからといって、なんでも聞いていいというわけではないのに。
 自分のいたらなさに小さくなってしまったミラージュを不思議そうに見つめていたカナメが、はて、と首を傾げた。飲み干した空き缶をテーブルに戻し、ややもして「ああ!」と両手を打つ。

「もしかして私とアラド隊長の噂のこと?」
「すっ――すみませんっ! 失礼なことを!」
「いいのいいの。気にしないで。そういう噂があったってマキナ達からも言われたことあるもの」

 がばりと頭を下げたミラージュの肩を叩き、カナメはおかしそうに笑いながら上げさせた。
 噂――本当に噂だったのか。カナメ自身の耳にまで届くような注目のされ方をしていたからには、どこかの時点では真実だったのかもしれない。またぞろむくりと興味が頭をもたげてしまって、ミラージュは内心で頭を振った。
 ついさっき反省したはずなのに、懲りない思考はアルコールが入ったせいだと言い訳をする。

「どうしてそんな噂になっちゃったのかよくわからないんだけど、本当に隊長とは何もないのよ」
「そうなんですか……」

 言いながら、カナメはまた新しい缶へと手を伸ばした。何本目だろう。
 それをぼんやり見つめながら呟いたミラージュへ、カナメは悪戯っぽい笑顔を見せた。

「ちょっとだけ憧れていた時期はあったけどね」
「そうなんですか!?」
「ふふ。これオフレコね」

 また驚きの告白だ。
 人差し指を唇の上に立てるカナメにこくこく無言で頷くと、カナメは少し照れたように笑いながらビールを飲んだ。それからまたテーブルへ戻すと、少し遠くを見つめるような視線になる。カナメの手が、服の上からバングルを優しい動きで撫でた。

「ワルキューレの結成当初って本当に失敗続きでね……。自分の何がいけないんだろう、どうしたら歌を届けることが出来るんだろうって色々ぐるぐるしちゃってた時があったの。そんな時にアラド隊長が声を掛けてくれて。すごく頼りになるし、元新統合軍の出身だっていうのにイヤミなところもまるでなくて、気さくで、いい人だなあって」
「……ああ、なるほど」

 それはずいぶんヒーローのように見えたことだろう。
 ミラージュの相槌に、カナメが慌てて両手を振った。

「あ、ごめんね。ミラージュも元新統合軍出身者だったわね」
「いえ! それこそ気にされないでください! そういうことを思われても仕方のない人種が多かったのは事実ですから!」

 もうすっかり忘れていたくらいの事実を謝られ、ミラージュも両手を振り返す。
 本当にそんなことはまるで考えてもいなかった。新統合軍はいわゆる軍人気質が多いのは確かだし、ミラージュ自身があまり馴染めないまま転職したようなものだ。良くも悪くも階級第一主義。軍属だから当然といえば当然で。けれど血統でいえば上位に位置するミラージュが、年若さと持って生まれた環境へのやっかみ半分、挨拶代りの厭味を投げかけられたことも少なくはない。
 ウィンダミアとの交戦中、居丈高とやってきた上層部の態度を思い出しても、カナメの抱いたイメージが間違っているとは思えなかった。
 それでも失言だと、カナメは申し訳なさげに肩を窄めた。

「でもメッサー君も全然そんなことなくて気さくで優しい人だったのに、私ったら……本当にごめんなさい」
「いえ! 本当に気にされないでくださ――……ん?」

 引き合いに出された人物評価に、ミラージュの言葉が止まる。

(気さくで、優しい……? 誰が?)

 元新統合軍、という肩書で引き合いに出したのはわかるが、その評価はどうだろう。ミラージュの記憶にある限り、ケイオス・ラグナ支部の中で一番対極になりそうな評価だが、人の受け取り方は千差万別ということだろうか。
 もし今ここにハヤテがいたらミラージュの意見に同意してくれたに違いない。フレイアならどうだろう。なんだかんだで「メッサーさんは優しい人やったもんねえ」などと言ってニヒヒと笑いそうだ。そんな愛らしい姿が浮かんで、苦笑と共に、少しだけ胸の奥が痛んだ気がした。

「まあ、そんな大変な時期に色々相談に乗ってくれたり、協力して任務を遂行したり、成功や失敗を重ねていったら、そりゃあ私だって当時は若い女の子だったんだもの。軽く恋心だって抱きそうなものじゃない?」
「カナメさんが、アラド隊長に恋心、ですか……」

 そんな痛みも、カナメの続けた言葉で形を潜める。
 改めて考えてみてもやはりどうにも違和感が拭えなくて、ミラージュは缶ビールにちびりと唇をつけた。オペレーターの三人娘はお似合いだと言っていた。確かに二人並んだ姿は頼もしく、そういう意味では似合いだと思う。けれども恋人としてどうかといわれると、ミラージュにはそれ以上の関係には思えなくて首を傾げてしまいたくなる。

(大人……すぎる、というか)

 年上の女性にこんなことを思うのもどうかと思うが、それが一番の理由かもしれない。カナメが怒ったり泣いたり感情的になる姿を見たことがないというのも原因だろうが、もう少し、恋に笑って無邪気な姿を晒せる関係が似合うと、ミラージュは勝手に思ってしまうのだ。
 隣でカナメがテーブルから新しい缶に手を伸ばした。
 一口飲んではまた戻し、今度は両膝を抱えるようにして座り直す。
 そういう仕草がなんだか愛らし人だと思うから余計に。

「今思えば、恋っていうより、この人に認められる人間になりたいっていう目標かな」
「ああ……」

 そういうことなら、なんとなくミラージュにもわかる気がした。
 同じ思いを、おそらくミラージュはパイロットとしてメッサーに抱いていた自覚がある。あんなに綺麗で真っ直ぐで、それでいて自由な飛び方のできるパイロットは他に知らない。ハヤテの飛び方も自由だが、正直尊敬したことは一度もない。憧れの質が違うのだ。

「でもホラ、アラド隊長っていつもスルメ食べてるし、スルメ持ってるし、なんていうか、そこをおしてまでどうこうしようとかは流石に全然思ったことなかったから、これ絶対恋じゃないじゃない?」
「――ぶふっ」

 カナメの的確な解説に、ミラージュは思わず飲んでいたビールを口元で噴き出してしまった。あの人はそんなに昔から変わっていないのかと思えば、あまりにあっさり想像出来てしまって笑いを堪えるのに必死になる。
 確かに。思春期の女の子に、そこはウィークポイントだ。むしろお父さんポジションフラグにしか思えない。

「メッサー君はねえ」

 そんなことを思っていると、一緒にクスクスと笑っていたはずのカナメが、不意に優しげな声で彼の名前を呼んだ。膝を抱く手首のバングルを見つめるカナメの柔らかな青い瞳は、ほんの少し揺れているようで、甘いような切ないような色を浮かべている気がした。

「姿が見えると嬉しかったし、たまーに笑顔が見えたら、いいもの見れたー!ってその日一日幸せだったし――……ああ、そうそう。ちょっと仲良く話せるようになってきた頃、私がステージで失敗しちゃったことがあったの。ライブが終わってこっそり一人で落ち込んでたら、スルメを持って励ましにきてくれたことがあったりね」
「……なぜ、スルメを?」

 まるで秘密の恋の話を聞いているような気になる。
 穏やかな声に誘われるようにミラージュはソファに頭をつけて、続きを待った。
 カナメがクスクスと微笑を浮かべて肩を揺らす。

「それがね? メッサー君も私とアラド隊長のことを誤解していたみたいで、近くに隊長本人がいなかったから思い出せる物をってスルメを持ってきてくれたらしいのよね」
「ぶふっ!」

 まさかの理由にまた噴きだしてしまった。
 いつでも真面目で真っ直ぐで、まるで空に描く軌道のようなあの上官が、落ち込んだバディを励ますためにそんなことをしたことがあっただなんて。彼の思わぬ側面を見た気分だ。しかもそこでどうして思い出すアイテムにスルメを選んでしまったのか。

「そんなに焦ってまで、私を励まそうとしてくれたのよ。もうおかしくておかしくて! 思わず笑っちゃったらむくれちゃって。でもその顔がまた可愛くて」

 バングルを上からきゅっと抱くように掴んで、カナメも笑う。

「それで、どうしたんですか? そのスルメ」
「二人で一緒に食べたの。格納庫のジークフリードの下に二人で座って」
「メッサー中尉と?」
「そう。初めて一緒にしてくれた食事がそれかな。二人で固いとか飲み物が欲しいとか何であの人スルメ中毒なんだろうとか笑いながら」
「想像もつかないです……」

 スルメを持って、おそらくはカナメの姿をラグナ支部中探し回って駆け付けただろうことも予想外だったが、いつもいつもカナメからの誘いを冷たく断っていたメッサーが、笑いながら格納庫でスルメを齧っている姿はさらに予想外すぎた。
 先程カナメが評した「気さく」はこういうところを差していたのかもしれない。気の置けないバディにしか見せない一面というやつだろうか。

「別にスルメも隊長もそういう意味で好きじゃないって説明したら、メッサー君が他に何が好きかって聞いてくれてね。死神のノーズアートのついたデルタ2って言ったら、乗せてくれた」
「……」

 ライブ後の誰もいない格納庫ならきっと時間は深夜だった。
 もしかしたら――いや、きっと、カナメは泣いていたことだろう。そんな女神の願いを、メッサーが聞き入れないわけはない。

「ライブや戦闘の時に直接飛び降りることはあっても、操縦席に座るなんて初めてでドキドキしたの覚えてるなあ。ミラージュはいつもあの中で戦ってるのね。すごく格好良いと思った」
「……」

 格好良い、はきっとメッサーにかかっている。なんとなくだがミラージュにはそう聞こえた。パイロットが、でも、ミラージュが、でもなく。操縦席に座りバルキリーを駆る彼に向けた、ただ一人の為だけの賛辞。

「真夜中だったし許可も取っていなかったからその時は飛べはしなかったんだけど、でもそれからしばらくして、何回かね、メッサー君が乗せてくれたの。バルキリーから見るラグナは高くて、海面に月が反射して、すごく綺麗だった。最高のプレゼントをもらっちゃったなあって」

 いつの日か、ハヤテがフレイアを乗せて勝手に飛んだことがあった。発覚を誤魔化そうと浅はかな考えで駆け付けた先にいたメッサーは、厳しい口調で規律違反を指摘して、上官であるミラージュも当然だが叱責されたことを思い出す。
 その前なのか、後なのか。

 月夜に女神を乗せ、死神も空を飛んでいた。

 目を閉じれば、瞼の裏にその光景が――あの夜見上げた空に飛んでいたVF-31Jの青いラインが浮かぶ。フレイアも、カナメと同じように格好良いと思っただろうか。最高のプレゼントを受け取ったと思っただろうか。

 自分には出来ない。
 ミラージュ・ファリーナ・ジーナスは、パイロットだ。
 与えらるのではなく、それらを与える側にいるのだから。

「初めてキスしたのもスルメ食べながらだったのよねー……」

 眩く反射するラグナの海面の想像が、突然現実に引き戻された。

「……………………キス?」

 そう聞こえた。アルコールによる幻聴か。
 たっぷりと間を置き聞き直してしまったミラージュに、カナメが、えへへ、とはにかんで見せた。バングルを掴んでいた手がいつの間にか何度もそれを撫でている。

「メッサー君と」
「キス!?」
「うん。あれ? ダメ?」
「い、いえ、いいえっ! ただ、あの、ちょっとフライングだったといいますか、衝撃的だったといいますか……メッサー中尉のラブシーンはアラド隊長以上に想像がつかないといいますか……!」

 いや、どっちもどっちか。若干若さでメッサーに軍配が上がるか。どうだ。いや、むしろ似合いそうだ。二人で仲睦まじくいる姿など見たことはないというのに、なんとはなしに描けてしまう。キス、などと言われたから、ちょっと驚いてしまっただけだ。あの鉄面皮が、どの面下げて恋人顔をするのだろう。いや、それは失礼過ぎた。いや、でも、だって。

 それにしても、なんだ? 今夜は大告白大会の予定は入っていなかったはずだ。同僚が恋人と連れ立つ背中を見送って、一人の部屋でキュルルを抱いて眠る予定だったはずなのに、いろんなことが押し寄せてくる。
 おかしな音を立ててひしゃげてしまった缶ビールを慌てて持ち直したミラージュに、カナメが唇を尖らせた。

「えー。メッサー君格好良いじゃない。可愛いし」
「か、格好良い、とは一般的な観点から自分もそう思いますけど、か、か、可愛いとは!?」
「可愛くて、格好良くて、優しくて、おもしろいのに。あとキスも上手」
「そそそそそれはっ! カナメさんだから知っているメッサー中尉なのでは!?」

 付き合っていたのか。付き合っていたのか――知らなかった。自分が知って良かったのだろうか。しかも今。ならあのクラゲ祭りの夜は。結局どんな会話が二人の間で交わされたのか知らないままだが、カナメは彼のヴァール化のことを知らなかったはずだ。だとしたら、メッサーが隠していたということだろう。秘密があった。けれど想い合っていた。そこに、どんな時間が流れていたのだろう。

 最後の日、ララミスへと向かう旅立ちのシャトルを見送った時。
 アル・シャハルで再び彼が舞い降りた時。

 カナメは、どんな想いでメッサーを見つめていたのだろう。

「んふふふ……そうかも。そうね。うん。私だけのメッサー君かも」
「……酔ってます?」

 けれどカナメに悲壮感は見当たらなかった。バングルを手首から抜き、蛍光灯に翳してみては、反射する光に眩しそうに瞳を細める。二人の関係を聞いた後だからか。その表情が愛おしそうで、少しだけ切なげで、それでもどこか幸せそうにミラージュには見えた。

「まだ平気。ちょっと色々思い出したら会いたくなってきちゃっただけかな」
「…………」

 もう一度バングルを腕に戻してカナメが笑う。
 会いたくても、二度と会うことのできない人を想うカナメの言葉に、ミラージュは掛ける言葉が見つからなかった。そんな恋もあったのだと初めて知った。戦争だから、人が死ぬことは知っている。仲間を、友人を、ミラージュも幾人も喪ってきた。メッサーの死は、ミラージュにとっても未だにとても大きくて、己の無力さを突きつけられる。けれど、カナメの抱く感情とは比べるべくもない。

「ミラージュは、恋してないの?」
「えっ、わ、私ですか!? いえ、あの、ないですよ!?」

 不意にカナメに思いもしなかった話題を振られ、慌てて缶を取り落しそうになる。その様子に笑いながらカナメがビールに手を伸ばした。飲みながら首を傾ける様は、さながらパジャマパーティーの恋バナだ。

「ハヤテ君だけ?」

 だが出された名前に、ス、と気持ちが落ちていく。
 まるで飲み込んだビールみたいに、喉の奥をパチパチと発砲音がついてくるような気分になった。

「――ハヤテ少尉のことは、もう本当に」
「本当に? どうでも良くなった?」
「……どうでも、よくは」

 そんなことはない。どうでもよくはない。
 彼は大切な仲間で、後輩で、教え子で、友人で。

「うん」

 何を言うでもなく、ただ頷いてビールを飲みながら、バングルを優しく見つめているカナメを見ていると、気持ちがぴくりと動き出す。胃に落ちたビールからアルコールが滲み込んで、奥底に煙った感情が炭酸に踊らされてしまったのかもしれない。
 カナメから視線を戻し、ミラージュは手の中の缶ビールをじっと見つめた。

「……一緒にいると、楽しいです。空を飛んでいると――……空だけじゃなくても、その、今までの自分の凝り固まった感覚が溶けていく気がして本当に少尉はすごいなと思って」
「そうなんだ」

 カナメの相槌はすっと耳に沁み込むようだ。女神の声は伊達じゃないな、などと可愛くないことを思ったところで、続きを促されているわけでもないのに、ぽろりぽろりと一度出してしまった本音が本音を連れてきてしまうのを止められない。

「……フレイアも好きです。大好きです」
「うん」

 知ってる、などと言ってくれたらそこで止められそうだったのに、と言い訳がミラージュの頭を過ぎる。でもカナメはただそう言っただけだった。だから、口が止まらない。

「最初から歌への想いだけで故郷まで飛び出してきた彼女の意思の強さを尊敬しています。私は、迷ってばかりでした。今も――今だって、色々優柔不断で、自分で自分が嫌になります。そんなことばっかりです。パイロットとしての技術も、足りない所ばかり目につきます」
「でも、空は好き?」
「それはもちろん! 私は空が好きです。飛ぶことが大好きです。大好きなことで、大好きな人たちを護れることに誇りを持っています!」
「私はそういうミラージュを尊敬してるわ」

 己の未熟さと好悪は全くの別物だ。反射で肯定したミラージュは、カナメが真っ直ぐに自分を見ていることに気がついた。憧れて追いかけていたかつての上官と良く似た青い瞳が、穏やかに、真っ直ぐミラージュを映している。

「……ありがとう、ございます」

 バングルを見つめる瞳は恋する女性の顔だったのに。まるで二人から肯定されたように錯覚してしまう。目の奥に、ジン、と染むような熱さを感じて、ミラージュは缶を掴む指に力を入れた。

「もうちょっと、私も飲んでもいいでしょうか」
「どんどんいっちゃって」

 カナメが新しいビールのプルタブに指を掛けた。まだ一缶目も終わっていないミラージュに差し出す。受け取って、残りを一気に空かす間に、どこから取り出したのかテーブルの上にはウィスキーと大きめのグラスが二つ用意されていた。


*****



                                   【 ⇒ 】

アル・シャハルも本編ままでウィンダミアとの戦争終結一年後くらいのミラージュとカナメさんのお話。
ハヤテへの想いの最後の本音を吐き出させてあげるカナメさんがいます。

フレイアもミラージュもどちらも大好きなんですが、ミラミラ……っ!ミラミラあんな公開処刑みたいな告白の後、あれでガス抜き完璧なのかな!?
大丈夫かな!?折り合いつけられた!?じじじじじじゅうはっさいだよね!!?(;:´°;Д;°`:;)!?という想いからorz

カナメさんはきっとどんなにもがき苦しんでも、一人折り合いつける術を身につけている人なイメージ……クモクモやマキナの胸で泣いても欲しい……けど、本当はそれメッサー君の役目……くっ、ああああそこも妄想止まりません!(∩∩)!早く戻ってきてメッサーァァァ!!!