ぼくらの空想リミット




 裸喰娘々のいつもは賑わう店内にまだ客の影はない。
 午後からの開店日だったとしても、普段なら午前の早い段階からランチ客の為の準備に厨房が忙しくなる昼少し前。年数回あるかないかという休業日の裸喰娘々は、喧騒とはかけ離れた不思議で穏やかな静寂があった。

「おっ、おじゃまっ、しまーす!」

 勝手知ったるといっていいほど慣れたはずの店内に入るのにも、なんだか少し緊張してしまう。

「よ。何かしこまってんだよ、フレイア」
「な、なんか雰囲気が違う気がするんやもん!」
「そうかぁ?」

 もっと勝手知ったるハヤテはそうは感じていないのだろうか。いつもと変わらないあけすけさで迎え入れてくれた彼の少し後ろをついて歩きながら、フレイアはきょろきょろと静かな店内を見回した。

「チャックさん達は?」
「ああ。ザック達と潜ってくるって言ってた。時間あったら後で海の方に行こうぜ」
「明日の仕込み用クラゲ捕りかね」
「いや、ウミネコと競争するって」
「へ〜。面白そうやねえ!」

 よくわからないが楽しそうだ。同じウミネコでも女子寮にいるキュルルが素早く泳ぐ姿を見たことのないフレイアは、一緒に潜ってみたいと実は常々思っていた。ああ、でも水着を持ってきていない。今日は近々発表となるソロ曲お披露目の為に、デモンストレーション案を二人で考えようとここにやってきたはずなのに、心がラグナの海に行きたがってしまうことに気づいて、フレイアはぷるぷると頭を振った。
 それでも部屋のクローゼットにしまっている水着を思い浮かべると、勝手にルンの色が明るくなる。
 ラグナに着てから初めて知った水着というファッションを当初はドギマギした気分で見ていたが、グラビア撮影をする頃からだいぶ慣れた。今では可愛いとすら思っている。やはりちょっとくらいはあれを着て泳いでみたい。

「じゃあパパッとやっちまおうぜ!」
「ほいな! でも曲のは真面目に考えんといけんからね!」
「わーかってるって」

 頭の後ろで両手を組んだハヤテが軽い調子でそう言って笑った。もしかすると彼も泳ぎたい気分になっているのかもしれない。今度の新曲は明るい曲調とフレーズだから、常夏のラグナの海と、ハヤテの雰囲気にも合いそうだし、煮詰まりそうなら先に海を見たら何かいい案が浮かぶかも。そんなことを考えていると、なんとはなしに気分が上向いて、フレイアはふんふんと小さく鼻歌混じりで歩いていた。

 店内を抜け、その奥にある階段を上がれば二階は男子寮になっている。階下と同じく円形の造りで、左手前からメッサー、ハヤテ、家主のチャックの部屋でぐるりと一周。いつもどおり左回りに足を向けたハヤテにフレイアも続く。
 部屋のドアを閉め切ればそこそこの防音は見込めるが、この寮で誰かが鍵をかけているのをフレイアは見たことがなかった。女子寮でもそうだ。一応部屋の鍵は渡されているが、使おうと思ったことはなかったから、きっと彼らもそうなのだろう。
 だから、ハヤテの部屋に向かう一つ手前、メッサーの部屋のドアが少しだけ開いていることにも、フレイアは最初全く気にしていなかった。

「――ッサーくん、それ」

 つい立ち止まったのは、よく知る人物の声が聞こえてきたからだ。

(……はれ? カナメさん?)

 その部屋の主であるメッサー・イーレフェルトの声が短く答えてまた聞こえなくなる。
 ワルキューレは本日全員オフなのでカナメがどこに行こうと自由だ。そういえば早朝からカナメの姿は見えなかった。ミラージュに聞いたら「約束があるそうですよ」と言われたので、てっきり美雲か誰かとショッピングにでも行ったとばかり思っていたのだが、まさかここに来ていたとは。

「――あ、そっか。そういえばカナメさん、メッサーさんに資料渡し忘れた言うとったもんね」

 つい昨日、ミーティングでカナメがそう言っていたことを思い出して、フレイアはふむふむと誰にともなく頷いた。
 今度の新曲はフレイアのソロだが、メインコーラスはカナメが担当するものになっている。その関連でバディのパイロットに目を通してもらいたい箇所をデータにしたのだが、最終チェックをもらい忘れたと言っていたのだ。その為に朝からここへ来たのだろう。
 さすがカナメだ。オフの日も仕事に余念がない。

「どうした?」
「カナメさんも来てたんやね」
「あ? マジかよ。気づかなかった」

 フレイアの後ろからひょいと覗き混むようにしてハヤテが言う。こんなに人気のない裸喰娘々で気づかなかったなんて、音楽でも聴いていたのかもしれない。

「ハヤテは泥棒入っても気づかなそうやねえ」
「何でだよ。チャイムも何もしなかったぞ」
「はえ? 声も?」
「だからしなかったって。つーかメッサーいたのかよ」

 なんとなく小声になってしまったのは、中の二人が小声だからだ。
 何を言っているのかもよく聞き取れない。この場を立ち去ってもいいはずなのだが、二人ともどちらからともなく廊下で立ち止まってしまっている。
 そっと部屋の様子に聞き耳をたてるようになってしまったのは、正直好奇心が疼いたからだ。

(ライブの位置関係の打ち合わせとかかね……?)

 フレイアは、はて、と首を傾げた。
 真剣なのか、中から笑い声などは一切聞こえてこない。たまに衣擦れの音と、途切れ勝ちな声、それから何かの軋む音が不規則に漏れ聞こえてくるだけだ。
 普段それほど一緒に何かをしている姿をまだ見たことのない二人だが、パートナーとしての息の合い方はワルキューレの中でも随一だと常々思っていた。なるほど。実はこういう綿密な打ち合わせを密にしていたのかと納得する。
 女子寮は男子禁制だからカナメがここまで来たのだろう。
 そう納得してハヤテの部屋へ行こうとしたちょうどその時。
 カナメの落ち着いて澄んだ声が、僅かに低められてフレイアとハヤテの耳に届いた。

「メッサー君、してあげる」

 動きかけていた二人が示し合わせたようにぴくりと止まる。
 ちらりと視線で互いを見遣り、耳が中の会話に引き寄せられた。

「……結構です。お疲れでしょう。そんなことをしていただくわけには」
「いいから。少しだけ。ほら、ベッド」
「ですが」
「私がしたいの。させて?」

 強引なようでいて遠慮がちな口調は、カナメの上目遣いが目に浮かぶようだ。
 部屋のドアはほんの少し光と声が漏れる程度の隙間だから、中を見ることは出来ないばかりに頭の中では色々なシチュエーションが目まぐるしい。

「しかし」

 何をカナメはしたいのか。
 明確な答えはないままに、メッサーの渋る声が聞こえてきた。
 彼にとってはあまり好ましくない事態のようだ。
 カナメがしたくて、メッサーが渋る、疲れた人にはさせないこと――?

「メッサー君、私にされるのイヤ……?」
「いえ、そういうわけでは――!」

 その返事にあからさまにしょんぼりと落胆したカナメの声がしたと思ったら、すぐさまメッサーの若干慌てたような声が被る。尻に敷かれてんじゃねえか、と呟いたハヤテの言葉をメッサーが聞いたらものすごく嫌な顔をされそうだが、この雰囲気ではそれが正しいような気がした。何だかちょっとだけ微笑ましい――などと言ったら、歳上の先輩に失礼だろうか。
 まだあまり話をしたことはないメッサーは、厳しい人だとハヤテから――正確には『ものすごく口煩い』だったが――聞いている。見た目もとてもきっちりしていて、いかにも頼りになるお兄さんといった感じだとフレイアは思っていた。
 間違ったことはしっかりと正し、規律を重んじる。簡単に情に流されたりはしない人。

「――わかりました。ではお願いします。ですが無理はしないでください。すぐに止めていいですから」
「最後までしたいの。メッサー君、早く。ここ」
「……はい」

 けれど我らがリーダー、カナメ・バッカニアの前では少し違うのかもしれない。
 何度かの押し問答の後、嬉しそうにベッドか何かを叩く音がして、メッサーは諦めたようだった。隣のハヤテが小さく噴き出す。鬼教官の弱味を見つけたとでも思っているのだ。いけんよ、という気持ちを込めて振り返ったフレイアの耳に、いつもより少し甘いようなカナメの声が届いた。

「触るね」
「……っ」

 同時にメッサーが堪えるように息を飲む。
 そのただならぬ様子に、笑いを引っ込めたハヤテと視線を合わせ、フレイアはまたドアの方に顔を向けた。

「やっぱり。メッサー君のすごく硬くなってた」
「……まだそれほどでは」
「これで? 我慢しすぎは身体に良くないと思うの。自覚がないのも危険よね」

 メッサーの何かが硬くなっていたらしい。我慢してると硬くなるもの?
 目新しいクイズを出されているような気になる。もう新曲のデモンストレーション案を考えるどころではない。ぴたりとドアに張り付くようにして耳をそばだててしまう。
 メッサーの苦々しい口調が聞こえた。

「これくらいになるのはいつものことなので」
「一人だと大変じゃない? もっと頻繁にしてあげたいなあ」
「いえ、たまに専門の店に行きますし」
「やっぱり上手?」
「プロですから」

 その会話で何となく部屋の空気が変わった気がした。
 今まではふわふわとした、どこかピンクと黄色のような色合いを含んだ風の色から、少しだけ尖った風になる。メッサーの返しに「ふうん」と相槌を打ったカナメの声のカラーが変わったせいだ。

「……ちょっと強めにするね」
「まっ、カ、カナメさんっ」

 ピリ、とした風を感じたと思った瞬間、カナメの宣言と共に、メッサーがはっきりと息を詰めた。吐息を噛み殺すといった感じのその声は、男の人が出すのかと思うほど艶めいて聞こえて、無意識にフレイアのルンが控えめな明るさを発してしまう。

「これ、気持ちいいんだ?」
「いきなり強すぎま――」
「だってメッサー君の、ほら、ここ……んっ、かった、ぃ……」
「う、ぁ……っ」

 ギ、ギ、と軋む音は、ベッドのスプリングだろうか。
 カナメの声は艶めいているというよりどちらかといえば一生懸命という言葉が似合う色を帯びて聞こえる。メッサーの漏らす艶声の合間にカナメの吐息と軋みが聞こえて、フレイアのルンが勝手な明滅をし始めているのに気づいたのはハヤテだった。

「……すっげえ光ってるぞ」
「はわっ! だだだだって!」

 小声で指摘されて、フレイアは思わず両手でルンを隠した。だって仕方ないではないか。
 いつも厳しくも優しい声で的確なアドバイスをくれるカナメのこんな声を初めて聞いているのだから。ひたすら何かに夢中で一生懸命なそれは少し幼ささえ感じるというのに、メッサーの出す声のせいだろうか。総じてカナメの吐息もずいぶん秘めた色気を含んで聞こえる。
 自室とはいえ、まさか、そんな。裸喰娘々のただ中でそんなわけはないと思いながらも、想像してしまった関係は、指摘したハヤテだって同じはずだ。
 それ以上の会話も出来ないままのフレイア達に反比例するかのように、部屋の中の二人の吐息は一層激しさを増していった。

「っ、う」
「んんっ、ふっ――……めっさ、くんっ」
「カナメさん、もう……っ、それイッ――」

 メッサーがそんな声を出すのかと思うほど鼻にかかった高めの声がして、ハヤテが「うそだろ」と呆然気味に呟いた。この状況で「何が」とはフレイアも思わない。
 だってこれは、もしかしなくてもきっと――

「……っ……はぁ……はっ……今の、良かった?」

 一方のカナメは、どこか満足げな口調で、汗すら拭っているような雰囲気がある。言葉では確かめつつも、目の前の反応でしっかり結果はわかっているのだと伝わってきた。
 ギシ、と聞こえる音は、重さからしておそらくメッサーが立ち上がったか向きを変えたかだ。

 フレイアはようやく訪れた間に、ハッと我に返った。
 これ以上を聞くのはよくない。早くここを立ち去らなくては。
 今日はオフなのだ。ワルキューレやデルタ小隊に迷惑のかかるようなことをしなければ何をしてもいいはずで、誰と会うのもみんな自由だ。だからカナメとメッサーがそういうことをしても別にいいはずで、フレイアは今日、ハヤテと自分達の打ち合わせを済ませて早く海に行く為にここに来た。ああ、違った。海はさっき聞いて行きたくなっただけだ。少し、いや、だいぶ頭が混乱している。ルンがピンクのようなオレンジのような色でピカピカと目まぐるしい。

「ハ、ハヤテ、私達もそろそろ行かんと」
「お、おう。だな――」

 なんとなくハヤテの顔が見られない。向こうも同じ気持ちらしい。このまま前を過ぎてハヤテの部屋にいくのもどうにもやりにくかった。お互い妙に顔を背けたまま、示し合わせたように小声で確認してから摺り足で来た道を戻ろうと動きかけ――

「良かったです……ありがとうございました。次は俺が」
「へ? え、いいよいいよ! 私はまだ平気だか――ひゃん! んっ……メッサー君、そこ、」

 言うが早いが、抵抗するような衣擦れの音のすぐ後から、またベッドの軋む音が始まった。思わぬ展開にびしりと固まってしまったのはフレイアだけではない。ハヤテも壊れたブリキのアンティーク玩具のように、ぎ、と動きを止めていた。

「……やっぱり。ほら、あなたもここ、硬くなっているのがわかりますか、カナメさん」
「ん、うん、……あ……それ、やっぱり気持ちいい、かも」

 抵抗はすぐに止み、今度はカナメの吐息が聞こえる。規則正しくも激しめのスプリング音に合わせて、「ん」だの「あ」だのと発せられる声は、普段の歌唱で聞ける類いの音色ではなかった。フレイアのルンが正直に真っ赤な色に染まってしまう。

「この前、大丈夫でしたか?」
「うん、……っ、めっさー、くんっ、上手だったか、ら」
「良かったです」

 そんなルンの反応など知らない中の二人は、当然のようにこれが初めてではない事実を突きつけてくるから、フレイアはルンに負けず劣らず顔から湯気が出そうなくらい赤くなってしまった。ハヤテはまさかといった表情で「嘘だろ」「いつだよ」「ここで?」「マジかよ」とぶつぶつ何やら呟いている。
 どういう方向性でかは知らないが、ショックを受けているらしい。

「ココは?」
「あっ! や、急にそれ強っ!」
「さっきのお返しです」
「いじわる、ぅ……んんっ、あっ――イッ」

 一際重たいスプリングの音がドアの隙間を通ると同時に、カナメの高い声が聞こえて、フレイアはびくっと肩を竦めた。
 少しだけ置かれた間に息を潜めて、落ち着けようと胸に手を当てる。ドクドクと脈打つ心臓に合わせて、自分のルンが面白いくらい明るく明滅を繰り返してしまうが、もうこれはどうしたって仕方がないと思う。
 メッサーがカナメに身を寄せたのか、またベッドの軋む音がした。

「いたいですか? 強すぎました?」
「うぅ〜……いた、きもち、ぃ……っ」
「……カナメさん、強め好きですよね」

 苦笑の滲む声音だった。
 カナメの好みに合わせるかのように、ギシギシという音は強さを増していく。それに比例して、カナメの弾むような息声がメッサーの言葉に一生懸命答えた。

「んっんっ、あ、だって」
「……はい?」
「めっさーくん、キモチいいんだも……あー……っ……」

 ギシッと大きく響いた音と共に、カナメの口から吐息とも悲鳴ともつかない声が細く漏れた。聞いてるこちらの意識も一緒に飛びそうだ。押さえても押さえてもいっこうに収まらない心臓が一気にそこへ血流を流したのではないかと思うほど熱くなってしまった頬は、ハヤテにバレませんように。「うわ」と何に対してかいまいちわからない感想を呟いたハヤテも、フレイアの後ろでそれ以上の言葉を発せないでいるようだった。

「これくらいならいつでも出来ますので、また必要なときは教えてください」

 と、すっかり平静な口調になったメッサーのそう言う声が聞こえた。
 いつでも、必要なときは――そんなに必要なときがあるものなのだろうか。ドキドキする。そういう気持ちはまだよくはわからないが、二人の会話にドキドキしてしまう。これはいわゆる恋人の会話というやつだろうか。でも、それなら『必要なとき』なんてわざわざ使う必要はないのでは。
 カナメは大人で、メッサーも大人で、大人はそういうことがあるのだろうか。自分にはまだ全く想像もできないが、もしかしてもしかすると、実はみんな似たり寄ったりな経験があって、自分もいつかこんな会話をすることが――

「メッサー君上手すぎてクセになっちゃいそうなのよね……」
「ありがとうございます」

 淡々と返すメッサーも、もう一度礼を言うカナメも、もうすっかり息は整ってなんてことはない普段の会話にしか聞こえない。
 ギ、と鳴ったスプリングにまたぞろフレイアの心臓は跳ねたが、今度はどうやらカナメが立ち上がった音だったらしい。メッサーが手でも貸したのだろう。「ありがとう」というカナメの澄んだ、でも少しだけはにかんだような声がした。

「こういうのって本当は毎日した方がいいんだって。でも時間とか場所とか、いく時間もなかなか取れないし難しいわよね」

 いくじかん、とは。

「なら、明日もケイオスでしますか? ブリーフイングの前にでも」
「えっ、本当に? いいの?」

 カナメの声が近くなる。
 続くメッサーの返しも、あっという間にドアの近くまでやってきていると知ったのは、もう身を隠すことすらままならない距離になってからだった。

「じゃあまたメッサー君のも私がしてあげ――……なにしてるの?」
「あわわわわわわわっ!!」

 薄く開いただけのドアに耳をびたりと張り付けていたフレイアは、突然開けられたドアに転びそうになってたたらを踏んだ。おかしな悲鳴が口を突く。
 驚いた様子のカナメの後ろで、メッサーも訝しげに眉を潜めている。

「な、何も! 何も聞いとらんよ!? ねえ、ハヤテ!?」
「お、おうっ。別に俺達は何も、なあ!?」
「そう……?」

 聞き耳を立てていましたといわんばかりの慌てようになってしまった二人に対し、不快を滲ませた眉を動かしたのはメッサーだけだ。カナメは不思議そうに二人を見比べ、それからおもむろにポンと胸の前で両手を打った。

「あ、そうだ! 良かったら今から少しあなた達にもしてあげましょうか」
「へぁっ!?」

 まるで名案だとでもいうように喜色を乗せた口調でメッサーを振り返る。その申し出に若干嫌そうな顔つきになったメッサーだったが「私が二人ともするだけだから。ね?」と言ったカナメの言葉でずいっと一歩前に出る。

「ならハヤテ・インメルマンは俺が」
「はあぁぁ!?」
「男の方がやはり固いですし」
「そう? 固いとやる気になるんだけど……。でもお言葉に甘えようかな。じゃあ私がフレイアでメッサー君はハヤテ君で――」
「いやいやいや!」

 がっしりとメッサーに肩を掴まれたハヤテが振り払おうともがく横で、にこにことしたカナメはフレイアに手を差し出していた。もうこれ以上ないくらいに真っ赤に染まったルンがピンピンと天をつくように伸びきっている。メッサーに引き摺られそうなハヤテの腕にしがみつくフレイアに勇気を得て、ハヤテは渾身の力を込めてメッサーの手から身を捩った。どうにか逃れる。
 庇うように抱き締めた腕の中で、フレイアがぷるぷると震えながら上擦った声を出した。

「まままま待ってくれんかね!? そ、そ、そーゆーことは、ふ、ふた、二人きっりでしししした方がいいと思うんよ……っ!」
「……? まあ、基本どこでしても二人よね?」
「どどどどどこでしても!? どこでするんかね!?」
「おまえら、場所と時間は考えろよ! あと相手も!」

 うら若き青少年を悪の道に引きずり込むな。
 迫り来る巨悪へ必死の抵抗を示す二人に、手を振り払われたメッサーとカナメは思わず顔を見合わせた。そんなに嫌だったのだろうか。無理強いするつもりはなかったのだが、それにしても反応がおかしい。まるでケダモノでも見るような目で睨まれている気がする。

「どうしたの二人とも?」
「……さすがに明日に響くほどするつもりはないが」
「ンなにをだよ!? 俺は! そういう趣味はねえ!!」

 野性動物なら、逆毛が立っていたことだろう。いっそ噛みつかんばかりに声を荒げたハヤテに、メッサーとカナメがまた目を合わせる。きょとん、という音が聞こえてきそうな表情で瞬くカナメの代わりにメッサーが口を開いた。

「……は? 趣味? 何を言っている、ハヤテ・インメルマン」
「だーかーらあ!」

 寄るな、と叫びながら後ろ手でフレイアを守るように唸るハヤテが、苛立たしげに拳を握る。それから裸喰娘々全体に響くような声で言われた理由に、二人の完全な沈黙が降りた。



             **********[newpage]
 最初に、ボン、と音を立てて茹だったのはカナメだった。
 フレイアに負けず劣らず――いや、今やカナメの慌てぶりにむしろ落ち着きを取り戻しつつあるフレイアより格段に赤くなったカナメが、あたふたとメッサーを見上げ、ジャケットの裾を引く。

「ちちちち違うわよ!? え、やだ、うそ!? メ、メッサー君、あの、ちが」
「落ち着いてくださいカナメさん。ただの勘違いです。思春期の過ちです。俺達は何も疚しいことはしていません」
「そそそそそうよね! 私たちは本当にただマッサージしていただけだものね!?」

 羞恥からか目に涙を溜めたカナメを落ち着かせようとするメッサーの声は冷静だ。
 二人のやり取りで得た答えに、ハヤテとフレイアは顔を見合わせてしまった。部屋から聞こえてくる意味深な会話や吐息、それにギシギシと響くベッドの軋んだ音のせいで、真っ昼間からいったいどんないかがわしいことを――、と思っていたのだが、まさかマッサージだったとは。
 ハヤテの知るマッサージといえば、作業場のガタイのいい男達が野太い声を腹の底から絞り出すように呻くものだったし、フレイアにしてももっと幼かった頃、母の肩を景気良くトントンと叩いて「ありがとう、気持ちよかったわ」と優しく微笑まれた記憶しかない。だから全く連想すら出来なかった。

「なんだよ。それなら紛らわしい声出してんじゃねえよ。すごい現場に居合わせちまったかと思ったじゃねえか」
「す、すごい現場って、ハ、ハヤテ君! もう!」
「カナメさんもメッサーさんも大人やから、もしかするとそういうこともあるんかと……」
「あってたまるか。ハヤテに感化されすぎだ、フレイア・ヴィオン」

 きっぱりと否定するメッサーが厳しい口調で切り捨てる。
 肩を竦めて反省を示すフレイアを尻目に、ハヤテはからかうような視線を向けた。ずいっと一歩メッサーに詰め寄り、人差し指を突きつける。

「んな格好つけてるけど、あんただって、カナメさん色っぽいな〜とか思ってたんじゃねえの?」
「ふざけるな」
「役得だろ? 歌ってるときと全然声違ったし」
「えっ、え、そ、そうなの……?」

 苛立たしげなメッサーの横で、カナメが不安そうな声を出した。違う声、と言われた言葉をマイナスに受け取ってしまったらしい。いつも歯牙にもかけない態度をするメッサーをここぞとばかりに揶揄するだけのつもりが、とんだ誤解を生んでしまいそうだ。慌てて訂正を試みたハヤテを制して、メッサーが掴まれたままだったジャケットの裾からカナメの手を取った。

「問題ありません。歌うときと違うのは当たり前です。俺だってフライトであんな声は出さない」

 あんな声、とは。結局自覚があるんじゃないのか。
 カナメの手前言い出せない言葉が喉まで出掛かるハヤテに構わず、メッサーが続ける。

「ただ今回のこともありますし、明日は仮眠室を押さえておきます。あなたは女性なので俺のような誤解をされてもあまり良くありませんから」
「……明日もしてくれるの?」
「勿論です。俺でいいのなら」
「はわわわわ……」

 隣でまたルンをピカピカさせそうになっているフレイアに気づいて、ハヤテはため息をつきたくなった。いい歳をした大人が、もっと子供に気を遣え。明日のマッサージを確約できたと表情を綻ばせるカナメは仕方ないにしても、メッサー、この男、おまえは確実に確信犯だろうと内心で毒づく。
 本当に誤解を生じさせたくないのなら専門の手に任せればいい。それをせず仮眠室という密室を抑える人間の心理など深く考える必要もない。単純に、カナメの声を他に聞かせたくないだけだ。

「ありがとう、メッサー君。私も出来るだけ声我慢するね!」
「いえ、そのままで。無理はよくありませんし」

 そして自分は聞いていたいらしい。意外と素直なことこの上ない。
 明日の約束を取り付けられてニコニコと上機嫌なカナメを、自分達には絶対に向けない柔らかな瞳で見下ろすメッサーの手が、シッシッと軽く後ろに振られる。

「……いくぞ」
「ふぁっ!?」

 カナメのいるこの場でこれ以上つっこむことも出来ないのなら、ここにいても仕方がない。むしろ裸喰娘々にいるのも二人の雰囲気が残っていそうで何だかものすごく居心地が悪いではないか。
 メッサーが一人の時に絶対一言物申してやる。
 そう心に誓いながら、ハヤテはルンを眩く点滅させているフレイアの手を取り足早に出口へと向かったのだった。



                                    【 END 】

オフの日にハヤテと新曲のデモンストレーションの打ち合わせをしようとやってきたフレイアが、
裸喰娘々の中で見てしまったとんでもないメサカナの関係にはわわはわわするお話。