本音で言えば、もっと、ずっと。




 穏やかな波にゆっくりと揺れ動かされるように浮上した意識が、私の目蓋を震わせる。
 目を開けるより少しだけ早く、素肌が知覚していた空気の澄んだ冷たさが脳を刺激して、朝の早い時間なのだろうと察しはついた。重だるく感じる目蓋をどうにか持ち上げれば、まだなんとはなしに薄蒼い暗さを感じさせる室内は思っていたとおり。やっぱり早朝の気配が色濃い。
 そう思ったのとほとんど同時に、もうあとほんの少しでくっついてしまいそうな距離にあった彼の顔を見つけて、私はぼんやりとしていた意識がしっかりと形をなしてくのがわかった。
 最近ステージが立て込んで妙に興奮した日が続いていたのと疲労感とのおかしなハイで、すっかり浅い眠りが板についていたはずなのに、すっぽりと包んでいてくれた腕のおかげで、私は今日ずいぶんゆっくり眠れていたようだ。

(……メッサー君)

 よく眠っているようだけど声に出してしまったら起こしてしまうかもしれない。だから心の中だけで名前を呼んで、私は目の前の彼の寝顔を見つめることにした。
 髪の色が濃い人は、体毛も濃いのだと昔誰かに聞いたことがあったけど、メッサー君はたぶんそんなこともない方だ。「繋がるような髭はなかなか生えない性質なんです」と前に本人が言っていたとおり、一晩経った彼の顎にはチラホラと短い無精髭が主張を始めて見えるくらいだった。
 薄く口を開けて寝入っている無精髭くん。
 普段がキリリとした表情の多い彼だけに、こういうところはちょっと特別な可愛さを感じて、私の胸の奥がきゅうっと鳴った。

(メ、ッ、サ、ー、君)

 今度は唇の形だけで呼んでみる。それが聞こえたわけではないだろうに、メッサー君は短く唸って私を胸に抱き寄せた。そうされると、とくんとくん、と心音が聞こえる。誰かが生きているわかりやすいシグナルが、こんなに幸せだなんて、たぶん私は彼と出会って初めて知った。
 メッサー君が生きてて良かった。
 リズムを刻む心臓のすぐそばには、大きく引きツレて色の変わった皮膚がある。アル・シャハルで彼が私達を護るためにどれほどの負担を背負い、そうして今ここにいてくれるのかがわかる証だ。
 デルタ小隊のエースパイロット、ミラージュ達の尊敬する鬼教官、ワルキューレの救世主、そして私のデルタ2。
 今でこそあの死闘は語り草だし、奇跡的生還を果たした英雄の勲章のように彼を見る人は多いけど、私は今でもあの時の状況がありありと目蓋の裏に浮かんでくることがある。この愛しい大きな傷跡を見つめれば、さっきとは別の意味で心臓がきゅっと鳴ってしまう。

 目の前で一直線に進む閃光、一瞬後に共鳴した身体を襲った喪失感。白い煙を吐き出しながら落ちていくバルキリーと、歌詞のとおり最後になったかも知れないあの時の彼の笑顔を思い出して、私の目蓋は何度だって熱くなる。
 生死の境をさ迷っていた彼が意識を取り戻し、それから私が彼に気持ちを伝える前も後も、この傷を見るたび涙が溢れてしまっていた私を、メッサー君はいつも根気強く宥めてくれた。
 そんなに優しくしてくれるくせに、なかなか私の告白を受け入れてくなかった彼は、共鳴時に私が彼に気持ちがなかったことを随分気にしていたらしい。そうと知ったのは、こういう関係になってしばらく経ってからだった。

 そんなことを言われても。

 ものすごく言いにくそうに「アラド隊長はもういいんですか」と聞かれた時の心境は、まさにハトに豆鉄砲だった。隊長のことは好きだけど、それはチャック中尉やミラージュを思うのと同じ――確かに彼らより尊敬の類いは強いけれど――だ。もともと年上の男性には父性を感じてなつきやすい自覚はある。だけどそれはファザコンと言われてしまえばそれだけのことで。そんな勘違いをされていたなんて思いもしなかった。

 メッサー君を想う気持ちが恋だと気づくのが遅かったのは申し訳ないが、だって仕方ないじゃない。恋愛禁止の元アイドルをなめないでほしい。当時歌っていた歌詞のように、恋というのはキラキラ輝くだけのものだと思っていたんだもの。食事を断られて落ち込む気持ちや、それでも目を合わせて断ってくれることにホッとする妙な安堵も、ライブや潜入捜査の時にふとした瞬間アイコンタクトで弾む心も、バングルと共にくれた彼の言葉が恋愛的な意味だったらどうしようと考えて、それでも答えが出ずにモヤモヤ晴れない気持ちが恋に通じているなんて知らなかった。それでも翌日にはララミスに旅立ってしまう彼が、私の知らない女の子と笑い合う姿を想像したら、信じられないくらい嫌な気持ちになってしまったこれが恋だったなんて。
 こんなどす黒く広がる感情がキラキラする恋に付属したものだなんて知らなかった。

 治療を終えて、結局当初の予定通りララミス星系のケイオス支部に彼が異動してしまうまでの短い間、何度も迫っては「無理です」「勘違いです」とかわされて。痺れを切らした私が、とうとう泣きながら「好きなの、気づいたの! 後出しジャンケンは強いんだから諦めて負けて!」と、今にして思えば意味不明なキレ方で強引に付き合うようになってからそろそろ二年。
 研究の進んだ治療の成果でヴァールも完治し、ラグナに戻ってくればいいのにと何度もアラド隊長を交えて正式な打診もしているのだけれど、向こうでも大分気に入られてしまっているらしいメッサー君と会える日は、数ヶ月に数日程度だ。

 その貴重なデートの始まりのはずだった昨日。
 デバイス通信だけじゃ足りない愛しさを胸に迎えにいった空港からの帰路、メッサー君と喧嘩をした。
 とはいえ、昨日の今日で切欠を思い出せないくらいだから本当に些細なことだったんだと思う。
 ただ、そのときメッサー君の放った「ララミスは良い所ですよ」という言葉が、何故だか妙に胸に刺さったのを覚えている。それこそ今にして思えば大したことでも何でもない。任地が素敵な星なら本当に良かった。でもそのときは、なんだかすごくメッサー君から突き放された気持ちになってしまったのだ。物理的に離れているラグナからララミスへと彼の気持ちが移っているような被害妄想が広がって、メッサー君自身の気持ちも、そのまま私から離れてしまうんじゃないかと思った。
 だって好きだと迫ったのは私だから。
 メッサー君は私のことを好きだけど、何度も振られたし、本当は面倒臭い関係にまではなりたかったわけじゃないのかもしれないとも思っていたし。

 私の部屋へと向かう道すがら、重苦しい雰囲気のまま、それでもメッサー君は手だけは繋いでいてくれた。
 恋人への義務感からかな。
 そう思ったら指先からどんどん冷たくなっていく。

 これが最後になったらどうしよう。メッサー君に嫌われたらどうしよう。

 たぶん私はちょっとパニックになっていた。
 謝りたいけど、切欠も思い出せないような喧嘩の何を謝ればいいかもわからない。
 無意識に歩調の緩んでいた私に気づいたメッサー君が振り返る。カナメさん、と名前を呼ばれてビクリとした私の口から咄嗟に出た言葉が「二番目でも良いからまた会いたい」だったのだから、本当に意味がわからない。自分がどんな表情でそれを口にしたのかわからないけれど、少なくともメッサー君はこちらがびっくりするほど目を大きく見開いて、すぐに剣呑に細めた。表情で怒ったのがわかる。心臓が痛みを訴える――と思ったら、メッサー君は「嫌です」とハッキリした発音でそう言って、強引に私の手を引いて歩き出してしまった。
 掴まれた手が痛い。メッサー君がこっちを見ない。嫌ですといった彼の真意も何もかもがわからなくて怖くなる。もう会いたくない? 嫌なのは私? だけどもう一度問い質す勇気も出ない。
 こんな彼は初めてで、コンパスの違いで小走りになりながら私は背中を追いかけるしかなかった。

 何度か話しかけようと試みたけど上手くタイミングが図れないまま引っ張られ、玄関ドアが見えてきたそのとき。「平気なんですか」とメッサー君が早口に言った。一瞬何を言われているのかわからず呆けていると更に強く手を引かれた。

「俺に他に一番がいても、あなたは平気なんですか」

 そんなわけない。そんなこと、あるわけがない。
 一番がいい。一番じゃなきゃ嫌。二番も三番もつくったらダメ。
 なんだかもう上手く言葉にならなくて、バカみたいに首を横に振るしかできない。そのまま到着したドアの前で、私が鞄からカードキーを取り出すより早く、ポケットから、もう一つのカードキーを取り出したメッサー君が素早く解錠してドアを開けた。
 自分の家だというのにまるで隙間に引き入れるように連れ込まれて足が縺れる。ドアが閉まったと同時にロックをかけたメッサー君が、そのままドアと彼の間に私を挟んで、あっという間にその唇が降ってきたのが始まりだった。

(全然違うキス、だったなー……)

 今、目の前で薄く開いた隙間から規則正しい呼吸音を響かせている可愛らしい唇が、まるで獰猛な狼だった。
 昨夜の残滓が見当たらないその唇に悪戯をしてみたくなるがグッと堪える。
 起こさないように思い出す。

 この唇が、何度も何度も私に触れた。

 呼吸すら余所見をするなと咎めるように奪われて、歯列をなぞり、舌を絡めて吸い上げられた。気持ち良かった。
 嵐のような昨夜の行為を思い出せば、今日は朝から鳴りっぱなしの胸がまたぞろきゅうっと音をたてる。私の肩を抱くこの手が、ドア一つ隔てただけの場所で足を持ち上げたのだと思うと、なんだか急に顔が熱くなってきた。
 まだ起きないでねと願いながら、メッサー君の胸の傷跡に唇を寄せる。そっと触れるだけのキスをして、私は昨日のことを思い出した。


※※※※※


「――俺も嫌だ」
                     
 付き合うようになってからごくごくたまに外れるようになった敬語が、メッサー君の本音をぎゅっと詰めている。熱い唇の間を吐息に混ぜて嘯く声が震えているのは気のせいじゃない。

「う――、……も、私もっ」

 やだ。メッサー君じゃないとやだ。メッサー君は私だけじゃないとやだ。
 軽率な私の言葉で存外傷ついていたメッサー君の目はキスの興奮だけじゃなく濡れているような気がして、私は彼の頬を撫でた。ごめんなさい、と、嘘だよ、と、私もメッサー君しか嫌なの、という想いを籠めて。
 言葉にすれば一番いいのはわかっているけど、今は嗚咽に紛れて出来そうもない。
 そうすれば伝わったのかどうなのか、メッサー君も同じように私の頬を包み込んで、また唇が降ってきた。下唇を食まれるいつもの甘いキスとは違う、食べられるような激しいキスだ。触れるのとほとんど同時に舌が割り入ってきて、色気よりもえづいてしまった。でも嬉しい。こんな乱暴なキス、きっとメッサー君がするのは私だけだと思うから。
 歯列をなぞり、絡め返そうと頑張った私の舌は簡単にじゅっと吸われて力が抜ける。メッサー君に凭れそうになった身体は、強い力で背中をドアに戻されてしまった。少し痛い。

「んっ、ふぅ、うっ――、!?」

 突然下腹部に感じた刺激に、私は唇を塞がれたままで目を開けてしまった。押し付けるようなキスで口を塞いだまま、メッサー君の手が私の足の付け根を容赦なくまさぐっている。いきなり。こんなところで。待って。だってまだ私何も。

「ふ――、ッ」

 そう思ったのは一瞬で、大腿に当たる彼の膨らみに気づいてしまったら、ほどんど無意識に両手を下に伸ばしていた。触れればもっとと擦りつけらるそこを、手探りでホックを外してジッパーを下げる。上の口はお互いの唇で呼吸ごと奪うように貪り合いながら、メッサー君も乱暴に私のホックを外した。ゆったりめのガウチョパンツは地団駄を踏むように足を動かせば簡単に下まで落ちてくれる。その為に選んだ訳じゃ勿論ないけど、今日ばかりは感謝しかない。けれど下着はそう簡単にはいかなくて、じりじりと身悶えている間にメッサー君はそんなものはどうでもいいとばかりに横から指を差し込んできた。

「まっ、――ふぁんっ!」

 思わず仰け反ってしまった私の唇から離れたメッサー君に、それを咎めでもするかのように晒した首筋に噛み付かれる。ひ、と喘いだ私の中を強引に増やした二本の指でかき混ぜて引き抜くと、メッサー君は右手を膝の裏に当てた。
 このあと、どうされるかなんて考える必要もない。腰を引いても後ろはドアで、私が寛げた箇所から見える彼がぬらりといやらしい顔をしているのが見なくてもわかる。ぐいと強い力で左足が持ち上げられたと同時に、確かめる間もなく彼が腰を進めた。
 不均衡なバランスと突き入れられた衝撃に、思わず彼の背中に腕を回してしがみつく。

「は、ぁ――ぅんッ」
「ッ――……!」

 メッサー君が苦しげに咽喉を鳴らす。
 久し振りに受け入れたそれは、記憶の中より大きい気がした。
 前戯なんてものはなく、性急にすぎる指だけで解された中はまだ潤いは足りないはずで、それでも強引に奥まで突き挿れてから喉の奥で低く呻いたメッサー君も、もしかしたら少し痛かったのかもしれない。

「……ね、メッサー、く――んんぅっ!」

 大丈夫?と呼び掛けるつもりの声は乱暴なキスで塞がれて、最後まで口にすることは叶わなかった。
 たぶん昨日あの場所で、彼の名前を読んだのはあれが最後で。
 めちゃくちゃ、という単語がぴったりなキスは珍しい。というより初めてだった。口の中全部を貪るような舌の動きに翻弄されて、必死に応えようとしても飲みきれない唾液が口の端から咽喉を伝ってだらしなく溢れ落ちていく。
 まるで食べられてしまいそうだ。呼吸が上手く出来なくて、苦しさで震えてしまった目蓋を開けると、すぐそこのメッサー君と目が合った。
 貪っていたのは自分のくせに、まるで私に食べ散らかされたような顔で唇を濡らし、荒々しく肩で息を乱している。

「イヤだ」

 掠れた声がまるで駄々を捏ねる子供のようだったと言ったら、きっとメッサー君は拗ねてしまうんじゃないかしら。
 でも、あの時、私にはどうしてもそう見えた。
 全然可愛くないもので私の中を強引に割り入って、パイロットらしく操縦ダコの馴染んだ骨張った大きな手で太腿を抱え上げているのは大人の精悍な男の人だというのに、どうしてだろう。
 苦しげに寄せた眉の下で、薄く涙を湛えた綺麗なブルーの瞳が、その全部でイヤだと言っているように見えた。

 イヤ。私じゃないと、――私にこうするのが自分じゃないと、絶対にイヤ。
 わかる。全身から伝わってくる。
 そんなの、私だっておんなじなの、メッサー君。

 言葉にならない言葉の代わりに、メッサー君の頬を両手で包む。
 今度は私から本当に食べてしまおうと思ったら、一瞬だけ早いタイミングでメッサー君に噛みつかれて息を飲む。同時に身体全部が私に覆い被さってきて、抱えられていた足はより高く上がり、メッサー君を更に奥へと受け入れた。
 繋がった部分が、じゅ、と濡れた音を立てる。
 硬いドアに押し付けられた背中が痛い。
 でもいい。痛くても続けて。苦しくても離さないで。もっと私に押し付けて。
 痛みも苦しみも、メッサー君となら気持ちがいいの。

「あっ、あ、ん、んぅぅっ、ふあっ! や、……イイっ」
「はっ、くっ……うあッ!」

 ドア越しに誰かが通るかもなんてことも、聞こえてしまうかもしれない声も、考える余裕なんてとっくにどこかに落としてしまった。
 ただひらすらメッサー君がほしい。メッサー君に欲してほしい。
 求められているのが繋がる場所から、触れ合った先から全部全部伝わって、込み上げてくる想いの強さが溢れる涙と声になる。
 服が邪魔。でもいちいち脱ぐよりもっと奥まで繋がっていたい。
 我慢できずに抱き付いて、もっとと腰を押し付ければ、メッサー君も同じだとばかりに荒々しく抱きしめて突き上げて私から出る声を奪う。
 片足立ちで自由のない私に送られる律動は激しくて、絡めない足がもどかしい。
 零れた涙を伝う頬を舐めたメッサー君が、そのまま首筋に少し下って噛まれた瞬間、パン、と目の奥が弾けた気がした。

「やっ、あっあっあっ!」

 察して戻ってきてくれた唇に縋るように噛みつけば、ぬるりと入ってきた舌が余すところなく私の口腔を貪ってくれた。
 抱き付いて、彼を咥えこんだ私が小刻みに痙攣を繰り返す。

 もうダメ。だめ。もう――こんなの、ダメ。
 メッサー君は誰にもあげない。ダメ。これは私のものなの。私だけの――

 声にならない悲鳴も欲望も独占欲も、全部メッサー君に食べられながら、私は彼の腕の中で大きく果ててしまったのだった。


※※※※※


 そのあとも、もうずっと、今の今までひっついていた。
 腰を抜かして立ち上がれない私を無言のままメッサー君が支えて抱き上げて、シャワールームまで運んでくれて。先にどうぞと促されても、力が入らないのと甘えて一緒に温めてもらった。これだけ長く付き合っていても一緒にいられる時間はそんなに多くはなかったから、二人で入るお風呂も実は昨日が初めてだ。
 さんざん致した後だというのに、なんだか妙な気恥ずかしさがあって、それもくすぐったくて幸せなんだと初めて知った。
 背中を洗い流してくれるときだけ、すみません、と小さく囁いたメッサー君の声がシャワーの音に掠れて聞こえたから、たぶん少し擦れたようになっていたのかもしれない。でも染みるお湯の痛みすら気持ち良かったことしか覚えていない。
 二人で入るには狭い浴槽にぎゅうぎゅう詰めのようにして重なり合って、なんとなく触れ合う部分を意識してしまっていたら「のぼせますよ」とメッサー君が後ろから私の耳朶を食む。
 ずるい。そんなことを言いながら、自分はしっかり私の胸で遊んでいるくせに。

 じゃあもう出たいと言った私の手を引いたメッサー君はやっぱり口数は少なくて、だけど身体を拭いてくれる仕草はびっくりするくらい丁寧だった。慣れてる?と聞けば、少し困ったように一瞬口をつぐんだ彼が言った言葉は「ザック達によく付き合わされていたので」で、思わず濡れた頭で彼の胸を攻撃してしまったのも良い思い出になると思う。
 たぶん不意打ちだった私の攻撃にメッサー君が息の詰まった声を出したのがおかしくてくすくす笑えば、これ見よがしにバスタオルで髪の毛をぐしゃぐしゃにされてしまった。

「もうっ。ひどい!」
「ふざけてないで。冷えますよ。羽織って」

 自分はバスタオルを簡単に腰に巻いただけのくせして、私には彼の着ていたジャケットを肩に羽織らせてくれる。
 肩幅も丈も袖も、全部が一回り以上大きくて、超ミニのワンピースみたいだと思った。レイナが好んで着るサイズ違いの服みたい。あれはあれで需要があるみたいだけど、メッサー君もそういうの嫌いじゃない人なんだろうか。
 今度聞いてみようと思いつつ、まだしっとりと湿った肌に羽織らされたそれに腕を通すと、なんだかメッサー君の匂いで包まれているような気分になってくる。
 長い袖をそのままてろりと垂らして鼻をつけ、私は鼻腔いっぱいに空気を吸い込んでみた。

「……いい匂い」

 当たり前みたいにメッサー君の匂いが滲み込んでいて嬉しくなる。
 けれどメッサー君が何とも言えない顔をした。それからおもむろに膝を抱えて抱き上げられる。

「きゃっ! え、メッサー君!?」
「じっとしてください。寝室へ行くだけです」
「私歩ける――」
「いいから」

 言うなりさっさと歩き出してしまったメッサー君の腕の中で、私は大人しくするしかない。まさか浴室から寝室までの短い距離を、こんなふうに抱かれて移動する日が来るなんて夢にも思っていなかった。
 メッサー君の大股で数秒。
 あっという間に到着したベッドに私を下ろしたメッサー君は、額に軽く口付けてから何故だか床に膝をつく。

「? どうし――」

 膝がしらに恭しくキスをされて、私は言葉を飲み込んだ。
 力の入ってしまった足をほぐすように片足を優しい動きで伸ばし、メッサー君の唇は膝の下へと啄むように移動していく。そうして爪先を口に含まれた瞬間、私はびくっと膝を抱き寄せるようにして逃げてしまった。
 そんなところ、誰にもされたことなんてない。誰にも――メッサー君しか可能性はないんだけど、でも、そこ、普通口になんてしないでしょう。

「メ、メッサーく」
「カナメさん」

 色気なくどもってしまった私の言葉を遮った声は、すぐ足の付け根から聞こえてきた。なんでと疑問に思う間もなく太腿の内側に強く吸い付かれて、閉じようとした足は肩を入れてきたメッサー君に阻まれる。

「や」

 咄嗟に出た声が拒絶ではなく完全に濡れた色を帯びていたのは、メッサー君の吐息と熱い舌肉が、痛いくらいに張りつめていた尖りにはっきりと触れたからだ。つい数十分前までもっと深い所を散々突かれて揺さぶられて、それでも大して触れられていなかった私のそこは、メッサー君から与えられる優しい愛撫を実はずっと待ち侘びていたと隠す気もなく悦んでいる。

 どうしよう。気持ちいい。恥ずかしくて、気持ちいい。

 相反する感情でジタバタしてしまった足を無視してメッサー君が何度もそこへ情熱的なキスをする。見なくても硬くしこっているのがわかる箇所をメッサー君の舌でねっとりと転がされれば、腰が勝手に押し付けるように動いてしまう。そうすると唇が周りをやわやわと食んで、いたずらに歯を立てられた。
 大きくなってしまう声は手の甲を噛んでも誤魔化しきれなくなってくる。
 その度に濡れて音を立てるそこが、素直すぎて泣きそうだ。
 じゅ、と音を立てて吸い付かれて、私は甲高い悲鳴を上げてメッサー君の頭を太腿で締め上げてしまった。

「は……ぁっ、あ、はぁっ、ん、ン……っ」

 ビクビクと勝手に身体が跳ねて過呼吸のように息が苦しい。
 足の間にある、濡れてへたりと垂れた彼の前髪へどうにか指先を絡めると、メッサー君がようやくそこから顔を上げた。濡れた唇を見せつけるようにべろりと舐めてから、伸び上がってキスをくれる。優しくて甘いだけじゃないキスは唾液と知らない味がした。
 だけどいつものように深くは絡めてくれない舌がもどかしい。頭を抱き込むように腕を回してえづくように求めると、メッサー君が唇を離した。そのままぐいっと乗り上げられて背中がベッドマットに沈む。
 メッサー君の指の背が、つ、と私の頬を撫でた。

「すごい顔になってますよ」
「……って」



 だって。
 メッサー君がそんなことするから。




 だって。
 メッサー君だってそんな顔してる。




 だって、だって、だって。




「もっ、と、ほしい――」
「俺もです」

 私の求めに応じてくれたメッサー君の口が、舌が、ようやく私の唇に戻ってきてくれた。唾液を絡めて、呼吸を奪って。そうしてメッサー君のジャケットに抱かれたまま、メッサー君に覆い被さられて、身体の隅々までを食べて、食べ尽くされて――今。


※※※※※


一糸纏わぬ身体だということは、ジャケットはいつ脱がされたんだろう。全然思い出せないくらい、メッサー君で満たされていた。今だってそう。そこもかしこもメッサー君の匂いがあって包まれている。安心する。
寝顔を見ているだけなのにきゅううと鳴ってしまう胸はとても正直だ。
また明日になればララミスへと戻ってしまうことを思えば寂しくないわけはない。けれどあんなに情熱的に求めてくれたメッサー君のことを私はずっと信じてる。だから、寂しいけれど少し平気。ただ今度は私からももう少し会いに行く頻度を高めようと思う。

(ふふ。よく寝てるなあ)

パイロットという職業柄、メッサー君の眠りは基本とても浅い。本人に言わせると、浅いのではなく一瞬で深く眠って一気に目が醒えるということらしいが、つまりすぐに気づいて起きてしまう。だからこうして正体なく眠る姿を見られることは稀だった。それも付き合いたては絶対に無理で。
ということは、昨日ずいぶん頑張ってくれたことを省いても、メッサー君が私に気を緩めている証拠だから、余計にあどけない寝顔が愛しくなる。

 そういえばきっと玄関先はまだひどいことになっているなと思い出した。ちょっと見たくないけどこればっかりは仕方がない。メッサー君が起きたら先にシャワーを浴びてもらって、その間に手早く片付けて朝食を作ろう。
 頭の中で段取りを考えていると、んぅ、と鼻に抜けるような声が聞こえた。
 見ると親の仇でも前にしたような表情で眉間にこれでもかというほど皺を寄せたメッサー君が、開くか開かないかわからないくらい狭い瞬きを繰り返しているところだった。
 どうしよう。すごく可愛い。

「……おはよう?」
「ぉはよ、……ぃま、す」

 大の男の、デルタ小隊のエースパイロット――今はララミス星形の花形教官のこんな気の抜けきった起き抜けの顔を、知っているのは私だけ。目をしぱしぱさせているメッサー君の額に降りているモヒカンも気が抜けていてなんとも可愛らしくて仕方ない。
 布団から手を出し、いいこいいこと撫でてみると、素直に頭を擦り寄らせたメッサー君は何だか大型犬のようだった。

 不意に私の背後でデバイスの鳴る音がした。耳馴染みのないアラーム音は、確かメッサー君のデバイスにケイオスからメールが届いたときに鳴る音だった気がする。スクランブルの通知音とは違う音だ。私のデバイスは鳴っていないから、おそらくララミスの事務連絡か何かだろう。
                      
「失礼」
「きゃっ!」 

 と思った次の瞬間、メッサー君が無駄のない動きで飛び起きた。大きな身体で私を跨ぐよう折り曲げて、ベッドの下に脱ぎ捨てられていたジャケットを引き寄せると、ポケットの中からデバイスを見つけて取り出して戻る。
 今の今まであんなに寝惚けていたくせに、仕事への切替の早さといったらない。さすがエースパイロット様。
 上半身をベッドの背凭れに預けて内容を確認している表情は真剣そのものだ。
 邪魔をしないように、私は寝そべったままそんなメッサー君を見つめることにした。険しい眉間は真面目に文面を呼んでいるときのメッサー君の癖。長い指が画面を素早くスクロールして、徐々に眉間の皺が取れていく。何か、良い報告でもあったのだろうか。

「……った」
「え?」
「カナメさん」
「どうし――きゃっ」

 小さく何かを呟いたメッサー君は、私を呼ぶなり寝そべったままの私に覆い被さってきた。抱きすくめられて声が出る。ぎゅうぎゅうと強まる腕は正直苦しくて、私はその胸をぺしぺしと叩いた。

「メッサー君、くるし」
「転属命令が出ます」
「え?」
「ララミスからラグナ支部へ」

 一瞬、メッサー君から出た言葉を理解できなかった。
 転属命令。ララミス。ラグナ。てんぞく――転属? メッサー君が?

「え――、ほ、本当に……?」
「半年後ですが」
「なん……え? だって、昨日そんなこと言ってなかった……」
「内々示も前の口約束では反故になる可能性の方が大きいですし、それであなたを落胆させたくなかった。隊長やあなたから戻らないかと言っていただいて、勿論考えはあったんです。ただ」

 もう一度ぎゅっと私を抱き締めてから、メッサー君は腕の力を抜いた。緩く出来た隙間で合った視線で微笑まれても、なんだかまだ信じられなくて、私はまじまじと彼の顔を見つめてしまう。
 そんな私の前髪を掬うように上げて、耳へと流し、頬を優しく撫でたメッサー君が微苦笑した。

「あなたの傍にいたいから、という個人的な理由で転属願いを出すのは、異動の経緯からも正直ちょっと難しかったのは本音です」

 そう言われてしまえば当然だ。
 元々の転属理由はヴァール発症のリスクが高まった故の避難的意味合いが強い。ララミス側にしろ、メッサー君がいかに優秀なパイロットだとはいえ、そんな爆弾を抱えた人員を受け入れてくれるまでには相応の葛藤があっただろうし、いざ迎え入れてみれば戦争終結と共にヴァールの心配がなくなったから返してくれとは虫が良すぎると突っぱねられても仕方がない。
 着任後から今に至るまで、メッサー君自身の努力だって相当なものだたはずだ。ヴァールの危険性から遠く離れた星だとはいえ、後ろ指をさされていなかったとは思えない。それを、手離したくないとあちらの上官を含めたチームが一丸となって言うくらいの信頼を得ているのだから。
 なのにずっと自分の気持ちばかり押し付けて、戻って来ないのかと聞いていた私は申し訳なさで顔から火が出そうになった。挙句つい昨日馬鹿なことを口走ってメッサー君を傷つけたも同然で。

「ご、ごめんなさ――ん」

 だけどメッサー君は私の言葉を封じるように優しい口付けを落としてくれた。

「俺も、ずっと傍にいたかった、というのは信じてくれますか」

 信じる。信じてたの。本当はずっとわかってたのに、些細なことで自信をなくして変なことを言ってごめんなさい。メッサー君の方がずっとずっと大変だったのに。両頬を優しく挟まれながらコクコクと頷く。メッサー君はホッとしたように目元を緩めた。
 どこまでも優しい人だと思う。本当は私がもっと気にかけるべきだったのに咎めもしない。私の方が歳上なのに、こと恋愛に関してはいつもメッサー君に迷惑をかけてばかりだ。
 反省と愛しさで潤んでしまう涙腺を宥めるように、メッサー君の唇が瞼に落とされる。

「ただ、教官としての仕事を途中で放り出すわけにはいきませんし、その他諸々の問題もありますし――……ララミスがいいところだと言ったのも本当ですし」
「うん……ん、うん……」
「そんな折、アラド隊長からの正式な打診のおかげで進退に関しての希望調査なども入りまして」

 その言葉に少し驚いた。希望調査? そんなものがされていたなんて知らなかった。
 ワルキューレにはそもそも異動はあり得ないから、脱退願いがあるかないかだ。フォールドレセプター数値に関わることならいざ知らず、本人の個人的な希望であれば、それなりの部署が今後の身体や現況について聞き取りを行うことは知っていた。
 が、他部署からの引き抜き依頼で本人の希望をいちいち聞き取ってくれるとは知らなかった。さすが巨大企業。そういう個人への細やかな配慮が繁栄を支えているのかもしれない。

 けど、それなら余計に正直な希望をメッサー君の口から伝えにくかったんじゃないかと思った。もう戦時でもない。育成途中で抜けたとはいえ、あの戦争を闘い抜いたデルタ小隊はミラージュもハヤテ君も成長著しいのは対外的な数値にも明らかだ。戦力を戻したいなんて利己的すぎる言い分はどこも同じで、ラグナ支部に限ったことでもないのだから。

「命令に従うという通り一遍の回答は期待されていなかったようですね。なので、ワルキューレリーダーからも添付されたらしい強い希望に関してどうなのかという勘繰りには正直に答えたところ」
「うん――え?」
「手掛けている編成チームの育成の目処がつく半年後なら戻ってもいいと、今、正式な通達が」

 そう思っていたら、メッサー君の口から思いがけない言葉が出た。
 ワルキューレリーダーから添付された強い希望――出した。嘆願書とまではいかない、と思うけれど、どうしてもメッサー君に戻ってきてほしくて、ワルキューレのパフォーマンス向上に託つけて私からも一筆、とアラド隊長にお願いしたことを覚えている。
 待って。何を書いたっけ。いや、でもそんなにおかしなことは書いてないはずだ。いかに彼のバックパフォーマンスが素晴らしいかとか、それによって私のパフォーマンスが引き上げられるとか、それはフォールドレセプター数値の添付資料でも明白だとか、ひいてはワルキューレ全体の底上げに繋がり最終的に銀河云々……つらつら書いた、ような気がするけど、でも。
 私はおそるおそるメッサー君の瞳を見つめた。

「……な、なんて答えたの?」
「正直、会いたくて、声が聞きたくて、発狂しそうになることがある、と」

 なんてことはないような口調でさらりと言われて、私は思わず口をあんぐりと開けてしまった。揶揄されているわけではないというのは、私に向けられた瞳ではっきりとわかるから、メッサー君は真剣にそう答えたに違いない。情熱的という言葉でなんて言い表せない。胸が痛い。好きでいてくれてるのはわかっていたし、求めてくれていることも――昨夜の色々で身に染みている、けど、それは――え? 本当に?
 想像もしていなかった返しに瞬くばかりの私をじっと見つめ返して、メッサー君は私の頬を包んでいた手のひらを優しく動かした。目元に溢れてしまった涙を指の腹で拭って、窺うように額をつける。

「なので、二番以降を作らないで、あと半年、待っていてくれますか」
「……い、一生、待ってる……っ」

 状況はどうなるかわからないから。
 半年の間に例え何が起こって、内示の取り消しや期間の延長があっても待ってる。ずっと待ってる。ずっと好き。メッサー君が好き。大好き。
 堪えきれずに首に手を回してしがみついた私を、メッサー君が抱き返す。

「そんなに待たせるつもりはありませんから」

 優しい声音が耳朶を打って、私は返事の代わりにメッサー君がきっと苦しく感じるくらい、ぎゅうぎゅうと抱きついてしまったのだった。


【FIN】



ツイッターでフォロワーさんとお話していて、出張帰りのメッサー君と久し振りに会ったカナメさんが昂っちゃったらぁぁぁぁ!!!という流れになって、私がドチャクソ盛り上がって書かせていただいたお話になります。

生存√、ララミスとラグナで遠距離恋愛中のメサカナ。。