サプライズ・サプライズ(02)




 バナナ酒数杯のホロ酔いくらいでは足に来ることもない。
 それでもやはり熟成発酵された年代物は違うのか、少しほわほわとした心持ちで、カナメはエリシオン内の廊下を私服に着替えて歩いていた。

(二回もされちゃった……)

 自分の唇をそっと押さえれば、柔らかく押し付けられた感触が甦ってくるようで頭を抱えたい気分になる。まったく。美雲の思いつきは予想ができない。ミステリアスクイーンの攻略はかくも難しい。
 あの後――美雲から唇に少し強めの二回目のキスを受けて、やんややんやと騒ぎ出した仲間たちと楽しんだ立食パーティは小一時間ほどでお開きとなった。それぞれ明日も通常任務だ。あまり無理をさせるわけにはいかない。
 一緒に帰るつもりでいてくれたミラージュとフレイアに、実は本部に送らなければならないメールがあることを告げて、すぐに帰るね、と見送ったのは三十分ほど前のことだ。送る内容はほとんど完成させてあったので手間取ることもなく終了した。

「あら?」

 それから地上に繋がるゴンドラへと向かっていたはずが、カナメははたと足を止めた。
 うっかり真逆の方向にきてしまっていたらしい。顔をあげれば宿直室のプレートがかかっている部屋がある。どうしてこんなところまできてしまったんだろう。
 しかも今この部屋を使っているのが誰かなんて、調べなくてもわかっている。

(メッサー君、寝てるわよね……)

 在室を示すプレートランプが点灯しているのを確認して、カナメは小さく息を溢した。
 朝はあんなに嬉しかった彼の言葉が、今はもう別の意味を含んで耳の奥にリフレインする。
 祝ってほしいなんて言うつもりはなかったし、サプライズパーティに無理矢理参加をしてほしかったわけでもないから、彼があの場にいないことは別に良かった。本当に。
 だけど、わざわざ自分の肉体を酷使してまでスケジュールを詰めて理由を作ったのかもしれないと思ったら、気分はどんよりと落ち込んでしまう。

 彼には今までだって再三食事の誘いを断られている。だから今回だって普通に断ってくれれば良かったのに。そうまでして一緒に食事をしたくなかったなんて思わなかった。二人きりでの食事こそないが、出逢ってからそう悪くない関係を築いていると思っていたのに。
 それに、おめでとうを伝えてくれた彼の声はぶっきらぼうだが優しく聞こえた。だからカナメは嬉しかった。どきりと心臓が高鳴って、デバイス越しに頬がしゅっと赤らんだ。見られなくて良かったと思う程度には気分が確かに高揚していた。
 けれどあれが噂に聞くリップサービスというやつだったのかもしれない。

「……帰ろ」

 こんなところにいても仕方がない。
 もう一度深いため息を吐き踵を返そうとして、すぐ後ろにメッサーがきていることに気がついたカナメは息を飲んだ。中で寝てるとばかり思っていたのに、まさか出歩いていたなんて。
 気づいたメッサーが僅かに足早になった。カナメの前で立ち止まる。

「カナメさん?」
「お――お疲れ様、メッサー君! 奇遇ね!」
「……お疲れ様です。何かありましたか?」
「違うの、ちょっと道に迷ったみたいで」
「道に?」

 我ながら苦しい言い訳だ。
 エントランスともワルキューレの控え室とも違いすぎるこの場所で出会うのに奇遇はない。道に迷うだなんて今さらだ。メッサーは訝しさを隠そうともせず、カナメを心配そうに見つめた。
 それはそうだ。今日のスケジュールを知っているカナメがわざわざ何かの用向きでなければ、ここへ来る意味がないのだから。

 あなたのことを考えていたからつい足が向かっていたのかも、なんてまるで恋人か重いストーカーだ。
 バナナ酒が思いの外頭に残っているのだろうか。今日は上手く会話を引き出せる自信がない。
 それじゃあ、と俯き加減で言い掛けたカナメを、メッサーが先に遮った。

「すみません。少しだけ、いいですか」
「え、あ、うん。どうかした?」

 パッと顔を上げれば少し困惑したような瞳と一瞬合って、カナメは内心で首を傾げた。なんだろう。
 言葉のないままにメッサーが宿直室のロックを外す。促されて中に入れば、メッサーはドアを開け放したままの位置で止めてから室内に入ると、デスクの引き出しを開けた。
 密室にはしない意思表示は誠意からか、カナメと二人きりになりたくないからか微妙なところだ。
 何かを取り出して、躊躇うような仕草をし、それからカナメの方に向き直る。

「これを」

 す、と差し出されたそれをカナメは反射的に受け取った。

「――バースデーカード……?」

 カードに印刷された写真は空から撮されたと思われる雲の中の青空だ。信愛を示す記号と共に、カナメの名前が記されている。裏面を返せば少し癖のある彼の字で、おめでとうございますという簡素な言葉とメッサーの署名がされていた。

「すみません。気の利いたものを用意できなくて」
「そんなことない! すごく――すごく嬉しい。ありがとう……!」

 思わずカードを抱き締めて、カナメはメッサーを見上げた。嬉しい。嬉しい。
 朝の電話だけでもサプライズだと思ったのに、まさかカードを用意してくれているとは思わなかった。でもどうして。今日ここへカナメは足を運ばなければ、彼はこれをいつ自分に渡してくれるつもりだったのだろう。疑問は残るが、それよりも彼がカナメの為に用意してくれたということが、ただ純粋に嬉しかった。

「本当にありがとう」

 ぎゅっと抱き締めすぎて皺がよってしまったかもしれない。ハッとして慌ててカードの両面を確かめたカナメに、むしろメッサーが戸惑ったような声を出した。

「あの、何か、欲しいものがあれば教えてください」
「カードで十分よ? 本当に嬉しいの。ありがとう!」
「ですが――……」
「メッサー君?」

 喜びすぎて引かれただろうか。
 口ごもるメッサーに少しだけ気を落ち着けたカナメは、カードが折れないように両手で包むだけに留めた。見上げる メッサーは、やはり困惑したように唇を引き結んでいる。しばらく待つと、ばつの悪そうな顔でカナメからすっと視線を逸らした。

「マキナ達からは色々贈られたでしょう」
「それはそうだけど、でもメッサー君のカードもすごく」
「自分も、一応リストアップはしていたのですが」
「え?」

 思いがけない台詞に、カナメは言葉が止まってしまった。
 リストアップ? 何の? 色々贈られた――……まさかカナメ・バッカニアへの誕生日プレゼントのリストを、メッサー・イーレフェルトが?

「オーソドックスに花束とか色々、無難なものを」

 小さなポプリやケーキや、女子に人気だというバスセットなど。酒を好むカナメにバナナ酒もいいかなど、訥々と語られるリスト内容は、確かに今日他のメンバーからもらったものばかりだった。
 どこかでそれを知ったのだろう。考えた末、結局カードしか用意できないまま、遠距離恋愛中の恋人との会瀬に当直が被ったと嘆いていたパイロット仲間を見掛け、交替して今に至るとメッサーが説明してくれた。

 誕生会に出席したくなくてわざと交替しただなんて、どれだけ失礼なことを考えてしまったのだろう。カナメは穴があったら埋まりたくなった。ちょっと考えればわかりそうなものだ。メッサーがこういう行事へ付き合いが悪いのはいつものことだし、そもそも毎回きちんと真っ正面から断ってくれる。誤魔化しもない一刀両断は、むしろ彼の誠意だ。
 そんな彼が、今回だけ遠回しな拒絶をするわけがなかったのに。

「ごめんなさい……」
「なぜあなたが謝るんです? 謝罪すべきは俺の方だ。何ヵ月も前から知っていたのに――」

 そこまで言って、メッサーはバッと口を覆った。喋りすぎたとでもいうように視線を逸らせる仕草に、カナメは胸の奥からふつふつと温かいものが込み上げてくるのを感じた。

 マキナが言っていた。
 『カナカナの誕生日は先にメサメサ知ってたよ』、と。

 彼女がプレゼンするサプライズ企画を、直前で打診するわけがない。しかも相手はメッサーだ。
 ということは、今彼の口からぽろりと出たとおり「何ヵ月も前から」、メッサーはカナメのことを考えてくれていたことになる。

「……メッサー君、実は私のこと意外と大切に思ってくれてる?」
「当たり前です」

 思いがけない即答だった。
 そっか。そうか。当たり前か。――いや、でもそれはどういう意味で……?

「ただ、恋人でもない女性に何を贈ればいいのかわからなくて」
「……」

 と思っていたら、またもや思いがけない言葉で続けられて、カナメは冷や水を浴びせられた気分になった。なるほど。つまり大切な『異性のバディ』へ何を贈ればいいか、わからなかったと。
 ふうん。そうか。そうですか。
 メッサーは間違ったことは言っていない。けれども何だか面白くない。

 『割とオンナ慣れしてたりするのかも』

 また不意にマキナの言葉が頭を掠める。
 そうね。そうかも。別に悪いことじゃない。カナメに見せる顔が、メッサーの全てではないのだ。そんなことはわかっている。
 けれど考えれば考えるほど、面白くないという感情がむくりと頭をもたげてきた。
 そんなに慣れているのなら、適当なものでも選べたくせに。花束でもバスセットでも、誰と何が被ったってカナメはそんなことを気にしなかった。

「……ふうん」
「カナメさん?」

 ぶすくれた気分が唇を少し尖らせたのは、やはり年代物のバナナ酒が残っていたからかもしれない。
 どうしました、といわんばかりのいつものメッサーに、意趣返しとばかりにカナメは聞いた。

「恋人にならメッサー君は何を贈るの?」
「下着ですかね」
「えっ!」
「冗談です」

 どこまでが冗談なのかわからない。それくらい真顔で吐かれた言葉にカナメは驚いて、それから今度こそはっきりと唇を尖らせた。
 恋人になら下着。本当に彼はしていたのかもしれないし、オンナ慣れした口でカナメをからかったのかもしれない。そう思ってしまったのも、バナナ酒のせいかもしれない。
 ふうん。そうか。そうですか。

「…………下着でも別に嬉しかったのに」
「え」
「冗談よ」
「……」

 そちらがその気なら、こちらにだってこれくらいの返しは許されるはずだ。
 ふん、と心なしむくれた気分で見上げれば、メッサーは面白いくらいに固まっていた。
 カナメがこの手の冗談を言うとは思わなかったのかもしれない。オンナ慣れしている割には正直すぎて見える反応に、カナメの悪戯心が頭をもたげた。
 誕生日に贈られた言葉とバースデーカードだけでカナメは本当に十分だが、メッサーが下着以外で何かくれる気があるというのなら、仮眠に入ってしまうもう少しだけ、デバイス越しではないこの会話を続けたくなった。

「メッサー君、美雲にしたアドバイス覚えてる?」
「は?」

 固まったメッサーへと一歩近づく。
 まるで呪縛が解けたようにぴくりと反応した彼に、カナメは揶揄するように愛らしく首を傾げて見せた。

「大切な人には何を贈るって言ったんだっけ」
「え? ――――あ」

 一瞬何のとんちだといわんばかりに眉を寄せたメッサーだったが、思い出したのだろう。ゆるりと目が開かれる。顔にはまさかしたのかと如実に疑問が浮かんでいて、そのまさかよ、あなたのおかげで、とカナメは心の中で付け足した。
 この反応を見るに、美雲と膝を交えてじっくり相談に乗ったというわけでもなさそうだ。ふらりと現れた彼女にいつもの如く不意に言葉を投げられて、間違いではない解答を口に乗せただけなのだろう。メッサーにしても、まさか美雲がカナメを相手にそこまでするとは思っていなかったらしいとわかる。
 なんだか気持ちが急にふわりと軽くなった。

「それがいいな、って言ったらくれる?」
「…………は?」

 その気分のまま、カナメはそう言ってメッサーの目を覗き込んだ。
 ぽかんと口を薄く開けてまた固まってしまったメッサーがおかしくて、笑いそうになったのを瞳を閉じることで誤魔化す。

 もう少しだけ。

 いつも真面目でストイックで、自分ばかりが翻弄された気になることの多い彼を、今日くらいは翻弄してみたい。ん、と唇を引き結び、頬へとキスをねだるように顔を傾ける。カナメはそんな自分が何だか面白くなってきてしまった。メッサーは困惑していることだろう。この辺りで止めないと。

「――なんてね。冗談っ……」

 ふふ、と笑いながら顔を正面に向け直して目を開けたのと、唇に優しい衝撃を感じたのは同時だった。
 言葉が一瞬で形を失う。
 肩に置かれた大きな手のひらの体温が沁みて、カナメはゆっくりと大きな瞬きをひとつした。

「……すみません。冗談でしたか」

 まだ少し触れた唇の隙間に吐息が震えた。と思ったら、メッサーはすっと屈めていた体躯を戻してしまった。
 からかわれた――のではないことは、口許を覆い、カナメからはっきりと視線を逸らしたその顔に「しまった」と大きく書かれている表情でわかった。おそらくは頬にしてくれるつもりだったのだろう。突然カナメが顔を戻したせいでのハプニングだ。メッサーは何も悪くない。
 けれど無表情を装っている彼の耳の先が、やたら赤く染まって見えた。
 オンナ慣れしているんじゃなかったのか。これじゃあまるで本当に好かれているような気になってしまう。

「あ、ち、違うの! 冗談は冗談で、その、違うの、してほしかったのは本当で、あ、でも、本当にしてくれると思ってなくて、でもその、してほしかったのはメッサー君だからで……って、ち、違うの!」

 だって、――だって。
 メッサーはいつもカナメの誘いを断るくせに。
 でも、プレゼントをギリギリまで考えてくれて、カードをくれた。
 ねだればキスまでしてくれて――もう、ちょっと今頭が混乱している。こんな誕生日ははじめてだ。

「いえ、こちらこそ調子に乗ってしまい申し訳ありませんでした。挨拶のつもりで――いえ、全て忘れてください」
「えっ、やだ」
「やだって……」
「え、あ、ち、ちち違うの! 違うのメッサー君! 誤解なの!」

 口を覆ったままのメッサーの前で、おそらくその耳より赤く染まった顔をしてわたわたと言い訳を繰り返すカナメは、我知らずぎゅっと両手を握り締めた。その手にずっと持っていたバースデーカードがぐしゃりと鳴って、思わず悲鳴が口をついて出る。

「きゃー!」
「ど、どうしました!?」
「カード……カード、ぐしゃてなっちゃっ……」
「贈ります。カードなら何枚でも贈りますから。大丈夫です」

 せっかくもらったのに、と赤らめた頬を青ざめて口をパクパクとさせるカナメに、メッサーが慌てたようにそう言った。でもこの一枚は戻ってこないのに。そう思えば、そんなことで涙腺があっという間に緩むのを感じる。自分はこんなに涙もろい性質だったろうか。やはりバナナ酒のせいかもしれない。

「せ、せっかくメッサー君がくれたのに」
「破れてもいませんし、何も問題はありません。大丈夫です。データもあります。カードはすぐに作れます」
「キ、キスも」
「しますから。何度でも、どこにでも」

 だから泣かないでくださいと大きな掌で何度も頬を撫でられて、カナメは思わずメッサーの腰に腕を回した。
 戸惑いつつもその身体を抱き締めて、宥めるように背中を、頭を、メッサーの手が優しく撫でる。
 そんな二人を開け放たれたままの宿直室の前で何人ものギャラリーが口を開け、目を見開き、固まったまま見つめていたと知ったのは、落ち着きを取り戻した二人が自分達の言動にはてと首を傾げた後だった。



【Fin.】


カナメ・バッカニア22歳大好きよろしく――――――ぅぅ!!!

の気持ちをこめて、カナメさん誕生日SS。
付き合っていないメサカナです。デルタ小隊とワルキューレでわちゃっとお祝いしたり、後出しのメッサー君と話したりしています。
時期的には……フレイア加入後初期……みたいな……うっ、それだと数か月後にクラゲ祭り………うっ、記憶が……うぅ…………っ…………

パラレルワールドでいきます。