君と馴染む傷跡D




だらしなく開いたハンジの口を、モブリットの舌が何度も塞ぐ。整わない呼吸が苦しくて、けれども押し返す力も入れられない。溺れるように唇を合わせ、蹂躙する舌に舌を絡めて喘ぐ。
逃げるつもりではなく、刺激でひくついてしまった手首を捕らえられ、モブリットの指がハンジの指の間に落とされた。きつく握られ、握り返す。
ふっふっ、と聞こえるモブリットの浅い呼吸音が興奮の度合いを伝えてくる。粘性を増して交わす互いの唾液、それに合わせて淫らにこすりつけられる下半身の熱が、ハンジの奥を突く度に、目の前が眩むような快感に犯される。

こんな抱き方をするモブリットは知らない。
優しいだけでも、激しいだけでもない、こんな抱き方。
モブリットの昴ぶりを打ち付けられて、欲望の矛先は奥へ奥へと入り込むのがわかるのに、ハンジの中に、そこの全てへ形を覚え込ませていくかのようなどろどろの甘いくびきに蕩かされる。
まるでハンジの全てを暴こうとするかのような動きにこすられて、中が従順になき始めた。

こんな素直な身体も知らない。
自分が自分ではないようで、ハンジは声にならない声でモブリットの名前を呼んだ。誰よりも知っているはずの自分なのに、知らない部分を引き出して更にもっとと暴こうとする諸悪の根元が、返事の変わりに口を塞ぐ。一瞬だけ離された唇に「ハンジさん」と呼び返された。
唇につけられた振動と低い声が頭に響いて力が抜ける。

「あ……」

そのままぬとりと厚い舌肉が再びハンジに差し込まれた。
触れ合った舌は絡むのに、粘着液で滑ってしまいそうで、何故だか不意に泣きたくなる。
いやだ、離れたくない。離さないで、もっと、もっと――
無意識にモブリットの腰に回した足が、誰にも許したことのない深みへと誘い、その刺激にハンジは震えた。

「ふぁっ? あ、あ、や……っ」

モブリットの腰が道筋を確かめるように半分ほど引き抜かれ、背筋がしなる。
それを追って、一度覚えた場所を再び深く貫いたモブリットに、ハンジの口から悲鳴が零れた。
ビクビクと跳ねたハンジの身体を、モブリットが繋ぎ止めるようにきつく抱き、縋り付くようにハンジもその背に腕を回す。
もう身体の境界がわからない。

「は、……くッ――」

堪えるように吐き出すモブリットの喘ぎが耳朶に届き、鼓膜を震わされる。
一突きごとに強さを増して、爆ぜる互いの皮膚の音が淫猥な水音と共に部屋の空気を支配する。
掻き抱かれ、地肌に差し込まれたモブリットの掌に、指先に、触れられた場所からぐずぐずに溶けてしまいそうだ。

「うんん――っ!」

どうしていいかわからなくて、ハンジは目の前の肩に噛みついた。
加減もない衝撃を受けたモブリットがうっと呻いて、それに反応するかのようにハンジの中で彼がビクッと跳ねる。
身体ごと放り投げられてしまいそうな快感に震えるハンジの不安を宥めるように、モブリットの拘束が強まった。

「……ンジ、さんっ」
「や、あ、あ、ああ――!!」

チカチカと瞼の裏が明滅する。
一際強く打ち付けられて最奥に達したモブリットに、離すまいとハンジの中が貪欲に蠢く。激しい収縮はモブリットが欲しいともう隠せない。

「――……ぅ、ああ、はっ、あ」

ぐっぐっと押しつけられるくびきの刺激に身体が震えて、涙が溢れる。
吐精にぶるりと肩を震ったモブリットが、親指でハンジの眦をそっと撫でた。

「や、ぁ……」

それすらまた身体が跳ねてしまったハンジを、モブリットが奪うようにキスをした。
こんな激しい快感は、知らなかった。
こんなに甘やかされた抱かれ方も、求めてしまう自分の身体も、何もかも。
セックスは単なる動物的な衝動だけじゃなかったのか。好悪の別くらいはあれど、行為は形式的にすぎず、一定のラインを超えてしまえば大差ないものだと思っていたのが、たった数時間の行為で簡単に覆された。

「ん――……」

逃げ出したいような縋りたいような相反する感情を、訴えて満たせるのがキスしかないような気になってきた。モブリットの唇がそれに応える。唇の感触が、キスの角度が、当たる鼻の位置が、甘い吐息と痺れるような舌の動きが。モブリットとするそれだけが曖昧な感情への明確な答えか。
この衝動で今までの全てが流されて、もうモブリットしかわからなくなってしまうような気さえする。
求めに応えるように回されたモブリットの腕の強さに縋り付くように抱き締め返しながら、ハンジは理性で考えることを放棄した。



******



それから、どれほどの時間が経っただろう。
荒かった息が落ち着きを取り戻して、もう短くない時が過ぎている。
汗と熱の引いた身体が夜気の肌寒さを思い出して、ハンジの皮膚が無意識にふるりと震えた。

「……大丈夫ですか?」

密着した身体で気づいたのだろうモブリットが、囁くように低めた声でそう言って、ハンジの肩を更に自分へと抱き寄せる。その肌も大分冷静さを取り戻しているようだった。

「服、着ましょうか」
「まだいい」

自分への気遣いから言っているとわかっている。
けれどもハンジは素早くそう言って、自分に回されたモブリットの腕をぐいっと引き寄せた。襟巻き代わりのようにぎゅうぎゅうと引っ張って暖を取る。そう体格の変わらないと思っていた彼の腕は、思っていたより随分と太く、この腕が自分を抱いていたのかと思えば、今更ながら不思議な気がする。

「ハンジさん? 寒いなら――」
「太いなあ」
「はい?」
「腕。こんなに太かったんだね。知らなかった。もうずっと一緒だったのに見ていなかった。私より太い」
「まあ……俺も一応男ですし」

首に回した腕をまじまじと見つめるハンジに戸惑ったように答えるモブリットはいつもの彼に近い。仲間として副長として、傍にいたモブリットだ。けれどそこにはない気安さが見える気がして、ハンジは腕の中でくるりと身体を反転させた。されるがままのモブリットは、ハンジの意図をはかりかねたように困惑げに眉を下げている。

「あの、何か――」
「ねえ」

ハンジはそのままモブリットの胸にぴたりと自分の薄い胸を乗せた。
驚いたように眼を瞬いて、けれども黙ってハンジの行動を探るモブリットの唇に不意の口づけを落としてみる。

「……」
「……」

もっと驚くかと思ったモブリットは、けれど意外と冷静な顔で自分にキスをしたハンジをじっと見つめていた。
今まで、モブリットとの行為の終わりにこんなことをしたことはなかった。しようと思ったことだってなかった。最近長くなりそうになっていた事後の無言の時間だって、意味のないものだとわかっていたし、自分達の重なることと何の関係もないことだとわかっていた。
モブリットからだって、そんな素振りはなかったはずだ。

「……逃げないのかよ」

それなのに大人しくされるがままのモブリットは、どういうつもりで受け入れていたのか。これくらいは気遣いの範囲か。それとも快楽を高めるためのセオリーのようなものだろうか。
今だけと言われた行為が奥底から欲望を引きずり出したのを認めても、その今が終わってしまったこの状況を、彼がどう考えているのかハンジにはいまいちわからないままだ。
呟きに答えないモブリットは、本当はずるい男なんだろうか。
ハンジはふうと息を吐いて、覗き込むように肘を立てた。

「聞いてもいい?」
「……はい?」

汗で濡れた地肌から乾いた髪がパサリと顔の横に落ちる。
見下ろすモブリットの頬にかかったそれを、モブリットが指で掬ってハンジの耳の後ろへ掛け直した。そうして当然のように頬の輪郭に手を添えられる。
まだ明るさの見えない夜の空気を縫うようにして降り注ぐ月明かりが、ヘーゼルの瞳をいつもより薄淡くしてみせる。そのせいだ。やけに甘さを乗せた穏やかな視線に見つめられているような気になるのは。
ハンジは胸に生じた拍動をため息に逃がす。

「今だけの相手、本当のところ何人いるの」
「………………」
「モブリット?」

前にいないと言っていたけれど、例え本当はいたとしても「いませんよ」と答えそうなモブリットが、けれども予想に反して驚いたように目を丸くした。真実を言い当てられて驚いたというのとは違う。言うなれば不意をつかれたような驚き方だ。
まじまじとハンジを見つめていたモブリットの手が、触れていた頬からずるりと落ちる。その手で自分の目元を覆い、蚊の鳴くような声を絞り出した。

「………………まさかの」
「うん?」
「あんた、いるんですか」
「いないよ」

答えないくせに同じ質問で返すのはずるい。
思いながらも素直に答えたハンジを、モブリットの疑わしい目が指の間から見上げてきた。
その視線はなんなんだ。何をされてもいいだなんて一瞬でも思う相手を、そうバカみたいに作れるほど純粋でも無知でもないつもりだ。ムッとして口を開きかけたハンジの腕を、モブリットが掴んだ。そのまま驚く間もなく反転させたハンジの上に覆い被さってきたモブリットが、その唇に噛みつくようなキスをした。

「ん……っ、なに」
「こういうことをする相手、俺だけですか」
「だからそうだって言ってるだろう? 君は――」
「俺も最初からあなただけです」

顔を振るハンジを強くない力で拘束しつつ、モブリットが真面目な口調で言い切った。乗り上げられて両頬を挟まれ、格好だけなら数十分前の行為を彷彿とさせる。だというのに、モブリットの口調も視線も真剣そのもので、むずむずとしたくすぐったさがハンジの足下を這い始めた。

「……今だけって終わったんじゃないの」
「今だけです」
「いや、だからさ」
「もう少し」

膝をもじりと擦り合わせたハンジに気づいているだろうに、退けようとしないところはずるい。妥協のように片手が挟んでいた頬を、撫でさするモブリットを真っ直ぐに見ることが難しくなる。
そんなふうに触られることも普段ならないはずで、だというのにそれを当たり前に受けている今に不思議なほど違和感がない。この手が、この動きが、モブリットのいうとおり、今だけ、もう少しだけこうしていてほしいと思う。

「いいけど。……それっていつまで――」
「今だけの時間的な定義ですか?」

なんとはなしに、ハンジもモブリットへと手を伸ばした。
頬に触れさせた指先を広げて、見慣れた彼の顔を包み込んでみる。
キスをする時はいつも噛みつくような荒々しさで、輪郭を確かめたこともなかったと今更ながらに思い出した。目蓋の下は薄く感じて眼球の動きがすぐそこだとか、モブリットの体温は割と低い方だとか、鼻はこのくらいの高さだとか、顎骨は意外とほっそりとして感じるものだとか、そんなことも初めて知った。
ハンジの動きに任せていたモブリットが、頬へと包むように戻した手のひらに顔を寄せ、唇をつける。

「知っていますか」
「……なに」

ハンジの手の上に自分の手を重ねて更に唇を押しつけるようにしたモブリットが、そのまま手のひらへと囁いた。促すハンジに細めた視線だけをゆっくりと向ける。

「今が続いて、ずっとになるんです」
「ん? ……ん?」

モブリットの言葉に、ハンジは目を瞬いた。
今が続いて、ずっとになる? それはつまり――

「なので」

薄闇の中、何度も目を瞬くハンジに触れる場所から緊張が伝わってくる。伝染するようにハンジの心臓がとくんと鳴った。モブリットが、ハンジの手をすっと自分の首の後ろへと誘導し、近づけた額をハンジの額に軽く合わせる。
キスもせず、こんなに近くで見つめ合うなんて距離がおかしい。
身体だけの関係で、する必要のない行為だ。
だけどこの距離をもう離したいと思わない。

「……なので?」

ハンジは後頭部に回された手で、モブリットの髪をくしゃりとかき回した。また少しだけ顔が近づき、唇が重なりそうなほど触れる距離で、ハンジがモブリットの言葉を促す。静かな夜の静寂を縫って、見つめ合う視線から互いの熱が溶け出す音が聞こえるかのようだった。
モブリットは一度目蓋をおろし、それからゆっくりとハンジを見つめた。親指がハンジの頬を優しげに撫でて、

「あなたの今だけを、ずっと、俺にください」
「君の今だけと交換ならしてもいいよ」

ハンジの返しに、モブリットが思わずといった体で目を丸くした。
見つめ返すハンジの瞳をまじまじと見つめて、やがて少しだけ身を起こす。

「……あれ。駄目だっ――う、わっ」

離れた身体に隙間風を感じた瞬間、ハンジはモブリットの腕の中に強く抱き留められていた。

「交渉成立ということで」

耳朶に囁かれた声音が照れと喜色に溢れていて、ハンジは思わず笑いそうになった。
けれどぎゅうぎゅうと今までにない強さで抱きしめられるその動きに、どういうわけかハンジの胸が熱くなる。
苦しいのに気持ち良い。心臓はいつもより早いはずなのに安心する。

「うん」

今だけ。
こんな今だけを互いにずっと交換できるなら、すごくいい。
抱きしめられた腕の中でもぞもぞと手を引き抜いて、ハンジはモブリットの背中に同じように腕を回して抱き返した。


                                      【THE END】