抜け駆け禁止発令中につき




騎馬による索敵陣形に際した指示伝達の全体訓練を終え、宿舎へと戻る分隊長の後について歩く。
夕暮れの迫ったオレンジ色に薄墨を刷いたような景色の中、彼女の長い影を俺の足が踏んでしまうが仕方ない。
両腕に抱えた大小様々な袋がカサカサと鳴って、時折甘い香りが鼻腔に届いた。
こんなに贅沢な嗜好品の香りに包まれるなんてことは、俺の人生にはなかったものだ。
羨ましいというよりも単純に凄い。尊敬に値すると思う。

「日が暮れるの、早くなったよね」
「そうですね」

そう思っていた俺は、半歩前を歩く分隊長が首だけこちらに向けてきたのに頷いて見せた。
彼女の腕にも、抱えられるだけの袋や酒瓶や花束がある。
一人では持ちきれない量の贈り物は、全て分隊長宛てのものだった。
今日が誕生日だという彼女の人気の程が窺える。

ついさっき、訓練終了後の疲労もなんのその、やたらと宿舎に走る兵士が多いなとは思っていた。
そのほとんどが女性兵士だったこともあり、何かあるんだろうかと分隊長と二人首を傾げながら隊舎に向けて歩き始めた。それから数歩。今後の段取り等を話しながら進んだ時だ。彼女達が今度は我先にと、色々なものを持ち寄って戻ってきたのだった。
そうして分隊長はあっという間に囲まれてしまった。

「ハンジ分隊長、お誕生日おめでとうございます!」
「おめでとうございます!」
「分隊長、これよろしければ!」
「わー、これ私に? 貰っちゃっていいの? みんな良く知ってるなあ。嬉しいよ、ありがとう!」

口々に言って差し出されたそれらを、一人ひとり丁寧に受け取り笑顔で礼を返す分隊長は、何と言うか、完璧だった。
立体機動時のゴーグルを前髪と一緒に掻き上げる仕草も厭味なく様になっていて、分隊長を囲む彼女らの目が、憧れを通り越して、感動か、おそらくそれ以上の感情で潤む者までいたくらいだ。
調査兵団の上官方は、それぞれ尊敬や憧れの対象になり得る人物が揃っているとは思うのだが、兵長にしろミケさんにしろ、どこかしら気軽に近寄りがたい雰囲気がある。実際はどちらも――少し変わったところはあれど――部下思いで真面目で、申し分ない上司だとは思うけれど、年若い部下の立場からすれば余計そう感じてしまうのも無理からない。
だから彼らの誕生日に、こんな光景を見た覚えは俺にはなかった。

けれど同じ隊長格の彼女が、こうも明け透けに好意を向けられる理由は、ひとえに対応の柔らかさからだろう。
近寄らせ過ぎず、けれど懐には入り込む。それは天性の才能だ。
分隊長、分隊長、とさえずる彼女達は、一瞬ニファが分身したのかと思ってしまったほどの盛況ぶりで、分隊長の両手が塞がり始めた頃合いを見計らって、俺はさりげなく荷物持ちを買って出た。

「ごめんね、ありがとう」

息をするようにするりと入り込んだ俺の存在に、いつもどおり目もくれない彼女達を尻目に、分隊長はそう言って、アーモンド色の瞳を細めた。
まったく。俺にまでそんな決め顔をくれてどうするんです。俺がうら若い女性兵士だったら、少しときめいてしまったところだ。そこらの男よりずっと出来る分隊長に、黄色い声を上げるニファの気持ちはわからないでもない。
同じ――もとい、本物の男の俺から見ても、彼女はとても格好良い。

分隊長の部屋について、促されるまま中に入る。
寝室へ続く壁に作り付けられた簡易テーブルを引き出して、分隊長が両手に抱えた物をそこに置いた。

「ここに置いてもらえるかな」
「すごい量ですね」

小さな花束、焼き菓子やキャンディ、それに小さなインクやノートに鉛筆、この小瓶はジャムだろうか。
くれたのは皆若い子達だというのに、可愛らしい雑貨の類はほぼ皆無だった。分隊長の好みと需要に合わせた消耗品の数々は、本当に気持ちが籠っている。
感心していると、ゴーグルを外して眼鏡に替えた分隊長が「本当だ」としみじみと言った。

「お菓子はちょっと食べきれないなあ。気持ちはありがたく頂戴したから、あとで皆で食べよう。持ってくよ」

日持ちするものでなければ仕方ない。花束の類も、「枯らしてしまうといけないから、持って行っていいよね」という分隊長らしい提案に頷く。後で一番大きい花瓶を用意しておこう。
と、分隊長がふっと目元を和ませた。

「石鹸は被らなかったね」
「ニファの案ですよ。『分隊長に石鹸を渡せる勇気のある人は、一班以外にいない!』という持論を展開していました」
「さすがニファ!」

ぶはっと噴き出して、分隊長は眼鏡をずらすと、目尻に溜まった涙を拭った。
ニファによる「抜け駆けするべからず」という号令のもと、第四分隊第一班は、既に今朝の班朝礼後、一番乗りでささやかな祝いを済ませていた。
厳選されたプレゼントは、新しい羽ペンとインクの補充、生花だとどうせ研究室に持ってきてしまうだろうからという理由で、ベッド脇に吊るせる小さな安眠促進効果のあるといわれるポプリ、それに大量の石鹸だ。食べ物が含まれていないのも、どうせたくさん貰うだろうし、分隊長は「皆で食べよう」と言うに違いないと主張したニファの言に従ったまでだ。それは果たして正しかった。先見の明には恐れ入る。
部屋の中に見当たらない俺達からの贈り物は、この辺りに見当たらないから、きちんとベッドルームに運ばれているらしいとすぐにわかった。
ある種の特別扱いだ。胸を張るニファが見えるようで微笑ましい。

「それでは、俺は先に戻りますね」
「うん、私もすぐに行く。手伝ってくれてありがとうね」

わざわざドアまで見送ってくれた分隊長に、俺は「いいえ」と言って振り返った。目が合うと、いつもの凛とした表情の彼女が少しだけ仲間内に見せるくだけた柔らかさを乗せた。

「ハンジさん」
「何?」
「誕生日、おめでとうございます」
「――」

改めて言うことでもなかったかもしれないが、顔を見たら何とはなしにその言葉が口をついた。
それは全員で言った朝と同じ、感謝と祝いの気持ちだ。
敢えて狙ったわけではなかったが、分隊長が一人の時に言ってしまったのは『抜け駆け禁止』に当たるだろうか。
ニファの冷たい視線を思い浮かべるより早く、分隊長は一瞬驚いたようにぱちくりと目を瞬いた。
俺の言葉はそんなに思い掛けないものだっただろうか。
だがきっと彼女のことだ。
すぐにあの決め顔で「ありがとう」とか「どうしたんだ」とか言うんだろう。

「あ、うん」

けれど俺の予想に反して、分隊長はそう言った。
ぽろりと反射で出たようなその言葉の続きはなかなかやってこない。意外な反応だ。想像と違う。まるで違う。
分隊長は視線を揺らして、それから少しはにかんだように笑って、俺の目をまっすぐ見つめ返してきた。

「ありがとう、モブリット。何か照れるね!」

それは、先程の彼女らに見せていた顔とも、今朝方班員に見せた顔とも全然違う笑顔だった。
労いとも、上官然としたものとも、仲間内に見せるくだけたものともまるで違う――
綻ぶような笑顔だった。

――そんな表情を初めて見た。

「片付けたらすぐ行くから、ニファ達にお菓子あるよって言っといて」
「わかりました」

言って、俺は踵を返す。
後ろでドアの閉まる音を聞いて、一歩二歩、習慣に任せた動きで無意識に進み、それから廊下の角を曲がって数歩行き――そこで何だか限界が来た。
壁にゴン、と頭をつける。
何だあれ。何だあの顔。かわい――くない。可愛いわけない。
可愛くない可愛くない。分隊長だぞ。上官だ。何考えてるんだ可愛いわけあるか。
目の前で見せつけられた表情が、瞼を閉じても焼き付いて離れないなんて気のせいだ。俺にだけ向けた顔だと思いそうになる意識の思い上がりを、意志の力でねじ伏せる。
そうやって、芽生えてしまいそうな何かを悶々と堪えていたちょうどその時。

「副長ー? 分隊長まだお部屋ですか?」
「――ニ、ファ!!?」
「はい?」

その背中へ突然掛けられた声に飛び跳ねた俺に、『抜け駆け禁止』を厳命した部下がきょとんと大きな目を向けていた。
何だろう。その目を真っ直ぐ見られない。
つい今し方、喜ぶニファの姿を想像して微笑ましい気持ちになっていたはずなのに、これは一体どうしたことだ。
汚れた大人になった気がする。

「……お」
「お?」
「おかし、を、ぶんたいちょうが、あとで、くれるって……」
「本当ですか? やったー!」

途端に嬉しそうに両手を鳴らしたニファの頭を、何故だか懺悔の気分がこみ上げてきて誤魔化すようにポンポンと撫でる。
にこにこと上機嫌の彼女に、早く戻りましょうよと袖を引かれて曖昧に頷きながら、俺は浮かんだ感情をぶんぶんと頭を振って追い出そうと努力したのだった。


【FIN】


以前ベッターにUPしたハンジさん誕生日おめでとうございますSSの加筆修正版です。
デキてないモブハンの目覚め的な。イケメンハンジさん。