モノクロショコラが融ける前C




ハンジが自分を女であると殊更に主張したことはないが、忘れているわけでは無論ない。
必要な時はむしろ着飾りもするし、無意識にでも表情や言動に柔らかさを漂わせているのをモブリットは知っている。特別性差を意識して生きてきたことがない、と昔本人が話していたのは、つまり、調査兵団を志望した時点で、周りは仲間か巨人か、死ぬか生きるかの方が遥かに重要な線引きだったからだとも言えるし、そもそも深く考えない性質だったからというのもあるだろう。
「……、んっ、ふ」
それでも今こうして、普段見せる姿からは想像も出来ないほど、頼りない声を上げているのは、間違いなくハンジの女の部分だ。モブリットの背にしがみつきながら、足の付け根で執拗に施される指での愛撫に唇を噛みしめている姿が艶めかしい。
「も、それいいから、モブリッ……んあ!」
剥き出しの喉に舌を這わせ、同時に筋張った中指で奥を弄れば、ハンジの身体がビクリと跳ねた。入口が蠢いて、モブリットの指を締め付けるのがわかる。
じわじわと広がっていく快楽に震えるハンジの背を片手で抱き締めながら、唇を喉から顎、顎からハンジの唇へと上げて口唇を割った。執拗に舌で隙間をなくす。
緩く刺激を続ける指に無意識に擦りつけるように腰を動かしたハンジを、モブリットは体重を掛けて、ベッドへと優しく押し倒した。


――ああは言っても、正直二度目があるとは思わなかった。


本当に記憶がないのかもわからない。あったとしたら、最低な経験を強いた男をどう思うのか、火を見るより明らかだろう。朝にどれだけ優しく抱き寄せたとしても、罪が消えてなくなるわけじゃない。
それでも、副官としてそれなりに優秀な自分を自覚している。だから、これからの行動でモブリットが間違いを犯さなければ、その距離だけは守れるかもしれない等と、卑小な願望を胸の内に根付かせていたのだ。
ハンジの態度に変化はなかった。忘れない、と言ったのは、一度は関係を持ちましたという程度の事と消化されたのかもしれない――そう思っていた頃のことだ。時期で言えばあれから二週間が経ったかどうか。
伝えそびれた連絡事項があった、とわざわざ一度別れた後でモブリットの部屋をノックしたハンジが、再度の別れ際「もうしないの?」と言った。一瞬訓練内容の一つかと思い、けれどもまさかと息を飲む。じっと返事を待つその視線に、モブリットはほとんど反射で「します」と言葉を発していた。

送ります、と上辺だけの言葉と共に少し先を行き、ついたハンジの部屋でドアを開けると、ほとんど同時に身体が動いた。「うおっ!?」とおよそ直前の声に似つかわしくない悲鳴も、変わらないハンジのもので、それすらも愛しくて、どうにかなりそうになる。部屋の中までキスで塞いで言葉を奪い、そのままもたれるように彼女を抱いた。
思えばそれが、あの日の始まりを正す良い機会だったのかもしれない。
自分の気持ちを素直に伝え、今度こそゆっくりとこの切欠を大切に、進めていく事も出来たはずだ。
けれども重ねた唇に、耳元で切なげに呼ばれた自分の名前に、ふと別の可能性が頭を過ぎった。
じゃあよろしくとハンジは言った。それはどういう意味だったのか、今更可能性を考えて、モブリットは立ち竦んでしまったのだ。
嫌われてはいないと知っている。生理的に受けつけないタイプではない実感もある。そうでなければ、こんな関係になる前から、それこそ何度も二人同じベッドで目覚めることはなかったはずだ。
だけど――だからこそ、男として意識されてもいなかったのだとモブリットは知っている。

ハンジにそんな素振りは一度もなかった。だから油断していたともいえる。彼女は自分の想いに気づかない。それでいい。毒気を抜かれる程の爛漫さで、思わず出してしまったフラグを片っ端からへし折ってくれると、そう思って甘えていた。
だからこそあの日、酒の勢いというのは勿論あっただろうが、それでも何故自分なんかとという思いを、モブリットは拭い去ることが出来ないでいた。まさか誰かと間違えたなんて――
ゾッとしない推測を頭の片隅に振り払う。そんなわけはない。きっとない。彼女はあの時――現に今だって――モブリットの名前を呼んでいるんだから。でも、だったらどうして――
「……ンジ、さん」
「ん――なに?モブリット」
くぐもる声で呼べば、擦り寄るようにハンジが答えた。自分の名前を紡いだ唇を確かめるようにそっとなぞる。ハンジがまた「どうしたの」と囁いて、甘やかすようにモブリットの指先を軽く啄んだ。
「――」
いいじゃないか。身代わりでも、同情からでも。
あの朝にスマートな関係の清算が出来なかった時点で、ひた隠しにしてきた想いはバレてしまっているのだから。
一時の同情でもないよりある方が全然いい。言葉にして失うのなら、今のままで。ハンジが求めてくれるなら、モブリットは全てを捧げる。今までと何も変わらない。ただ、捧げる範囲が物理的に広がっただけだ。
ハンジが終わりを告げるまで、出来うる限り優しくするとモブリットは心を決めた。
無理矢理奪ったあの日の泣き顔を瞼の裏で蓋をする。
今度こそ、あの夜を決して繰り返さない。
落とした瞼を覆う影に、心がじわりと浸食されていくようだったが、それにもモブリットは二重に蓋をしたのだった。


それから短くない期間を経ても、この関係は続いている。
職務中は何も変わらず尊敬する上司と部下で、雑談を交え気安い仲間で、熱中すると周りが見えなくなりがちな生き急ぐハンジを、モブリットがギリギリのところで連れ戻す。度が過ぎれば風呂に入れと焚き付けるし、ベッドへ無理矢理押し込むことも少なくない。その全てでモブリットは彼女に忠実な副官であり続けた。ハンジが一線を超えてもいいと許した時だけ、モブリットは彼女を抱く。
求められれば彼女の部屋で。部下から男の顔を覗かせて、それでも焦れる想いを見せすぎてハンジが引いてしまわないよう細心の注意を払いながら。
自室はひとつの砦でもあった。だから逢瀬はハンジの部屋でだけといつからか暗黙のルールのようになっていた。
一度、モブリットの部屋の方が近い場所で妙に昴ったことがあった。交わした視線でそうとわかり、「行こう」とハンジがモブリットの手を取った。けれども咄嗟に奪い返した手でハンジの部屋に向かった時から、ハンジは何かを察したらしい。それ以来「今日来る?」と聞くことはあっても、冗談混じりにすら「行っていい?」とは聞かれなくなって、モブリットは内心ひどく安堵したものだ。
与えられた自分の支配スペースで、その注意を払い続ける自信がない。
あの部屋は、傍にいるようになってからずっと、ハンジを想う自分を知っているのだから。
ハンジにその気のない送るだけの別れ際、風呂から出たばかりでびしょ濡れな髪を拭いている時、ベッドに押し込んだ寝顔を目にしておやすみなさいと告げる時――魔が差さないよう、モブリットがどれほどの努力を要しているのかを彼女は知らない。ずっと知ることはないだろう。それでいいとモブリットは思っている。
知られるとは、つまり、この関係が終わる時だということだ。


「あ、あ、ダメっ……ん!」
そっと様子を窺いつつ、増やした指で中を混ぜるとハンジがぎゅっと唇を噛んだ。
すっかり潤っているそこは、これでは足りないとぐずるように音を立てる。
もう痛がる様子はない。そのことにいつも安堵する。
切なげに眉を寄せて応えようとするハンジが、喘ぐ息に熱の行方を逃がしながら、モブリットの頭をぐしゃりと撫でた。そのまま頬までスライドさせて、唇の間に自身の指を挟みこむ。
「モブリット、もう――」
「……もう少し」
「っ」
口煩い小言はいえども基本追従の姿勢を崩さないモブリットは、ベッドの上では少し変わる。
ハンジの手をやんわりと流して、モブリットが頭を下げた。
胸の頂きを舐ると、ハンジが小さく声を零した。それから両の胸をやわやわと揉めば、鼻から抜ける息にも甘さが混じる。軽く歯を立てまた舌を這わす。ハンジの腰が跳ねたタイミングで、その隙間に腕を差し込む。口唇で甘く肌を滑り、ベルト跡に優しく口づけ、腰骨を辿り、足の付け根の少し上――そこまでひたりと舌で感触を確かめていく。
「ん、ぅっ」
小さなホクロの上を、痕がつくかつかないかの強さで何度も吸いつかれ、堪えようとしているらしいハンジの身体がびくりと揺れた。反応を窺うモブリットに、ハンジが濡れた視線でキッと睨み下ろしてくる。
ここにあるホクロの存在を、最初に見つけたのはモブリットだった。


「ここ」
「え?」
「ホクロあったんですね」
「あ、ほんとだ」
言われて初めて気づいたらしハンジがそう言ったのは、確か三度目の夜だった。
知らなかったんですかと言いながらそこへキスを落とす。それから軽く啄んだ。本人ですら気づいていなかった場所に、自分だけの跡を残したい。まるで子供のような独占欲から出た行為だった。
時間をかけて愛撫すると決めていたモブリットが、何度もそこに触れて、見つめて、啄んで。
なになに、ちょっとどうしたの、と笑っていたハンジが、舌をひたりと這わせた瞬間、耐えきれず出した声が意外なほど甘かった。自分でも驚いたようにばっと口を覆った彼女の視線が確かに欲を宿していて、それに気づいたモブリットに沸いたのはほとんど衝動に近かった。
ホクロに触れる。啄んで、それから舐めて、またキスをする。あれから、モブリットは必ずそこに唇を落とした。二人だけの秘密の行為の証のように。それが、じりじりとハンジの中を昂ぶらせていけばいいと思いながら。

最後にちゅ、と音を立ててモブリットは顔を離した。
たったこれだけの行為で息が上がっている自分に呆れるがどうしようもない。
ハンジの膝裏に手を差し込む。
「ん、待って、モブリット」
そのまま立てた太股に唇を寄せるとハンジが言った。
完全に解放してやらないせいで、左足だけを中途半端にモブリットの腕に乗せたような格好になりながらも上半身を持ち上げる。
「私もする」
「はい?」
「モブリットの。するから離し――ちょ、わ、」
言い終わらないうちに、モブリットはハンジの足を引いた。
バランスを崩されてハンジの身体がベッドに沈む。と同時に右足も担ぎ上げて、流れるようにモブリットは足の間に顔を埋めた。
「俺がしますから」
「え、待――、いいから……ッ!」
言葉を嫌うかのように直裁的な刺激を与えられて、溢れる声を押し止めようと、ハンジが口に拳をあてる。が間に合わない。肉厚な舌が熱いようで冷たくて、ハンジはぐっと唇を噛んだ。モブリットの鼻先が突起に触れて奥が痺れる。
口中の熱い息と滑る舌肉がぴちゃりと水音を立てて、それに聴覚すらビリリと痺れて背筋が跳ねた。

――モブリットはずるい。

刺激に蹂躙されながら、ハンジはぎゅっと目を閉じ、光景を瞼の裏に追いやった。身体が跳ねる。喉が鳴って涙が滲む。
もう何度こんな夜を過ごしただろう。
ハンジよりハンジの身体をモブリットは知っている。献身的に尽くされてるといってもいい行為に、ハンジはいつもこれでもかというほど蕩かされていた。
だから、これは贅沢だろうか。もっと、もっと。モブリットの本心が知りたいと手を伸ばすことは。


初めての夜は覚えていない。
ただ、酒宴の途中でマズイなと思った記憶は何となくある。いつかミケやリヴァイと話した会話がちらりと浮かんでしまい、それを振り払うように酒を飲んだのが仇になったということだろう。リヴァイと巨人の話をして、何とはなしに避けていたモブリットがそろそろ止めろと言いにきて――あの日、やけに彼も苛ついていたと思うのは気のせいだったのか、今ではよくわからない。
そんな部下に柄にもなく甘えた我が儘を言ったような気もする。呆れた彼が「はいはい」と適当に流すものだとどこかで高を括っていたのだ。いつものようにベッドに押し込まれて、絡む酔っ払いを上手くあしらって、翌朝小言を言われるのだと思っていた。いつもの彼ならそうしたはずだ。それがまさか。
熱くて痛くて、息が上がって、身体中が鼓動のようになっていた記憶がぼんやりと断片的にあるだけというのは、初めてにしては上出来だと思うことにした。覚えていなければなかった事と同じ事だ。
おそらく酒の勢いでやらかした行為に青褪めているだろう部下の負担にならないようにと、朝のベッドでへらりと笑ったハンジに、しかし彼はどこまでも誠実でいてくれた。
馬鹿だなあと思ったのが最初の素直な感想で、つけ込みそうな自分を自覚したのが次の正直な感想だ。
試すようによろしくと言えば、モブリットが戸惑うようにキスをした。


「ア、――ッ!」
爪先から駆け抜けた刺激にハンジが身体をしならせる。モブリットがようやくそこから顔を上げた。
ぐいと濡れた唇を拭う。目はハンジを捉えていた。その視線にぞくりとして、ハンジはモブリットに腕を伸ばした。ギシリとベッドの軋む音と同時に自分の体も沈む。重心を預けてきたモブリットがハンジの唇をそっと割った。
「ハンジさん」
「……ん、いいから、きてよ」
差し込まれた舌の合間で名前を呼ばれる。
キスもずるい。こんな時ばかり甘えるように強引な動きで強請るなんて。聞かなくても欲しいことくらい知ってるくせに。そうさせたのはモブリットで、こんな欲をハンジに教え込んだのもモブリット以外にないというのに。
手を添えられて開いた身体に、モブリットが先端をあてた。お互いもう欲しくてたまらないところまできているとわかる。それでも毎回のように伺いをたてようとするのはモブリットの癖なのだろうか。
モブリットがハンジを抱き、腰を打ちつけ、上も下も、彼で隙間がなくなっていく。

(やっぱり――……)

モブリットはずるい。
いつもいつも。ハンジに快感をくれるのに、ハンジに返させてはくれないのだから。
反らした喉にかみつかれながら絶頂を迎えて、白みそうな思考の中で、ハンジはいつも思うことを今日も思ってしまったのだった。


******


「モブリットってさー」
「ほら、ちゃんと肩まで布団上げてくださいって。風邪引きますよ」

そろそろと支度を済ませた背中に声を掛けられて振り向くと、整えたシーツの上でプラプラと右腕を出して遊ばせているハンジを見つけてしまった。ベルトこそ装着していないものの、時間外に上官の部屋を訪ねるのに失礼のない程度のラフさでシャツをズボンの上に出したモブリットが、眉を顰める。
汗をかいたのだから、今は良くてもすぐに冷えてしまうというのに。寝間着すら面倒くさいよと言っていたハンジに押しつけてようやく着せたと安堵も束の間、まったく心配の種が尽きない。
しかしハンジはモブリットの言葉などまるで聞こえていないかのように、さらに左腕も出してごろんと俯せになった。まさかそのまま転落するつもりじゃないだろうな。
ベッドに歩み寄り、ぷらりと遊ばせている腕をとると、ハンジは存外大人しく枕に頭を沈ませた。

「風邪引くって言ってるじゃないですか」

けれども入れようとした手は、布団の端を掴んで抵抗を示されて、モブリットはまったくもうと息をついた。その表情とは裏腹に優しい手つきで指に触れ、「ハンジさん」と名前を呼ぶ――と、逆に指先を掴まれた。

「ハンジさん?」
「モブリットってさ、されるの嫌なの?」
「――は?」
「口でされるの嫌な人? 気持ちよくない? それとも私が下手だから嫌とか?」

矢継ぎ早にそう聞かれ、モブリットはぱちくりと目を瞬いた。何の話かと頭の中で反芻して、それが先程の行為の話だと理解する。思わずといった風に開いてしまった口を、ハンジに掴まれていない方の手で押さえると、モブリットは深々と息を吐き出した。
何を言い出すのかと思ったら。
寄せてしまった眉間の皺をじっと見つめていたハンジが、ごめんねと苦笑する。謝罪の意味はよくわからない。

「本当に嫌ならもうしないから。ごめんね」
「いえ、別に嫌なわけでは――」

違う。そういうわけじゃない。
言い掛けて、モブリットは口を噤んだ。まさかしてくださいと大手を振って言えるわけがない感情を、どうすればいいのか、伝え方がわからなくなる。
これまでにも行為の最中、ハンジがしようかと言ってくれたことはあった。その都度触れる以外をやんわりとかわしてきたのは、単にモブリットの忍耐力の問題なのだ。
巧い下手の話ではなく、有り体にいえばもたない。
なけなしの理性が、ただでさえ薄氷の上を手探りで歩いているというのに、そんなことをされたら簡単に振り切れる。だから困る。それが理由だ。

初めて口に含まれたとき、視覚と感覚の暴力だなと実感した。伏せがちの睫毛がハンジの頬に影を落としている様も、おそるおそるといった風に支える手つきも、合間の息づかいも何もかも。前に落ちた髪をかき上げて唇をあてがったまま、不安と期待で見上げられる快感といったらない。
ぎこちない舌の動きがモブリットの独占欲を助長させているなどと考えもしないハンジの懸命さに、強欲な自分を思い知らされて、モブリットは自分を嫌悪した。
ただでさえ最初の夜を失敗している。
これ以上挽回出来ない失態を犯してなるものか。
自分の欲でハンジを傷つけることだけは、絶対にしたくなかった。

ハンジが眉を下げて苦笑した。

「――わかった! じゃあ練習してビックリするくらい巧く出来るようになっとくから、気が向いたら教えて!」
「れ、練習?」
「うん」

行為に馴染まない単語に、モブリットは目を白黒させてしまった。へへっと笑ったハンジが、するりと絡んだ指を抜いて、シーツを胸元まで上げる。

「ハンジさ」
「おやすみ、モブリット。また明日よろしくね」

モブリットは目を開けないハンジにおやすみなさいと告げて、彼女の部屋を後にした。
自室に戻り、後ろ手にドアを閉めると、急激に足の力が抜けた。まるで夢遊病患者のように前へ進んだ足が、ベッドマットに当たって、そのまま前に身体が揺れる。

「何やってるんだ……」

重力に任せてベッドに突っ伏した頭が、枕ではない箇所に落ちて声がくぐもる。
そのままずりずりと顔をスライドさせて、粗いシーツを擦りながらで仰向けになり、モブリットは重たい腕を瞼に乗せた。起床時間までまだ少しある。窓の外は薄くなった帳の中に星が主張して見えるはずだ。けれどもそれを見る気にもなれずに、モブリットは深く息を飲み込んだ。

言えない言葉を飲み込むのは、今日に限ったことではなかった。
好きな女にしてあげようかと言われて反応しないわけがない。無理矢理どうしてもとまでは思わないが、行為の一環としてなら正直してもらいたいのが、男としての本音でもある。あの人が自分のモノに触れると考えるだけで、馬鹿みたいに熱が集中しそうになるのだから、歳ではなく、意外に若いなと内心で揶揄できるほどだ。

「…………」

雰囲気に飲まれてしまうことは簡単だ。
熱く昴った気持ちのまま求め合うなら、もっとずっとモブリットは簡単に自身を明け渡してしまっただろう。

「好奇心、なら、」

ぽつりと呟いた声があまりに心許なく部屋に響いて、モブリットは自嘲気味に鼻を鳴らした。
単なる好奇心からくる行為ならその方がマシだと思う自分が悉く本音で、情けなくて泣きたくなる。
モブリットの反応がみたい、だとか、練習してみたい、だとか。
他人がいえば嘘でしょうと閉口してしまいそうな理由でも、相手がハンジならあり得てしまう気がするのだ。もっといえば、そこに自分へ向けられる感情のベクトルがないのなら、いっそその方が楽だと思う。
けれど、言葉を飲み込んでしまったモブリットに向けられたハンジの苦笑を思い浮かべて、モブリットは苛立たしげに眉を寄せた。
困ったような、諦めたような――それでいて優しく遠慮しているような――

「……クソ」

この関係に名前を付けていいのなら、おそらく「恋人」になるのだろう。身体だけと割り切るには、お互いを意識しすぎている。けれどそう思っているのは自分の方だけで、本当は、ハンジが手綱を放さないでくれるから成り立っているのだとも薄々モブリットは感じている。
肌を重ねれば重ねるほど、二人の間に透明な膜が張りだしていく。
仕事中はそんなことはまったくない。そんな余裕がないともいえるし、敢えて互いに切り離しているともいえる。特にハンジは、プレイベートとあやふやな時間に入った時も、モブリットを誘うその瞬間まで、欠片すらも滲ませるような事はない。

終わりにすべきなんだろう。
こんな不適切な関係は。

いや、終わりというほど明確な積み上げもないのだから、元に戻すというべきか。
二人の間に目に見えない繋がりだけがあった日々に戻せばいい。それだけの話だ。
誰も知らないハンジの吐息も、肌のぬくもりも、モブリットだけが知っている彼女の場所も、すべて記憶に蓋をして、感情を兵士で上書きすればいいだけだ。たぶん出来る。それが命令なのだとしたら。

「……」

それでも、自分から言い出すことの出来ない浅はかな欲望のチラつく頭が、ズキズキと痛みだしてきた。抱いたあとはいつもこうだ。胸が詰まって息が苦しい。そう思うのに、ハンジの声が、体温が、すぐそこにあった時間がまざまざとモブリットの五感を揺さぶり、脆すぎる理性を鼻で笑ってしまいそうになる。
いっそ嫌ってくれたらいいのに。
蔑んで、見るのも嫌だと嫌悪を露わにしてくれたなら、無様に縋って、捨てられる事を望めるのに。

「……最低だ」

無意識に噛み締めていた奥歯の隙間から絞り出した声が、耳の奥に木霊して、頭痛が更に増した気がする。
もう寝間着に着替える気力すらわかない。
これじゃあハンジのことを言えやしない。
明日は少し早めに起きて、風呂に入ろう。そうすれば頭も少しはスッキリするはずだ。
モブリットはまだ遠い明日に希望をこめて、重い瞼をそっとおろした。