モノクロショコラが融ける前D 班毎の立体機動訓練を終えて、エルヴィンへの定時報告に向かいながら、ハンジはミケとリヴァイに挟まれる形で廊下を歩いていた。 この並びに若干の違和感を覚えたのは、共に向かうことになって比較的すぐのことだった。 背の順で言えばそうだろうが、大抵はそれぞれが単独で向かうか、途中で合流して何とはなしに会話をしながら進むことの多い執務室までの道のりを、今日は何故かミケの方から「一緒にどうだ」と誘われた時に、おかしいと思うべきだったかもしれない。 途中出くわしたリヴァイが何も言わず、廊下の端を歩いていたハンジの側に立ち位置を決めた時、(――あ、これ詰んだな)と思った直感は多分正しい。 「死んだようなツラしてんじゃねえぞ」 案の定、突然の言いがかりをつけてきたリヴァイに、ハンジは軽く笑ってみせた。 「ご挨拶だな。昨日はよく眠れた方だよ」 「睡眠時間の話じゃねえよ」 「死相でも出てた?」 「ハンジ、縁起でもないことを言うな」 相変わらずストレートなリヴァイの物言いで昨日の妙な寝心地の悪さを思い出し、誤魔化すように軽口で答えたハンジへ、ミケが静かに窘めた。軽率に死を出していいことでないとわかってはいる。 それきり何も言わないミケの無言の責めに耐えきれず、ハンジは左隣のリヴァイを肘でドンとどついた。 「……ほら見ろ。リヴァイのせいでミケに怒られちゃったじゃないか!」 「俺のせいか」 「リヴァイのせいだろ」 呆れたように肩を竦めて、けれどやり返してこないリヴァイの態度も面白くない。いっそブレードを抜きたくなるまでどつき転がしてやろうかと思いながら剣呑に瞳を細めたところで、逆隣からミケが「ハンジ」と呼んだ。 首を上げてミケを見る。 「大丈夫か」 「……平気だよ? だから本当に快眠なんだって」 何に、とは言われないのをいいことに、会話が続いているふりをする。穏やかな視線の中、物言いたげな色を湛えたミケに内心でゴメンと呟いて、ハンジはおどけて肩を竦めてみせた。 睡眠はしっかり取っているのだ。 実験、書類仕事、立体機動訓練、その他雑務に食事もとって、昨日は寝る前にそれこそ軽いとは呼べない運動もあった―― おやすみなさい、と掛けられた布団の中で悶々と考えながら、それでも甘さの残る気怠さと息苦しさで、瞼は勝手に落ちてしまった。寝入りと寝覚めの善し悪しを考えなければ、睡眠時間は良好だ。 これを狙っていたのだとしたら、本当になんて勤勉な部下だろうとすら思う。 掌で転がされたことになるなと考えて、ハンジはくっと小さく咽喉を鳴らした。 何事もなかった顔の彼と何事もなかった顔をして「おはようございます、分隊長」「おはよう、モブリット」と研究室で朝の挨拶を交わしたのは、たった数時間前の話だ。 「よく眠れた奴の顔じゃないけどな」 「何それ。快眠快便だったけど」 「お前のクソ事情なんか聞いてねえ」 リヴァイの言葉にひとしきり笑ったハンジがふと息を吐き、それからほんの一瞬無意識によぎらせてしまった憂う表情に、珍しく口火を切ったのはミケだった。 「あいつと上手くいったんじゃなかったのか」 「んー? 誰? ああ、新しい被験体の子――」 「誤魔化すな」 またぞろ笑いかけたハンジを遮って言ったのはリヴァイだ。 左隣を見下ろそうとしたところで、リヴァイから届かない肩を二の腕に寄せられ、筋肉質な固さから逃げようと右に避ける。が、右隣のミケはハンジを避けず、逆にぐっと肩を寄せられて、同様の筋肉質な両壁に挟まれる形になってしまった。 「は? 何。別に何も誤魔化してなんか――って、ちょ、痛いんだけど、何これイジメ?」 「ハンジ」 「クソメガネ」 「な、なに――……」 両方から呼ばれた顔を見上げ、見下ろし、ハンジはぐっと言葉に詰まった。長い付き合いだからこそわかる感情を正確に読みとって、観念して頭を抱える。ボリボリとそのまま掻き毟った。 眉間の皺を深くして僅かに押しつける力を弱めたリヴァイが、ちっと舌打ちをして自分の肩の辺りを払う。 何だよ、昨日の今日だ、汚くないぞ、と心の中で毒づいて、けれどもまだ逃がすまいとするかのように挟んでくる二人へと、ハンジは廊下の真ん中で声を荒げた。 「……あーあーあーっ。立体機動並にどこかで連携訓練でもしてるのか!? 今酒入ってないだろあなた達!」 「……」 「……」 前に一緒に飲んだのは、もうしばらく前のことだ。 気にかけられているのは知っていたが、まさかこういう手段で来るとは。ハンジの糾弾にもまるで動じず、ぎっちりと両脇を固められて、ハンジは、はあっと溜息を吐いた。 これ以上ゴネてもきっと解放はないだろう。 だけど、二人の望む答えも特にないというのに。 自嘲気味に唇を吊り上げて、ハンジは肩の力を抜いた。 それに呼応するように、二人も緩やかに距離を取る。ゆっくりと歩みを再開しながら、ハンジは仕方なしに口を開いた。 「上手くも何も、……何もないんだって。わかるんじゃないの」 何もないから、どうしようもないんじゃないかと内心で付け足す。 けれど、リヴァイが心底わからないというように眉を寄せて、ハンジを見上げた。 「あ? 何で寝てて何もなくなる」 「ね――」 「スン」 「嗅ーぐーな!」 どこまで知ってるんだこいつらは。 当然のように事実を突きつけてきたリヴァイと、顔を近づけて鼻を鳴らしたミケが、「そこじゃない」といった風に二人で顔を見合わせている。 モブリットとどうなったか、という即物的な興味の次が、二人の今日の焦点らしいと悟って、ハンジががくりとうなだれた。ミケの嗅覚を侮っていた。いや、侮っていたわけではないが、まさかそれを盾に攻めてくるとは思っていなかっただけだ。実際彼が仲間を大切にする情に厚い男だということはわかっていた。リヴァイもそうだ。だが――。 身体は繋げた、そうか、なるほど、で終わってくれよと言いたくなる。が、そう簡単に切り上げさせてくれなさそうな雰囲気に、ハンジはくそっと小さく毒づいた。 「……あなた達と話すのは嫌だ」 「そらご挨拶だな」 「傷ついた」 「嘘言えよ」 それに、どうしてこんな連携までばっちりなのか。 普段そんなに二人で一緒にいるわけではない男二人を半眼で睨むが、まるで動じず自分を見つめる四つの視線に、ハンジは肩で息を吐いた。リヴァイが、今更仕返しのように、ハンジの腕を肘でどつく。 「何だ、フラれたのか」 「おいクソチビ。もぐぞ」 「あ?」 「あ?」 そうだとしても多少は言い方を考えろ。 思わず言い返せばメンチを切られて、上からメンチを切り返す。 ゴリ、と額を合わせて引かない二人に、ミケがその首根っこを軽く引いた。 「やめろ、リヴァイ。ハンジも」 「だってお父さん、このチビが!」 「てめえ」 なおも言い募ってやろうとしたところで、 「……モブリットを呼ぶぞ」 「…………」 ミケが静かに出した名前に、ハンジは無意識に口ごもってしまった。 あからさまな態度をとった。失態だ。なんってことだ。 リヴァイからもじっと半眼で様子を窺うように見上げられて、ハンジは目まぐるしく頭を回転させる。 このままでは分が悪い。いっそこのまま無言を通して、エルヴィンの元に行ってしまうのも手なんじゃないのか。 ハンジがそこに思い至ったタイミングで、リヴァイが剣呑にミケを見上げた。 「ちっ、呼ぶか。おいミケ、モブリットは今どこに――」 「な、――っっっんで、そこで彼が出てくるんだよ!」 どうなってるんだ。何でモブリットを呼ばなきゃいけない。 そんなことをしても、困るのはハンジよりも彼の方だ。 バカじゃないのと声を荒げてみせれば、また息の合った二人が同時に肩を竦めて眉を上げた。 「お前達二人の話をしていたからだろう」 「他に誰を呼ぶつもりだお前は」 当然の顔でそう言われて、ハンジはパクパクと口を開き、それからすっと前を向いた。 「……してないよ。モブリットは関係ないだろ」 そうだ。彼は関係ない。こんな茶番に付き合わせたら可哀想だ。 ただでさえ、せっかくの睡眠時間を削らせて付き合わせてしまった翌日だ。彼には彼の時間を過ごす権利がある。 これ以上、面倒な上官に絡まれたのでは、あまりに彼が可哀想だ。 (何だよ、何を答えればいい) やけっぱちな気持ちがムクムクと沸き起こってきて、ハンジはふんと鼻を鳴らして腕を組んだ。 彼とは寝てる。匂いでわかっているだろうからそれで終わりじゃ駄目なのか。他にどんな答えを期待している。 愛だ恋だと言う浮ついた話が聞きたいのなら、新兵あたりを掴まえて井戸端会議に持ち込んだ方が有益だと、ハンジは内心だけで皮肉った。 自分達では、そこから余りにかけ離れているのだから。 始まりは単純――酒に酔った勢いで、よく聞くバカな話もあったものだと本当に思う。 モブリットと二人きりになるところで飲みたくなんて本当はなかった。 でもあの日は、いつもの飲み会だった。たまたま、彼が部屋まで連れていってくれただけで。 何でか少し強引だった気もするけれど、詳しいことをハンジは本当に覚えていない。 巨人の話をリヴァイにしていた。返事がないから不思議に思い、随分小さく見えるリヴァイを摘んだり叩いたりしていた辺りから、記憶は曖昧になっている。やけに大人しく弄べるリヴァイに、いい加減何か言えよと持ち上げたら、いつの間にかリヴァイがナッツに変わっていた。だいぶ酔っていたのだろう。不思議に思うより、まあいいかと食べようとしたナッツを、モブリットが食べてしまった――そういえばいつから彼はそこにいたんだろう。少し不機嫌だったような気がする。飲み過ぎだと言われて、その距離が近いなと思った気もする。 ――目が覚めたら素っ裸で隣にいたのが彼だった。 覚えてない行為の跡だけ残った上官を隣に見つけて、モブリットは悲壮な顔をしていたと思う。 さすがにマジマジと見る勇気は持てなかった。巨人を前にする時とは正反対だと笑えばいい。 腰と奥がじくりと痛みを訴えて、自分と彼が何をしたのかはさすがにわかった。 けれど、それより――それより、何だか色々痛かった。 そこからずるずる続けてる。 モブリットから誘われることは決してないが、誘えば彼は断らない。 それが全てで、それで終わりだ。 他に何もない。上官と部下の関係は今も至って良好だ。 「関係なくはねえだろ」 「関係ないね」 「ハンジ」 「関係ない」 言い切れば、二人はしばし沈黙して出方を窺う気配に変わった。 これでやっとお開きかと安堵に息を吐きかけて、何故だか盛大に眉を顰めたリヴァイが、怪訝そうな顔でハンジを見上げてきた。 「……本当にフラれたのか」 「だからいい加減言葉選べよ?」 「あ?」 「あ?」 「やめろ」 呆れた声で言うミケに再び止められて前に向き直る。 しかし両隣からの無言は、リヴァイの問いかけに対する回答を待っているらしかった。 ハンジは諦めたように深い息と共に言葉を吐いた。 「……フラれてないよ。始まってもいない。本当に」 寝てるだけ、なんて比較的どこにでも転がっている話じゃないか。 物言いたげな視線を向けてくるミケにおどけたように片眉を上げる。と、リヴァイが「おい」とハンジを呼んだ。そちらを見ると、少し驚いてしまったほどに不機嫌な皺が眉間に深く増えていた。 「何。リヴァイ、眉間が氾濫起こしそうだよ」 ぐり、っと人差し指で押してみると盛大にその手を払われる。 「お前ら、夜な夜な何やってんだ」 「夜な夜なナニやってんだよ馬鹿か」 「てめえが言葉選べ馬鹿が」 「馬鹿って言った方が馬鹿だね。馬鹿。バーカ。バーーーカ!」 通りすがった兵士がぎょっとした顔で足早に通り過ぎていく。 言われたリヴァイは、しかし舌打ちをしただけで、それ以上ふっかけてはこなかった。気概を削がれたハンジは、ふんっと顔を背けるだけになってしまう。その先でミケと目が合い、何とはなしにそれも逸らせば、もう前を向くしかない。 しばらく無言で廊下を歩く。 リヴァイが何度かこちらを見遣る気配を感じたが、直接言ってこないところを見ると、どうやら自分にではなく、ミケに合図でも送っていたらしい。 おかしな咳払いで弾みをつけて、ミケがおもむろに口を開いた。 「……で、ナニ……何、をしたいんだハンジは」 矛先を変えてきたな、とハンジは思った。 どうなったんだという結果ではなく、これからの方に焦点をずらしたようだ。 こういう切り口は、口の悪い割に素直なリヴァイでは確かに少し荷が重い。 ハンジは苦笑を言葉に乗せた。 「……ふっ。そうだなあ。終わらせてあげるべきだよなあって」 「望んでるのか」 主語のないミケの質問にこくりと頷く。 「それしかないだろ」 「なぜ」 「可哀想なほど真面目なんだよあの子。わかってたことだけど」 だから、見てるこっちが辛くなるんだ。 身勝手だってわかっているけど。 胸中でそう付け足していると、リヴァイが小さく首を振った。 「誠実で何よりじゃねえか」 「弄ばれた方がマシ、っていうこともあるんだよリヴァイ君?」 「いっちょまえの台詞言ってんじゃねえぞクソメガネ」 「あ?」 「あ?」 「やめろ」 廊下の真ん中で、またぞろ額を打ち合わせた二人を、すかさずミケが引き離す。だってお父さん、と抗議してやろうかとミケを見て、しかしハンジは困ったような表情で見つめてくる優しげな彼の視線に眦を下げた。 本当に、出来の悪い娘を持つ父親みたいな顔をしている。鼻で人の関係を見透かすおかしな特技を持ってしまっているばかりに、とんだ貧乏くじを引いたようだ。 背の高い友人の肩を労るようにぽんと叩いて、ハンジはくすりと笑った。 「いっそ性欲処理の相手くらいに思ってくれれば楽だろうにね」 「……それでお前は――……いや、モブリットはそういうタイプじゃないだろう」 モブリットのことも、よく見ているなと感心する。 彼と同じ班になったことはないはずだが、モブリットのにじみ出る誠実さからか、それともハンジの生活を言葉通り支える影の立役者と異名を馳せているからなのか。その辺りは判然としないが、その評価にはハンジも概ね同意するところだ。 モブリットが、たとえば性欲処理の相手を探していたとして。 それでも彼は絶対に、ハンジをその相手には選ばなかったはずだから。 「そうだね。まして私は上官だ」 「お前が部下でも変わったとは思えねえがな」 「変わってたよきっと」 「あ?」 ようやく会話に加わったリヴァイの言葉を、ハンジは思わず嗤って即答する。 「ちゃんと断れていたと思う」 上官だから――少なくとも自分は、彼の尊敬する上官ではあったはずだから。 可哀想に。気遣わせてしまったのだと後悔しても、もう戻る道が狭すぎた。他に横道はないかと探っていたが、そろそろどうにもならないのだと自覚せざるを得ないところにきていると思う。 元の道に戻るには、一度狭い道に戻り、捩じ込み、体中を自業自得だと擦ってぶつけて、青痣くらい作らなければ。 「……オイ」 何かを言われるより早く、ハンジはぶんっと両手をあげて頭の後ろに組んだ。 「あー! もー! 面倒臭いなあ! 面倒臭い! ねえ!?」 「面倒ってお前」 「ヤッた責任みたいなさあ! いらないよそんなもん。ヤリたい時にヤレばいいじゃん。ヤリたくないなら断ればいいんだ最初から。それを何だよ、馬鹿みたいに! ヤってもヤラなくても別に私は変わらないよ。大切なものは譲れない。必要だから手放してやらない。やるもんか。でも――」 最後の曲がり角を曲がれば、突き当たりはエルヴィンの待つ執務室だ。 頭をガシガシと掻いてみても、昨日風呂に入ったばかりの髪は、跡を残すこともなく、すとんと元の位置に戻る。 汗で張り付く髪を耳に流して、それを追うように頬に、瞼に唇を落とすモブリットが思い出されて、ハンジはパンッと両頬を張った。 「ハンジ」 「ヤルヤル言ってんな。痴女か」 「……だって、なんかさ……!」 揶揄するリヴァイの言葉にはもう答えない。 「……」 「……」 はあ、と知らず息を吐いたハンジの言葉を、二人は黙って待っている。 あの朝から実は気づいていたことがある。それを口にするまで、短くない時間が過ぎた。 ハンジは自嘲気味に口角を上げた。 「クッソ辛そうな顔するからさあ」 そうだ。それが結局のところ、ハンジに痛みを与え続ける原因なのだ。 最初の朝は青ざめて見えた。前に三人で飲んだあの時、もしそうなったらと仮定して想像したのとそう違わない表情だと言っていい。 あの朝に、きっと自分は選択を間違えたのだろう。 なかったことにしようという提案に、忘れませんと言ってくれた言葉を都合良く受け取って、次を強引に約束させて。それでも訪れる気配のない『次』をなかったことにすれば良かった。 どうしてあんな誘い方をしてしまったのか、自分でもよくわからない。 周りに誰もいなかったから。何となく。いや――本当は嘘だ。わかっている。試したのだ、モブリットを。本心がわからないのに聞くのを躊躇ったまま、あざとい態度で挑発した。そうすれば言質を取られているモブリットは、応じるはずだとどこかで自分は確信していた。 小さく吐き出したハンジに、リヴァイとミケはしばらく言葉を探しているようだった。 短くない沈黙の後で、ミケが穏やかな口調を向ける。 「ちゃんと二人で話したらどうだ」 「はは、何を」 「始まってもいねえなら、終わるわけねえだろ」 リヴァイの言い方は相変わらずぶっきらぼうだが、心なし声音が柔らかい気がする。 ここでまで気遣われたら泣きそうだ。 ハンジはふっと笑い、こみ上げてきそうな感情を逃がした。 「……ナニは始まってるけどね」 「チッ。それも話せクソメガネ」 実験も書類仕事も、陣形や器具の考案や、やるべきことはまだまだあるのに。 それでも本当に、そろそろきちんとしなければと思ってはいる。 彼の為にも自分の為にも。 「あー……本当、面倒臭いなあ……」 二人の友の気遣いに苦笑で呟いた時だった。 「分隊長」 ハンジを呼ぶ声に三人同時に振り返ると、モブリットが僅かに肩で息を切らせてこちらにやってくるのが見えた。 「モブリット。あれ、何かあった?」 たった今まで話の中心にあった人物の登場にもまるで臆することなく、ハンジがすっと前に出る。 これまでの会話を知る由もなければ、間に何があると邪推することもない二人の関係は完璧に見えた。 「すみません、先程の資料に一枚抜けがありまして……ケイジへ閲覧許可を出していたのを失念していました。こちらです」 「そういえばそんな話をしてたな。私も忘れてたよ。助かった」 「いいえ」 労いにふっと表情を緩めたモブリットは、ハンジと視線が合う寸前で、副長の顔に戻る。 目が合って、そんな彼にほんの僅かともよべない時間に、苦いものを過ぎらせたハンジも、すぐに気の置けない仲間へ浮かべる笑みになった。 そうして作られたまるで変わることのない分隊長と副長の図は、見ていて尻がむず痒くなる。 「どう思う」 少し距離の出来た廊下で二人のやり取りを見つめていたミケが言った。 「どうもクソもねえ。あんだけ互いを意識してたら、そりゃあ面倒臭くもなるだろうよ」 互いの立場やら気持ちやらをいちいち慮るような殊勝な二人ではなかったくせに、だ。 笑顔すら素直に向けられないで、それでも距離を取りきることも出来ないというのは大変だな、と心底思う。 リヴァイの見解にミケはスン、と鼻を鳴らして、僅かに首を傾げた。 「モブリットはもう少し器用な男だと思っていたがな」 「器用すぎる奴は不器用な奴より面倒臭え」 「違いない」 だからおかしなところで不器用にすれ違った糸を思い切り絡ませるようなことになりすぎているのだ。 ありがとうと礼を言ったハンジが軽く手を振って、こちらに戻る。その後ろでミケとリヴァイへ目顔で会釈したモブリットに頷いて、三人はエルヴィンの執務室をノックした。 |