リトルハンジの考察 イテ、と言って立ち止まった分隊長のすぐ後ろで、モブリットも立ち止まる。 生真面目な口調でどうしましたと聞きながら、振り返った分隊長が目を擦ろうと上げ掛けた手を止めさせた。 「ゴミが」 「睫じゃないんですか、上向いてくださ――顔じゃなくて目だけ!」 言いながら両手で頬を押さえて覗き込む。チクチクする、と目を瞬かせながら、おとなしく下ろした手でモブリットのジャケットの裾を掴む分隊長は、おそらく視界の悪さ故のバランスを取っているつもりだろう。 が、会話も聞こえず遠目に見たら、完全にキス待ち5秒前の二人にしか見えない。 「……また」 「気にするな。気にしたら負けだ」 ハンジ班に宛がわれた実験室内で繰り広げられているいつもの光景に、隣のニファがすっと目を細めて上官二人の方を見やった。言いたいことはわかっている。俺は手元の顕微鏡に視線を戻した。 「ねえ、ずっと気になってるんだけど」 「俺は何も見ていない」 「分隊長と副長って付き合ってるの?」 「見てないって言ってるだろ――聞けよ話を」 「あれ近すぎるよね?」 「……距離感おかしい上官と部下だ」 誰もが一度は思う疑問を衒いもなく口にされて、俺はにべもなくそう答えた。他班の人間に聞かれてもするりと口をつくようになった、いわば模範解答だ。 取れましたよ、と言いながら片手を頬に添えたままの副長も、うおっ何これこんなの入ってたの?と言いながら示された指ごと掴んで話している分隊長も、表情は至って真面目に見えるのだから、そう言ってしまえば「ああ、ハンジ班だから」で大抵は納得してくれる。だが、良くも悪くも知的好奇心に溢れた分隊長大好きリトルハンジ・ニファには通じてくれないようだった。 「付き合ってないの? アレで?」 何事もなかったかのように次の実験指示を出しながら部屋を出て行った二人を見送りながら、そのままの視線でさらに食い込んでくるのだからたまらない。 「少なくとも当人達にそのつもりはないんだよ」 あってやってたら砂吐くだろうが。 二人の消えた室内でようやく人心地つきながら、俺は苦笑して顕微鏡から顔を上げた。 くりくりとした大きな目で穴が開くほど二人の出て行った扉を見つめていたニファが、疑問と不満を存分に湛えた瞳を俺に向ける。 「本当に? いくら実験の話が止まらなかったからって、あんなに頻繁に朝まで自室で二人っきりでいたりするのに? 一昨日副長の部屋から飛び出してきた分隊長、完全に副長のシャツ引っ掛けて出てきてたのに?」 「……よく見てるなお前」 珍しく分隊長がグレーのシャツを着ていたあの日か。 いやでもカラー自体はどうってことのない私服と支給品のよくあるそれで、ニファが何を思ってモブリットのだと断定したのかわからない。 そもそも徹夜も辞さずの勢いで語り始める分隊長を、最後まで面倒見きれるのは兵団広しといえど、モブリットくらいなのだから、どんな時間に部屋から二人が現れたとして、今や驚くこともそうない話だ。 が、シャツはないか――いや、どうだ……? いや、どう……あり、いや、ないか……? 「間違いないよ。前日私がぶつかって付けたインクの染みが同じ場所についてた」 どうにか理由をこじつけようと考えていたら、弁解のしようがない証拠を突きつけられてしまった。浮気は些細なことで見抜かれるとはよく言ったものだが、こんなに小さくても女って怖い。 ここと、ここだよ、と染みのあったらしい箇所を指でトントンと示されても、俺の記憶にはあの日のシャツなど朧気だ。 そもそも何らかの事情で本当にそれがモブリットのシャツだったとして、そこは敢えて見て見ぬふりが大人の対応というやつだ。しっかりと腕を組み替え唸り始めたニファにそう諭すつもりで、俺は眼鏡のブリッジを持ち上げた。 「……おい、ニファ。そこは各々大人の事情ってもんがだな」 「体の為にベルトを外すのはまだ理解できるけど、普通シャツまで脱がないと思うし、百歩譲って暑くなったから脱いだとして、椅子とか自分の近くに置くだろうから普通着るとき間違えないし、間違えたってことはものすごく近くに副長のシャツも脱いであったってことになるんじゃないかって」 「……」 リトルハンジが止まらない。 おいちょっと、誰か助けて、この子怖い。 そもそも若手随一の発想力と冷静で的確な判断力が分隊長のお気に入りなニファの観察眼は異常に鋭い。加えて若さ故か――そもそもの性格か、探求心に貪欲な性格が誰もが思っていても口にしないグレーゾーンに果敢に突っ込んでくる爆弾娘としての側面もある。 「そもそも副長が普通に仕事しててシャツ脱ぐ? ってことがまず引っ掛かるんだよね。そういう軽率なことしないでしょ。少なくとも私やペトラの前じゃしないと思う。分隊長の前だから? 夜だし気が緩んだ? それってやっぱり」 真実を追求するのがハンジ班にに課せられた役割だと重々承知しているが、追求しないでやる優しさがお前にはないのか。 巨人に関してアクティブさを発揮する分隊長と、分隊長に関する事柄にアクティブさを発揮するニファは似ている――というのはケイジの言だが、全くその通りだと思う。ついでに言わせてもらうなら、その分隊長に献身を超えた感情で接しているように見えるモブリットと、口を開けば「分隊長が分隊長で分隊長の」とキラキラしているニファを目で追いそんな分析をしているケイジも、よく似ていると思っているが。 「ねえ、ちょっと聞いてる?」 よく似た相似組に思いを馳せていた俺は、横手から憤然と掛けられた声に我に返った。報われない仲間の悲哀について思考を奪われていた俺を、ニファが眉を寄せて覗き込んでいるところだった。 「悪い。何だって?」 「だから副長って分隊長と――」 「そんなに気になるなら、あの人らに直接聞けるか?」 二人なら、新しい捕獲機の改良について昨日班内でまとめた報告書をエルヴィン団長の元へ提出しに行ったはずだから、しばらくすれば戻ってくる。分隊長はそのまま幹部会に出る可能性もあるが、モブリットは俺達の様子見もかねて、一足先に戻ってくるだろうと予想は出来ていた。 さっきからやけに二人の関係に食い込んでくるニファに若干の呆れを込めて素気無く返せば、一瞬驚いたように彼女の目が丸くなった。――少し、つっけんどんに言い過ぎた、か? 「あー……悪い、ニファ、」 「――なるほど」 フォローし掛けた俺の前で、ニファが真顔でパンと両手を軽く合わせた。あ、これはマズい。 「それもそうよね、行ってくる」 「ニファ待て、冗談だ!」 大人の暗部に嬉々として頭を突っ込もうと立ち上がったニファの腕を、俺はがっしりと掴んで止めた。 「コーヒー淹れてやるからとりあえず落ち着け」 怪訝な顔で見つめてくるニファの肩を押さえて座らせ、どうしたものかと内心で大いに唸りながら、俺は戸棚のコーヒーを取りに席を立ったのだった。 *** 湯気の立つマグカップを、資料をよけて待っていたニファの前にことんと置いて、俺も隣に腰を下ろす。それで、と言いたげな様子の彼女に、大きく咳払いを一つ。 「気になるお前の気持ちも分かる。俺だって聞いたことがないわけじゃない」 「聞いたの? 分隊長に? 副長に? 何だって言ってた?」 分隊長に聞けるか、この爆弾娘が。 目を爛々と煌めかせて身を乗り出すニファを半眼で見据えて、モブリットに、と引き気味に返す。 「ないって言ってたんだよ。だからあの二人はあの距離がお互い丁度良いんだろ」 「……ふうん」 淹れたてのコーヒーを、シャツの裾を伸ばして両手で持ち上げたニファが、納得したとはいいがたい相槌を打ちながらマグカップに口をつけた。 俺だって、あの時のモブリットの言葉を全面的に信じているわけじゃない。よしんば当時がそうだったとして、それからどうなったかはわからないのだ。ただ傍目には変わらず見えるやり取りに、当人から何か言われたのでもなければ口出ししないのもまた男の友情だと思ってもいる。 「あれで、ないんだ。ふうん」 ず、と音を立てて熱を逃がしながらボソリとニファが一人ごちた。その態度はどこか拗ねた子供のようで、俺は苦笑をこぼしながら彼女の頭をポンと撫でる。 冗談めかして短い黒髪をわしゃわしゃとかき回してやった。 「何だよ。ニファ、もしかして妬いてんのか」 「だって……!」 一瞬、こちらを見た彼女が大きな瞳を更に大きくして、それから額を机につけるように項垂れてしまった。 ――え。いや、お前。ちょっと待て。マジか。まさかのハンジ班三角関係勃発か。 思いも掛けない事態の発覚に、これは少し面倒なことになったかもしれないと思いつつも自分からつっこんだ手前、何か最前の対応策はないかと俺はとっさに頭を捻った。 そもそもニファは、いつからモブリットを。 惚れた腫れたは冷静にどうこうしろと言ってどうなるものでないことくらいわかってはいる。わかってはいるが、モブリットだけはやめておけと強く言いたい。 それこそお得意の観察眼で二人を見ていたんだからわかってるだろう、あいつは分隊長しか見てないぞ。 それよりアレだ。もっといるだろう、近くにほら。 一見柄は悪いが仲間思いで、何くれとお前にかまっているやつ。あいつだ、ホラ。ケとイとジのつく目つき悪いやつ。 ……色々頭の中で繰り返して、けれども俺の口から言っていい類のものでもない。どうしたものかと困りきりの俺の横で、小さな肩が大きく上下し、ニファが溜息をこぼしたのだとわかった。 いつもあまり表情を変えることのない優秀で冷静な彼女が、こうも大きく項垂れている。実は相当胸に溜まっていたのかもしれない。 こういう事には疎いらしい妹のような仲間の恋路を、応援も否定もしきれない俺の立場は微妙で、完全に八方塞がりだった。わかっていることといえば、モブリット相手じゃ望みは限りなくゼロに近く、ついでにケイジも失恋したなということだけだ。 「……ニファ、お前いつからそんな風に思ってたんだ?」 「え? ああ、そんなの、もうずっとだよ。それこそ第一班に配属されてから気になって気になって」 そんな頃から――! ニファの告白に、俺はむしろ、今まで気づかなかった自分の鈍さに驚かされた。そういったベクトルにはかなり目敏い方だと自負していたのに何てことだ。上官二人がアレすぎて知らず鈍っていたんだろうか。 頭に俺の手を置かれたまま顔を上げたニファが、ものすごくぶすくれて頬を膨らませていた。 悪かった。俺はてっきり、お前は分隊長しか見ていないんだとばかり思って―― 「――私も夜通しハンジ分隊長と話したいのに! 毎回毎回副長ばっかり!! なのにデキてないとか舐めてんのかってすごい思って! それでいいなら私も分隊長ともっとずっと話したいこといっぱいあるのに!!」 「おおおおい! やっぱりそっちかチクショウー!!」 ギリリと奥歯を噛みしめ憤然と拳を打ちつけるニファに、俺は思わず大きな声を出してしまった。 やっぱり俺は間違ってなかった。こいつの中心は分隊長だ。 まさかのハンジ班昼下がり。愛憎渦巻く三角関係かと肝を冷やしたが、違って良かった。本当に良かった。 ケイジ、良かったな。分隊長が相手なら、男のお前に僅かな光明が見えなくもないぞ。 心中で涙を流して語りかけ、心底安堵する俺の気持ちなど知らないニファが、きょとんと黒目を瞬かせた。 「? 何、どっち?」 「いや、――いや、何でもない。忘れろ」 「意味わからないんだけど」 「俺が悪かった。だよな。お前はそういう奴だ」 「何それ。馬鹿にしてない?」 よしよしと頭を撫でてやると、むっとしたように声が尖った。勝ち気な瞳が柳眉をつり上げ俺を憤然と睨んでくるが、泥沼化が幻想だったと知った今、安堵が一周したせいで、むしろ微笑ましくなってくる。 それに、だ。紅一点で機転が利いて、少し飛んだ思考回路の持ち主でもあるニファを、分隊長がかなり気に入っているというのは、ほとんど周知の事実だろうに。本人に自覚がないのも、可愛らしいものじゃないか。 「最近の分隊長の口癖は『ニファ』が殿堂入りしてる」と苦笑していたモブリットを思い出し、くつくつと笑いがこみ上げてきた。それを咳払いで誤魔化して、俺はもう一度くしゃりとニファの頭を撫でて、それから手を退かした。 「違う違う。お前本当にハンジさん大好きだよなっていう意味で――」 と、何かが彼女の琴線に触れたらしい。 突然ガタリと立ち上がると、猛然とシャツを締め上げられた。 「は? 好きだよ。大好きだよ! え、あなた好きじゃないの? 前に好きだって言ったよね?」 「ちょ、待て待て、俺は別に」 「言ってたよ? 何まさか嘘ついた? 好きって嘘? 何で、まさか本当は嫌いだったりとか――」 「お、落ち着けニファ! 手、ギブギブ! 嘘じゃねえよ! 好きだって! もーホントダイスキ! 好きだし、ちゃんと――」 尊敬もしてる―― ほとんど乗りかからんばかりの勢いに圧されて、本心だが不本意な告白を余儀なくされた俺の耳に、ドアの開く音が聞こえた。 モブリットが戻ってきたのか。おい本当にこのリトルハンジをどうにかしてくれ。祈る思いで視線を向けて、 「――お前ら、そういう……」 「ケイジー!!!」 ほとんど幽霊のように呆然と佇むケイジの姿に、俺は血の気の引く音を聞いた。 「ケイジ、違う!……誤解だ、これは完全な誤解だ。いいかよく聞け、これにはわけが――」 「違うって、やっぱり好きって嘘だったんだ!?」 「ニファはいいから黙ってろー!」 何だって俺がこんな目に。 研究机で理不尽に半分押し倒されて、仲間から虚ろな視線で蔑まれる。貧乏くじ意外の何物でもない。 ゴーグルの奥が滲んできそうなこの仕打ちに、それでもどうに打開策を考えていたら、再度別の暢気な声が、ドアの隙間からひょっこりと聞こえてきた。 「騒がしいな、何やってるんだ?」 今度こそ、正真正銘我らが副長その人だった。 遅いよ、バカが。何やってんだよ。見ろ、この俺の可哀想な状況を。そして助けろ。 「モブリット!」 「副長、分隊長は?」 「クソ髭野郎とニファが付き合うことになったみたいで」 「え」 それぞれ全く同じタイミングで話し掛けられたモブリットは、一瞬鼻白いだ表情で眉を跳ねさせ、それから俺をちらりと見やった。それからポンとケイジの肩に手を置いて、真顔の眉を残念そうに八の字に下げる。 「――ケイジ、元気出せ!」 「はあぁ!? 何言っ……お、俺は別に……!」 「誤解だ!ニファが好きなのは分隊長だ!」 モブリットめ。火に油を注いでどうする。 胸倉を掴まれたままで必死に弁明を試みる俺に、おそらくこの場でただ一人、理解不能な位置にいるだろうニファが、ようやく俺のシャツから手を離した。 顔面に疑問符を張り付けて、モブリットの言葉に茹で上がってしまったケイジの方に歩を進める。 「ケイジ何言ってるの? 頭打ったの?」 背伸びをして、傷口を確かめるような手つきのニファが、ケイジの頬に触れた。右を向かせて左を向かせて。多少乱暴に思えるが、瘤がないかと真剣な彼女に、ケイジは為す術もなくじっとしている他ないようだ。 その様子に、モブリットが仲間内にしか見せないようなニヤリと口角を持ち上げる。やっぱりこの野郎全部わかってやっていたな。先に俺を助けろよ。 シャツを直しながらで睨んだ俺の視線を流して、モブリットがもう一度ケイジの肩を軽く叩く。 「良かったな、ケイジ。誤解らしいぞ」 「だ、だから別に俺は……!」 「ケイジ? 本当にどうしたの、顔赤いよ? 風邪?」 そう言って、ニファがひょいと両手でケイジの頬を包んだ。喉咽の奥でおかしな息を詰まらせたケイジが、後ろに退って壁に頭をしこたまぶつける。結構大きな音がした。瘤が出来たか? 図らずもニファの懸念どうりになったようだ。 同じ男として流石に不憫を感じた俺は、せめてこれ以上ここでの羞恥プレイを止めてやるべく、ニファに声を掛けることにした。 「あー……ニファ。一応医務室で熱計らせてやってくれないか?」 「は!?」 「そうだな。ケイジ一人だとちゃんと行かないかもしれないから、ついてやってくれ。ハンジさんは今技巧科に試作機を見に行ってるから、だいたい良い頃合いに戻ってくると思うし」 俺の意を汲んだモブリットも、上手い具合に乗ってくれた。やはりわからないニファだけが、訝しげに小首を傾げ、それでも最後のハンジさんのタイミングの示唆が利いたらしい。それならば、と行動原理が見えるようにいそいそとケイジの裾を軽く引く。 「了解。行くよケイジ」 「いや、俺は何とも――お、おい! 引っ張るなって!」 小さな姿が、軽い抵抗を示すひょろりとした男をずんずん引っ張る姿はやっぱり可愛いものがある。 二人の小競り合いのような会話がドアの向こうに消えるまで待って、俺はやっとの事で溜息をついたのだった。 *** 「あんまりからかってやるなよ」 二人がいなくなってから、自分の分もマグカップにコーヒーを注いだモブリットが、そう言って俺の前の席に座った。最初にからかった奴が何言ってやがる。 人の悪い笑みを浮かべてコーヒーを啜るモブリットは、事の発端を知らなすぎる。 そういえば最初に助けてもくれなかったと思い出して、俺はまだまとめ途中だった書類をばさりと広げた。 「元はと言えばお前のせいだからな」 「は?」 「原因。お前と分隊長の仲が良すぎて、見てのとおりニファ大暴走」 「はは、それは別に今に始まったことじゃないだろ?」 それはそうだ。 だけども今日は、目撃原因がいつもより深いところを突ついてたんだな。知らないだろうが。 これまで深く聞かない友情を掲げてきた俺だったが、モブリットの薄情が露呈した今、俺だけ守ってやる必要もない。そろそろどこまで進んだのか――後退したのか停滞なのか、知りたい野次馬根性は、俺にだってある。 「朝帰りに何自分のシャツ羽織らせてんだよっつー話な。女の観察眼舐めんなよ」 「何を言……」 目線を上げずにしれっと言えば、煙に巻くような物言いをしていたモブリットが、言葉の途中でぴたりと止まった。手の中にあるマグカップがごとりと音を立てて机に落ちた音がする。 「しかも前日のシャツってお前それ」 「あ、あれはハンジさんが間違えて――!」 揶揄する気満々で顔を上げた俺の言葉を遮るように、モブリットががたりと大きな音を立てた。椅子を蹴った振動で、コーヒーの水面が波立ちこぼれそうになる。 それに慌ててマグを持ち上げ倒壊を防いだモブリットの後ろで、盛大な音を立てて椅子が倒れこんだ。 「……マジでか。ついに?」 「………………いや、そ、い、いや、な、え、……ん?」 おい、マジか。 動揺しすぎの副長に、揶揄する言葉も出てこない。 思い切り口をパクつかせた挙げ句「ん?」って何だ。誤魔化すにしても下手すぎだろう。 「目撃者ニファな。あれで付き合ってないとか信じられないって激高してたぞ」 さっきの勢いでニファから直接問われていたら、結構アウトだったんじゃないかと思えてきた。俺はもう完全にぬるくなった自分のコーヒーを一息に煽る。 さあ、どう攻めこんでやろうかと思ったところで、もそもそと椅子を戻したモブリットが座り直した。 仕切直しとばかりにわざとらしく咳払いをして、コーヒーを飲む。それからややの沈黙の後、 「………………ニファってケイジを好きだと思うか?」 「副長って分隊長と付き合ってるんだと思うか?」 もういいだろうよ。言えよ。そして楽になれよ。 せめてもの情けで顔だけは見ずに、手元のペンを走らせて聞けば、モブリットは一瞬言葉に詰まった後、何事もなかったかのような口調になった。 「ハンジさんはニファにぞっこん」 話題を逸らすつもりらしい。そうはさせるか。 「知ってる。ニファもハンジさんにぞっこん。おいおい、大変だな副長」 「……で、ケイジはお前に嫉妬な。止めてくれよ、班内でそんなゴタゴタ」 「ヤバいな、ハンジ班。超青春してんじゃねえか」 「……」 一人完全にとばっちりの俺の現状は、もっと労わられてもいいはずだ。 出来た書類を差し出しながらでそう言えば、とうとうモブリットが音を上げた。 「どう思うよ、青春リーダー」 「…………」 すい、と目を泳がせて受け取ったモブリットは、書類で顔を隠すように覆って無言を貫いている。 もう自白したも同然だろう。 あまりねちねちからかうのも大人げないな。俺は優しい。ハンジ班一の常識人だ。 ついさっきいらない恨みを買わされかけたことなど、別にもう気にしていない。根に持ったりもしていない。 だからひとまず、うちの女帝達が戻ってくるまでだと区切りをつけて。 「なーどうなんだろうなーこの青春図。結局あの人とバーナー副長どうなってんだろーなー。部下の質問に対する回答もらえないのもどうなんかなー。あれ、なんか顔赤くないかバーナー副ち、……モブリットー? どうしたどうした、何かあったかー?」 書類から顔を上げないモブリットのつむじに向かって、答えを要しない優しい会話を投げかけるだけに専念してやろうと、俺は心に決めたのだった。 【End】 |