積もる落ち葉の下を掃く




最初はほんの冗談のつもりだった。

「――う、く……っ」

酒場で顔を合わせたのも偶然だ。
マリアに程近いローゼにある馴染みの安酒場で、以前医療班が突発的な消毒に使うならお勧めだと教えてくれたアルコールをケースで頼んでいた。入荷したとの知らせを受けて、任務あけの空いた時間で訪れたのだ。
そこに私服姿の見知った顔を見つけたのと、向こうがハンジに気づいたのはほぼ同時だった。立ち上がりかけた彼を目顔で制し、素知らぬ顔でカウンターに声を掛けた。察した彼が少し微笑をくれて、そのまま友人達との会話に戻る。
受け取ったら早々に去った方がいいだろう。
珍しいところで居合わせたなと思ったものの、わざわざ非番の部下に絡む悪趣味はそもそもない。
ハンジにとって気の置けない仲間で可愛い部下には違いないが、階級上の部下にとって同じだとは限らない。本当は一杯くらいと思っていなかったわけでもなかったが、上司の姿をチラつかせて、同期らしい彼らの酒宴に水を差してしまうのでは可哀想だ。

「……あ、あっ、」

少し待ってて下さいね、と奥に取りに行ったきり、なかなか戻ってこない店主を待っている間、聞くとはなしに聞こえてしまうテーブルの会話は、酒に酔った男達の他愛ない馬鹿話のようだった。
誰だ誰に振られた、寝取られたらしい、あいつにとうとう彼女が出来た、誰某のところには今度三人目が生まれるらしい――。
明るい話題が多いのは駐屯兵団員が多いからかもしれない。憲兵団で見たこともある顔もいた。
少し離れたカウンター席に浅く腰掛けながら、ついつい耳が会話を拾う。
仲間の話に班内ではそう聞くことのないトーンで笑い、時に揶揄するように言葉を投げる彼は微笑ましくて、やはり少し新鮮だった。
ハンジがいることで気負った様子がないのは、他の面子の態度からもすぐにわかって、それも何だか嬉しいような気がしないでもない。

「ふ、ぅ……あ――くっ」

そろそろ近くの店員に店主の戻りを伺うべきか。そう思い始めた頃だったか。
シーナの店に新しい子が入ったんだぜ、という誰かの言葉で、テーブル席の熱気が一気に上がった。妙な歓声に思わず振り向いてしまったハンジの目に、彼の笑顔だけが妙に乾いているように見えた。
訓練生の卒業時や任務の前後、一夜の思い出であったり、何かしらの決意の為であったりと、それぞれ理由は違えども、男性兵士が女性を求めるというのはよくある話だ。それにシーナの娼館が熱いというのも内々の一般常識のようなものだ。それは新兵に限ったことでもないし、女性兵士にないわけでもない。性別の都合上、大っぴらに男を買い求める場所がないだけで、一晩だけでもと想い人に迫る話も少なくないと知っている。
だから、まるで性欲とは無縁に見える飄々と優男然としている彼にそういう経験があったとして――現在進行形であったとしても――それはある種、当然の生理だと思う。

「あ、の……ぁ、ッ」

だがやはり彼の、男としてより部下としての立場的に、自分が聞いているとわかっている場所での話題としては、随分乗りにくいものがあるからだろうか。
早く立ち去ってあげるべきだな。
近くを通りかかった店員に声を掛けようとハンジは腰を浮かしかけ――
「好きな女が頭を過ぎって勃たなかったとか、今でこそ笑い話だよな」
と肩を強く叩かれて噎せた彼と目が合った。
ハンジを確認した途端、思い切り顔を逸らされたせいで、その言葉が真実だとわかってしまう。それはいつの――卒業記念で繰り出した時か、それとも初めての壁外遠征の前後くらいの話だろうか。少なくともハンジの下に就いてからの彼には、今日のような非番を取らせてあげられたことはほぼなかったし、数少ない非番にも、なんだかんだで近くに姿を見ていたからそんな時間はなかったはずだ。
おそらくハンジに聞かれたという羞恥から必死で打ち消そうと奮闘する可哀想な彼へ、悪ノリを続ける同期の揶揄が続く。

「も……ぅ、っは、あ」

それらを繋ぎ合わせれば、「何度目かの壁外遠征からの帰還で誘われ、いざと意を決して訪れた店で、片想いの相手がチラつき」事をなせなかったということらしい。何とも純情な時代もあったものだ。どうやら同じ兵士らしいその想い人とどうなったかはわからなかったが、「先輩」「上官」という単語が聞こえ、年上なのだとは察しがついた。
詮索しようと思っていたわけではなかったのに、頭の中で勝手に彼の経歴書類をめくりながら、異性の上官に就いた事実はなかったはずだと結論に至る。なら彼の先輩か。それなら提出された経歴書だけでは把握しようのない人間関係ということになる。彼がそうまで想った相手は、一体どんな人だろう。恋人がいると聞いたことはなかったが、本当のところはわからない。一見従順そうだが、見た目に反して言うことは言うし、行動力も意外とある。暴走したハンジを追いかけ引き止め、果ては叱りつけながら東奔西走してくれる彼が、特定の誰かの前で男の顔をしているのかと思ったら、何故だか少し妙な気分だ。
自分でもよくわからない感情に内心で首を捻り、ハンジは改めて店員を呼んだ。すいません、と如才ない笑顔で遅くなったことを詫びる店主に礼を言ってケースを受け取る。代金を支払い、これ以上彼のプライベートを覗くのは止めようと席を立ったところで、またぞろ同期達の言葉が聞こえてしまった。
「で、結局今その人の下に就いてんだって? 何やってんだよ、ヤッたのか?」
「――バッ!」
ものすごい勢いで肩を抱いて嘯く男の口を塞いだ彼の形相は見たこともないくらい真っ赤だった。アルコールのせいだけではないはずだ。今、下に就いている……?
そんなわけないだろう、と声を荒げる彼はこちらを見ない。もしかするともしかするのか。そんな素振り、今まで一度も匂わせたことすらなかっただろうに。
だがまさか、ここで何を言うわけもない。
知られたくなかったには違いないだろうが、過ぎ去った淡い恋心の暴露なら、そのうち笑い話にすればいい。

意外と腕に重くかかるケースを持って店を出て歩いていると、しばらく。
「――分隊長!」
と後ろから息咳きった彼が現れた。全く予想外の登場だ。
「モブリット」
何でもない風を装って声を掛ける。
「どうしたの? 何かあった?」
帰ろうと思っていたので、と並んだ彼がハンジの手からケースを奪う。いいよと言っても聞きそうにないので持ってもらうことにした。ありがとうとだけ言えば、いいえと答えたきり口を閉ざしてしまった彼は、そのまま自室まで運んでくれた。お礼にと、思い出してポケットに入れてあった砂糖菓子を彼に手渡す。
「……子供じゃないんですから」
苦笑しながら受け取った彼の手に指が触れた。と、こちらが驚いてしまうほど、モブリットがびくりと後退った。瞬くハンジの前で、その視線に耐えかねたようにモブリットが口を開く。
「……あの! その、さっきのは、つまり」
右手に持った砂糖菓子を握り締めながら腕で口元を覆う彼の顔が赤い。合わされない視線が泳いでいて、つられたようにハンジも上手い言葉が出てこなくなってしまった。

何の話、とそらとぼけた方がいいのだろうか。聞いてなかったよ、ではバレバレか。ならこういう時、他に何て返せばいいんだ。誰にでもある年上への憧れってやつだったんだろう? はは、ありがとう。どれを言えば正解なのかわからない。

真実はどうあれ才媛と称されることすらある自分がこの体たらく。ぐるぐる巡らせた思考の末、ハンジの口がようやく開いた。
「結局モブリットの初めてってどうなったの?」
おそらく思っていたより自分は動揺していたらしい。さすがにこれは踏み込みすぎだろ、セクハラ――いや、パワハラだ。関係ないでしょう、と怒鳴られることを覚悟でへらりと笑って誤魔化しかけて、
「あ、ごめん今の冗だ――」
「――」
彼の見せた表情に、ハンジは今度こそ本当に言葉を失ってしまった。すぐさま逸らされてしまったものの、あからさまに頬の赤さが増していて、ぐしゃりと歪んだ顔が泣きそうだった。色々なものを傷つけたのだと理解してしまった。こんな顔を見せられてしまえば、ハンジの質問に対する酒場でのやり取りから推察される回答は一つしかない。
よく考えればわかりそうなものだった。自分に憧れ好意を抱いて、娼館での行為に失敗し、直属の部下になって四六時中任務と研究の繰り返し。遊びの上手そうなタイプでもない。

「――す、すみま」
「私がしてもいい?」
何でそんな事を言ったのか。ぽかんと口を開けてしまったモブリットの手を引いてベッドに座らせながら、ハンジ自身も自分の言葉に驚いていた。本当に、思っていたより自分は相当動揺している。その証拠に、さっきから彼の顔が見られない。
「あ、の……?」
「嫌なら言って」
スラックスの前を寛げる手を動かしながら言う。巨人を前にした時には考えられないほど呆然とした彼の動作は、まだ自分に起こった現実をよくわかっていないようだった。両足の間に陣取ったハンジの手が、彼のそれに直接触れる。そこで初めて、モブリットはハンジの肩をぐっと掴んだ。
「――ぶ、分隊長!?」
階級は制止ではないはずだ。そう判断して、ハンジの手が彼の付け根を持ち上げた。


一息に口腔に含むと、肩に置かれたモブリットの手が食い込んだ。けれども今この瞬間引き剥がそうとしないのだから、合意ということで良いだろうか。
「う、わ、」
くわえたままチラリと視線を上げて様子を伺う。目が合うと信じられないというように口をぱくぱくと開けたモブリットは、震える声で「やめてください」と絞り出した。
「……嫌?」
ではないんだろうな。生理的には問題なさそう。
手と口の中で既に固さを増して主張を始めたそれを一度引き抜いて、ゆっくりと手だけで上下にしごく。嫌です、と頑な言葉だけが降ってきた。
「ああ、そう」
そのくせ無理矢理退かそうとはしない彼の先端に、ハンジはねとりと舌をつけた。ひ、と悲鳴を飲み込んだモブリットを見ずにもう一度浅く飲み込むと、同時に手も動かしていく。声を出してもいいのに、と思うほど苦しげに喘ぐモブリットが、なけなしの理性で退かそうと伸ばしてきた手に、目を閉じてハンジは頬をすり寄らせた。
「……っ、ンジさん……ッ」
ああやっと名前で呼んだ。

ちゅ、と先端を吸い上げて視線だけで見上げると、こちらを見ていたモブリットと目が合った。もうやめろとは言わない。荒く呼吸を乱しながら、それでもガチガチに緊張した太股から完全に受け入れてはいないらしいことがわかる。榛色の瞳に篭もるモブリットの確かな情欲と、反面今にも泣きそうな表情がハンジの胸をツキンと鳴らせた。
終わったら彼は私を嫌うかもしれない。
視線を逸らして行為に集中しながら、ハンジはそんなことを考えた。それも仕方ないなと思う。それだけのことはしているのだから。配置転換を願い出られるのだけはどうにか止めてほしいけれど、どうしたらいいだろう。身体で彼を繋ぎ止める?
「あ、あ……!」
それは少し無理だろうな。冷静な部分で判断する。初めての今だけなら、何も知らない間は多少見てくれるかもしれないが、そもそも自分にそんな手管がないことなど百も承知だ。こんな行為もしてあげるよと豪語するほど本当は経験があるわけじゃない。
モブリットがあんな顔で私を見たから。あのまま手放してしまったら、二度と戻らないかと思ったから――。
「ぅ、わ……っ! 駄目です、イ、出る、離してくださ、い……ッ!」
「ン」
前屈みで言ったモブリットがぶるりと震えた。今までよりも一番力の入った手で頭を取られて、反射で抵抗を試みたハンジの口からそれが抜けるのと、精が吐き出されたのはほぼ同時だった。首元からシャツの中に入り込んだそれが滴り落ちて、口中にも生温い液体を感じる。
けほ、と小さく噎せて唇を舐める。中のものをどうしようかと考えたところで、モブリットが慌てふためいた声を出した。
「す、すすすみませんっ! 吐いて、あ、ええと、こ、ここに!」
言うなり自分の手を差し出す。馬鹿みたいに優しいな、と思ったが口にはしないまま、こくりとハンジは喉を鳴らした。
「……あ、不味いねこれ」
「あた、当たり前です! 何を――水、今持ってきま」
「あるよ」
夕方出る時に片し忘れた机上の水差しを示して立ち上がる。一緒に立ちかけたモブリットを目顔で制して、完全にぬるくなった液体で軽く濯ぐ。それから、ハンジは困惑しきりな表情で自分を見上げるモブリットの前で、もう一度膝を付いた。一度吐精してもまだ勃ち上がったままのそれに再び触れる。

「もう、やめませんか」
「これからだよ」
濡れた先を指でくるりと拭えば素直に反応するくせに。裏筋につと舌を這わせる。と、喉の奥に絡んだ先程の名残に少しだけ息が詰まって、ハンジは小さく咳込んだ。
「ハンジさん!?」
「大丈夫……ごめんさっきの、ちょっと飲んじゃったから」
慣れないことをするからだ。格好がつかないなと思いながらで苦笑をこぼす。呆れられたかと見上げれば、モブリットは何とも言えない表情で口元を慌てて右手で覆っていた。握り込んでいたハンジの手にもぴくりと跳ねた感触が伝わる。
「……」
「……」
「……続き、しよっか」
今ので何にかはわからないが、萎えたわけではないらしいそこにキスを落として立ち上がる。もう止めろと口にしないモブリットの前で、汚れたシャツの釦を外した。胸元に流れる精液は簡単に拭う。兵服のスラックスをおろし、下着のままモブリットの膝を跨いで乗り上げる。
「あ、の」
「脱ぐの嫌だ? あ、別に胸とか見たくないか」
それなら別に構わない。
前を肌蹴たシャツのままで脱ぐのを止める。完全には腰を落としきらない太股に、モブリットの昴りを感じる。じくりと下腹部に熱を感じながら、ハンジは彼の頬を包み込んだ。キスは――駄目かな。したいけれど。
「じっとしてて」
自分からしたいなんて、思ったのは初めてかもしれない。
返事のないモブリットの釦に指を掛けながら、ハンジは露わになっていく素肌にそっと唇をつけた。
「どうして、こんな……」
胸の尖りに触れた時、モブリットが息を詰めて呟いた。
「軽蔑されちゃったかな」
タイミングとしか言いようがない。ハンジ自身、自分のしている行為が信じられないが、もう止める術も見つからないのだ。最後の釦を外し終え、普段の物腰と相反する鍛えた脇腹に手を差し込んで、黙り込んでしまったモブリットの顎にそっと唇を寄せる。う、と呻いたモブリットがされるがままに、それでも「ハンジさん」と自分を呼んだ。

「――こういうこと、誰にでも、するんですか」
「しないよ」
泣きそうな声だった。謂われなき誤解にというより、その声を止めたくて、ハンジは間髪入れずにそう言った。向き合って肌蹴た体温を間近で感じながら、しっかりと目を見つめてハンジはもう一度同じ言葉を繰り返す。
「しないよ。本当にしない――……て言っても信じてもらえないだろうけど。でも本当だ」
経験があればわかったろうが、口でするのも下手じゃなかった?とは言わないでおく。
「こんなことしたのもしようと思ったのも、モブリットが初めてだよ」
「――そんな」
「そもそもさっきのだって、あんまり好きじゃない」
反論しかけたモブリットを遮って、ハンジはつい本音を漏らした。
だから上手くもないし、噎せたりするんだ。
「飲んだのも初めてだったし。――あれ、本当マズいんだね」
知らなかったよ、と唇を尖らせたハンジに、モブリットはぽかんと口を開けた。男が自分の味など知らないだろうが、「好きこのんではしたくないなあ」と改めて唸る。
「は? え、じゃあなん……」
「君が気持ちいいかなって思ったから」
それに、初めてなら一通りしてみたいだろうと思ったから。あれが一番大人しくさせてくれそうな気がしたからでもあって、他意はない。はずだ。
驚きに目を丸くするモブリットに見つめられて、ハンジは今更妙な気恥ずかしさが込み上げてきた。

「もういいだろ。ほら、続き」
膝立ちもそろそろ少し楽になりたい。
自分にそう言い訳をして、ハンジはモブリットのそこに太股を擦りつけた。弾力のある熱は変わらず、ハンジもふるりと腰を揺らす。
「……ハンジさんっ」
「そのまま」
右手をモブリットの肩に置いて、左手で下着の裾をずらす。一度も触れていないけれど濡れているとわかる程度には疼いているからたぶん問題はないはずだ。そのまま腰を少し上げて、先端に入り口を擦り合わせた。
「ん」
くちりと淫猥な水音が鳴って、久し振りすぎる感覚に太股を閉じてしまいそうになる。小さく息を吐きながら腰を下ろそうとして――
「待ってください」
モブリットがハンジの動きを押し留めた。
え、ここで? まさか本当に嫌だった?
時たま普段の言動からは思いもよらない頑なな面を見せる彼のことだ。ありえる。もしかして怒っただろうか。窺うように覗き込む。が、まるで欲情の衰えたとはいえない視線のモブリットと目が合って、ハンジは首を捻った。
「……なに?」
やめるつもりには到底見えない。
「俺がしてもいいですか」
「え――わ」
言うなり、ぐいと身体を押しつけられて、咄嗟に背中に手を回す。そのまま抱きかかえられるようにして、ぼすんとベッドへ押し倒されてしまった。ギ、と小さくスプリングの軋む音と共に、モブリットの両手がハンジの顔の横につく。
明かりのついた室内で、モブリット自身がハンジに影を落としていた。至近距離で見つめ合ったまま、モブリットの手が頬に触れる。そっと。細かな震えまで感じるような触り方だ。まるで壊れ物を扱うかのような繊細さで、何度か輪郭を確かめて、親指で唇に触れられる。
「……いいですか」
ほとんど触れ合う距離でモブリットの吐息を感じる。
こんな声で話す彼を初めて知った。焦れた熱が溶けだして、火傷をしたかと錯覚する。
「……やり方、わかる?」
「習うより慣れます」

熱っぽさはそのままにしれっと告げられた囁きを笑う間もなく、モブリットの唇が降ってきた。
なんだ、しても良かったのか。
口唇を食まれて誘われるまま薄く開ける。
滑り込んできた舌肉に歯列をなぞられ、息の継ぎ間に角度が変わる。更に深さを増した彼に吸い上げられて、ぞくりと背筋が粟立った。初めての接触に迷うことなく蠢く舌に蹂躙されて息が上がる。
ん、とこぼれた声が自分の耳にも艶めいて聞こえる。
頬を、耳朶を、くすぐるように撫でていた手が、次第に大胆になってきた。胸の頂きを指の間に挟まれた瞬間、ハンジの身体がぴくりと跳ねた。シャツの摩擦で焦れていたのに、その触り方は甘くてずるい。
「キスは――っ、初めてじゃ、ないんだ?」
「……っは、それは、まあ」
荒い呼吸を吐き合いながら言われた言葉に、なんだ、と呟いてしまったのは無意識だった。
「『なんだ』?」
喉をたどり、胸元へ移動しながら復唱されて、ハンジは自分に苦笑を零した。そうだ。付き合ったことがないとは言っていなかった。ハンジが勝手に全てが初めてだと思い込んでいただけだ。
多少押しに弱い面と特筆出来る容姿ではないだけで、仕事も出来て優しく見た目も悪くない。調査兵団という死亡者リスト上位に属していることを除けばそれなりに優良物件だろう彼が、今こんな状況でハンジに奪われそうになっていることの方がよほど予想外だとわかるのに、残念に思ってしまったなんてどうかしている。
万遍なく筋肉のついた女にしては柔らかみのないだろう肌を、唇で丹念に愛撫していく可愛い動きにくすくす笑いながら、ハンジはモブリットの頭をくしゃりと撫でた。自分は意外と彼に執心だったのだと、ここにきて気づくことになるなんて。

「折角だから、あなたの初めて全部もらいたかったなって」
「……こういう状況でするのは初めてですよ」
その手を払い退けることなく、けれども少しバツの悪そうな口調でモブリットが身を乗り上げた。触れるだけのキスを落として、すっと目を逸らされる。赤くなるくらいなら怒ればいいのに。何でそんなに可愛いことをするんだこの子は。
「下、触っていいですか」
「えっ、あ、い、いいよ!?」
しかも聞くし。
足の間に陣取ったモブリットが、下着の上から指をそっと宛がった。改めての刺激に息を零してしまうのは、モブリットの緊張が伝播しているせいだ。そうに違いない。二度三度と触れる動きがもどかしいのは、直に触れてくれないからだ。下着の裾に手を掛けて、モブリットの動きが止まった。
「……あの」
「いいから、好きにしていいから」
直接して。その一言を隠したハンジに、モブリットが素早く動いた。今までの躊躇いが嘘のようにするりと抜かれて外気に晒された下半身がふるりと疼く。
「ひゃっ、あ!」
生暖かいものが触れて、ハンジは腰をしならせた。ねとりと下から舐めあげられる。突然の刺激に、こら、と手を伸ばしても、両膝を抱えるように持ち上げられて身体が滑る。いいとは言った。言ったが、いきなりだな、本当に。荒くされるかと身構えたのに、施される愛撫は執拗に優しくて、腰が引けそうになってしまう。勘が良いのか臆病なのか、こちらの反応を窺う視線がいちいち欲した色を見せて、ハンジの口から抑えても嬌声が漏れてしまう。
鼻先がふくらみを掠めて僅かに跳ね上がってしまえば、一瞬間を置いた彼がそこに唇を当ててきたのも、反応が良くて憎らしい程だ。
「すごく、濡れてるんですが」
「あたりまえ…っ、ちょ、それ、もういいよ…っ」
「気持ち良いですか」
「そ、ういう――」
足の間から見つめてくるデリカシーのなさもさすがすぎて、羞恥心が途方もない。経験者の余裕でどうにか恥ずかしい女の言葉を飲み込んで、ハンジはモブリットを押し止めた。

「いいから――もう、……わかる?」
「……おそらく」
太股を抱え上げていた手に指を添えると、モブリットが絡め返してきた。本当に勘のいい子だなと思いながら、ハンジは少しだけ腰を上げた。ちゅく、と濡れそぼつ間に立てられた彼が入りやすいように誘導する。
「……ぅ、ん…いいよ、そのまま」
「く、あ――」
すんなりといかないのは自分も久し振りだからで、モブリットのせいだけじゃない。息苦しい衝動を息を吐くことで逃がしながら、ハンジはぐっと目を瞑った。感嘆の声を上げながら本能に従って腰を進める彼に慮れと言うのは無茶な話だ。一息に奥まで飲み込んだ熱が苦しくて胸がどうにかなりそうになる。
「ぁ、わ、……ンジ、さん……っ」
ぶるりと震えたモブリットが、すみません、と譫言のように呟いて、前のめりに覆い被さってきた。深まる繋がりに抱き返すと、涙で潤んだ視線が合って、「ハンジさん」と名前を呼ばれる。
「だい、じょうぶ……?」
「は――、いえ、あの、」
「モブリット?」
「すみません、動いても、い、いいですか」
ああ、だから。何で初めてのあなたが、そんなことを聞いてくれるの。もどかしさとわけのわからない愛しさで胸が詰まって、繋がった部分が欲してしまった。
「わ――! 締ま……ッ!?」
「いいよ。好きにしていい。モブリットの好きに動いて」
痛くしてもいいよ。私も習うより慣れるから。
どんな顔でそれを言ったのかわからないが、おそらくとんでもなく物欲しそうにしていただろう自覚はある。仕方がない。だって他にどうすればいいんだ。不安そうにしているくせに、あなたが欲しいと書いてあるモブリットの男の顔なんて知らなかった。初めてだ。だから、手探りになるのは仕方がない。
「ハンジさん――っ!」
「ん、ぁ、あ、あ!」
大人しくハンジの言に従ったモブリットが、がむしゃらに腰を動かした。優しくはないし、やっぱり痛い。けれども喘ぐ合間に名前を呼んで、頬に触れ、射るように見つめられた下での痛みは、快感に繋がってしまうらしい。
いいよ、もっと、好きにして。その度、馬鹿みたいに甘やかした声音で応える自分に驚く。モブリットの動きが激しさを増して、突き上げるように最奥を突く。絞り出すような声が切なげにまたハンジの名前を呼んで、彼が、ど、とハンジの上に倒れ込むように被さってきた。この重さも熱さも、もうすぐ離さなければならないのが惜しいと思ってしまう。彼の髪に指を差し入れながら、ハンジも呼吸を落ち着かせた。


「す、――みませ、ん、おれ――」
「いいから。まだじっとして」
もう少しだけこのままで。
耳朶に注がれる乱れた呼吸音すら惜しくなって頭を撫でる。何度も大きく肩口で息を整えていたモブリットが、すみませんと掠れた声で言いながら、ハンジの上から身体を退かせた。同時に引き抜かれてしまった熱のせいで、ふるりと震える。あ、と縋るような声が出そうになって唇を噛むと、そのまま起き上がって離れてしまうかと思ったモブリットが、すぐ隣に身体を横たえて、ハンジの顔を覗きこんできた。何かを言いかけて噤んだ唇が、瞼と頬に遠慮がちに触れてきて、そうする彼の顔は赤い。
興奮の名残と戸惑いと――けれどもその瞳に後悔の色がなさそうで、ハンジは密かに胸を撫で下ろした。
「……大丈夫?」
「俺は、はい――あなたの方こそ……その、辛くはないですか」
労るように頬に手を添えるモブリットに真剣な面持ちでそう聞かれる。まるで初めてはこちらのような言い方に、彼らしい気遣いがみえて、頬が緩んでしまった。どうすれば伝わるだろう。可愛かった、はさすがにアウトだ。良かったよ、は違う気がするし、嬉しかった、も襲った自分が言うのは変だ。
「……ハンジさん?」
黙り込んで見つめてしまった自分を不安げに見る表情にたまらず、ハンジもモブリットに手を伸ばした。大丈夫だったよ、と安心させたい。もっと下手でも良かったくらいだ。もぞりと身体を横に向けて、近づいたモブリットに唇を重ねた。やわりと食んでから離す。目を丸くしたモブリットが驚いたように瞬きをしたのが見えた。そんなに驚かなくても。さっきまでもっと深く繋がってたんだし。
「あ、の――」
「素敵だったよ」
頬をなぞりながら微笑がこぼれる。
更に赤くなってしまうかと思ったが、モブリットは感じ入るように息を吐いて、お返しのようにハンジの頬を優しくすくい上げてきた。彼の瞳が眩しそうに細められる。求められていた時とは違う柔らかな熱を感じる視線だ。
「モブリット?」
「あなたも、素敵でした。とても」
「――」
「今も素敵です。すごく」
「あ――……り、がとう」
逃げられないこの距離で、よくもそんな台詞がするする口をついて出てくるものだ。感心する。言われなれない言葉の羅列に、柄にもなく気恥ずかしさがこみ上げて、ハンジはモブリットの手を取った。そのまま自分の後ろに回させ、もぞりもぞりとモブリットの腕の中に顔を埋める。シャツに染みた汗のにおいと素肌にすり寄ると、戸惑いがちに抱き締めてくれた彼に、ハンジは「あのさあ」と呟いた。

「ちゃんと習うより慣れた?」
「え?」
「言ってただろう? 習うより慣れますって」
ギシ、とモブリットの腕が強ばる。返事のなくなった彼の胸を指を軽く折った拳でノックしてみると、モブリットは慌てたようにハンジの肩を引き剥がした。その顔がまた赤くなっている。
「な――慣れません! だから、その、」
滅多になく語気を強めたモブリットがぐっと顔を近づけて、そこではたと言葉を止めた。訝るハンジの顔から僅かに逸れた視線が、少し下にずれている。肩を掴まれたまましばらく続きを待ってみたが、モブリットは固まってしまったように動かない。
「なに、どうかし――」
「すみませんっ」
ハンジの疑問は、しかし途中で遮られた。
その勢いのままぐるりと反転したモブリットに背中を向けられ、何がなんだかまるで意味がわからない。先程の彼の視線を追って自分の身体を見てみるが、大して何か変わったところも見あたらなかった。
だいぶ汗の引いた肌と肌蹴たままのシャツは相変わらずだし、性を主張するささやかな膨らみも見慣れた大きさのまま、別に小さくも大きくもなっていない。え、なに、と呟きながら身を乗り出して覗き込もうとしたハンジに、モブリットが「見えますから!」と小さく怒鳴った。まさか――胸か。本当に?
何とはなしにもう一度自分の胸元を見下ろして、ハンジはいやいやと首を振った。まさかまさか。
「えー……? だって君、さっき散々揉んだり舐めたり」
「すみませんでしたっ!」
「そこ謝るのどっちかっていうと私じゃない? モブリットの勝手に舐め」
「あああなたに恥じらいはないんですか!」
見る間に耳まで真っ赤に染まったモブリットが、弾かれたようにベッドの上に飛び上がった。中途半端に起き上がりかけていたハンジを抱きかかえるようにして、シャツの前を乱暴に合わせる。
本当に慣れてないのか。釦をかけ違えながら進む指が震えて見えた。部下の顔で世話を焼こうとしているらしいモブリットに、大人しくされるがままになりながら、ハンジはじっと顔を見つめる。
「ごめんね、淫乱な上官で」
「そういう――……それを言われるなら、俺こそ淫乱な部下ですみませんでしたっ」
「うん、ちょっと激しくてびっくりしたかな」
「……ぐっ、だ、だから、そういうことではなくですね」
最後の釦をかけて、一つホールが足りないことに気づいたようだ。しかしもう一度外す勇気は持てないらしいモブリットに笑って、ハンジは自分の手でひとつひとつ掛け直していく。す、と目を剃らして見ないようにする彼は気遣いか、それともこれ以上を望まないからか。

「冗談だよ」
シャツのボタンを全て掛け終えて言うハンジに、モブリットはやっと安心したようにこちらを向いた。
「別に嫌じゃなかった」
自分から無理にしといて嫌もないが。
へへ、と笑いながらそう付け足すと、モブリットは一瞬言葉に詰まったように目を見開き、それから眉を寄せて口元を手で覆った。少しだけ顔を俯かせる。
「そ、――だから、そういうことを言わないでください」
「本当の事だし。でもさすがに軽蔑してるだろ」
「軽蔑なんて」
「ごめんね。君が嫌ならもうしないから――」
「違います!」
配置換え希望とかしないでほしい、続けるはずの言葉は、思わずといった体で顔を上げたモブリットに遮られてしまった。すぐに我に返ったように再び俯いたモブリットは、今度は額を覆うように右手を上げる。すみません、と口中で呟く彼の表情が見えなくて、ハンジは下から覗き込むように身体を低めた。
「……モブリット?」
気配を察したのだろうモブリットは細い息を吐き出して、指の隙間からハンジの視線を受け入れてくれた。近いです、としっかり苦言をくれながら、それでも退かせるつもりはないようだ。
辛抱強く言葉を待つハンジに、モブリットは何度か視線を右に左に動かして、それから深く長い息を吐いた。
「あの言葉」
「え?」
「俺にしかしないって言ったのはどこまでが本当ですか」
意を決したように顔を上げた彼は、何故かひどく辛そうに見えた。咄嗟に手を伸ばして頬を挟む。
「全部だよ。こんなこと、したことない」
本当だ。信じられないのは百も承知で、けれども今までにない真剣な口調で一語一語発音する。
泣きそうな顔でそんなことを聞いてくるモブリットを、もしかして自分は思った以上に傷つけたのだろうかと今更ながら不安になった。
あの時、彼に経験の如何を聞いてしまった時、引き留めたいと強く思ったのは本当だ。身体ででも何でもいい。そうしないと今そこにある存在を失ってしまうのだと思ったのだ。今日の今日まで、モブリットをどう思っていたのかと問われれば部下で仲間で、それだけだった。傍にいて、近似の思考を共有出来て、大切だけれど、だけどそういう目で見ていたわけじゃない。好きかと言われたらわからなかった。けれど失いたくなかった。それは自分でも驚くほど、彼に対して初めて感じた強い欲求には違いなかった。
それはつまり、そういうことになるのだと思う。
「……これからは?」
「どういう意味」
何を聞かれているのかわからず、ハンジは探るような目で、モブリットの頬をさらに強く挟んで自分の方へ引き寄せる。
「つまりこういう――あなたに懸想した部下から、一度だけと迫られたら」
「迫ったのは私だろ」
質問の意図を解したハンジはすかさず言うとモブリットの唇に噛みついた。
頼まれたら誰とでもするのか、という問いには勿論ノーだ。別に欲求不満なわけじゃない。
モブリットだから、モブリットが自分を欲してくれたから、モブリットとこれまでよりもっと強く、もっと深く繋がりたくなっただけだ――それが別の誰かなら、こんなことするはずがない。

「勘違いしそうになります」
困ったように笑うモブリットが言いながら、ハンジの手に手を重ねた。そうしてゆっくり頬から離されてしまう行為がやけに胸に詰まって、ハンジは取られた手の代わりにモブリットの額に自分のそこをこつんと合わせる。
「……していいよ?」
「そういうことを簡単に――……ああもうっ、だから!」
今度こそ振り払う勢いで顔を背けたモブリットが、睨むようにハンジを見つめた。
「俺の言いたいことは慣れるまでとかそういうんじゃありませんし、あなたの言っている事とは根底が違うんです!」
「根底って何の」
「あなたはただ可哀想な部下の想いを叶えてあげただけでしょうけど、俺は――! ……あなたを、あなたとずっと……けど、あなたは別に、そういうつもりじゃないでしょう……」
歪んだ視線を自虐のように顰めるそんな表情も、ハンジは初めて見るものだった。段々尻すぼんでいく言葉と共に視線を逸らされ、見えなくなる瞬間はまた今にも泣きそうに見えた。
モブリットの言った言葉を素早く頭の中で反芻する。

そういうつもりじゃないって何だ。

少なくとも分隊長の地位にある自分に、可愛い部下なら他にもいる。部下は、仲間は、それぞれみんな大切である意味可愛く、そして代え難く大切だ。その全員の想いを叶えてやれるほど、度量があると思われているなら素晴らしいことだが、彼の意味は違うだろう。
確かに始まりが強引だったのは認めよう。けれど、モブリットだけだと言ったのに。こんなこと、こんな始まり、それにこんなわけのわからない面倒な会話も、他にどんなつもりで続ける意味があるというんだ。
理不尽な苛立ちだとは分かりながら、ハンジはぐっと近づいた。さらに逸らそうとしたモブリットを許さずに、顎を掴んでこちらを向かせる。
「何で? 同じだよ。慣れたあなたにも抱いて欲しい。抱いてよ。何度でも。他の誰かじゃない。必要ない。しない。私はモブリットに抱かれたいんだって、どうしたら君は信じるの」
「抱――っ」
しゅ、と頬に赤みが差す前に、ハンジの唇がモブリットを強引に奪った。驚いて抵抗を示す腕を逆手で掴んで、更に身を寄せ、膝に乗り上げ、唇を割って舌を差し込む。待ってくださいと言い掛ける言葉を絡めて飲み込み、押し倒した。
こんなこと可愛いだけの部下にするか。面倒臭いことになるだけじゃないか。なってもいい相手なんて、逆に君は他にもいるの。いないだろう。だって私が好きなんだから。

「そういうつもりなんだけど」
「ハン……」
「始まり方に怒ってる?傷つけた?ごめん、そういう方面に疎い。言って。今度から少し気を付ける」
息の上がった口調で一息に告げる。蹂躙された唇を濡らしたモブリットは驚いたように目を瞠った。ややもして「意味分かってますか」と掠れた声で唇同士が触れ合う距離で問い掛けられる。失礼な。
「わかってないでここまでするか!」
「いや、でも」
「モブリットは嫌なの? もうしたくない?」
「そんなわけ――!」
ハンジにじとりと睨み下ろされて、モブリットが慌てて首を横に振った。それならいい。色々あって、こんなことになってしまって、彼も疲れているだろうし。今日はこのくらいにしておこう。ハンジは真っ赤になっているモブリットの上から満足気に退き掛けて、
「――」
ずらそうと動いたハンジの太股が、彼の下腹部に主張された。いつからだろう、気づかなかった。視線をやって、それから一端彼に戻すと、耳どころかシャツに隠れた首筋までも真っ赤になったモブリットが、羞恥で泣きそうに顔を歪めてこちらを見ていた。

「――いえ、あの、これは……!」
この表情の破壊力を、きっと彼は自覚していないに違いない。ふつふつとこみ上げてくる甘い疼きに従って、ハンジはおもむろに手を伸ばす。
「……ち、ちょっ、何触っ……ハ、ハンジさん!?」
「いやだってまた大きくなってるなあって。正直君のツボがわからないんだけど、どこで興奮したの?」
「こ……っ」
「後学の為に教えてくれるまで離さない」
身体を起こそうとしたモブリットを左手で押し返して、右手できゅっと強めに握る。喉の奥を締め付けるように唸るモブリットに「早く」と急かしながら緩く上下に動かすと、震える吐息に混じらせてモブリットは観念した。途切れ途切れの言葉を要約すれば、「そんな格好であなたが俺としたいとか言うから」ということらしかった。
可愛い。嬉しい。よくわからない。
「もういいでしょう」
涙声で言ったモブリットは、まったくいいようには思えないのに、譫言のようにやめてくださいと呟いてくるのもハンジをたまらない気持ちにさせた。なるほど。イヤはイイで、やめてはもっと、か。三流小説のこの手の台詞は、テンプレートなだけではなく事実なのだと今知った。緩慢な手の動きでは堪えきれないのか、時折腰を跳ねさせているのはきっと無意識なのだろう。
「痛くない?」
「痛いです、痛いですから手を離し――ちょ、ちょっと!?」
準備という準備は、これならすることもないな。
じたばたと悪足掻きをするモブリットの腰を両足で挟んで押さえ、ハンジはようやく手を離した。退かないままに、折角掛けたシャツのボタンをひとつふたつと外していく。先程自分がされた経緯と逆だなと思い起こしながら、さらけ出した素肌に手を這わせ、突起を悪戯に引っ掻いた。
「っ、ぅ……!」
「今度はこのまま、私が上でいいかな?」
乗り上げておいて今更な質問を問い掛けると、モブリットは呻きながら両手で顔を覆ってしまった。それでもやめてくださいと苦しげに顔を歪めないでいることに内心で少し安堵する。
よしよしと頭を撫でてみたが、まだ手を外す気にはなってくれないらしかったが、でもそれならそれで、そのままでも。
少しだけ膝を立てて、彼の先端をくちりと入口に宛がうと、モブリットがぎりっと奥歯を噛みしめた。
「お――襲われる……!」
「人聞きの悪い。これはちゃんと合意だろう?」
こら、とわざと声を低めて顔を覆うモブリットの掌にキスをひとつ。動かないでね、と念を押したハンジが深く腰を沈め終わるまで、本当に我慢をしてくれるつもりらしい。跨いだ彼の太股が覿面に強張っている誠実さが、どうしようもなく胸を、下腹を熱くする。そんなモブリットがいつの間にか手を外し、欲望に濡れた目で見上げてくるまであと少し。
彼から向けられる初めての表情を想像して、ハンジはじくりと熱くなるのを感じていた。


<Fin.>