Dear my dear,You are mine.




キスをする瞬間が好きだ。

頬に触れた手をゆっくりとスライドさせて、耳朶をなぞり、もう片方の手で腰を寄せる。
そうすれば、首に添えるだけだった彼女の手が、俺のうなじを通って腕を一回りさせて引き寄せてくれる。右手が首の後ろに回り込んだところで、左手が背中のシャツを掴むのは、たぶんこの人の癖なんだと思う。
皺を刻んだシャツの音を聞く度に、そこに当たる指の僅かな動きにさえ独占欲が満たされるのを、きっとあなたは知らないだろう。
彼女が俺にするのと同じくらい――よりずっと強く抱き寄せて、耳朶から後頭部に手を回し、小指で首を支えるように少し頭を上向かせる。とはいえ、彼女自身で俺に合わせて顔を上げてくれるから、俺はその動きに指を添えているに過ぎない。
本当に初めてのキスの時は、ギリギリまで目を開けっぱなしで見つめられて、観念した俺が「閉じてください」と懇願したのに。
「え、なんで」
「……キスを」
「す、するんだったっけ!? うおお、ごめんごめん! はい、どうぞ!」
言うなり固く目を瞑った彼女の頬に触れたら、益々硬くなってしまったのがわかって、柄にもなく妙に緊張したのを覚えている。
ゆっくり合わせただけのキスに、ともすれば顎を引いてしまいそうな慣れなさを感じて、それが嬉しくてくすぐったくて、少し困った。
あの日は、俺が彼女の唇を探し当てて、軽く触れて、それから鼻を、その頬に埋め込むようなキスに変えた。

――それがこれだ。

息をするようなタイミングで、同時に薄くなく口を開け、籠る熱を食べあう為に、彼女の瞼が下ろされる。
唇も舌も呼吸も熱も、今この瞬間、分け合えるのは自分だけだ。
あなたは確かに俺の物で、俺はあなたの物になる。
滑る唾液も、絡み合い探り合う舌肉も、抱き合う腕も、全てであなたが俺を欲する。

添えた手のひらに彼女がゆるく頬を摺り寄せて、それを合図に唇を塞ぐ。重ねるなんて表現じゃ足りないキスにも、もう逃げない。
たぶん無意識に瞼の奥を震わせた彼女を確認してから、俺はようやく目を閉じた。
二人の濃度がいや増していく。
いつの間にか角度を変えて強請る彼女の咽喉に手を添え、もう一方の手を耳裏から髪の中に差し込んで、後頭部を引き寄せる。

「う、ん……ん」

粘性の増してくる唾液の音に混じって、苦しげな息に甘さを溶かした声が鼓膜をくすぐる。薄目を開けて彼女の表情を盗み見れば、勢いはぐんと増すばかりだ。
俺の首に回されていた手が、狂おしい動きになって、ぐしゃぐしゃと髪をかき回すのは、そうでもしないと昴ぶった熱の行方をどうすればいいかわからないから。

「ま、モブリッ……あっ」

同じよりもっと密着させて、呼びかけた名前を飲み込むと、ハンジさんの手が胸まで落ちた。
僅かな抗議のようにシャツを押す手を、唇に隙間を与えないまま掴んで自分の頬に誘導する。震える指先がしがみつくように頬の上を動き回って、どうしようもなく胸が疼いた。

誘惑する気のない彼女の、その動きに誘惑される。

今は最後まで出来ないのに。わかっているのにずるい人だな。
お返しとばかりに噛みつく深度を増して、もっともっとと彼女の良いところを本能で探る。
絡む舌の横筋、歯列、意外となだらかな上顎を舐り、柔らかな舌に甘く軽く歯を立て吸い上げる――と、ハンジさんの身体からカクリと力が抜けた。

「――っと」

膝を割って入り込ませていた足には辛うじて乗り上げない程度で、けれども胸を荒く上下させて俺に預けた身体の力は入っていない。腰を抱えて覗き込むと、ハンジさんは濡れた唇を微かに震わせて、惚けたように俺を見上げた。
いつもは理知的に煌めいている明るいアンバーが、女の艶と危うさを滲ませながら、俺の腕の中にいる。
その事実にぞくりと快感が背筋を這った。
たまった涙が溢れそうな両の眦に唇をつける。

「ぅ、わ、わ――ひゃっ!」

ちゅっちゅっちゅ、と小さなリップ音を出してのバードキスにハンジさんが悲鳴を上げた。
固く目を瞑って俺からのキスを受けながらも、シャツをぎゅっと握り込む。
……何だその可愛い反応は。
思わず瞼を舐めて、もう一度唇に滑らせた俺の鼻先は、けれど、ハンジさんの手に塞がれてしまった。

「うぶっ」
「も――もうだめ!」
「……時間ならもう少しありますよ?」

手のひらに押しつけた唇で拗ねたようにそう言えば、ハンジさんが困ったように眉を下げた。
いつもは従順な部下の、たまのお願いを無碍に出来ない彼女の優しさにつけ込むようにじっと見つめる。今度はハンジさんが拗ねたように唇をちょっとだけ尖らせた。

「……今は続きをしてる時間はないだろ。だから」
「もう一回だけ」

手首を取って、返した指先にお願いのキスをひとつ落とす。
するとハンジさんは、その手を引き抜き、そのまま俺のシャツを乱暴な動作で引き寄せた。

「わっ」
「だから」

唇に、人差し指が当てられる。

「モブリットからはダメ」
「え――」

意味を問いかけた俺の口を、ハンジさんのキスが塞ぐ。
面食らって瞬いた俺と、下唇を噛んでから薄目を開けた彼女の視線が合った。

「……目、閉じろよ」

ぶすくれた声に色気はない。
けれどその唇は艶めいて、俺は完全に彼女の手中だ。

「すみません。……口は?」
「……ちょっと開けて」

少しの逡巡の後で指示されて、俺は返事の代わりに瞼を下ろすと唇を開けた。
閉じた視界で敏感になった嗅覚が、すぐ傍の彼女のにおいを感じ取る。
近づく熱を感じて、吐息が混じり、胸が高まる。
ああ、だから。
もう、まったく、本当に。

「……モブリット」
「ん」

――キスをする、この瞬間がたまらないのだ。