First Time




肌を重ねて迎えた初めての朝。
いつもなら徹夜で巨人の実験結果について語り明かしてご満悦な瞳を爛々とさせているか、または数えるのも億劫なほど眠らず過ごした夜のツケで、正体を失くして寝むりこけているような早朝だ。部屋にやわりと射し込む日の光が、これからの晴天を予想してシーツの波に煌めいていた。昨夜の名残を静謐な甘さで包み込んでいるかのような錯覚さえ覚えそうになる。
兵団支給の制服を着こみ、手馴れた所作で装着したベルトには勿論緩みはない。
だが、たった数時間前に外したばかりのそれが、妙に新鮮な締め付けに感じ、モブリットは不快ではない違和感を覚えた。
ふと理由を考えて、行き当たると同時に込み上げてきた頬の緩みを誤魔化すように、モブリットは自分の口元を右手で覆った。

おそらく気分が昂揚している。
――いや、逆か。
むしろこれまであった起伏が嘘のように、満たされ凪いだ心境がおかしいくらいだ。
睡眠時間は行為のために、本来の半分ほどのはずなのに、目覚めも良いのだからやはりおかしい。
これではまるでティーンエイジャーのようではないか。

別れ際にキスを落として、自分しか知らない彼女の甘い顔をもう一度見たい気もしたが、ちらりとやった視界に映るハンジは、飄々とベルトの装着を進めているようだった。
昨日の今日で、しつこい男だと思われたくない。
無造作に掛けていた椅子の背からジャケットを取って袖を通す。
それから扉の前まで行くと、モブリットは振り返った。

「――先に行きますね」
「うん」

昨日の内に、モブリットが用意していたシャツに最後のベルトの調整を終えたハンジが顔を上げる。ベッドの端に腰かけたまま、くんと両腕を頭上にやって伸びをひとつ。

「別に見つかってもいいけど、まあ、アレだよね」
「アレですね」

ひた隠しにするつもりはないが、あえて宣言する必要もない。
周囲への感情的な配慮であったり、自分たちの問題であったり、理由はそれなりになくもないのだ。
一言で表しにくい感情を言外に滲ませて頷いて、モブリットは「それでは」と言って踵を返す。
鍵を外してドアノブを回すと、カチャリと開錠の金属音が小さく鳴った。

「モブリット」

廊下へと踏み出しかけた背中に声が聞こえて、モブリットはハンジを振り返った。
大きな声で呼ばれてはいない。ただ名前を発音してみただけのような呟きは、モブリットが気づかなければ、おそらく何も問題のないような声音だった。
けれども振り返った先で、自分を見ていたらしいハンジと目が合う。

「はい、どうしました?」
「――うん。呼んでみただけなんだけどね」

やっぱりか。
予想通りの返しに苦笑するモブリットへ、またハンジが名前を呼んだ。
先程より明確な意思を込めたらしい呼び方にもう一度「はい」と答えると、ハンジがベッドから腰を上げた。
そのままモブリットの前まで来ると立ち止まり、じっと窺うように見つめられる。

「……ハンジさん?」
「……」
「……あの……」
「……」
「何か、ン――」

少しだけ背伸びをするように迫られた次の瞬間、唇に覚えのある感触があった。
軽く突かれるような柔らかい衝撃に、一瞬だけ閉じてしまった目を丸くして、目の前にある顔を見つめる。
いま、何を――

「あ、あの」

――どうやら奪われてしまったらしい。
じわりじわりと後から追いついてきた理解に口を開けると、ハンジは悪戯が成功した子供のようににやりと口元を緩ませた。
それからくしゃりとモブリットの髪を撫ぜる。

「いってらっしゃい」

へへ、と笑う彼女の頬が少し赤く見えるのは、たぶん気のせいではないはずだ。
どうせすぐ会うけどね、と付け足して離れようとしたハンジの腕を、モブリットは咄嗟に掴んだ。そのまま壁に引き寄せると、自分の行動に驚くハンジの両頬を挟んで、何かを言いかけた言葉ごと途中で飲み込む。抵抗を、というよりは、無意識にだろうモブリットの手に手を重ねるハンジを気遣う余裕が持てない。ぐいと強引に角度を変えて、噛みつくように呼吸を奪う。
ようやく叶った想いが溢れた昨日より、確かめるように何度も触れて、徐々に深さを増していった昨日より、ずっと深く舌肉を舐る。
しつこいと思われたら困るからと自制したのは瞬きの前の事だというのに、してしまったのは彼女のせいだ。

いってらっしゃい、とキスで見送るなんて、そんないきなり可愛いことを――

あ、と小さく喘いだ声を最後に封じて、モブリットはやっとでハンジを解放した。
上がった息の合間に頬と瞼にもキスをして、濡れてしまった彼女の唇をそっと拭う。

「いってきます。……大丈夫ですか?」
「ぬけぬけと……」

眦を赤く染めたハンジに睨まれて、モブリットは視線を逸らした。
だからそういう顔はダメだと。
初めての朝から遅刻を推奨するダメな副長になるわけにはいかないのだ。
凪いだ心境を思い出せ、と理性に働きかけながら、モブリットは最後にと自分に言い聞かせて、ハンジの額にそっと唇を寄せたのだった。