舌よりも饒舌な




瞼の上から鼻先を通って唇にひとつ。
愛おしそうに頬をなぞる手は首筋から鎖骨をなぞり、ささやかな膨らみを掠めて身体のラインを辿っていく。
啄むようにしながらへそ周りまで落としたキスで息を吐いて、モブリットはそこで一度顔を上げた。と、何故かじっと自分を見ていたらしいハンジと目が合った。

「――どうしました?」
「動きに慣れるものだなって」
「慣れる?」

こういうシーンで、あまり良くない言葉だという自覚はないのだろう。ハンジがふっと吐息を漏らすように微笑する。

「手順というか……あなたが次にどこをどう触るかわかる気がして」
「……」
「こういうものも慣れるんだって――モブリット?」

くつくつと可笑しそうに肩を揺らし始めたハンジは、黙したモブリットにようやく思い至ったらしい。けれども不思議そうに名前を呼んで、目尻に溜まった涙を拭う様子に悪びれた様子はない。

「……俺もわかりますよ」

ハンジを暴いたのはそう遠い日の出来事ではないと思うのに、そんなことを言われては、まるで手練手管のなさを嘲笑われているかのようだ。無論ハンジにそのつもりはないのだろうが、随分余裕があるなと思う。
モブリットの一挙手一投足に、まだ慣れきっていない身体であえかな反応を見せるくせに。傷つけないように、怖がらせないように――それでもついタガが外れそうになる度、欲望をひっそりと逃がしているモブリットの努力など知らないハンジの胸に、手を這わせる。

「え? ぁ――ひっ、やっ」
「あなたがどこをどうしたら、そういう声を出すのかとか」

なぞるだけで止めてやらずに、先端を指で弾いて口に含む。

「んぅ、っ」
「胸が意外に敏感だとか」
「ちょ、やめ――ぁ、ンッ」

少し痛いくらいがお気に入りだということも知っている。そういう風にモブリットの手の中で反応するようになった日のことも。歯と舌で舐りながら、右手をショーツの割れ目に下ろす。ピクリと跳ねた腰を無視して横からするりと指を差し入れれば、ぬるりとした感触があった。いつもは優しく愛撫する指を、今日はそのまま中に埋める。

「――ッ!」
「思わず背中反るくらいいいですか」
「そんなわけ……あ!」
「知ってますよ。俺だってずっと見てるんですから」

厭うように首を横に振るハンジの顔をお返しとばかりに見つめていると、睨んだハンジの瞳が一瞬泣きそうに歪んで見えた。唇を噛んで、そのままプイと横を向く。

「……っ」
「……ハンジさん?」

扇情的な羞恥だけではない拒絶を感じて、モブリットはハンジの間から指を抜いた。その動きにすら噛みしめるように息を詰めて、それでも声を聞かせてくれるつもりはないようだ。
少しやりすぎてしまっただろうか。

「しない」

乗り上げたモブリットの下で、ハンジがぼそりとそう言った。

「え」

間の抜けた声、というのはこういう声を言うのだろう。
こんなに濡れているのに? ――違う、モブリットも十分張り詰めて、それはハンジもわかっているのに――ではなくて、強引にし過ぎたのなら次はゆっくり――

「今日はもうしない」
「え、ちょ、」

モブリットの下で拒むように丸まったハンジが、端に蟠っていたシーツをぐいと引き寄せる。
冗談だろう。慌ててシーツに手を伸ばし、

「触るの禁止!」
「え! この状態で!?」
「知るか! 一人でしてろ!」
「えええっ!?」

ピシャリと痛いくらいに跳ね退けられて、シーツの中、完全に丸くなってしまったハンジの旋毛しか覗かないその姿に、モブリットは情けない悲鳴を上げたのだった。

***

蓑虫のように丸まるハンジの殻は、まったくもってモブリットの言葉を受け付けてくれない。宥めすかそうにも耳すら塞いでいるのではと思うほどに、まるで反応をくれないのだ。

「……あー……すみません」
「……」

何度目かの謝罪にもやはりハンジは無反応だ。

「調子に乗りました」
「……」
「可愛くて」
「黙れよ」

拒絶後初めての言葉がこれだ。
すべからく本心で、揶揄したつもりはないのだが、言葉尻の強さからそう取られたのかもしれない。

「……」
「……」

それでも目すら覗かせてくれない頑なさに、モブリットもさすがに理不尽さを感じてしまった。
そもそもの発端はハンジにあるのに。
クソ、と毒吐きたい気持ちを辛うじて抑えて、溜息に変える。そうすればほんの僅かにだがシーツを持ち上げているハンジの指先の力が緩んだようだった。
モブリットは細い息を吐いて、ハンジのつむじに本音を言った。

「あなたが慣れたとか言うから、少し面白くなくなりました」
「……」
「今日はもう駄目なんですよね」
「……」

否定も肯定もないハンジの指にそっと触れる。
さすがに無理にするつもりはない。

「隣で寝るのは?」
「……」

それでも、こうして何事もなく二人過ごせる日が、明日も来る保障はない。
だから繋がらずともせめて近くに。
返事をくれないハンジの隣に寝転んで、モブリットは許しを請うようにその指先を優しくシーツから外していく。

「……」
「ダメなら戻ります」
「……」

微かな抵抗だけで、おとなしく指を預けてくれるハンジの指先に感謝のキスを落とす。吐息を滲ませるモブリットを、ハンジがようやくシーツから視線だけは見せてくれた。
その顔がまだむくれている――というのとは少し違うようだが、機嫌が良くないのだということはわかる。
苦笑して、でも唇へのキスはきっと拒まれてしまうだろうなと残念に思いながら、モブリットはそっと口を開けた。
ハンジの指先を唇だけで優しく食んで、それからひたりと舌をつける。

「っ、モブリット、今日はしないと――」
「しません。指だけ」

もう何もしないから、これだけだから、許してください。
懇願にも似た口調で言って、モブリットは、つ、と指を舐る。
右手の人差し指、その付け根、中指に移動して慈しむように肉厚な舌をねっとりとつけて、ハンジを味わう。けして柔らかいとはいえないグリップを握ることに馴染んだ手が、モブリットに食まれてヒクリと震える。

「……っ、ぅ」
「指だけです」
「……く、ん…っ、」

指紋の一筋も余すことなく舐めあげて、モブリットは息を漏らした。
熱い吐息が濡れて光るハンジの指にかかり、少しふやけた感触がモブリットの唇に触れる。そこにもう一度キスを落として、モブリットはまた人差し指をぱくりと食べた。

「――ハンジさん……」
「ぁ……」

目を閉じて、耐えるように眉を寄せるハンジを呼ぶ。
その彼女の唇に、ハンジの手を取っていない方の手でそっと触れると、抵抗も薄く薄く開いた。中に見える白い歯と、その奥の舌の赤が誘うように蠢いて、モブリットは中指を軽く押し込んだ。

「……ん、ぅ」

苦しげに喉を鳴らして、ハンジがモブリットを見つめる。潤んだ瞳は生理的なものなのか。それでも引き抜こうとはしないハンジに、モブリットはハンジに見せつけるように、彼女の指を丁寧に舐った。
舌を出して、付け根から、指紋の筋に這わせるように。
目尻に溜まった滴を一筋こぼして、僅かに乱れた息をつくハンジが、おずおずとモブリットの指に舌を伸ばした。
自分の指に与えられているのと同じ刺激になるように、モブリットを見つめて、後を追うように舌を絡ませる。
モブリットがハンジの指の先端をくわえ、舌先で遊ぶ。
そうすればハンジも同じ動きで、モブリットの指先を舐める。

「ふ――、」
「ん、ん……ふぁ」

ちゅ、ぴちゃ、と唾液の混じる音がする。
けれども口唇は離れたまま、ひたすら互いの指をふやけるほどに愛撫する音だ。
右手を蕩かされながら、ハンジも一心不乱にモブリットの指を、もうモブリットの教えを請わずに蕩かしている。

「……ハンジさん」

小休止を、のつもりで呼んだ名前が熱の籠もった声になった。
内心で笑う余裕すらないモブリットを見つめ返すハンジの口から、指を引き抜く。ぬちりと淫猥な音がして、繋がった唾液が糸を引くのに、視覚的にも煽られて、下半身がひどく疼く。

「指だけ、にします……?」

ハンジはまだ違うだろうか。
おそらく情けない顔をしているだろう自覚はあるが、どう取り繕うことも出来ないままにそう言うと、取られている指先をぼんやりと見遣ったハンジの瞳に意識が戻ったのがわかった。
もごもごと言いにくそうに唇を動かし、シーツの中に半分ほど顔を埋める。

「……私だって、恥ずかしいと思うことくらいあるんだ」
「はい」

それでも指はモブリットに預けたまま、モブリットの指も、まだハンジが握っている。
シーツの中から上目遣いで様子を窺うように見つめられて、モブリットは「すみません」と眉を下げた。逡巡したように視線を泳がせたハンジが、一回りしてようやくモブリットに戻ってくる。
今度は羞恥を乗せた一睨みで、照れ隠しだとわかるから、苦笑を乗せないようにするのが一苦労だった。

「言葉が足りなかったのはごめん」
「……」

もぞりと動いたハンジが、謝罪と同時にモブリットの指先に唇をつける。ハンジの唾液で妖しげに光る指と唇の間に、またうっすらと引く銀糸の効果を、彼女はおそらく意に介していない。
だから、まだ言葉を続けようとする。

「慣れるっていうのは、――あなたの触り方が気持ち良くて、だから期待しちゃうぜ!っていうくらいのつもりで――」
「ハンジさん」

けれどモブリットは限界だ。そんな照れを隠した物言いをしても無駄だ。それすらモブリットへの刺激でしかない。
無理矢理ハンジから指を取り返したモブリットが、寝転んだままガッとハンジの肩を掴む。

「――え、な、なに」

突然の行動に、驚きと戸惑いを露わにしたハンジが身を竦めた。
先程の言葉を撤回する。指だけの添い寝は出来そうにない。約束を違えるのは不本意なので、正直に許しを願うことにする。

「爆発しそうです」

感情も下半身も。
駄目ならはっきり拒絶してくれ。
腕を伸ばせば簡単に抱きしめてしまえる距離を置きながら、懇願の声を出したモブリットを、ハンジは瞬きもなく見つめてくる。
それから、モブリットの唾液で濡れた右手をそっと頬に当てた。
散々舐られて水気の多い指先が、モブリットの輪郭をなぞる。

「……したいの?」
「ものすごく」
「指だけとか言ったくせに?」
「指は性感帯なんですよ」

しれっと言えば、ぱちくりと瞬いたハンジがすっと半眼になる。

「……わざとか!」
「早く欲しがってくれればいいのにと思っていました」
「このやろう」

また蓑虫の再来か。
身構えたモブリットを忌々しげに睨んだハンジは、しかしシーツの檻を手放した。代わりに肩に置かれたモブリットの手首を引いて、仰向いた自分の上で抱き締めるようにハンジが背中に手を回す。

「……ええと?」
「焦らし禁止」

ぐっと抱き寄せたハンジがモブリットの耳元に小さく嘯く。
接触禁止から新たな禁止事項に変更されたようで何よりだ。
けど、焦らされるのも嫌いじゃないでしょう、とは言わないでおく。

「了解しました」

口の端を上げてハンジの耳朶に甘く低く囁きながら、モブリットはようやく許された指以外へと舌を這わせる。
小さく喘ぐ声を絡めて奪って、顎を滑り、指先が臍を刺激し、再びその下の茂みの中へ。
まだそれほど慣らしていなかったはずの割れ目に沈む粘着質な潤いに、今夜はたぶん焦らせないなと、モブリットはそっと熱い吐息を漏らした。