オンリーキッチン 麗らかなハンジ班の昼下がり。 正規の休憩時間に食事を終えた面々は、仕事でずれ込んだらしい上官二人の食事風景を横目に、黙々と自分達の仕事に打ち込んでいた。 先に自分の分を食べ終えたモブリットが、ハンジを見て席を立つ。「分隊長」と何度か声を掛け、資料を読む手を止めない彼女に小さく呆れたような息をひとつ。それから彼女の隣に椅子を引いてしっかり腰を落ち着ける。 これから始まるハンジの栄養摂取はいつものことだ。 いつも通り。 班員達の目の前で繰り広げられるそれは、見て見ないふりでやり過ごすのが暗黙のルール。 モブリットの手が、ハンジの手つかずのトレーに伸びる。 硬いパンをちぎりスープに浸し、零れる前にさっとハンジの口元に運ぶ。当然のようにぱかりと開けられた口にぽいと押し込んで、また次のパンへ。 添えられたハッシュドポテトに一瞬考える素振りを見せたモブリットは、しかし器用に一口大のサンドイッチに仕立て上げた。ハンジの口元にそれを運ぶ。が、今度はポテトを挟んだ厚みの分だけ、口の開きが少し小さいようだった。 どうするつもりかと視界の端で見ていた面々は、モブリットが片方の手をハンジの下顎に添えたのを見た。 親指で下唇に軽く触れる。そのままそっと下に引いて開かせた口の中へ、小さなサンドイッチを押し込んでやる。 されるがまま、もそもそと咀嚼したハンジが飲み込んで、それから「あ」と声を出した。 「これ美味しい」 「良かったです。スープをどうぞ。溢さないでくださいね」 「うん」 ようやく食事に意識を戻してくれたらしいハンジへ、僅かに目元を緩ませたモブリットが、念の為とでもいうかのように、受け取られたハンジのスープボウルの底にそっと手を添えた。 至れり尽くせり――脳内に思わず浮かんだ言葉は、なぜだろう。少し違う気がする。 食事の用意をして、手ずから食べさせ、溢さないよう手を添えて――…… (――介護!) (介護か……!) ピッタリな言葉の閃きに震えるケイジとゴーグルの前で、モブリットが再びハッシュドポテトサンドを作り出した。 それに二人は思わず顔を見合わせた。浮かんだ疑問に首を捻る。 分隊長はこちらに戻ってきてくれたのだから、残りは自分で食べるだろうに。 だがモブリットお手製のサンドイッチが完成するまでじっと待っていたらしいハンジは、やはり当然のように口元に持ち上げたモブリットの手からぱくりと口で受け取った。 ((…………)) 深く考えたらいけないやつだ。 いつものことだ。当然すぎて、たまにおかしいと思わないわけでもないが、例え突っ込んで聞いたところできょとんとした顔を向けられて「何を言っているんだ」と言われるのがオチだと知っている。 書類仕事に没頭しようと下を向く二人の前で、最後のサンドイッチを食べ終えたハンジに、モブリットが息を吐く気配がした。やっと終わったかと顔を上げて―― 「ついてますよ」 口の端についていたらしいポテトの欠片を親指で掬ったモブリットが、あっと思う間もなくぺろりと自分の舌で舐めとったのを見てしまった。苦笑する彼に「ありがとう」とあっけらかんと言ったハンジも、まるで何事もなかったかのように再び資料に視線を戻す。 無言以外、他に対処のしようがない。 半眼になりかけた互いを気配で慰めあったケイジとゴーグルは、しかしその隣で不穏な動きをしたニファに思わず顔を向けた。 訓練兵時代の座学の授業で見たようなピシリと腕を伸ばした挙手をして、ニファが上官二人の注意を引いた。 「で、結局お二人はお付き合いをされているんですか?」 「え?」 「おい、ニファ」 「怖いもの知らずめ」 予想通りきょとんとした顔でこちらを見たハンジの隣で、ちらりと視線だけをくれたモブリットは、ニファの質問を回答不要と判断したらしい。そのままトレーを片付けようと立ち上がる。そんな彼の横で、ハンジはふむと考え込むように右の拳を顎に当てた。 まさか答えてくれるのだろうか。 とうとう微妙な二人の関係が白日の下に―― 思わず固唾を飲んで見守る姿勢になった部下の前で、ハンジはおもむろにモブリットを見上げる。 「ねえ、どうだったっけ。モブリット」 「はあぁぁ!?」 ((無茶振った……!)) 至極真面目ぶった口調で言ったハンジは絶対にわざとだ。 素っ頓狂な声を上げた副長を、頬杖をついて迎える視線はにやにやと弧を描いて見える。 それに気づいたモブリットも、すぐさま半眼でハンジを見据えた。 「そういうわざとニファを煽るようなことを言わないでください」 「ごめんごめん。だってニファくっそ可愛くて」 「はいそうですね、ああ、付き合ってないよニファ」 ハンジの言葉に微妙におざなりな相槌を打って、モブリットは仕方なしとばかりに振り返った。 くつくつと肩を揺らして「だってさ。付き合ってないそうだよニファ」と繋いだハンジの言い方に、モブリットが眉を顰める。 いつも通り息の合った掛け合いながら、はっきりと否定の言葉を紡いだモブリットに、しかしニファは無言になった。 「……」 「ん? どうしたの?」 「ニファ?」 上官二人に声を掛けられたニファは、じとりとモブリットを見つめ、ハンジを見つめ、それから再び視線をモブリットへと戻した。言葉の真意を検分する、というよりは、もっと冷ややかな表情だ。 ハンジ班最年少の才媛が上官へ向ける珍しい態度に、上官二人はちらりと顔を見合わせ、互いに心当たりを視線で探ったようだった。その様子にニファの瞳がすっと冷たく細められ、僅かに剣呑な色が乗る。 それから拗ねたように下を向き、 「……付き合ってないのに関係だけあるって………………不純」 静まり返った研究室に、ぽそりとニファの言葉が響く。 「……」 「……」 「……」 「……」 瞬くハンジと、ぽかんと間の抜けた表情で口を開けるモブリット、思わず上官二人を食い入るように見つめてしまったケイジとゴーグル。 四者四様の沈黙が落ちる。 ニファからもたらされた言葉の意味を最初に解したのはモブリットだ。 「――はっ! え、……え!? いやいやいや、ニファ、何を……違うぞ!?」 ねえ、と慌てたように振り向いて同意を求めたもう一方の当事者は、何故だがモブリットから顔を逸らして伏せていた。わけがわからないといった表情で一瞬止まったモブリットが、何か言葉を探すより早く、ハンジが呟く。 「だから昨日部屋出るとき気をつけてって言ったのに……」 「分隊長オォォ!!? だから煽るなって言ってんでしょうがああ!!!」 これはどっちだ。やはり二人は違うのか。 ふるふると小さく震えて見えた上官が、小規模地震のようにカタカタと揺れだし、腹を抱えて爆笑を始めたのは、それから間もなくのことだった。 【Fin】 |