はじめてのおつかい 「……っ、う」 室内から息を詰めたような声が聞こえて、オルオはノックの為に出しかけていた手を止めた。 気のせいだろうかと首を捻る。特に気配を殺す様子は感じられない。 リヴァイ兵士長から急ぎでと渡された書類を脇に抱え直して、オルオは注意深く中の様子に耳を凝らしてみた。 自分を信頼して任せられた本日の任務は、ハンジ分隊長からこの書類へサインを貰ってくることだ。簡単だ。 さあ今度こそと、オルオはもう一度拳を打ちかけて―― 「まだそうでもないでしょう?」 聞き覚えのある男の声に、再びビクリと手を止めてしまった。 この声は確か――いやでもまさか。 扉にかかる目前のプレートを確認するも、やはりここは第四分隊お抱えの研究室で間違いはない。 ここに来る前に時間も確認した。知らない間に意識を飛ばしていたのでなければ、今はまだ午前中で合っているはずだ。 それがなぜ、相手はまさか―― 「いたっ、いって、ば……ッ、そこダメ……!」 「……ここですか? それとも、ここ?」 「あっ!」 先ほど一瞬だけ聞こえた息声ではない、聞き覚えのある二人の声音がドアの外から今度こそはっきりと聞こえて、完全に相手がわかってしまった。 もしかして、と思ったことがないでもない第四分隊の分隊長と副長がまさか、そんな、真っ昼間から職務中に――! 頭の良い人達だと思っていた。 その二人が、こんな、いつ誰が来るとも知れない場所で、何を……何がどうしてそんなことに。理性が振り切れ抑制のきかなくなるようなことがあったのだろうか。そうか。それならそれで仕方な……いのか? いや、ちょっと待て。仕事中だ。そうでなくとも場所が、場所で、時間が、太陽、部屋は明るく――……兵長俺は今何をすれば良いのでしょうか……! 「こら、逃げないで。良くなりますから」 「だって、っ……モブリット、強す、ぎ――」 「じゃあゆっくりしますから。……力抜いてください」 「うん……」 理性的に話すか、突然ネジが切れたように捲くし立てるイメージしかなかったハンジのこんな心許ない声を初めて聞いた。ドクンドクン、と身体全部が心臓になってしまったようだ。 反面、いつも彼女の少し後ろで、時に心配そうに、時に慌てふためいて止めに入っているモブリット副長の声は平坦だ。恋人、なのだろうか。それとも、そういうことをする相手――がいることもある、という知識くらいはオルオにもあった。だからつまり、二人はいわば身体だけの大人な関係なのだろうか。 何にせよ、副長の言葉におとなしく従う分隊長、ということだけで、普通じゃない。当然だ。結局どういう間柄だとして、中では、つまり、今まさに、二人はそういう行為に興じているわけで―― 「これくらい……?」 「ん……もうちょっと、いいよ」 「こう、ですか?」 「あ、……ぅん…ッ! ん……」 ノックを強行する度胸など、オルオにはなかった。もしすれば、理性を取り戻した二人は少しの沈黙の後で、何事もなかったような顔をしながらオルオを迎えてくれるかもしれない。けれど、オルオ自身がどういう態度を取っていいのかわからない。 これから彼らを見掛ける度に、果たして自分は知らぬ存ぜぬを出来るだろうか。いや、無理だ。 「いっ、あ」 「……ここ気持ち良いですよね」 「でもそれ以上は――モブリット!」 「すみません、つい」 「ダメって言ってるだろ、いじわる……!」 立ち去らなければ。 もうこれ以上は聞いたらダメだ。動け。歩け。俺の足! 書類を抱きしめ、拳を握ったまま、ふるふると震えるオルオの前で、唐突に禁断の扉が開かれた。 「――ひぃっ!!」 不審あらわな表情で現れたのは、第一班に所属するゴーグルの彼だった。 思わず悲鳴を上げてしまったオルオを認めた彼は至極驚いたような顔になる。それから不思議そうにマジマジと見つめられて、オルオは全身から汗が噴き出すのを感じた。 どうして彼がここに――いや、ここは第四分隊の研究室なのだから当然で――いやでも中では彼の上官達が今まさにものすごいことをしているわけで――何だこれどういうことだこれ、つまりこれは普通なのか?それとも見せてるとかそういう嗜好か? だとしたら俺もこれから中に入れられ――ああああ、どうしよう、動け、動け俺の足! 兵長すみません、俺はお使いすらきちんと出来ませんでした……!!! 「あの――」 「うん?」 「どうした?」 オルオの混乱と葛藤をよそに奥へと首を巡らせたゴーグルに、二人が同時に返事をした。声に、おかしな艶や甘さは感じられない。 ゴーグルはオルオの手に持った書類をさっと一瞥すると、体を避けて、オルオに見えるように室内に迎え入れる仕草をした。 「たぶん兵長からの書類を持ってきたオルオがドアの前で茹だってたんで、一度そのマッサージ止めてあげてくれませんか」 マッサージ? いかがわしい、その、つまり、あれなマッサージ、か……? 妙な香油で満たされ怪しげな民族音楽の鳴り響く室内とは違うようだが、書物や、オルオにはよくわからない実験用具で満たされた室内は、禁断の香りで満たされているのか。 「お、おと、お取り込み中、大変申しわk……ありっ、ひぶぅぅっ!!!」 「オルオー?」 思い切り舌を噛んで言ったオルオに、奥に見えるハンジが首を伸ばして軽く呼びかけてきた。 薄目を開けたオルオの目では、服が乱されたようには見えない。 隣に座っているらしいモブリットも同様だ。 ただその両手は、ハンジの手のひらに触れているようだった。 「おー、どうしたどうした。遠慮しないで入っておいでよー。……って、いったい! そこ! 痛いってモブリット! もっと優しく!」 「この禁書によるとですね、ここが痛むということは、腸が荒れてるそうですよ。俺は何ともありませんでした。やっぱり不摂生がたたってるんじゃないですか。だから常日頃からきちんとしてくださいとあれほど――」 「わかった! わかったから! ちょ、ま、……いってえええっ!!!」 禁書? 何だ、どういうことだ?? ほとんど無表情で手を取るモブリット副長と、色気とは無縁の表情で悶絶する分隊長が何をしているのか理解が全く追いついてこない。恐怖と緊張で真っ赤になりながら、オルオは早く兵長の元に帰りたい、と泣きそうになりながらそう思った。 【Fin】 |