寝姿★どっきりウォッチング 第四分隊第一斑に充てられた研究室は、奥にひとつ部屋がある。 ドア続きで普段は大抵開け放されているが、来客時やその部屋の主であるハンジ・ゾエが尋常でない集中力を発する時、または内々にしたい話がある時には閉められる。分隊長として勿論個人の執務室は他にあるのだが、積み上げられた資料の山を片すに丁度良いというハンジ自らの提案で、そちらは既にただの資料室と化していた。 来客用に置かれていたソファを研究室に運び入れてしまってからは、簡易仮眠室のようにもなって、彼女の副長が言葉なく肩を落としていた姿を見た者は少なくなかった。 「――さて。毎度恒例となりました、ハンジ班開かずの間、改め、開きっ放しの間、実況中継の始まりです」 その部屋へ、忍ぶ三人の男女が近づいていた。 一人は黒髪を肩より短い高さで切り揃えたおかっぱの少女で、もう一人は金髪に眼鏡をかけた髭面の男、それに少女と同じ黒髪を短く刈り込んだ吊り気味の目の若い男だ。 誰に言うでもなく「お待たせしました」と呟いた少女に、眼鏡の男が苦笑した。 「声を潜める意味あるのか? ニファ」 「だってもし中で見ちゃいけないことしてたらどうするの」 「そんなもん、するなら絶対ここじゃねえだろ。流石にちゃんと部屋で鍵かけて」 「何考えてるの? ケイジ、最低」 「なんでだよ!?」 しろりと半眼で睨まれて思わず大きな声を出した吊り目の男に、少女はシッと人差し指を立てて見せた。理不尽な指示だ。が、渋々従い、三人はドアの開いた部屋の入口からとりあえず頭だけを縦一列に覗かせて、中の様子を窺った。 カーテンのない格子窓から薄く光が射している。きちんとした日の出までもう三十分もないだろうが、早朝の明るさは十分部屋の隅々を照らしていた。 しかし日の当たる机にも椅子にも、そしてソファにも目当ての姿が見当たらない。 「……あれ?」 「何だ、いないのか?」 「でもさっきモブリットは部屋にいなかったぞ?」 少しだけ声の大きさを上げつつ三人は互いに顔を見合わせた。 昨日はなんだかんだと次の会議に提出する資料をまとめると言っていたハンジに、モブリットは付き合っていたはずだ。「あんたいい加減に寝てくださいよ!?」と語気荒い懇願に「これだけだから! これ終わったらすぐ! すぐ寝るから! モブリットは先に寝てて本当いいから!」と資料の奪い合いをしていたのを見ている。それ三日前から聞いてるな、と三聞き流しながら、三人は各々は仕事を進めていたのだから。 ほとんど寝ずの徹夜が続いた後は、この部屋で屍のように二人で寝ているのが恒例だ。 初めは二人仲良く机に突っ伏していたのを、見つけた少女が追い立てるように起こしていた。一人が机で一人が椅子や、狭いソファに挟まりながら唸っていたり、二人で床に転がっていたこともある。 そんな状況が続く中、いつの頃からか、なんとはなしにこの部屋で迎える上官二人の寝姿を確かめるようになったのだった。 班内一の絵描きの名手がターゲットの為、記録は記憶で、詳細は小声の実況となっている。 それが、今日はどうしたことだろう。 机にも椅子にもソファにも、見える範囲の床にも二人の姿はないようだ。 静まり返った部屋の中に足を一歩を踏み出して、三人ははてと首を捻った。 机上から落ちたのだろう資料が床に散らばっている。それを拾って歩く少女について行きながら、この状況の可能性を考えてみる。 「今回は分隊長の部屋で寝かしつけ成功したのか?」 「……で、モブリットも戻ってきてないってどういうことだよ?」 「そりゃお前、二人でベッドで」 「――いた!」 こそこそと想像を掻き立てながら話していた男二人は、少女の声に口を閉じた。 立ち止まった彼女の視線の先、ソファの後ろから見慣れたブーツが見えていた。数は三本。もう一本の行方は、覗き込んですぐにわかった。 「……何でこんなところに?」 「ソファから落ちたのか?」 「いや後ろだし、重なりすぎだろ。乱闘してて寝落ちたんじゃねえの?」 ソファの陰、その床に探していた二人はいた。 この部屋の主、第四分隊分隊長ハンジ・ゾエと、その副長モブリット・バーナーその人だ。 モブリットが片膝を立て、その左隣に俯せのハンジがしっかりと身体を乗せている。足の間に足が投げられ、見えていたのはその三本だった。モブリットの胸板につけた額のせいか、ハンジの眼鏡はずり上がりほとんど頭の上にある。 「乱闘……」 「資料は散乱してたもんね」 「で、こうなった、と」 ぴくりとも動かない上官二人に、起きる気配はないようだ。 三人は再び声を潜めて、思い思いの推測を始めた。 「筋は通る」 「でもずっとこの態勢はきつくないかな」 「じゃあ一度起きて、こうなったってのか? それじゃあまるで分隊長が副長襲ってたってことになるぞ?」 「ケイジ最っ低」 「だからなんでだよ!?」 格子窓から射し込む光の届かない場所で、折り重なった上官二人の衣服に乱れた個所は見当たらない。 強いて言うならいつもは第一ボタンまでしっかり掛けるモブリットが、第二ボタンまで外しているといったところか。けれどもそれは、徹夜に徹夜を重ねた状況なら、首元の自由くらいするだろうといった程度の乱れでしかない。 また声を荒げた吊り目の男に、今度は眼鏡の男がシッと唇を窄めて見せた。 それから難しい顔で上官二人を見下ろしている少女の後頭部に声を掛ける。 「まあ、でもこれは最近のナンバーワン寝相じゃないですか、実況のニファさん」 モブリットの右手はソファとの間で窮屈そうに曲げられて、手のひらがそれを邪険にするように押している。ハンジの左手はモブリットの肩に掛けられ、緩んだ指先がシャツを僅かに引っ掛けていた。 「ではあくまで仮説で、昨夜の状況を推測実況してみましょう」 声を潜めて頷いた少女は、腕を組むのに邪魔な資料を後ろ手で吊り目の男に差し渡す。辟易とした表情で、それでも大人しく資料を受け取った男も、黙って少女の言葉を待っている。室内には上官達の寝息だけが聞こえていた。 「この状況、おそらく我々が退室した後も、二人はほとんど明け方まで仕事を続けていたと思われます。そして流石に限界をきたした副長が、分隊長に睡眠を迫った」 「けれども分隊長は頷かなかったわけですね」 「そう――」 真面目な口調で眼鏡をきらりと持ち上げ入れられた合いの手に、少女は頷く。 「もうちょっとだから、おそらくそんな言葉で副長の言葉に反論した」 「……目に浮かぶな」 「それが、この資料が散乱していたことの裏付けになります」 後ろで持たせた資料をニヤリと見返し、少女は上官に顔を戻した。 「取り上げてしまえば寝ざるを得ない、そう考えた副長が資料を奪おうとする。けれど一瞬早く察した分隊長がそうはさせじと書類を持って、二人は部屋の中を駆け回った」 駆け回れるほど広いわけでもない部屋だが、障害物はそこそこにある。逃げたハンジを追うモブリットは、そう簡単には捕まえられなかったと思われた。その証拠に、机の周りのみならず、資料は入口やこのソファの裏にまで入り込んでいるものがあった。 あながち外れてもいない推理に、男二人もうんうんと頷く。 「ソファを挟んで対峙した瞬間があったかもしれない。そこで副長は意を決してソファの後ろにいた分隊長に飛び掛かった――!」 「いや、さすがにそれは……」 「まあ普通に追い詰めたんだろうけどな」 「空気読んで」 二人の冷静な突っ込みはぴしゃりと畳んで、少女はぷうと頬を膨らませた。 後ろで苦笑しつつ肩を竦めながら、彼らはそれぞれ口を噤んで続きを促す。 気を取り直して、少女はまた真剣な口調を取り繕った。 「……でもそこまで。何故なら副長は睡眠不足の限界だった」 ハンジの左手は、床の上、その頭の横へ投げ出されたモブリットの右手の上に重ねられていた。互いに指は交差している。けれど握り込んでいるのはなく、力なく指の間に滑り落ちているといった風に見えた。 「バランスを崩し倒れた副長は床にゆっくりと頽れた。……おそらくそのまま睡魔に負けてしまったのでしょう。激しい睡眠不足時には、硬い床もふかふかのベッドに見えることがあります。これ幸いと分隊長は逃げようとした。けれども今まで寝ろと叫んで自分を追いかけていたはずの副長が追いかけてこないことに気づきます。見てみると、副長はまるで動かない。そのことに、同じく睡眠不足で頭の回らない分隊長はさすがに焦った。モブリット、と呼びかけておそるおそる近づいていく」 床に転がったまま動かない二人は、まるで少女の推測を具現化した結果のように規則正しい寝息を立てている。 「心配で胸を叩いてみても反応がない。けれども副長は寝ているだけです。そして案外人間の体温というのは高い。分隊長も見た目があれだけハイテンションなら、それだけ本能は睡眠を欲して限界は近かったはず。触れた副長は温かかった。頬もなんだかふっくらしてる。寝心地良さそう。だから、つい、ちょっとだけだと瞼を閉じて――」 「人間布団になって寝落ちたんだと。まあ下膨れは関係ないけどな?」 「よし、わかったところで毛布掛けて朝飯行くぞ」 「あっ、ひどい、最後も私が言いたかったのに!」 眼鏡の男が、抱えていた毛布を手際よく重なった二人の上に掛けていく。 近場に散らかった資料の残りを拾い終えた吊り目の男の後ろを追いながら、少女は不満そうな声を出した。けれども朝食の提案に異論はないようだ。足音も声もまだ潜めたままでやり取りしながら、三人はドアの前で最後に中を振り返った。床でもどこでも、とりあえず寝ているのならそれがいい。二人の朝食は取り置いて、後でここまで持ってきてあげよう。 おやすみなさい、と小さく小さく呟いて、三人はそっと部屋のドアを閉めた。 ****** 「……あっぶねえええ……」 三人の気配が完全に消えた室内で、女はむくりと顔を上げた。首元まで掛けられた毛布は少し埃っぽい臭いがする。 「生きた心地がしませんでした……」 女の下で呟いた男が、左手の指に力を入れた。それに答えて女の指にも力が入った。そうすれば緩く交差していただけの指先が互いにしっかりと絡められる。 男の言葉に頷いて指は絡めたまま身体の上から退いた女は、そのままするりと横に寝転がると、安心したようにホッと肩を撫でおろした。 そのシャツは、ボタンが乱雑に外れている。 「モブリット、ものすごく心臓バクバクいっててバレるんじゃないかと思ったよ」 「あなただって手汗物凄いことになってましたよ」 「いや、だってさあ」 はあ、と深い息を吐いて、頭の上にまでずり上がっていた眼鏡を元の位置に戻す。 指摘され指を解いた女は、こっそりと自分のシャツで手のひらを拭った。その肩を、朝の寒さから守るように男の左手がそっと抱き、右手で毛布を引き寄せる。身体にぴたりと密着するように丸まった女の額に、男も細い息を吐いた。 「ニファ、鋭すぎだろ。何で私がモブリットって呼びかけるとこまでわかったの。見てたのかと思ったわー。びっくりしたよね!」 「飛び掛かってはいませんけどね。もう勝手にしてくださいと、俺がここで諦めたフリをしただけで」 「ずるいよね。怒ったのかと思ったよ」 「怒らせたと思った相手を押し倒すんですかあんたは!」 右手を自分の顔に当てて、潜めがちな声音で怒った男に、女は「ごめんってば」と言いながらくすくすと笑う。 そう思っているようにはまるで見えない。 眠い頭で考えた作戦で、近づいた彼女を捕まえ無理やり寝かしつけようとしたのはまだほんの数分前の出来事だった。 油断させる為とはいえ、寝転がったのが悪かったのかもしれない。少女の推理通り、睡眠欲に負けて一瞬意識が遠のいた。その隙を突いた女に乗り上げられ、うっかり強引に奪われてしまうところだった。 自分の上で片手を押え、不器用にシャツのボタンを外そうと奮闘する姿はあまり見ることのないもので、思わず抵抗を忘れてしまったのも失態だ。 「だってモブリット、私に『寝ましょう』って言ったじゃないか」 「その寝るじゃありません」 敢えてか無意識か、取り違えられた台詞も大分問題だったらしい。 「朝食はきっとニファ達が取り置いてくれるはずですから、今度こそ寝ま――眠りましょう」 「睡眠の方?」 「睡眠の方です」 「ん〜……そうだね、そうしようかな。モブリットあったかいし……」 三人の侵入者のお蔭で目が覚めてしまたかと思った女は、けれども男の身体にすりっと額を擦り付けた。 人間の体温は高いから―― 計らずも、少女の推測はどうやら未来予想になりそうだ。 再び彼らが戻ってくるまで。それくらいならこのままここで。少しだけ。 互いの体温を手繰り寄せるように腕を回して、今度こそ二人は本当の寝息を立て始めたのだった。 【FIN】 ::::::::::戻って来たニファにシャツの乱れを指摘されて言葉に詰まる副長まであと少しなやつ。 |