想いは突然に



混乱の最中に背中を見失ったわけじゃない。
指揮官を失い、主力兵士の大半も戦力外となった班に行き当たったのは偶然だった。恐怖と混乱で冷静さを欠き始めていた年若い生き残った兵達へ、モブリットが宛がわれたのは、あの場合当然といえた。
けれどもハンジがいるはずの方向で、奇行種の出現を知らせる黒い煙弾がたなびくのを認めた時、意識がそちらへ傾いた。ぞわりと背中が総毛立つ。
当てられた役割をこなし続ける冷静な理性の下で、ともすれば胃液がこみ上げてきそうな悪寒が腹を這いずり回る気分になったのは事実だった。

(――大丈夫。大丈夫だ)

過去の経験という根拠のない気休めを自分に言い聞かせて帰投したモブリットは、負傷兵を搬送後、ようやく人心地ついた。
仮初めの指揮官から本来の役割に戻る。
分隊へと踵を返したモブリットの足を、乱暴に扉の開く音が止めた。

「バーナー副長はいらっしゃいますか! ハンジ分隊長が!」
「ここだ」

周囲が一瞬静まるほどの静かな声がモブリットの口をついた。
自分を呼んだ兵士の元へ行き、内容を聞く。

「わかった」

伝令だという彼では状況の子細は分からなかった。が、結果がわかれば同じことだ。
安置されていると指定された場所へ向かう。
足はしっかりと地面を踏みしめ前に進み、当然ながら感触はある。
こういう場面で血の気を失うというのは嘘だな、と妙に冷静な思考でモブリットは思った。感覚は痛いくらいに良好だ。ただ、全身を巡る血液の温度だけが、音を立てて凍てついているのを感じるだけだ。
あちらこちらでされているのだろう事後の報告や、苦痛に呻くざわめきが、何重にも幕を張ったように遠くに聞こえる。


「――あ、モブリット!」


だから、開け放されたドアの向こうに、居るはずがないと思っていた人物を見つけ、彼女がこちらを見て手を上げた時、モブリットは思わず目を疑ってしまった。幻覚を見るほど、実は冷静さを欠いているのだろうかと立ち止まる。
けれど自分が呼ばれたのだと理解して、モブリットは気持ちだけ急いて表情は変わらないまま、返事をしようと口を開け、

「……は」

声が咽喉の奥に張り付いたように上手く言葉にならなかった。
訝しげにハンジがモブリットに近づいてくる。

「遅かったじゃないか。呼びに行かせて結構経つから、何かあったのかと――……モブリット?」
「あなたが――……しんだ、と」
「私が? 生きてる生きてる。出てきた奇行種にちょっと話を聞こうとしたら、ケイジにクッソ怒られたけど」
「当たり前でしょうがー! 副長いない時に無茶するとか止めてくださいよ!」

目の前でへらりと笑ったハンジの後ろで、ケイジが血相を変えてやってきた。
なるほど。こうやって止めてくれたのか。さすがケイジだ。おかげで分隊長は無事だった。

(無事……)

「モブリット? 君の方が真っ青だけど、どこか怪我でも――」

動きを忘れてしまったかのように固まっているモブリットへ、心配そうにハンジが手を伸ばした。汗の引いた頬にハンジの指先が触れ、ぬくもりを感じる――と、同時に、モブリットは無意識にハンジを引いた。

「うわっぷ! モ、モブリット?」
「あなたが、死んだと」

ハンジにしか聞こえないだろう小声で呟いた声が震える。
驚いてモブリットの胸を押し掛けていたハンジが動きを止めた。
温かかった。ドクンドクン、と脈打つ鼓動がシャツ越しに伝わって、ようやくモブリットの血に温度が通い始める。
生きている。生きている。
抱き締めたハンジの身体は温かく、生きている人間の柔らかさと固さがある。
思わずギュウときつくなってしまった腕の拘束に、ハンジが小さく息を詰めた。

「すみませ――」

それに気づいて、モブリットは慌てて離しかけ――ハンジの腕がモブリットの背中を抱いて止めた。
宥めるようなリズムで、背中をポンポンと何度も優しく叩かれる。

「……大げさなんだよモブリットは」

小さく言われた言葉が、揶揄ではない甘さでモブリットの胸に響いた。はい、と頷きながら、汗と土の臭いのするハンジの髪に指を差し込む。

「すみません」

――でも、あなたが無事で本当に良かった。

声にはせず、想いだけを乗せて、モブリットは耳朶に寄せた唇で息を吐いた。
うん、とくすぐったそうに言ったハンジを最後にもう一度だけ抱き締めて、モブリットはようやく腕の拘束を緩めたのだった。


【Fin.】


これ周りみんないるし、状況よくわからないけど分隊長が抱き返してるし宥めてるっぽいし、「……副長ガチだな」ってスルーされるやつですね!