馬車の中




舗装されきれていない道に車輪が食むたびゴトリと揺れる馬車は、薄い革張りの椅子が衝撃を吸収してくれるわけもなく。振動は直接尻を伝って骨に響く。
ほとんど三徹に近く没頭した研究の末に発見した巨人対策の新たな可能性を、請われるままスポンサーのお偉方が興味を引くよう話せる機会を与えられての帰途だった。
資金繰りはどうにかクリア出来そうだ。試作機の作成費を請け負ってくれる承認がおりたとエルヴィンから聞き、歓喜と安堵、それに思い出したような疲労感で膝が震えた。まさか倒れるつもりはなかったけれど、おそらく万が一を考えて半歩後ろを詰めてくれていたらしいモブリットの気配を感じた。当然、エルヴィンにも見透かされてしまったようだ。先に戻っていなさい、と柔らかく厳命されて乗り込んだ馬車の中、自分でも自覚していた以上に疲労は積もっていたらしい。車輪が何回転もしない間に、睡魔が存在を主張し始めていた。

何度目かの縦揺れで、馬車の壁に頭を打った。が、呻き声が出たくらいで、おろした瞼を開けるのも億劫だ。
小刻みな振動にどうにか姿勢を保とうとして、ゴツゴツと頭と壁を何度も打ちつけていると、不意に、そこを庇うように何かが私の頭に触れた。

「……大丈夫ですか」
「うー、ん……」

モブリットの低い声がすぐそこで聞こえて、それが彼の掌だとわかった。
頭に当てられた手が、労るような動きで僅かに髪を撫でる。
明瞭な返事をしないでいると、頭から手が離される瞬間、僅かに壁とは逆――彼の側へ引かれるような力を感じた。

……気のせいかな。いや、うん、どうかな。

身動がれたら、次の振動で離れればいいか。
でもたぶん問題ないだろうな。
妙な確信を持ちながら、揺れに任せて、私は隣の肩に頭を寄せる。
頭の重さを支えきれないでドアにぶつけていた不安定さから一転、安定したぬくもりが、じわりじわりと身体の隅々に広がっていく。

と、馬車がまたガタリと揺れて、その振動に合わせたように、モブリットの頭が私の頭に当たった。
私に付き合って、彼もほとんど寝ていなかったはずだ。だいぶ疲れているに違いない。
けれど寝入ってしまったにしては柔らかな重みが、傾いて肩を借りている私のつむじの辺りに触れていた。
時折、震えるような吐息がくすぐったくて、少し熱い。

馬車の揺れる小さな動きに合わせて、ふれあう場所が少しずつ重なる範囲を深めていく。
しばらく無言で過ごしていると、砂利道に差し掛かったのだろう。馬車の揺れがガタゴトと小刻みなものに変わった。
膝上に力なく置いていた私の手が、少しずつずれて、二人の間にぽてりと落ちる。直後、溝にでもはまったのか、ガタンッと大きな音がして、私の手の上にモブリットの手が落ちてきた。

「……」
「……」

馬車はまだ揺れ続ける。

握ることも、絡めることもない私達の手は、ただその動きに合わせて、けれどもずれ落ちてしまわない程度の密着で重なり合う。
乗せられたモブリットの手が冷たくて、疲労と睡魔で火照った身体に心地良かった。
触れた肩も、寄せた身体も、まるで別の生き物のように、確かな熱を持っている。

じわりじわりと私から伝播した熱が、今度は彼のこの手をあたためればいい。

御者台の方で短い掛け声と手綱の張る音、それにギキ、とブレーキのかかった音が鳴った。馬車が止まる。
聞き慣れた兵達の号令が外に聞こえ、兵舎に戻ってきたと知れた。
そうしてまたゆっくりと馬車が動き始める。
エルヴィンの指示か、私達を乗せた馬車は宿舎前までつけてくれるつもりらしい。

「……」
「……」

市外の道よりもゆっくりと進む蹄と車輪の音が、目を瞑っていてもわかる道なりを進んでいく。
もうすぐ再び音は止むのだ。
ぴくりとも動かさないでいた私の手の上で、初めてモブリットの指が僅かに動いた。
同時にまた小さくない音を立てて、馬車が止まった。

「着きましたよ」
「……そうだね」

到着を知らせる言葉が、吐息とともに、私の頭のてっぺんに落ちた。
もう馬車揺れのついでの時間は終わった。
御者がドアを開ける気配を待つ前に、私達はゆっくりと互いの間に距離を取った。

【FIN】


付き合ってないけどモブ→←ハンな感じの両片思いモブハン。お互いに触れ合うけどはっきりとは主張しない萌え。