Moblit with Wonderful Wonder Hans!




さやさやと木の葉の揺れる音がする。
少し前まで窓にはまった木枠が風に煽られて不規則に鳴っていたはずなのに、不思議なこともあったものだ。
モブリットは額に上げていた腕をゆっくりと下ろして、瞼を擦り――

「……ここは、どこだ?」

眼前に広がる抜けるような青空に、思わずぽつりと声を溢した。
まるで壁外で見上げたような境界線の見えない天空。白い雲が風に流れて遠くにたなびく一筋は、まるでカンバスに描いた直線のようで、そうかと思えばくるくる渦を描いて踊るように姿を変えては、楽しそうに青空を奔放に駆けている。
それを凝視し、目頭を摘み、もう一度見直して、

「夢か」

モブリットは事実を認識した。
その場にむくりと起き上がる。ふかふかの青い草原に寝転がっていたらしい自分の背には、下敷きにされた柔らかい草がついていた。後ろ手でパタパタと払い落としながら、モブリットはふむと首を傾げる。

(この風景はどこかで見た――いや、聞いたことがあるような……)

延々と続きそうに思われる芝生、その両脇にいつの間にかこんもりとした生け垣がいくつも出来上がっていた。少し広い庭園に誂えられた小道になっていくらしい。生け垣を覆う濃い緑の葉には白と赤の小さな花がぽつぽつと咲いて、よく見ればそのどれもがハートやクローバーの形をしている。
一見すれば貴族の私邸でありそうな雰囲気だが、さすが夢。どうやらもっとずっとファンタスティックな場所らしい。
夢は、本人の深層心理――もしくは外的刺激や情報の整理と何かの文献で読んだことがある。
自分の深層でまさかハートの花が咲く世界を夢見ていたとは思いたくないし、ないだろう。
だからこれは、いつかどこかで見た絵か、本にあった世界の一つだったのかもしれない。
記憶を手繰ろうとして、モブリットはハタと自分の格好に気がついた。

「……これは、ないな」

誰にともなく呟きがこぼれる。
モブリットの着ている白シャツは、襟元が丸くカットされ、その縁をレースが華やかに飾っていた。袖口はぽこりと膨らみ、青と白のボーダーが爽やかなエプロンドレスのようなワンピースになっている。
ない。さすがにこれはない。
やはり深層心理説は消えた。
この手の服にモブリットは興味がない。服など着る人が好きで、そこそこ似合えばいいと思っている。
そんな自分が――お伽噺を読まなくなって久しい自分が――、まるで小さな女の子が憧れるような格好を思い浮かべるはずがない。
スカートの裾を持ち上げてみる。ご丁寧にドロワーズまで穿いていて、モブリットはげんなりと肩を落とした。
夢とはいえ、なんて格好をしているんだ。
同時に、ふとこの姿をした少女のイメージが脳裏に過ぎり、そうかと一人合点した。
確か完全な眠りに落ちてしまう前、隣で彼女がこんな格好をした少女の話をしていた気がする。
禁書の中に紛れていた、研究とはあまり関係のなさそうな童話だった。だからか。寝る前にそんな話を聞いていたから、うっかり夢に混同してしまったのだ。

「どんな話だったかな――」
青白ボーダーワンピースの裾を穏やかにそよぐ風に自由に遊ばれながら、モブリットは腕を組む。
動物がたくさん出てきたはずだ――擬人化されて、または空想の生物で、ぽんぽんと画面の切り替わる様はいかにも子供が喜ぶ刹那的な好奇心に満ちていて――……
「セオリー通りなら、そろそろウサギが現れるんだっけ」
そんな始まりだったと思う。
そこらの繁みから飛び出してきたりするかもしれない。
思わず辺りを見回して、


「――モブリット!」
「わああっ!」


真後ろから突如掛けられた声に、モブリットは心底驚いて悲鳴を上げた。
「ハ、ハンジさん!?」
そこにいたのは、よく見知った人物だった。
「モブリット、急がないと!」
驚くモブリットの前で、ハンジがぴょんと跳ねて見せた。
いつものように適当に纏められた毛先が跳ねて、異臭はしない。むしろ夢の世界全体に広がる薄っすらと甘い空気が動いたような気さえして、モブリットは頭を振ってその考えを追い出した。
戸惑うモブリットのエプロンを掴み「急ごう。急がないと!」と繰り返すハンジは、タイトな燕尾のタキシードを身に纏っている。きっちりと糊のきいたシャツに光沢を放つライトグレーのインナーベスト。黒の濃淡で落ち着いたストライプになっているパンツが、型にはまらない遊び心のようで、ハンジにとても似合っていた。
だが自分でも良かったと思うその姿にぐっと涙を飲み込んで、モブリットは息を吐いて落ち着けと自分に言い聞かせる。
ハンジがここにいるということは、これ即ち彼女が最初のウサギでいいのだろうか。

「あなたがウサギなんですか?」
「そうそう。だから急ごうよ」
モブリットの質問をあっさりと首肯したハンジが手を取る。引いて背を向けたハンジの尻には、丸みを帯びつつツンと上向いた白い毛がついていた。尻尾だ。確かに彼女はウサギらしい。だが。
「ウサギ……ウサ……、あの、ハンジさん、耳は?」
「え? ――ああ」
ウサギなら当然あるべき耳がない。普通に顔の横から見える耳は人間のそれだ。
ぴたりと立ち止まったハンジは、まるで今気づいたと言わんばかりにポンと両手を打って見せた。

「モブリット、そういうところに拘るよね。すっかり付け忘れてたよ。はい」
言うなり、瞬きの間に長い耳が現れた。
白い毛の密生するウサギの耳は、右へ左へ小刻みに注意を向け動いている。
「……何でもありですね」
「夢だからね。でも一応本物だよ。尻尾は見た? 触ってみる?」
「え」
はい、とお尻を向けられて、思わず惑ったモブリットがおずおずと手を伸ばしかけ、あと数ミリに迫ったところで、ハンジはおもむろにぴょんと背筋を伸ばしてしまった。

「おっと!」
胸ポケットから懐中時計を取り出して、ずいっとモブリットに突きつける。近すぎて秒針の音しか聞こえない。
「こんなことしてる場合じゃなかった! モブリット、時間がないんだよ! 触るのはまた今度ね。急ごう!」
「時間って何の――わっ! どこに行くんです!?」
乱暴に閉じた時計をまた胸ポケットに押し込んで、ハンジがモブリットの手を取った。答えも言わずに走り出す。慌てて追うモブリットに更にスピードを上げたハンジはしばらく走り、それから満面の笑顔で振り返った。
「ここだ! せーの!」
「うっ、……!」
勢いそのままにハンジがぴょんっと地面を蹴った。掴んだ手ごと引っ張られ、思わず飛んでしまったモブリットの足元に、突然巨大な穴が開く。
これは、――落ちる。どこまで続くかわからない穴に。



「わああああーーーッ!!!!?」



重力をここまで感じる夢は初めてだ。
一気に加速する空気の重みを肌に受けて、モブリットは無我夢中でハンジを腕に抱き込んだのだった。


****


「いっ……ててて……」
土草の匂いけぶる地面の上でハンジを強く抱き込んだモブリットが呻く。腕の中で白く長いウサギ耳が声に反応してかぴくりと動き、先端がモブリットの頬に触れた。
もぞりと這い出したハンジがモブリットの上で馬乗りになりながら頭を撫でてくる。
「夢なんだから庇わなくていいのに」
「条件反射なんです……」
「うん、ありがとう」
言ってひょいと退いたハンジがモブリットに手を差し出した。その手を掴み掛け、自分の格好にハッとする。穴に落ちた衝撃だろう、スカートがめくれドロワーズ剥き出しになっていた。

「う、わわわ!」
別に男の自分が見られてどうということもないのだが、この姿は色々な意味で思い出したかのように羞恥を煽る。いや、そもそも男だからこそ羞恥を覚える格好なのだ。けれどもハンジは全く意に介さず、慌てて裾を押さえたモブリットの手を奪うと引っ張り上げた。
「じゃあこっち! 急がないと」
有無を言わせず立ち上がらせ、また軽快に走り出す。
「ねえ、どこに行くんですか!?」
「時間短縮で会わなきゃいけないだろう?」
「だから誰に――」
質問を最後まで言い終える前に、視界が一瞬緑で遮られた。
深い森の匂いがする。これは、そうだ――巨大樹の景色だ――
再び目を開けたモブリットの前に、見慣れた緑の風景が広がっていた。右も左も巨大な幹が連綿と連なり、見事なまでの樹木が堂々と根を張っている。頭上からは鳥や小動物の息吹が感じられ、重なる葉の間から燦々とこぼれる陽射しが、地面に踊る。

「ここは――」
「まずは一匹目ね」
「え?」
と、ハンジが一本の木に向かって猛然と走り出した。止める間もなく、幹を思い切り蹴り飛ばす。
ドォン……、というありえない重たい音を響かせて、ビリビリと樹木が震えたのがわかった。
(こんなキック、ハンジさん持ってたか……?!)
されたら一撃必殺だ。ぶるりと震えたモブリットの遙か頭上から、ズザザザ……という音がして、何かが落ちてくる気配がした。
「モブリット、キャッチ!」
「え、え、え!?」
腰に手を当てたハンジが、満足げに右手を額に翳して上を見上げる。
何が起こっているのかわからないまま、モブリットは言われるままに両手を出して――腕に落ちてきた衝撃で、そのまま地面に転がった。
ハンジが幹を蹴り何かが落ちて――巨大な蝉か何かだろうか。だとしたらちょっと気持ちが悪い――
(――あれ、でも何か……)
モブリットは首を捻った。
腕に感じるのはモコモコとした触感だ。おそるおそる目を開けてみる。

「――見ーつけた!」
「ちっ、うるせえなクソメガネ」
「兵長――……えっ!?」
「……耳元でデカい声を出すな。びっくりしたじゃねえか」
腕の中で不満げな声を出した人物に、モブリットは素っ頓狂な声を出してしまった。眉を寄せたリヴァイは身軽な動作でモブリットの上から退くと、近場の木の幹に凭れるようにして腕を組んだ。
よく見慣れた表情と所作のはずなのに、強烈な違和感を覚えてしまうのは、どうしたってその格好のせいだ。
リヴァイの小振りな頭には、しっかりと猫耳が生えていた。
色は目にも眩しいビビッドピンク。アイロンのかかった白いシャツは健在のようだが、首元を飾るのはクラバットではなくやけにふわふわとボリュームのあるファーだった。ピンクとパープルで染め分けがされ、縞模様になっている。同系色のゆったりとしたパーカーを引っかけ、下履きはおよそ普段のリヴァイからは想像できないラフな黒のスウェットパンツ。ベルトホルダーにはゴツゴツとしたシルバーチェーンが何重にも掛けられている。おそろしく気位の高い野良猫――そんな言葉が浮かんで、モブリットは頭を振って振り払った。

「何だ」
剣呑にこちらを見つめてくる彼の尻尾はペシペシと幹を叩いていて、少し太くなっている。「びっくりした」というのは本当らしい。
(そういえば猫も出てくる話だったな……いつもニヤニヤ笑ってるとかなんとか……)
そんな設定だったはずだ。目の前のリヴァイはニヤニヤどころか、笑みとは一番かけ離れた表情しかしていないが。
「い、いえ! ……すみません……その、随分ファンキーな格好がお似合いになるな、と……」
「おまえだって人のことを言えた義理か。すげえ格好で現れやがって」
「ゆ、ゆゆゆゆ夢なので!?」
リヴァイに上から下まで検分するように睨めつけられて、モブリットは地面に埋もれたくなった。確かに言えた義理じゃない。むしろ猫耳をつけて「そういうものだ」と言えない分だけ、モブリットの方がどうかしている。いい年をした大の男がエプロンドレスで森を疾走――単なる女装男の凶行だ。自分の夢だというのに、まるで意味がわからない。
羞恥で思わず叫んだモブリットに、リヴァイがつかつかと近づいてきた。

「悪くない」
「え?」
至近距離でそう言われ、瞬くモブリットのスカートの裾に、リヴァイの手が伸ばされる。
「あの、兵長――」
「じっとしてろ。すぐに済む」
「え、あ、の――……」
「お触り禁止!」
と、突然ぐんっと腕を引かれて、モブリットはたたらを踏むように二歩三歩と後ろに下がった。
間に割り込んできたハンジが、両手をリヴァイの前に広げて、仁王立ちになる。
「このムッツリは油断も隙もないな!」
「ふざけんな。俺が何をした。面白え格好の中を確認しようとしただけだろうが」
「堂々とセクハラ発言しやがってこのリヴァ猫が。誰がモブリットの中を見せるか! 見ていいのは私だけだ!」
「何でてめえの許可が要る」
「モブリットは私のものだからに決まってるだろ!」
「ハハハハンジさん!?」
完全に本人を蚊帳の外で喧々と繰り広げられる舌戦を前に、思わずモブリットは分け入った。
何を言っているんだこの人達は。
白い耳をピンッと立て、眼鏡の奥で眦をつり上げたハンジの肩を掴む。どうどうと叩けば、幾らか落ち着いてくれたようだったが、ふうと大きく息を吐いたハンジは、モブリットの肩越しにリヴァイに眇めた視線を送った。

「見たけりゃペトラに着てもらえばいいだろう? あなたが頼めば着てくれるんじゃないの。確か今って貴婦人だよね」
「……飼い主様だ」
当たり前のように進む二人の会話に、自分の夢ながら置き去り感が否めない。
「え、ペトラが? 何のですか?」
元になった童話を必死に思い起こしながら口を挟むと、ハンジが「ああ」とモブリットに視線を戻した。
「リヴァイのだよ。貴婦人は猫の飼い主だったろ?」
そういえばニヤニヤと口角を上げた猫らしからぬ猫と、奇妙な体型にデフォルメされた女性の挿し絵を見たような見ていないような。
しかしどう考えても目の前の人物にははまらなさすぎて、モブリットは目頭を押さえた。
(――ペトラが、兵長の、飼い主)
ふわりとしたドレスを纏ったペトラが、視線を鋭く眇めたビビッドピンクの猫に迫られている図が簡単に描けてしまう。せめて他になかったのか。あの童話には動物がたくさんいたのだから。
自分で下したのだろう無意識の配置に、モブリットは心の中で謝罪する。

「どうした」
「モブリット?」
「いえ、……他の皆は、どうなっているのかな、と……」
罪悪感を誤魔化すと、リヴァイとハンジはふと互いの視線を見合わせた。それからニヤリと悪戯な笑みを浮かべたハンジの横で、リヴァイはつまらなさそうに鼻を鳴らす。
「それはね、まだ秘密で――」
「オルオは帽子屋だ」
「え」
「おおおいっ!」
今日の朝食を思い出すかのような気軽さで言ったリヴァイを、ハンジが慌てて振り返る。
しかしそれを意に介さず、リヴァイは更に言葉を紡いだ。
「ちなみにエルヴィンは三月ウサギでピクシスのおっさんは毛もないくせにドードー鳥、ナイルはイモムシだ」
「司令にドーク師団長いらっしゃった! いやでもそこですか!? それは……シュール、ですね……」
リヴァイから次々と明かされる配役に、記憶の奥に眠る挿し絵がそれぞれの顔に塗り変えられた状態で浮かび、モブリットは申し訳なさに顔を歪めた。他にもいたはずだ。あの童話には他に兵士も――そうだ、確か女王や王もいたはずではなかったか。それをどうしてこの配役にしたんだ自分は――
どうしても頭の中でイモムシの被りものをしたナイルや頭頂部にぼかしのかかった鳥姿のピクシス、それに鷹揚ないつもの姿に雄々しいウサギ耳をつけたエルヴィンの姿がチラツき、呻いたモブリットの隣で、ハンジが両手を振りながら間に入った。

「ちょっとリヴァイ、バラしすぎだろう!? 会う必要なくなっちゃったじゃないか!」
大仰に身振り手振りで口を閉じろと示すハンジを前に、リヴァイは片眉を僅かに上げて、ちろりと見上げる。
「毛繕いの邪魔をしやがった腹いせだ。いきなり幹を蹴り飛ばしやがって」
「モブリットが受け止めたんだから問題なかったろう!?」
「リスクを考えろ」
「にゃんぱらりしろよ! 猫だろリヴァイ!」
食ってかかるハンジの拳を手のひらで受け止め、ギリギリと均衡を保って言い合う二人に呆気にとられかけ、しかし我に返ると、モブリットは慌てて後ろからハンジを引き剥がした。
「――あ、会う手間が省けたならいいじゃないですか! ほら、ええと、時間がないんでしょう!?」
「そうだけど! せっかく君に面白いものを見せてあげようと思ってたのに……!」
「気持ちだけで!……といいますか、面白いものとか失礼ですよちょっと!」
一番失礼なのは、こんな夢を見ている自分だ。
が、そこは敢えて知らないふりでぶすくれるハンジを宥めていると、リヴァイがちろりとモブリットに視線を流した。その目がハンジを押さえる手に注がれ、モブリットは自分がかなり豪快に抱きしめていることに気づかされる。咄嗟に離す。と、更に呆れた視線を隠しもせずに、リヴァイは顎をしゃくってみせた。

「別にこれくらい構わねえだろうが。城に行けば済む話だ。さっさと行け。それからイチャつくなら起きてからにしろ」
「いえ、別に今のはそういうわけでは」
「ザマーミロ!」
「ハンジさん!」
嬉々として叫んだハンジの口を後ろから塞ぐ。
そんな二人にやれやれといった風情で首を振ったリヴァイへ、モブリットは思わず声を掛けた。
「あ、あの、兵長も一緒に」
「俺はペトラのところに帰る。そろそろあいつが紅茶を淹れる頃合いだ」
飼い主じゃなかったのか、ペトラは。
貴婦人の飼い主に紅茶を淹れさせ、それを飲みに戻る飼い猫――おかしい。絶対的に何かがおかしい。そんな話ではなかった――と、思うが、よくわからない。
完全な眠りに入る寸前まで、枕元で大まかな流れを話していたハンジの様子は思い出せる。睡魔が限界で「……起きたら、起きたら聞きますから、ハンジさん……寝てください……」と必死で瞼を持ち上げていたモブリットに、「無理しないで寝てていいよ。独り言だから」とまるで聞く耳を持たず、ハンジは楽しそうに古ぼけた本のページを捲っていた。ウトウトしながら視界の端でページを見送り、いつの間にか寝入ってしまった自分は今ここにいる。
あの後、ハンジは自室に戻ってきちんと寝てくれているのだろか。

「ああもう、せっかくの楽しみが……仕方ない、行くぞモブリット!」
「わ、わ――」
今は目の前でぷうっと不満げに頬を膨らませているウサギ耳姿の上官の、現実での睡眠を心配していると、切り替えたらしいハンジがそう言って、モブリットの手を取った。
突拍子のない行動は、モブリットの夢でも健在だ。
夢でくらい思いのままに、などと欠片も思っていない自分の心情が表れているのだとしたら仕方ない。
引かれるままに行き掛けて、
「ちょっと待て」
「はい? ――うわっ」
呼び止められた声に振り向くと、目の前が突然パンッと光った。
視界を白く染め上げた光は一瞬だ。驚きに瞬く視線の先で、リヴァイが相変わらず仏頂面のまま幹に凭れ、腕を組んでモブリットを見ていた。

「動き回るならその方が楽だろう」
小さく顎で示されて、モブリットは自分の服装が変わっていることに気がついた。
シャツの形状はほぼそのまま、レースはあるが、余分に膨らんだ腕部分はストレートな半袖に代わり、何よりエプロンドレスが水色のテーパードパンツに変わっていた。ポケット部分の折り返しが青と白のストライプ柄で、シャツに繋ぐ釣りバンドと合わせているようだ。少々少年ぽすぎないかというのは贅沢というものだろう。スカートでなくなっただけありがたい。
ひらひらと手を振って立ち去るリヴァイの後ろ姿に大声で叫ぶ。
「――兵長……! 恩に着ます!」
「あーあ……せっかく可愛かったのに」
しかしハンジはご不満らしい。至極残念そうに呟いて肩を竦める。
お世辞にも似合ないあの姿の、どこに可愛い要素があった。ため息をついて、モブリットはハンジに向き直る。
「俺はやっと人心地つけた気分です。むしろあなたと俺の立ち位置が逆なら良かったくらいかと」
「私がエプロンドレス? はは、冗談だろう。君の方がまだいけるって!」
「そんなことは――」
「お世辞はいいって。さ、行くぞ!」

言葉と同時に胸をドンッと叩かれて、反論し掛けた言葉がすっ飛ぶ。
噎せながら睨むモブリットを置いて、またハンジが走り出した。慌てて背中を追いながら、モブリットは心の中だけで言葉を続けた。
確かにフリルがふんだんについたあの姿は、いつものハンジのイメージからは想像しにくい。似合う似合わないでいえば――他にもっと似合う服装があるとは思う。例えば今の濃淡のグレー。ストライプでタイトなシルエットラインのスカートはとても彼女に似合うだろう。シンプルカットのシャツでもいいが、襟元をレースでデコルテしたものもアクセントが効いて可愛いと思う。いや、色は別にグレーでなくとも。
(……ブルーも似合うと思うけどな)
むしろ金髪にヘーゼルの瞳を持つ自分より、濃い色の目と髪を持つハンジの方が、よほど利発的で似合うだろう。
水色と白なら爽快さも相俟って、彼女の屈託ない笑顔をより愛らしくすら魅せるはずで――
ウサギ耳をぼんやり後ろから見つめながらそんなことを思っていると、ハンジが唐突に振り返った。

「あの城を目指すぞ!」

意気揚々と指さされ、モブリットは思考を打ち切る。慌ててそちらに目を向ければ、巨大樹の森が突然左右に開けて、辺りに草原が現れた。あっという間に変わった景色に気圧されつつもハンジの指先が示す方向を見遣ると、遠目に城の姿があった。調査兵団の旧本部と似ているようで、全体的にのっぺりとした印象なのは、壁全体が真っ白で、レンガのような継ぎ目が見当たらないからだ。それに屋根の尖った先端には、すべて赤いハートがあしらわれている。
城といえば威厳と堅固な護りを要す、という常識が通用しない外観だった。いかにも子供の手習いで描かれるイメージそのままだ。
「あれですか……。あの、あれ何です?」
目指すはいいが、まだ意味がわからない。童話ではどうなっていたのだったか。思い出そうと頭を捻るモブリットに、ハンジは当然のように胸を張った。
「ハートの城だよ。リヴァイのせいで大分予定が狂っちゃったけど、仕方ないよね。もうそんなに時間もないし、大まかな部分は話を端折ろう」
「はあ……?」
うんうんと頷くハンジの言葉はやはり意味がわからない。狂った予定とは、リヴァイ以外の登場人物に会うということだろうか。だとしたら会えなくて良かった。いきなり居た堪れない姿の上官達に出会うのは、心へのダメージが大きすぎる。考えて、モブリットは密かにリヴァイに感謝した。
「さ、もうちょっとだ。行こう!」
そんなモブリットに構わず、ハンジがぱっと手を取った。
楽しそうに駆け出す彼女につられてしばらく走り、ふと左の巨大樹の傍で蠢く影を見つけて、モブリットは目を凝らした。地面にごろりと丸まった誰かが、近づく自分達に気づいて億劫そうに顔を上げる。その顔にかかったゴーグルが燦々と降り注ぐ太陽に反射してきらりと光った。「あの、ハンジさん、あそこにいるのはもしかして――」

見覚えがある。
モブリットは思わずハンジの手を引いた。

「うん? え、なに?」
立ち止ったハンジが、モブリットの向ける視線に気づいてそちらを見る。それから、あ、と口を開けた。
「――そうだったそうだった! お茶会には行く時間がないけど、彼も会うべきメンバーだった!」
「お茶会?」
「うっかりしてたよ」
モブリットの疑問は綺麗に流したハンジは、悪びれない素振りで笑いながら彼の方へと足を向ける。
草を踏み締め近づくと、やはりゴロゴロと地面に蹲ったまま、男が気怠げな視線だけを二人に向けた。
「おまえ……」
それは見知った班員だった。ハンジ班の中で唯一ハンジと同様に眼鏡を掛け、出撃時はゴーグルに替える。冷静で素早い判断、それに社交性に長けているはずの彼が、今、モブリットの目の前で、怠惰を絵にかいたようにゴロリと半身を返して寝転がっていた。
その頭には小振りで丸い茶色の耳がちょこんと乗っている。この耳はおそらく――

「ネズミ、か……?」
さっと視線をやると、後ろにちょろりと細く長い尻尾が見えて、モブリットは自分の考えが正しいと知った。
確かいた。常に眠っている――いや、睡魔と闘っているのだったか。いやいや、興奮して暴れる凶暴なネズミだったか……。いずれにせよ、話の詳細はあまり思い出せないが、ネズミはいた。そのネズミが彼らしい。
声を掛けると、彼は転がったまま膝を抱えて、モブリットを見上げた。
「眠りネズミだ……眠っていれば名前を呼ばれなくてもいいだろうって、……あいつらが……」
「……おお、そうか……」
ぐすっと鼻を啜るような仕草をされて、モブリットは他に言葉もない。あいつら、とは、ニファにケイジのことだろうと察しがつく。ここにいないということは、彼らは別の姿になっているということか。
抱えた膝に頭をつけてしまった彼をどう慰めるべきかと考えつつ辺りを見渡す。するとすぐ側に巨大なティーポットがあることに気づいた。巨大と言っても人ひとり入ってしまえば、そうそう身動きは出来ないくらいの大きさだ。
脳裏にネズミが入っている一枚の絵が浮かんで、モブリットはポンと手を打った。
「あ、おまえをティーポットに詰めていけばいいのか?」
「これだけ言ってその発想すごいな。さすがだ。副長率先の班員イジメかこの野郎。分隊長と一緒に詰めてやろうか」
「いやいやいや、落ち着け」
ゆらりと不穏な空気を纏って身を起こした彼が、眼鏡をあげて瞼をこする。モブリットの発言はお気に召さなかったらしい。
(ポットに入れる話じゃなかったか!? なんだこれ、どうすればいいんだ?)
どこか緩慢な動作でモブリットを睨み、欠伸をしながらティーポットの蓋を開ける彼にどうしたものかと思っていると、横手からハンジが突然彼の足を持ち上げた。

「おわっ!?」
「ぶぶぶ分隊長!?」
ドスン、ガコン、と音がして小さくはない彼の身体がティーポットの中に落ちる。ジタバタともがく足を膝の裏を叩いて縮めさせ押し込んで、ハンジは素早く蓋をした。
「残念だけど、こんな狭い場所でいかがわしいことしている時間はないんだよ。ごめんね、ゴーグル。さあ行こうモブリット!」
「いかがわ……っ、ちょ、あ、待ってください!? すまん、ゴーグル!」
ガタンッと一際大きな音が鳴った後、静かになったティーポットに叫んで、手を引かれるままモブリットはハンジの後に続いた。眠りネズミの彼が、どうか気持ちよく眠れていますようにと心の中で謝罪して。

***

そうしてどのくらい駆けただろう。
開けた草原に丸や四角に刈り込まれた生け垣が姿を現した。正門をくぐった記憶はさらさらないのに、いつの間にか目指した城の入り口が開門された場所に出たらしい。場面の切り替わりに感心しつつ見上げると、城は思っていたより大きかった。
遠目には白一色でのっぺりとした印象だったが、目を凝らせば細部まで細かな細工が施されている。積み上げられた煉瓦の一つ一つは滑らかに磨き上げられているのか隙間一つなく、外敵へも応じるべく、幾重にも相互の射撃穴が開けられていた。カードを身体の前後に挟んだような兵服の弓兵達が、矢台から常に四方八方へと目を光らせてもいる。鏃の先はハートやスペードの形をしているので、当たった場合の致命傷は微妙だが、氷爆石で出来ていたとしたら致命傷は免れない。ファンシーな見た目に反して意外と戦闘向きの城のようだ。

「ここがハートの城……意外と本気の造りなんですね」
入り口を前にして、ハンジに繋がれた手はそのままに、モブリットがぽつりと呟く。隣で同じように見上げたハンジが、のんびりした口調で同意した。
「そりゃ城だしねえ。君の夢なんだからディティールは君のものだ。さすがだねモブリット。あの意匠とかすごく細かい。名鑑に載ってる貴族の館にあったやつと似てる。一度君と交渉に出向いたことがあったろ。あれ、帰ってからスケッチブックに描いてたよね」
「ああ、言われてみれば似てますね……」
そうだ。これは自分の夢だった。
すっかり忘れかけてた事実を指摘されて、モブリットは妙に納得してしまった。言われてみれば、どれもモブリットの記憶にある装飾や造形をして見える。創造ではなく模写だな、と内心で苦笑していると、ハンジが「行こう」と手を引いた。

「最近ここの女王がうなじを片っ端から削ぎたがって大変なんだそうだ」
カツンカツンと響く石畳の廊下はひんやりとして、静まり返っていた。
城内はまるで旧調査兵団本部そのものだ。
はめ殺しの窓から陽光の差し込む廊下を進むと、ちょうどその突き当たりが開け、大広間があるらしいとわかった。
次は何が出てくるのか。若干の警戒でハンジと繋ぐ手に力が入る。
「巨人討伐に連れていけば戦果が上がりそうですね」
「オファーしたら乗ってくれるかな」
そう言ってにやりとこちらに顔を向けたハンジが、ウサギ耳をモブリットの頬に当ててきた。密生した短い毛に覆われたそれは存外気持ち良い。緊迫していたのは自分だけだったのだとわかって、少し口惜しい気もしたが、すりすりと悪戯な耳で口元をくすぐるようになぞられて、モブリットは繋いでいない方の手で、ハンジを押し返した。

「……何するんですか」
「さっき触らせてあげてなかったなって。女王に会えばだいたい用事は済んじゃうから、今触らせないと終わっちゃうなあと思ったんだ。ご感想は?」
「……毛の生えた動物はだいたい気持ち良いものです」
「うわ、十把一絡げにされた」
くすくすと笑うハンジには、完全に見透かされている。
大広間の入り口はもうすぐそこだというのに、二人の歩くスピードはいつの間にか随分ゆっくりしたものになっていた。手を繋いで、悪戯に身体を寄せて、笑うウサギ耳をしたハンジを困ったように眉を下げて見つめるモブリットの眦は下がっている自覚がある。
「ドロップイヤーだったらもっと触りたかった?」
「長毛種でしたっけ。あの種はのんびりして見えて可愛いですよね」
「ちくしょう。そっちの耳にしとけば良かった。今から変えてあげようか」
「え、でもあなたにはこの耳の方が似合いますよ」
拗ねたように片手で長い耳を引っ張るハンジに慌てて手を外させて、モブリットは少しだけ乱れた短い毛の流れを労るように指の腹でそっと撫でた。

(……皮膚が薄いからか、熱いな。それにやっぱり気持ちい――)
と、ハンジがにやにやとした笑顔を向けているのに気がついた。思わずパッと手を離す。
「折角だからもっと触っててもいいのに」
「じ、時間ないんですよね! 急がないと!」
ホールドの形に上げた手をニヤリと笑われて、モブリットはハンジの手を掴んだ。くそうと内心で毒づきながら大広間へと足を踏み出す。
荘厳な音楽でも流れれば華やかな夜会でも開かれそうな広間の床は、磨き上げられた大理石のようだった。思わず感嘆の息をついて見回せば、何故かたじろいだ表情の兵士達の姿があった。高い天井とそこへ繋がる壁面に採光の為に造られた窓から陽光が燦々と降り注ぎ、玉座へと目を向けたモブリットは眩しさに右手で庇を作る。隣のハンジは興味津々といった目を、同様に玉座に向けていた。

「女王はいったい誰なんです?」
「ああ、それは多分――」
「――うなじを削ぎたい! 誰か! 巨人のうなじをここに!」
朗々と響きわたる随分愛らしい声音に、モブリットは目を瞬いた。耳を疑うまでもない。この声は知っている。
それでもここから見上げる姿は豪奢に広がるレースをふんだんにあしらったドレスで、普段の素朴な可愛らしさを見せる彼女からは想像もできない格好だ。だが――
「……ニファ?」
何度か目を瞬かせながら言ったモブリットに、玉座の人物がガタリと立ち上がったようだった。おかげで光が遮られる。
そこにいたのはやはり黒髪を短く切り揃え、大きな黒目をこれでもかと丸くして自分を見下ろすニファだった。
モブリットが次の言葉をかけるより早く、ニファが口元を手で覆う。

「副長……? なんですかそのファンシーな格好……」
「夢だから! 仕方ないから! そんな目で見ない!」
「分隊長!? 分隊長だー! 会いたかったですー!!」
モブリットの服装は容赦なくつっこむくせに、ハンジのウサギ耳はまるで意に介さないニファが、勢いよく玉座を捨て、広間の方まで駆け降りてきた。そのままハンジの懐に飛び込むように抱きつく。
よくこんな裾の広がったスカートで転ばないなと思ったが、よく見ればドレスに見えたのは下だけで、上は見慣れたシャツに立体機動のベルトといった出で立ちだった。まさかともう一度下に目を向ければ、薄いレース地で広がるスカートの下にもしっかりパンツをはいている。兵服の上からおざなりにチュチュを履きましたと言わんばかりの格好だった。
他に女王然としている部分はといえば、手に持つ杓杖だが、それも細かく切り込みの入ったブレードのように見える。柄部分にハート柄が彫り込まれた意匠だけが妙に奇抜な様を呈していた。

「ニファ! うなじ削ぎに情熱を燃やしている女王ってやっぱり君だったのか。王様のケイジからどうにかしてくれって手紙が届いたから、そうなんじゃないかと思っていたけどやっぱり」
ゴロゴロと咽喉を鳴らしそうなニファを抱き留め、よしよしと頭を撫でてやりながらハンジが言う。
ケイジが王――新たな登場人物だ。モブリットはひとり成程と頷いた。この物語の王様は、裏でひっそり努力をしている人物だったように記憶している。女王の為に、せっせと巨人を用意しようと奮闘する姿が容易に想像できて、内心で彼の努力にエールを送る。
「分隊長と副長にお会いできたってことは、これで元に戻られるんですね」
そんなモブリットの目の前で、ニファがハンジの胸から顔を上げた。
ケイジもどこかから現れるのではと辺りを見回していたモブリットは、え、と二人に顔を戻す。
少しだけ拗ねた顔を見せるニファが、ハンジにもう一度ぐりぐりと頭を擦りつけてから離れると、トン、と拳を胸に当てた。

「そうだね、いったんお別れだ」
「帰り道はわかりますか?」
「大丈夫。簡単さ」
隣で敬礼を返すハンジが笑う。
「待ってください、ケイジには――」
会わなくていいんですか、と最後まで言う前に、ハンジがモブリットの腕を引いた。
「この穴にモブリットが落ちてくれれば――ね!」
「ね、って……何ですかこの穴は!? いつの間に!?」
ぐい、と引かれて多々良を踏んだモブリットの目前に、ポカリと穴が空いていた。大理石の床に、こんな穴はなかった。
驚くモブリットの腕を引いて、ぴょんと跳ねたハンジが面白そうに振り返る。
「大丈夫。行きと同じだよ。落ちるだけ。今度は私が抱きしめていてあげるから」
「ちょ、待っ、夢とはいえさすがにこれはちょっと……あのっ、ま、待ってくださ」

腕を掴んだままのハンジがぴょんと床を蹴った。



「――う、っ、わあああああ!!!」



瞬間、モブリットの足元から抵抗が消え、ハンジの手がモブリットの背中に回る。宣言通り、抱きしめてくれるつもりらしい。
(いや、そうじゃなくて!)
落ちる――また、落ちていく。
慌てて抱きしめ返したモブリットの意識は、足下にいつ現れるか知れない出口に集中するより先に、腕の中のハンジが無事に着地できますようにとそれだけに塗り潰されていった。


*****


「……わああっ!」
自分の声と、びくりと痙攣した身体の動きで目覚めたモブリットは、呆然と天井を見つめて、ようやくホッと息を吐いた。見慣れた木目のそれで、モブリットの自室だとわかる。
(現実だ)
戻ってきた。ようやく落ち着いた現実に。
それにしても本当におかしな夢だった。
起き上がろうとして、モブリットはそこでやっと違和感に気づいた。
胸が重い。何だと訝しんだ視線をやって、モブリットは目を瞬いた。
「え」
胸の上に、上半身をまるごと乗せたハンジがいた。
頬をつけて寝こける彼女の腕はしっかりとモブリットの両脇を捉えていて、自由に体が動かせない。まるで夢の中でされたように、しっかりと抱きしめられていた。

「ハンジさん」
遠慮がちに呼びかけてみるが反応はない。けれどさすがにこの体制のままでは自分も、それにハンジの身体も休まらないだろう。失礼しますと内心で呟いて、モブリットはゆっくりと自分の上からハンジをそっと横に寝かせ直した。せっかく寝ているハンジが起きてしまわないようにと、細心の注意を払いながら枕に頭を乗せようとして、
「う、ん……」
ごろりと寝返りを打ったハンジが、モブリットのシャツを掴んだ。
(しまった、これじゃ起きれない)
丸まったハンジに引かれ、仕方なしにモブリットももう一度枕に頭を落とすことにした。夜明けまではまだ少し。
腰の辺りで蟠っていた掛け布団を、片手で何とか引っ張り上げてハンジに掛ける。

「――ん?」
ふと、その手が触れたものを持ち上げて、モブリットは合点がいった。
(ああ。この本のせいだな……)
それはモブリットが寝入ってしまう直前まで、ハンジが嬉々として話していたあの童話の本だった。意外に分厚く重みがある。
こんな物を、おそらく寝入ったモブリットの胸の上でしばらく読み耽っていたのだろう。だからあんなおかしな夢に繋がったのだ。
(まあ、巨人の解剖報告書じゃなかっただけマシか……)
そうだったら、胸の重みが追加されてみる夢は、逃げられないまま食われていたかもしれない。
笑えない悪夢に眉を顰めて、モブリットはすやすやと眠るハンジの寝顔を半眼で見た。
(だいたい何で部屋に戻って寝なかったんだこの人は)
とんでもない夢を見させた元凶は気持ち良さそうに自分の隣で眠っている。
枕の横に重い童話をボスンと置いて、モブリットは寝転がったままページを一枚捲った。そう細かくない文字で書かれたページには時計を持った二足歩行のウサギが描かれている。その後ろを追いかけている女の子の絵は、やはり夢の中でモブリットが着せられていたそれにとても良く似ていた。

「……『それは黄金の昼下がり』」

シャツを掴むハンジの体温が、そこからじわりと伝わってきて温かい。
この熱で再び短い眠りに誘われてしまうまでと心に決めて、モブリットは低く囁くように、ハンジの耳元へゆっくりとした調子で童話の言葉を静かになぞり始めたのだった。

【END】


いつもお世話になっている真保さんのお誕生日(1/27)がルイス・キャロルと同じだと聞いて、アリスパロなモブハン(一部リヴァペト/リヴァモブ/ハンニファ風味)を、真保さんに捧ぎまりっと!したものになります。はちゃめちゃモブハン楽しかったでつ///