誤解と答えと男と女




「どうしてこうなったんですか……」
「お前が俺の部屋で酔い潰れたからだろうが」
「酔い潰したのは兵長じゃないですか」
「勝手に酔い潰れといて兵士長のせいにしてんじゃねえよ」

リヴァイの部屋で、互いの恋人を正面の席に認めながら、男二人は顔を背けるようにしてボソボソと状況を整理していく。彼の部屋に四人が一堂に会するなんて初めてのことだ。
楽しい酒の席ならいざ知らず、何が悲しくてこんな間の抜けた言い訳の為に集まらなければならないのだろう。
そもそも全ての始まりは――至って普通の一夜から始まったのだ。

「ねえペトラ。酒の勢いだったとでも言うつもりかな」

小声のやり取りを黙って見ていたハンジが片手を口の横に当てた。
ひそひそ話の格好だが、聞こえよがしにそう言ってモブリットに半眼を向ける。

「誤解です!」
「リヴァイ兵長からだったんですか……っ」
「違う」

モブリットの否定よりもハンジの言葉を真に受けたらしいペトラが、わっと顔を両手で覆い、すかさずリヴァイが否定する。両手の指の隙間からこちらを伺うペトラの瞳も半眼で、理不尽な誤解に男二人はこちらが顔を覆いたい気分になった。

まず話を整理する必要がありそうだ。
二人同時に肩で深く息を吐いたリヴァイとモブリットは、しろりと互いを横目で見遣り、どちらからともなく机に肘を付くと、組んだ両手に額を乗せた。
彼女達の誤解は結局――

「……つまり、あなたとペトラは、その、……ええと、俺と兵長が」
「ヤってる関係じゃないかと疑ってるわけだなクソメガネ」

言葉を極力濁したモブリットを引き継いで、リヴァイが吐き捨てるようにそう言った。俯いているというのに、声音だけで巨人を何体か削げそうな気配だ。
だが、ハンジは全く意に介した様子もなく、鼻で笑って顎を反らせた。

「お言葉だけど、あなたのペトラも大心配してるんだからクソ贔屓は良くない。私がクソメガネなら、ペトラだってちゃんとクソ……クソ……………………クソカワイコちゃん?」
「ペトラ」
「は、はいっ」

突然呼ばれて、おそらく反射だろう敬礼仕掛けたペトラへ、リヴァイが右手の親指をクイッと自分の方へ倒して見せた。

「そいつから離れろ、クソが移る」
「この間男がああっ!」
「ああもう、ハンジさん!」

とんでもない言い掛かりを叫んで席を立ったハンジに慌てて、モブリットも立ち上がる。
どうどうと宥めすかすと、ハンジはものすごく渋々といった体で椅子に戻った。

(まったく……)

あまりにも身に覚えのなさすぎる二人の誤解を目の当たりに、モブリットは途方に暮れてしまいそうになる。目顔で隣のリヴァイを見れば、彼もまた人生最大級の深い皺を眉間に刻み込んだ顔でモブリットを見ているところだった。思わずふっと苦笑する。

「見つめ合っている、だとぉ……!?」
「そんな……っ、堂々と!」
「ちょっとお!?」
「煽るなクソが。お前もいちいち乗るな、ペトラ」

自分達よりよほど近い距離で身を寄せ合い肩を抱いたハンジと、抱かれたペトラに辟易とした視線を向けて、リヴァイが大きな舌打ちをした。

「ちっ。本当に何がどうしてそうなったのかは知らねえが、コイツとは単に酒飲み仲間なだけだ。これを言わなきゃわからねえということが心底わからねえが、お前らの考えてるようなことは何もないし、起こるわけがない」
「そうです! そもそも兵長はペトラしか眼中にないよ、大丈夫」
「え!? え、ええと……」
「こいつもお前の話しかしてねえぞ、良かったなクソ好きな男で」
「あ、そうなの?」
「へへへへへ兵長!?」

放った矢が、放物線を描いてモブリットに命中する。
ペトラを安心させる為に教えた真実に真実で返されて、モブリットは慌ててリヴァイを顧みた。すまし顔でそっぽを向いている彼は、実はモブリットの暴露に照れているらしい。
先に矛先を向けた手前それ以上の文句も言えずに、モブリットは自分をじっと見つめてくるハンジの視線を受けて、下手な咳払いを一つした。それからチロリと若干の上目遣いでハンジを見つめる。

「……ですから、本当に誤解です」
「……」
「……」

無言で疑念の視線を向けられても、リヴァイの言っていたことは本当だ。
ペトラが見て誤解をしらしい先日の夜の出来事は、完全に酒が回っていたので何を話したか後半はかなり曖昧だが、確かにハンジの話をしていた。それに、それは別にモブリットにとって特別変わったことではなかった。
リヴァイと飲んでいる時の話題といえば、互いのこと、班のこと、過日のあれこれに、そしてハンジだ。リヴァイがそう話を振っているような気がしないでもないが、モブリットにしても、酒の相手も話し相手もそれは本当にありがたいことだった。それにリヴァイのペトラに対する諸々の発言も、どうしたって似たり寄ったりなのだから、自分達はとてもよく似ているのかもしれない。
真面目に真剣に告げたモブリットに、けれどまだ妙な沈黙を守ったままの二人へ、今度はリヴァイが向き直った。

「ペトラ」
「……は、はい」
「あの夜も俺はきちんと言わなかったか」

モブリットがそこのソファですやすやと寝息を立てていた頃、リヴァイは最初の目撃者であるペトラを追っていったのだと、モブリットは今知った。誤解はそんなに早い段階で解かれていたはずだとは思わなかった。
ハンジに大いなる勘違いをされていたと知ったのは、昨日――もとい、ほとんど今朝の出来事なモブリットは驚いてリヴァイを見遣った。眉間に皺を寄せたいつもの表情に少しだけ疲れた色を宿して見える彼は、ペトラを睨むように見つめている。
当日早々に誤解を解いていたつもりのリヴァイにしても、とんだ厄介な事態になっていたというわけか。

「どうだ」
「……はい……」

淡々と告げるリヴァイの言葉にしゅんとうなだれるペトラの様子は、何だか飼い主に叱られた子犬のようだった。
そんな彼女を変わらぬ表情で見遣るリヴァイは、やはり淡々と次の言葉を続けた。

「それにあの後、お前の部屋で何度も――」
「あああああはいっ! はいっ! そこはっ! そこはそうですそうでしたっ!」
「あ、リヴァイ頑張ったんだ?」
「当たり前だ」
「ギャーッ!」
「お二人とも、やめてあげてくださいよ……」

酒も入っていないだろうに、とんでもないことを暴露したぞこの人は。
真っ赤を通り越して真っ黒に焦げ付きそうなペトラがあまりにも可哀想になって、モブリットはせめてもとリヴァイとハンジに声を掛けた。
実は今回の誤解が殊の外面白くなかったのではないだろうかと気づき始めたモブリットだったが、二人の関係の修復は結局二人でしか出来ることはない。激しく頭を机に打ちつけたペトラが、頬の熱を両手に逃がしながらゆっくりと顔を上げた。

「何だペトラ。まだ何かあるならこの際だ。全部聞け」

潤んだその視線を受けて、リヴァイが言う。
何か聞きたがっている顔だったのか。羞恥で瞳が潤んでしまっただけだと思っていたモブリットがさすがと感心していると、ペトラが肩を窄めながらおずおずと小さく手を挙げた。

「……その、モブリットさんを欲しい、というのはどういう意味でしょうか」

その会話はぼんやりとだがモブリットにも記憶がある。
不安げな表情を向けるペトラに、その言葉が妙な方向に一人歩きしたのだと察して、モブリットも苦笑で説明をしかけ――

「ペト」
「白を切り通そうったってそうはいかないぞ!」

ダンッと机を叩いたハンジによって遮られた。
全員の視線が一斉に向けられる中、ハンジは意気揚々と胸を反らして鼻息荒くリヴァイに指を突きつける。

「モブリットの後ろの穴が無事だったってのは昨日確認してるんだ! つまりリヴァイはモブリットのモブリットが欲しいということに――」
「無事を、」
「……確認?」
「ははははっはっはー! ハンジさん!? 口閉じて! 今は兵長とペトラの会話です。きちんと兵長の話を聞きましょう!? ね!?」

とんでもないことを言い出したのはこちらもだった。
示し合わせたかのように言葉を繋いだリヴァイとペトラに見つめられて、モブリットは勢いよく立ち上がると前のめりでハンジの口を塞ぎにかかった。
二人の視線がモブリットの下半身――それも極一点に注がれているのがわかりすぎて、ものすごく泣きたい。

「……モブリット、お前」
「兵長、その目をやめてください。いっそあなたも後ろ手に縛られて、ペトラに確認してもらえばいいんですよチクショウ!!!」
「……縛られたのか」
「縛ったんですか……」
「あ、うん」
「もう止めてー!」

普段はいっそ厭世的とも思える色を宿しているリヴァイの灰色の瞳が、哀しいほど憐憫の情を湛えてモブリットを見つめている。へへ、と何故か嬉しそうに笑ってペトラに首肯して見せたハンジの前で、モブリットは耐えられずに顔を覆った。
泣きたい。いや、もしかしたら自分は少し涙ぐんでいるかもしれない。

「するか? 確認」
「え、確認ってあの、どう……」

本気か冗談か判然としないリヴァイの質問に戸惑うペトラが、モブリットの下半身を一別して、それから更に戸惑った表情を浮かべてハンジを見る。

「ああ、それはね。こう部屋に入った時に――」
「答えないでください! ペトラも! 聞かなくていいから!」

事細かに教えそうなハンジには叫ぶしかない。
色々な悲しみでモブリットはがばりと机に突っ伏した。頭をよしよしと撫でるハンジの手の重みを感じるが、こうなっているのは誰のせいだと恨みがましい思いでむくりと顔を上げる。
そんな二人のやりとりを横目に、リヴァイがペトラに向き直った。

「……あれは」

真っ直ぐにペトラを見つめるリヴァイの瞳は真剣で、ペトラはつい先程の自分の質問を思い出した。リヴァイは真面目に答えてくれるつもりらしい。居住まいを正して答えを待つペトラを見つめながら、リヴァイはゆっくりと言葉を紡いだ。

「そのままの意味だ。俺はモブリットを評価している。俺の下に就けといって断られたことがあった。部下として欲しいというだけのことだ」
「……あ」

部下として、兵士として、リヴァイから最高の評価をされていることに、モブリットは改めて感謝の念を思い起こした。けれどもやはり答えは同じだ。ハンジがそれを望まない限り、モブリットにハンジの下から離れるつもりは毛頭ない。

「理解したか」
「……はい。すみませんでした」
「いい」

彼に対するリヴァイの評価を、ペトラもいつか聞いたことがあったのだろう。別段驚いた様子はなく、納得し、それからどこか眩しそうに目を細めてペトラはモブリットを見た。
久し振りに僅かな気恥ずかしさを覚えてしまう。
苦笑したモブリットがペトラに何かを言うより早く、ハンジがきょとんと目を瞬いた。

「え、まだ諦めてなかったの? あげないよ?」

当然とばかりに言ったハンジに、リヴァイがチッと舌打ちをする。

「てめえのモンじゃねえだろうが」
「私のものだよ。リヴァイだってペトラちょうだいって言ってもくれる気さらさらないだろう?」
「当たり前だ」

今度はさも当然とばかりにリヴァイがそう断言する。それにハンジは不満も露わに唇を尖らせた。
隣のペトラの肩を抱く。

「ペトラはペトラであなたのものじゃないじゃないか」
「こいつは俺のものだ」
「へ、兵長!?」

わざとらしく頬に口づけようとしたハンジから、席を立ったリヴァイが腕を引いてすかさずペトラを取り返した。椅子に座ったままバランスを崩してリヴァイに凭れてしまったペトラは、慌ててその場に立ち上がった。
そんな彼女を机に片肘をついて見上げながら、ハンジがぶすくれた声を掛ける。

「ペトラってリヴァイのものなの? 本当に? それでいいの?」
「へ!? え、ええと、え?」

モブリットには完全に遊んでいると丸わかりな質問だが、素直に戸惑うペトラは真っ赤な顔で口をパクパクとさせてしまった。可哀想にと思う間もなく、横手からリヴァイがペトラの頬を取って自分の方に向けさせる。

「ペトラ、嫌か」
「嫌じゃありません! 私は兵長のものです! ……うあ、わ、わあああ……!」

なんてあざといやり口だ。こんな見え透いた言葉の罠に毎回引っ掛かるペトラもペトラだ。
まんまと宣言させられて真っ赤になって机に突っ伏してしまったペトラを見つめるハンジは、感じ入るようにほうっと艶めいたため息を溢した。

「クッソかわいい」
「当たり前だ」

こんなところは息がぴったりなのだから、この二人は手に負えない。
生け贄となったペトラに憐憫の情を向けていたモブリットに、しかしハンジがその触手を伸ばしてきた。
とんとん、と指先で腕を叩かれ視線を向けると、やけにひたりと自分を見つめていたハンジと目が合ってしまった。
これは危険なシグナルだと心のどこかが警鐘を鳴らす。
けれども腕を振り払う前に、ハンジがモブリットの袖口を取った。

「……モブリットは?」
「は、はい?」
「さっきの。答え聞いてないんだけど」
「は? さっきのって……?」

少し俯きがちになってしまったハンジに思わず聞き返す。
と、ぷくっとむくれた顔で睨まれてしまった。

「モブリットは私のものじゃ嫌なんだ?」
「は!? いえ、そ、そういう――」
「俺のものになるか?」
「ハンジさんのものです!」

そこでどうしてリヴァイが出てくる。
抱き寄せるというより、ほとんど強請タカリのように筋肉質な腕が肩に回され、モブリットは咄嗟にそれを振り払うと、間髪入れずにハンジの手を両手で握った。真剣な表情で宣言した。

「……えー、なんかその言い方は不満だなあ」

が、先程のペトラとは趣向が違ったからだろう。
ますますむくれてしまったハンジに、モブリットは困ったように眉を下げた。
確かに今の言葉は言わされた感は否めないが、リヴァイとどうこうはあるはずがない。彼がペトラに話したものが全てで、他には本当に何もないのだ。
リヴァイの評価は光栄だ。
けれどもハンジと比べられるものではまるでない。

「俺は、あなただけのものですから」

モブリットは包んだハンジの手を優しく撫でながら眦を緩めた。
返事のように、ハンジがモブリットの指に自身の指を絡める。
それから澄んだ瞳でモブリットをじっと見つめ、

「後ろも?」
「そこは俺のものです。あげません。ダメ、もう、絶対」
「最後の方はなんかちょっと良さそうだったくせに……」

何を言い出すんだ。本当に。
真剣な表情で成された質問に、同じく真剣な表情で否定したモブリットは、ふと、隣の二人を思い出す。

「……最後の方」
「そうか……」
「よよよよ良くないですし!? 誤解っ! 誤解ですよ!!?」

勘弁してくれ。
リヴァイと酒を飲んで潰れた代償がモブリットだけ大きすぎる。
口を濁す二人の何とも言えない表情が、また一点に注がれるのを感じながら、モブリットは深夜の兵士長の部屋の中で、ひとり絶叫したのだった。


【Fin.】


悪乗り3。
これで完結となります。結局リヴァペトとモブハンに落ち着きますw