春にして君を想う




穏やかな風が、薄く色づいた庭の桜を揺らした春のある日、彼女は彼に見守られて静かにその生涯を閉じた。
何度か浅い呼吸を繰り返し、最期の最後、息吹がひととき彼女の瞳を開かせた。手を握り頬に手を添え、普段通り穏やかに見つめるモブリットが、彼女の瞳に映り込む。白く膜を乗せた瞳は死を前にした人間とは思えぬほど煌めいて見えて、その唇がゆっくりと動く。
「ねえ、モブリット」
彼女が何を言おうとしたのか、結局今でもわからない。
はい、と応える彼に柔く笑んだ瞳はすぐに閉じられ、彼女はそのまま逝ってしまった。
つい昨日の出来事のように思い出せるというのに、窓から見える景色はもう緑の季節の訪れが近いことを知らせていた。
モブリットはハンジのベッドから見える窓の木枠に手をかけて、ガタリと開ける。青い風が部屋に吹き入って、外開きの扉が好きなんだと言って笑った彼女を思い出した。
「外に向かう感じがいいでしょう? 風でガタガタなる窓もいいよね」
何でも楽しそうに、モブリットにはない感性が瑞々しくて眩しかった。おそらくハンジもそうだったに違いない。モブリットにとっては他愛のない手順や感想に、子供のように顔を綻ばせる彼女はよくこう言ったものだ。
「さすが! 私のモブリット!」
それは少しくすぐったくて、同時にとても誇らしい気持ちにさせてくれた。

ねえモブリット、と彼女はよく彼を呼んだ。
それは初めて彼女の下に配属された日から変わらず、ただその響きと頻度だけが、二人の変化を物語るひとつの指針だった。
彼女にそう呼ばれることがモブリットはとても好きだった。単純な名前が、それだけで崇高でかけがえのないものになる気がして。応えられることが誇らしかった。そんな思惑を知ってか知らずか、ハンジは折に触れモブリットの名前を呼んだ。
ねえモブリット、あのさモブリット、おやすみモブリット、おはようモブリット、モブリット、モブリット、モブリット――
呼ばれるのが好きな自分と、呼ぶのが好きな彼女は真逆で、だからとても良かったのだと思う。
応える度にふはっとこぼれるような笑顔をくれる可愛い彼女を独占できた日は、それまでで最良の日になった。自分が誰かに触れるだけで泣けるほどの幸せを感じられる人間だったと、その時初めてモブリットは知ったのだ。

時は進み、時代は流れ、人類の脅威が巨人から人間そのものになると、兵団の役割もその方向性を大きく変えることになった。 巨人の正体が知れてしまえば、調査兵団への風当たりはどの兵団より強くなったのも自明の理だ。 けれども研究の観点から、ハンジの担う役割は続き、モブリットはそんな彼女の傍にいた。
気分転換と称するには多少激しく、追われるように何度も転居を繰り返し、今度は小さな家もいいね、と馬車の中でハンジがぽつりとそう言ったのは、少し肌寒い夜のことだった。
うとうとしているハンジに肩を寄せてどうぞと言えば、大人しく頭を預けた彼女は状況を悲観するでもなく、むしろ楽しそうにさえ思える口調でぽつりぽつりと言葉を繋ぐ。

「平屋で少し煤けた壁なのも時代の息吹を感じていいよね。うーん、でもさ、面白いこと見つけたらきっと私はいつもどおり騒いじゃうと思うから、お隣さんはあんまり近すぎない方がいいのかなー。キッチンも別に……ああ、モブリットが使いやすい広さがいい? またあれ食べたいな、あの羊の……キッシュ?」
くすくすとまるで夢物語のように笑うハンジの肩を冷えないようにと抱き寄せて、モブリットも頬を緩める。
「小さくても書斎は必要でしょうから、それだと寝室は狭くなるかもしれませんね」
「うん。なんなら書斎と寝室はぶち抜いて、一緒にしちゃってもいいんじゃないかな。そしたら部屋がたぶんいつも綺麗になる」
「……俺が片付け専任ですか?」
「モブリット、片付けたくなっちゃうでしょう?」
「ベッドに引きずり込んでしまうかもしれませんよ」
「困ったな。それじゃ部屋が片付かない」
どうしようと笑いながらキスをねだる唇に触れる。ゴトゴトと身体を揺する振動は気分の良いものではないのに、楽しくなってくるから不思議だった。それなら家を買っちゃいましょうか、とは我ながら良く言ったものだと思う。
根無し草のような生活の終止は、けれども存外悪くなく。
開けた窓から入り込む初夏には少し若い香りを胸に溜めて、モブリットはくつくつと込み上げてくるもので喉を鳴らした。
彼女の希望を取り入れて増改築した我が家は、今も至る所に彼女との想い出を溢れさせていてくれる。
批難と拒絶から緩やかな嫌がらせに変わり、おそらく彼女の天真爛漫で、けれども理知と慈愛に満ちた性格と、モブリットの如才ない立ち回りから、彼女の旅立った春の日には近隣の昔馴染みが愛情深く悼んでくれる程にまでなっていた。始終穏やかとは言い難いが、幸せと呼んで差支えのないその環境は、どれも二人の想い出の一部だ。

二人の生活になってからそれまで、何度も転居を繰り返したにも関わらず、ハンジは基本的に荷造りがいつも遅かった。
いや、こうと決めれば早いのに、手繰り寄せた書類に目を向けてしまうから止まらなくなるというのが正しいか。
どうせ全部持っていくんだから次の部屋で読んでください!
日用品をせっせと箱に詰めるモブリットは何度そう言ったか知れない。
けれどもいざ私物になると、二人の立場はいとも容易く逆転したものだ。
「モブリット、終わったー?……あ、まだそれ見てる」
「あれっ、もうこんな時間に!」
「捨てるか捨てないかの簡単な二択が随分不得意なようだね、モブリット・バーナー?」
人差し指を左右に振る演技がかった仕草でハンジが眉を上げてニヤリと笑う。少し前まで両親に内緒で遊びに来ていた近所の子供が、最近通うようになった学校の話をしてくれて、そこに出てきた「大嫌いなじゃがいも先生」の真似らしいとすぐにわかった。
ショボくれた子供のように項垂れて、モブリットはぷっと吹き出す。

「ハンジさんはもう終わったんですか?」
「うん。これ。完璧!」
「あのタペストリーは? すごく気に入ってませんでした?」
両手で抱えられた木箱はそう大きなものではない。何よりたったひとつきりだ。
モブリットが言うと、ハンジは置いていくよと簡単に答えた。
「この部屋に合ってるし、思い出だけをありがとうって。潔さも片付けの秘訣」
「まさかあなたに片付けについて指導される日が来るなんて……」
「どういう意味さー!」
言いながらまだ繁雑としている部屋に入って、ハンジが木箱をベッドに置いた。どうやら手伝ってくれるらしい。
モブリットが手にして考え込んでいた貰い物のグラスを取ると、迷いなく不要箱の中に置く。
「あ」
「グラスはもうひとつ入れたよ。こっちの方が良い?」
既に仕舞ってあったのは、ハンジとここに来たとき初めて一緒に選んだ揃いの安もので、そんな比較をされてしまえばモブリットの答えはひとつしかない。両手を合わせてグラスに言う。
「思い出だけをありがとう」
「良くできました」
ご褒美に頬へキスが落とされて、ああ、この方法捗るなあと呟いたモブリットへ、ハンジはニヤリと口角を上げた。
「次のご褒美はちゃんと全部片付いてから。最後まで」
「俄然やる気出ますよね」
ふはっと吹き出した彼女に笑って二択を迫られれば、何故迷っていたのか不思議なくらい、判断は簡単についたのものだった。

そうして何度か繰り返される転居を経て、荷造りの度に彼女の木箱は小さくなり。
この家に入ることが決まった時には、片手で持てるくらいの大きさに納まってしまっていた。
「これは選ばれしモノ達なんですね」
「そう。私の琴線に触れたレジェンド」
例によって例のごとく、最後の部屋で苦手な思い出の取捨選択を手伝ってくれるハンジが言って、いとおしそうにそっと箱に触れた。もう片手で持てる大きさだと言うのに、この部屋へ入ってくる時も、ハンジはきちんと木箱を両手で抱えていた。
「……宝物箱?」
「可愛いでしょう?」
「可愛いですね」
「真顔で言うなよー!」
「少し妬けます」
ふへへ、とおどけて言ったハンジにモブリットは困ったように眉を下げた。その表情が、実は彼女が嫌いではないと知っていて、少しあざとい真似をしたのだ。
案の定ハンジはしょぼくれ顔の年下男に困惑の色を浮かべると、唇を尖らせ、モブリットの前髪をくしゃくしゃと掻き回した。ハンジが照れた時によくこうするのだと知っている。
「……何言ってるの。私のとっておきのくせに」
それから降りてきた指先で頬に触れられ、一本取られたといったところだ。
「あんた、本当……時間ないときに言うのやめてくださいよ、そういうこと……」
「時間ないのはモブリットがちゃっちゃとしないから」
早く時間作ってよと言われてしまえば、モブリットの荷物は終の棲家を前にして、ここで格段に少なくなったのだった。

その大切な木箱の中身をモブリットは知らない。いや、今もまだ知らない。
見せてほしいと願えばおそらく叶っただろうが、彼女から蓋を開けない物を、敢えて暴く真似はしたくなかった。そこにはモブリットの知らないハンジの大切な思い出達が、そっと在るはずなのだから。
物にあまり執着の見せない彼女が側に置きたいと願うそれらの存在に、生への執着を感じて安堵していたというのも少しあったのかもしれない。そのくせ嫉妬も本音だったのだから笑ってしまう。

窓縁に置いたアイビーの蔦が自由に伸びて、そよそよと風に揺れた。この家に越してから初めて一緒に出た市で、食材やら何やらを買い込んだとき、ハンジが自ら買い求めたものだった。
「葉の形が色々あるんだって。どれにしようか……二つ買って比較してみる?」
「研究対象に?」
「ああ、いや──彩りになるなってこと」
どこにいても、必ず置いていくことになるからという理由で、鉢物はずっとなかったものだ。彼女の覚悟に触れた気がして、「かわいいね」と振り向いたハンジにモブリットはキスをした。往来でそうしたのは、実はそれが初めてだった。
素直に驚いて、それから思い切り頬を染めてパクパクと口を動かす彼女がとても可愛かった。
互いにもう若くはなかったけれど、まるで初めての恋人たちのように初々しい態度は恰幅の良い店主の妻から思う存分からかわれ、それから随分おまけしてくれたものだ。
どんどん自由に伸びていくそれを時に剪定し、時に株分けて、初代はずっと二人の目の届く場所に置いた。
月夜に窓辺を開け放し、寝巻きにガウンを羽織ったハンジが、蔦を指に絡ませていた姿は今でもモブリットの瞼に生き生きと色づいている。ともすれば冷え冷えとしてしまう月光は、彼女の柔く笑んだ目元のおかげで、ひたすら温かさだけが染み込んでくるものになっていた。

二人で過ごした短くない年月は、決して穏やかで慈愛に満ちたものばかりでは勿論ない。
他愛ないことで喧嘩もしたし、傷つけたことも、傷つけられたことも多分にあった。けれども今こうしてハンジの最期を看取った部屋で、彼女との軌跡を辿るとき、浮かぶのは真っ直ぐに自分を見つめる煌めいて愛しい姿だけなのだ。その表情は時に笑い、時に怒り、時に泣いて、時にモブリットの胸を深くふるわせる。その全てで彼女だった。
目を閉じて、モブリットはハンジの事を想う。

──ねえ、モブリット。
──はい、どうしました、ハンジさん?

ブレードを握り潰れたマメが硬化して、ペンダコも多かった掌は、それこそペンを取るより書物に目を通す事が多くなった事を示して二人とも随分柔らかくなったものだった。
人差し指の第一関節、中指の節、それに親指。
それぞれに跡だけ残し、老いるということはそういうものなのだと理解する時間がもてたことは、なんと素晴らしい財産だろう。
「……ねえ、モブリット。あなたの宝物箱にも思い出が詰まってる?」
いつだったか、これから後一息の前の小休止で、ハンジに聞かれたことがあった。何の話かはすぐにわかったが、呼吸がなかなか追い付かない。腕の中で震える彼女の喉元に噛みついてから、そっと鼻先を耳朶に寄せた。
宝物箱。彼女の木箱はそういえば暫く見ていない。もうどこに行く予定もないのに、二択を迫られることもなく部屋のどこにも配分されていないのなら、それは本当に宝物箱に違いなかった。
「まだ、持ってるんですか?」
「ずっとね。彼らはもう私の一部になってるし」
「…… 」
「また妬いてる?」
「あんた、分かって言ってるでしょう」
恨めしげに言って睨めば、ハンジが嬉しそうに笑ってモブリットの髪をくしゃくしゃと乱した。
彼女の一部になった宝物達は、一体どんな想いを彼女に与えていたのだろうか。

ベッドサイドのローチェスト、一番下、そこに彼女の宝物箱が仕舞われている。
いつかの彼女のリクエスト通り、ある時から書斎と寝室をぶち抜いて縦に広くなった二人の部屋は、主の一人を喪してからも、ドアを開ければ彼女の気配が息づいていた。
愛用していたウッドチェアもよく目を通していたお気に入りの本も彼女の書いた本と資料も。
想い出と記憶がそこここに溢れ、だからモブリットはハンジを優しく悼むことができるといえる。
いつか来る別れを見越してこの景色を用意していたというのなら――彼女の愛すべき発想でなら有り得そうで――モブリットは敵わないなと眦の皺を優しく深めた。
遊ばせていたアイビーの蔦から指を引き抜いて、葉を軽くつついてから、ローチェストの傍らに膝を付く。
さして重くない引出しは、まるでそうされるのを待っていたかのようにモブリットの手に馴染んで簡単に木箱が姿を見せた。モブリットはそれをハンジがしていたように、両手で丁寧に取り出すと、また窓辺に戻った。存外軽い。窓枠ギリギリに置かれた机にそっと置き、椅子に座る。風に吹かれたアイビーがそよそよと揺れ、モブリットを見守っているようだった。

彼女の宝物箱を開ける。
蓋を横に置いて最初に目に入ったのは、一見すれば尖った石のようだった。女型と称された少女の消えない結晶だとわかる。そうだ。この存在の発見が従来の常識にヒビを入れる切欠になった。
「ああ……」
箱の中をざっと見つめて、モブリットは息をついた。宝物箱などとよんでいたから、ついありふれた思い出の品を想像してしまっていた自分を苦笑する。私の琴線に触れたものと、彼女は言っていたではないか。
大きくはない木箱の中にあったのは、研究や別れの起結を思い起こさせるものが大半で、いや、むしろほぼ全てと言っていい。例えば結晶、例えばガラス瓶の欠片、例えば禁書の一節が書き写された紙面の束──
その全てにモブリットは覚えがあった。良い思い出とはいえない。当時の感情が込み上げて、年老いた胸がギシリと痛むものがほとんどだ。彼女は──ハンジは、これらをずっと抱えて生きていた。

覚えている。忘れはしない。このどれにもモブリットはハンジの傍にいたのだから。
けれども、木箱の中を見つめるとき、彼女はこの胸の痛みといつもひとりで向き合っていたのだ。真摯に。真摯に。誰よりも正直に、目を逸らすことも埋もれさせることも決してせずに、彼女らしく。
想い出に妬くなどと、どこの口が言ったものか。ふはっと笑う彼女がありありと浮かんで、情けない顔で眉を下げる。
多くない品を木箱の横に取り出して、モブリットは最後に残った薄い麻織りの袋に首を捻った。
禁書の紙面にしてもその他にしても、無造作に入れられていたものとは違い、それだけは妙に丁寧にたたまれているように見えた。手に取ると軽く、中にメモ書きのようなものがあるのだとわかった。研究の走り書きか何かだろうか。袋から抜き取ると、カサリと音がして、机の上に栞が落ちた。栞に押し込まれた葉がアイビーだとわかり、ハンジが手ずから作ったのだとわかる。最初に鉢植えを置いてから、一時期彼女はよくそうして「ねえ、モブリット」と楽しそうに見せてくれていたからだ。
懐かしさに目を細めて、モブリットは次いで手にしたメモ書きの束を裏返す。それから小さく息を止めた。
それは彼が彼女へ記したメッセージの切れ端だった。

──食事です。置いておきますから食べてください。絶対に!
──おはようございます
──!本日終日入浴の日!
──このメッセージに気づいたら寝ること
──お疲れ様です
──ハンジさんへ

他愛ない日々を彷彿とさせる単語が、見飽きた自分の少し若い筆跡でそこに並ぶ。いつ書いたのか詳細な場面が思い出せない。それくらい当たり前に過ごしていた日常から、切り取られたものだった。
一枚一枚、震える指先でそれらを捲る。
経年劣化で端が破けている他の紙面とはあきらかに違い、優遇されていたらしいメモ書きは、だが所々文字が掠れていた。
滲んでいるのではなく、掠れている。
まるで、何度も何度も乾ききったインクの上から触れたせいで、徐々に薄くなってしまったかのように。

──ねえ、モブリット。

月夜にアイビーを遊ばせていた姿がふいに被る。
同じように、モブリットの知らない時間、彼女はこれを取り出して、その指先で触れていたのか。目元を緩めて、愉しそうに。メモを書いた本人ですら忘れてしまった風景をそっと思い浮かべながら。

木箱の中は、彼女の琴線に触れたもので構成されている。事実と戒めが大半で、思い出と呼べる淡い物を持たなかったハンジらしい構成で。けれどもその中で異彩を放つ紙片のたった数枚が、それらと同等に形のある存在として持っていたいと思うほどに、彼女の心に触れていた。その事実に、モブリットの胸が奮える。

──可愛いでしょう?

まったく、どうしようもないくらい。
触れる前も触れられるようになってからも、そして触れられなくなってからも。
言えばあなたはまた照れるでしょうけど、俺にとって間違いなく、あなたは世界で一番可愛いひとだ。

──私のとっておきのくせに。

ハンジの言葉がモブリットの耳にまざまざと甦って、瞼がじわりと熱くなった。悲しみではない。
息吹く彼女の想いに触れて、溢れる胸詰まるほどの愛しさが、モブリットの視界を優しく潤していく。
本当に、最後の最後まであなたにはまったく敵わないことばかりだな。

──ねえ、モブリット。

はい、ハンジさん。
麻織りの袋に紙片を仕舞い、モブリットは静かに木箱を閉めた。そうして、つと蓋をなぞる。彼女がしていたよりも丁寧に。ハンジの頬を包むような優しさで。
モブリットがこの箱を開けることは、おそらくもうないだろう。代わりに何度も木箱を見つめ、彼女が紙片にしていたように、そっと触れるを繰り返すのだ。いつか──そう遠くない未来で主をなくしたこの家には、やたらと手触りの良い蓋のついた木箱が遺されることになる。
木目の馴染んだそれは、二人の宝物箱だと知る者のいなくなったその後で。

──ねえ、ハンジさん。

モブリットは蓋に手を置きながら、さやさやと風に揺れるアイビーの緑に視線をやった。
空は抜けるように高く、青い。
春と夏のにおいに満たされて、モブリットは目元を柔らかく和ませた。


Fin.


チャーミーグリーンの老夫婦のように、モブリットとハンジさんには生きてほしいなと願っています。

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