Silent stance




渡された企画書案を読み終えて、さすがだな、とモブリットは素直に感嘆していた。
次回の壁外調査で、新たな可能性を求めて捕獲すべき巨人の大きさから危険予測、要する人員や理由、それら諸々が本来の調査の目的を削がないであろうギリギリの範囲で端的にまとめられている。
草案でこれだけのものを作り上げられる人間が、兵団の内に外に、あとどれくらいいるというのか。
発想だけが一人歩きした挙げ句、人間奇行種だの猟奇的なマッドサイエンティストだのという噂ばかりが取り巻きがちなハンジは、こんなにも他に類を見ない非凡すぎる優秀な人間に他ならないのだ、ということが改めてわかるというものだ。

「で、どうかなモブリット。こんな感じでイケると思う? イケるよね? イケそうだよね!? っかぁ〜、8メートル級って初めてじゃん? 範囲も広がるから出来ることも増えるよね。楽しみだなー。捕獲に成功したら、私今度こそやりたいやつあってね――」

隣で既にその後の情景をありありと浮かべているのだろうハンジの目は、連日の寝不足もあってか充血している。
が、それよりも興奮の方が遥かに上回っているらしい。嬉々として計画を語る姿はいかにも楽しそうだ。
間に疑問点を挟みながら聞きに徹していたモブリットの耳に、近くの席にいた兵士達の会話が漏れ聞こえてきた。

「……うへぇ、またハンジ分隊長の巨人話だぜ」
「休憩時間にまで聞きたい話じゃないよな」
「抉るとかなあ……。削ぐ以外が堪んねえってちょっとな」

不満というより、単なる抽象めいた物言いに発展するのが目に見える会話だ。頭の横で人差し指をくるりと回した兵士を見えない振りで、モブリットは秘かに目を細めた。
確かに一般的な感覚からずれていることは認めよう。けれどもその研究の成果で、巨人の目が割合大きな時間稼ぎになり得る証明も出来た。そういった小さくとも確かな成果で、生存率に貢献している事実は、一つや二つではないというのに。
彼女に対して、色々と語弊のある表現はこれまでも多く耳にしてきた。
が、ハンジがそれに頓着する様子は――少なくともモブリットが副官の位置に就いてからは、見たことがなかった。
今も、まるで何でもないかのように、モブリットの持つ資料を横から覗き込んで指し示しながら、可能性の構想はどんどん先に進んでいる。

「――て、なるから、次は二体同時がベストなんだ」
「そうですね。ああ、でも固体の特徴も分類できれば、前の実験に重ねられません?」
「おお、さすがモブリット!」

キラキラと目を輝かせてパンと手を打つ様子は、悪戯を思いついた子供のように無邪気なものだ。しかしそれも束の間、「じゃあ3メートル級も必要か」と呟くと、ハンジは考え込むように腕を組む。あっという間に思索に没頭した上司の邪魔にならないよう、モブリットは再び黙して資料に目を落とした。

その間にも周囲からの奇異の視線をちらりと感じる。が、ハンジ同様、モブリットも今更いちいちそんなことを気に留めるつもりはなかった。
陣形からの離脱時期、予算内での備品の調達経路、選抜兵への連携、それに――ああ、捕獲体の勾留場所は兵舎裏手の許可がいるな。
煩雑な事務手続きに考えを巡らせるモブリットと、その隣で何やらブツブツと口中で呟きながら思案に暮れるハンジの姿に、いつものことと呆れたのか、向けられていた視線が引き、席を立つ音がした。
ざわざわと静かに細波のような休憩室での会話が一つ遠ざかる。

「――本当、巨人好きとか変人だよなぁ…・・・」

しかし決して大きくはなかったその言葉だけが、モブリットの耳に入り込んで、資料を持つ指先が我知らずぴくりと跳ねたのがわかった。
今彼は何を言った?
文字を追わなくなった目で変わらず紙面を見つめたまま、モブリットは表情を変えずに自問する。
変人――は、まあそういう側面は確かにあるが、そもそも調査兵団は変革を求める奇人・変人の巣窟だろう。一歩市井へ出てしまえば、彼らとて同じ穴の狢だ。いやそれよりも――巨人好き? 誰が。分隊長が? 巨人を? 好き?

「――」

馬鹿じゃないのか。

まず浮かんだのはその一言だ。
この人がどんな思いで研究班に身を置き、打ち込んでいると思っているんだ。どう戦ってどう生き抜いて、何が基点となっているのか欠片ほども見ようとせずに、何だそれは。
人類の未来を思えばこそ、可能性を信じ、それ故に誰もが失いがちな僅かな光を掴む為に東奔西走する日々だ。
こちらが気が気でなくなるほどに巨人の研究に没頭する姿は、むしろ何よりも誰よりも巨人を憎んでいるからだと如実に物語っているではないか。そんな単純なことが何故彼らにはわからない――

「モブリット?」
「あ――、はい……?」

不意に名前を呼ばれて、モブリットは我に返った。
ふつふつと沸いていた頭が、急速に冷静さを取り戻していく。
ハンジがすぐ横から窺うようにモブリットを見つめている。

「どうかした?」
「はい? いえ、どうもしないですよ?」
「そう? 珍しく苛ついていたようだったから」

言われて、モブリットは思わずハンジを凝視してしまった。
大きな明るい栗色の瞳が、逸らされずにじっと自分を映している。

「そ――」

資料を持つ指先には、支える以外の力は全く入れていないから、紙面に皺が寄っているわけではなかった。
眉間に皺を寄せていたこともないはずで、なのにハンジの言い方は疑問というより確認の色がずっと濃い。

「……そんなでした?」
「うん」
「……」

どこからバレていたのだろう。
見てないようで見ている人だということを、うっかり失念していた自分を少し呪いたくなった。
おそらくあの兵士達の会話も全て聞こえていただろうに、そんな周囲の雑音は承知の上で、それでも信念を貫く姿勢には尊敬しかないではないか。
追いつきたいのに追いつけない。
一概に比較できるものではないとわかっていても、自分の狭量に、モブリットはすっとハンジから視線をずらした。

「――ふ」
「……何ですか」

不意に漏らした息で笑われた気がして、横顔を盗み見る。
揶揄されるかと思いきや、存外やわらいだ表情で、ハンジの手が伸ばされた。くしゃりと頭を撫でられる。

「モブリットは可愛いなあと思って」
「どこがですか」
「んー?」

さっきの今で、自分のどこに可愛げの要素があるものか。
はっきりと憮然としてしまったモブリットが顔を逸らせば、まだ頭に手を置いたままで、ハンジの立ち上がる気配がした。
ああ、もう時間か。
休憩室の入り口に掛かる壁時計に目を向けかけて――
――頭頂部に押し付けられた吐息に、モブリットは目をぱちくりと瞬いた。

(……ん……?)

少し離れた席にいた年若い兵士達が顔を上げてこちらを見るや、唖然とした表情のまま固まったのがよくわかる。
ほんの一瞬、その内の一人と目が合い、途端に伏せられて、モブリットは自分の頭に何が起こったかを理解した。

「!?」

振り払うように振り向いた先で、ハンジは実に楽しそうに両手をホールドの形に持ち上げながら、ニタリとした笑みを浮かべていた。

「な――な、……分隊長、何し……ッ」
「そういうところ」

何が、と叫びたいのに、言葉にならずにパクパクと口が開閉を繰り返してしまう。頭の中だけで抗議を喚くモブリットをしばらくニヤけ顔で見つめていたハンジは、それから何故かきゅっと唇を噛み締めると顔を背けた。
今度は何だと訝しむ間に、ハンジの耳が赤くなり、僅かに肩が震えだす。

「――つか、モブ、モブリット……! 顔! 顔すっげ赤ッ! ブフーッ!」

ざわめきも完全に形を潜めた室内に、ハンジの爆笑が響き渡った。
笑い事か。
こんなところで、何してくれたんですかあんた。そら赤くもなりますよ。せめて場所くらい選んでください。ほら、周りの俺を見る目が同情に変わった――

「いやー、モブリットは可愛いなあ!」
「嬉しくないですよ!」
「そう? 私は嬉しいよ。あなたがそうあってくれるから、私は前にだけ進んでいける」
「――」

くくっと笑いながらで言われた言葉が、ひどく真っ直ぐ胸を突く。
思わず顔を上げれば、目尻の涙を拭ってはいるが、随分穏やかな視線で見下ろされていることに気づいて、モブリットはぐっと言葉を飲み込んだ。
本当に、この人はこれだから――

(――クソ)

そんなふうに言われたら、俺はこのままあなたの為に、狭量でいるしかないじゃないか。
もう好きなだけ笑えばいい、と観念して、モブリットは胸中でそう毒づいた。


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何が書きたかったって、不意打ちするハンジさんと赤くなるモブリットです。


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