3.「すみませんね」




対峙してからずっと、二人の応酬に終わりはみえない。

「だいたいなあ! お前全然関係ないだろ。何喜び勇ん出てきてんだよ!」
「あんた、バカじゃないの。そんなのオーストリアさんのために決まってんじゃない」
「だからっ。何でボロボロの支配国のためにお前が出てくんだって! 普通しないだろ。つーかチャンスだろ! 甘ちゃんの貴族野郎ボコってお前が独立のチャンスだろ!」

立場的には頷けないが、実際その通りだと思う。
オーストリアはハンガリーに気づかれないよう、眉を僅かに顰めた。
いくら税法上の便宜を図ろうが、他国に比べての特権を与えようが、実質統治しているのはハプスブルグ家に変わりはなく、ハンガリーの国民にすれば目の上のタンコブくらいの存在であることは確かなのだ。今を契機とばかりに、そこここで起こる反旗を前に、ハンガリーだけがオーストリアを支える唯一の存在となっている。プロイセンのいうことはいちいち最もで、この状況を作った張本人に言われているのだという一点を除けば、事実過ぎて腹も立たない。
しかしこんな状況だからこそ、単身で議会の演説、更にはこうして軍事力の確保にまでこぎつけてしまった我が上司は偉大という他ない。

「後ろのオーストリアを見てみろよ! お上品な面下げるだけしか能のないヤツなんて、時代の波に掻き消えるだけだ。お前も一緒に消されたいのか? 違うだろ。よく考えろ、そのフライパンを向ける相手を……!」
黒光りし、あらゆる角度がいびつに歪む使い古されたフライパンを構えるハンガリーは、それでも動揺は見られなかった。
それに安堵し、それから少しだけ申し訳ないとも思う。
こうしてハンガリーにばかり重荷を負わせ、後ろでいいように傷めつけられてしまった今のオーストリアには、プロイセンの言葉に反応しようにも、上手い言葉が見つからないのだ。
彼女を真実ただの手駒と割り切れるのなら、目の前で嗤うプロイセンのようになるのかもしれない。だがそれは、オーストリアには出来ない相談だった。

「うるさい、このバカ似非田舎貴族! そんなこと言って、なんだかんだ言い掛かりつけて、オーストリアさんのこと気に食わないだけじゃない。前にフランスもオーストリアさんの体目当てみたいなこと言ってたけど、プロイセンははっきり言わないだけ余計性質が悪いわ」
「フランスのエロ野郎と一緒にするなー! しかも何だそのムッツリくさい発言は!」
「いきなりオーストリアさんの大事なところ奪っておいて、白をきる気!? しかも私にオーストリアさんを見捨てろなんて冗談じゃないわ。そんなこと言って焚きつけて、散々オーストリアさんの体を嬲って愉しむつもりでしょう! あんなことやそんなことして……挙句オーストリアさんのこんなところまで……! ――プロイセン、最ッ低」
「そんな気持ち悪いことするかあぁッっ!!!」
「それにどうせ、その後は私の体が目当てのくせに」
「――――ばっ、なっ、お……っ!」

ハンガリーに半眼で睨まれて、プロイセンが思わず口篭もる。
シュレジェン侵攻、その他諸々の彼を見れば、いずれはハンガリーを自分のものに、という彼女の考えは正しい。が、あまりにあけすけな物言いに、プロイセンは茹蛸のように真っ赤になって、目を白黒させてしまっている。
その反応に、オーストリアはやはりと内心で息を吐いた。
上司の意向が今はどうであれ、少なくともプロイセンはハンガリーを悪く思ってはいない。それは何となく察しがついていたのだが、今日まで確信が持てなかった。
だから自分を守ると言った彼女の出兵を、オーストリアは手放しで喜べなかったのだ。
もしものとき、オーストリア自身がというより、その後の彼女の処遇を思い、何度上司に進言しそうになったことか。

「ば、ばばば、馬鹿かお前っ!! 何言ってんだ! 自意識過剰なんじゃねえの!?」
「じゃあ、プロイセンは私なんて全然興味ないって言い切るのね」
「――そそそそ、それは……っ。気持ち、の問題とか、上司の意向とか色々ある……って、それ今は関係ないだろっ!」
どもりながら真っ赤な顔で反論するプロイセンに、しかしハンガリーは容赦がなかった。軽蔑しきった視線を惜しげもなくプロイセンに与えて、軽く首を横に振る。
「何赤くなってんのよ。プロイセン……まさかとは思ってたけど、本当に変態だったのね」
「なっ、だっ、誰が変態だ、この蛮族暴力女ーッ!!!」
ハンガリーの半歩後ろで二人のやり合いを黙って聞いていたオーストリアは、この言葉でプロイセンの前に歩み出た。

「何だ? やっとお坊ちゃまのお出ましか? お望みどおり止めさして――」
「私のものを侮辱しないで下さい」
言葉と同時に、行儀良く揃えた左手で、プロイセンの頬を強か張った。小気味良い音が、オーストリアを庇って前に出ようとしていたハンガリーの足を止める。
利き手が包帯で巻かれていなければ、もっと力が篭められたのに、とオーストリアは聞こえよがしの嘆息を漏らした。
「……プロイセン。私は貴方のおっしゃる通りの誇り高い貴族ですがそれが何か。そして彼女と彼女の国民は勇敢で誇り高い騎馬民族の末裔です。卑怯この上ない野蛮な方法で私の大事なところに入り込んだ貴方が、彼女を侮辱していいとでも? お謝りなさい」
「……なっ、てめ、自分の立場分かってんのかっ」
静かに淡々と告げられた台詞に、プロイセンは殴られた頬を憎々しげに押さえながらオーストリアを睨み上げた。不穏な空気を感じ取って、ハンガリーが弾かれたように二人の間に割って立つ。

「おい、オーストリア! まさか今更女の背中に隠れるつもりじゃねーだろうな!」
「まさか。私の女神に抱かれて高みの見物と洒落込むだけです、お気になさらず」
涼しい顔でさらりと言って、オーストリアは挑発するように彼女の刷いた鞘に恭しく口づけを落とすと、いつもの貴族然とした彼からは想像もつかないような形に唇を歪めた。
背中を向けたハンガリーには、彼がどんなに兇悪な笑みを乗せているかは分からない。ただ聞こえる彼の声だけは、いつもと何ら変わらなかった。
「――ああ。不意打ちで殴ったことは謝りましょうか? すみませんね、プロイセン?」
「オーストリア……!」
まるで私のものに手を出すなと言わんばかりの態度に、プロイセンが唸る。喉の奥で嗤って、オーストリアはおもむろにハンガリーの頬に軽い口付けを落とした。

「ハンガリー。あなたに神の御加護を」
「ありがとうございます、オーストリアさん! 今ので萌え充電完了フルパワーです!」
歓喜に満ちた喚声をあげて、ハンガリーは構えたフライパンを一段高く振り上げると、噛みつかんばかりにオーストリアを睨みつけていたプロイセン目掛けて、一気に振り下ろしたのだった。


END


私の、と呼ばれてハァハァ絶好調のハンガリーさんが見てみたいだけだったんですが、何か微妙なことに。
むしろこんなハンガリーさん怖い(笑)。

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