5.「良い音です」 陶器の割れる音が隣室から響いてきた。 「……マイセンの悲鳴が」 オーストリアは数えるのも億劫になってきた溜息を吐いた。 「イタちゃん、指とか切ってないかしら」 「大丈夫でしょう。彼は日々、粉砕した食器で掃除の腕を上げているようですし」 オーストリアが今口をつけているグラスを除いて、とりあえずさっきの音で一揃え駄目になっただろう。思わず寄った眉間の皺を人差し指で揉み解しながら、少し冷めてしまったアールグレイをすするオーストリアに、 「……あんまり叱らないであげて下さいね」 向かいに座る彼女が、上目遣いで困惑した笑みを向けた。 「まったく。貴女はイタリアに甘いですね、ハンガリー」 「そんなこと……。でも、だってイタちゃん、とっても頑張ってますし――!」 彼女にとっては弟のような存在だからなのだろう。 懸命にイタリアの擁護をするハンガリーを見れば、それがどういった情からきているのか窺えて、別段どうということもない。だが。 「安心なさい。むやみに叱りつけることはありませんよ」 「ありがとうございます、オーストリアさん!」 それでも我が事のように満面の笑みで礼を言われると、オーストリアの心に微かな暗雲が立ち込める。しかも晴れないとはどうしたことか。 「イタちゃんには、私も気をつけるように言っておきますし、高い所のものは私がするようにして、それから……」 今後の予定を説明してくれるハンガリーは嬉しそうだ。 それは良いことのように見えて、やはり良くない。 情勢は、いつどこでどうなるとも知れないのだ。例え今、彼がどんなに子供でも。 ああ、そうか――。と、オーストリアは自身の胸の内に納得した。 ……これは多分ほんの僅かな嫉妬の萌芽だ。 「ハンガリー」 そうと分かれば潔く。 「はい? なんですか、オーストリアさん」 「私がカップを落としても、同じように心配してくれますか?」 「え?」 言葉の意味を掴み損ねて、ハンガリーが反駁した。 「イタリアの話ばかりでは、私の出る幕がないので、少々面白くないなと」 「え? あの、オーストリアさ……」 「せっかく二人きりだというのに」 そう言うとごく自然に、天気の話をするかのような調子で、オーストリアはカップを持ち上げた。取っ手に自分の指がかかっているのを一瞥して、最後を飲み干す。 「え? え、あ――!」 カシャン、と金属よりは低い音を立てて、オーストリアの指を離れた最後のマイセンが床に広がった。 「オーストリアさん!? カップが――」 「――さすがマイセン。良い音ですね」 穏やかに場違いな感想を述べる。 慌てたハンガリーが欠片を拾おうと席を立つのを、オーストリアがやんわりと止めた。 「ああ、貴女はそのままで。私が片付けます」 「でも」 「いいですから」 ハンガリーの足元に飛んだ欠片に手を伸ばすと、指先にちり、と痛みが走った。 「……ハンガリー。指が切れましたが」 ぷくりと盛り上がった小さな赤い水滴をハンガリーに見せる。 「わ、ちょ……大丈夫ですかっ」 「心配ですか。ではどうしてくれるんです?」 「え、ちょ……オオオオーストリアさんっ!?」 床に片膝をついたまま、求めるようにハンガリーの唇へと指先を伸ばす。 慌てたハンガリーが頬を真っ赤に染めて、オーストリアを押し止めた。 「ししししし、消毒薬っ! 持ってきます!」 叫んで、飛び出していった後ろ姿に、オーストリアの視線が緩んだ。 まったく可愛らしい反応だ。これならば、まだ――。 「イタリア相手に何を考えているんでしょうね」 まだ大丈夫だと、心に浮かんだ独占欲に、オーストリアは苦笑した。 |