普通の殺し方 ――思えば、彼女は最初からそうだった。 すっかり安心しきった無防備な素肌を曝して、寝息を立てている少女肌に触れながら、カーティス=ナイルはそう思った。 あの日、初めて砂漠での戦いに同行した日。 普通ほとんど初対面に近しい相手――しかも天才と謳われる暗殺者だ――とやむを得ないような状況下とはいえ共に行動をしておいて、その前で無様に意識を失うことなどあり得ない。 男としても人間としても、ある種の信頼を置かれていた……わけではなく、おそらく特別深いことなど考えずに、真っ直ぐ自分に向かって倒れてきた彼女の姿を脳裏に思い返して、カーティスは静かに口の端に弧を描いた。 「……普通じゃなさすぎです」 かねてから口癖のように「普通になりたい」と言っている少女の希望を打ち砕く台詞を漏らすと、笑みが余計深くなった。 聞かれていれば「ホント、最低」と睨まれそうだ。 だけども何をどう言われたところで、そんな最低の自分から離れようとしない彼女はやはり「普通」ではないのだろう。 「普通」が理解できない自分にそう思わせるのだから、やはりそういうことだ。 何より『普通』を望むくせに、選んだ男は『普通』の対極にいるような暗殺者で、挙句そんな男に望んで抱かれてここでまどろむ――――ほら、やっぱり。 どう考えても酔狂すぎる。 さらに彼女の望む『普通』とは程遠い将来まで承諾してくれるなんて本当に―― 「…カーティス?」 「あ、起こしちゃいました?」 まだ日の出には遠すぎる暗闇の中、アイリーンが十分に眠気を含んだ声で名前を呼んだ。 剥き出しの肩や、夜気に当たって冷たくなった頬や喉をぺたぺたと無遠慮に撫でて楽しんでいたカーティスが、小さな声で謝罪する。 寝惚け眼の彼女は、幼さすら残るあどけない少女のようで、不思議な気持ちになった。 あの意志の強さや、自分に見せる艶のある何ともいえない可愛らしさ。 これは、そんな切り替えがどこにあるのか知りたいのに知れないという、いつものもどかしさだ。 軽く目を擦りながら振り向こうとするアイリーンの動きを制して馬乗りになると、何となくその首に手をかけた。 細い。 すっぽりとカーティスの両手に収まる首の後ろで指先を遊ばせてみる。 これをいつものように、華麗に優雅に動かせば、それで彼女の切り替えは終わる。 妖しい支配欲に恍惚とする罪悪感を抱きながら、同時に感じるどうしようもない愛しさで首だけじゃ足りない飢えを感じた。 「何してるの――って、私の首を絞めてるように見えるんだけど、気のせい?」 「ん? いえいえ、そのまんまですよ? キスしてるように見えます? 寝惚けてるんですか、アイリーン」 いつもの調子で軽く笑うと、アイリーンの眉が僅かに顰められた。 激しい抵抗が無いのは、自分の真意を測りかねているからか。 それともカーティスが本気になれば、抵抗なんて無いに等しいと理解しているからか―― 「……新手の甘え?」 ――というカーティスの考えは見事に外れた。 見下ろすと、身を捩るでもなく、大人しく首を絞められたままで、アイリーンは苦笑していた。 危機感や焦燥などは一切なく、仕方がないわねと許容するような態度に、カーティスの方が面食らう。 どれだけ傍にいて、何度体を重ねても、やはり彼女は分からない。 初めこそ、これが高貴な人間の懐の深さというものかとも思ったが、どうやらそれは違うと分かる。 暗殺を依頼する側や始末される側、そのどちらにも身分の高い人間はいるが、彼女と同じ匂いを感じる人間に、カーティスは出会った事がない。 「…怖く、ないんですか? 僕なんかに首を絞められて」 「どうして?」 カーティスの落ちた前髪を優しく払いながら、不思議そうな声で逆に問われた。 「ああ、ダメです。僕の質問が先ですよ」 カーティスは添えていただけの指先に軽く力をこめた。それでいて甘い声音で囁く。 彼女の頚動脈が、生理的な反応を示して筋肉が小さく収縮するのを親指に感じる。が、それだけだ。 彼女自身からの抵抗はない。 「アイリーン?」 「……別に、カーティスにならいいわ」 「は?」 自分で回答を促しておいて、得られた答えに目を瞬いた。 何が、とはいちいち聞かなくても分かる。殺されてもいい、そう彼女は言ったのだ。 口調に諦観の色はないし、寝ぼけてもいない。 しっかりとした発音で、確かに彼女は言い切った。 カーティスが本気で殺そうとしてはいないことを知っていての答えではない。 何故わかるのかと聞かれると根拠に困るが、あえていうなら、この闇の中で、自分を見つめてくる真っ直ぐすぎる瞳がそうだと言っている。 本当に彼女は、出会ったときからいつもそうだが、相手の目をじっと見つめて話すのだ。 知られたくない心の内まで入られそうで、初めの頃は戸惑っていた。 でも今は、その目でじっと見つめられるたび、何か目に見えない柔らかいものですっぽり包まれている気がする。これがきっと愛なのだろう。 アイリーンの指先が、おもむろに彼女の首にかけたままのカーティスの手に触れた。 そのまま柔らかく上に重ねる。 苦しいのかと引きかけた。 「でも私ね、死ぬのも殺されるのも初めてだから、出来るだけ優しくしてほしいんだけど」 「――優しくって……」 お願いね、と上目遣いで見つめられて、カーティスは思わず苦笑した。 死ぬのも殺されるのも、初めてでない人間がいるわけがない。 自分を殺すという暗殺者に対して、なんて素朴で非常識で――そして可愛らしいお願いだろう。 愛しさのあまり、放すつもりだった重ねた指先に力がこもる。うっかり本当に絞めそうになった。 それを後押しするかのように、重ねるアイリーンも力を入れる。 上からの加圧を、自分の手に力をこめることで撥ね退けながら、カーティスはアイリーンの耳元に唇を近づけた。 「本気ですか? それともやっぱり寝惚けてます?」 「どっちかしら。でも、カーティスならいいってのは本当よ。私の初めてはみんなあんたにあげるの。嬉しい?」 「はは、光栄です。その場合、最初で最後のあなたになるわけですか。……うん、それもいい。 ねぇ、アイリーン? でもあなた……キス、僕が初めてじゃなかったですよね?」 「――ん」 手は首に置いたまま、そっと静かに唇を落とす。 おかしな体勢になったせいで、指にも舌にも、少し力が入ったかもしれないが、そのくらいは御愛嬌だ。 こんな時間にこんな会話で、先に誘って、さらに嫉妬と独占欲まで掻き立てた彼女が悪い。 こくりと喉が鳴ったのを感じて、唇を離すと鼻先を軽くあわせ、甘えるように摺り寄せながら、少し溶けた表情を浮かべるアイリーンに微笑みかける。 「それに、ねえ、プリンセス」 「……なに?」 「そういう愛の告白は、あなたの好きな『普通』じゃありませんよ?」 「……首絞めながらキスする男に言われたくないわね」 想像した通りの憮然とした表情で睨まれた。 それに満足げに笑って、カーティスは彼女の首から指を放すと、そのままするりと首の後ろに腕を差し込んで抱き寄せる。 「愛しています、アイリーン」 「うん……私も」 彼女の腕を取って、肩と頬に擦り寄って、キスをして抱き締めると、アイリーンの腕が背中に回された。 同じように――いや、それ以上に強く抱き返すと、不意に名前を呼ばれた。 「ねえ、カーティス」 「なんです?」 「絞殺じゃなくて、頚椎折ることにしたの?」 いたって当然のような聞き方に、抱き締めたままでカーティスは笑い声を押し殺す。 面白い。面白すぎる。 このまま第二ラウンドにもつれこもうかというこの雰囲気で、どうしてそんなことを思いつくのか。 彼女といると、たまに自分の方が普通になってしまったような錯覚に捕らわれて、それはそれであり得ないから面白い。 そして普通を望みながら普通を脱線するアイリーンの普通さが、おかしくて愛しくてたまらない。 「あなた、絶対僕より普通じゃないですよ」 「カーティスより――……ってそれ絶対あり得ない!」 言うとムキになってと抵抗を示したアイリーンを、カーティスは笑いながら楽しそうに抱き寄せると、二つの鼓動が近くなった。 トクトクという音を、まだこのまま感じていたい。 カーティスは口中でぶつぶつと呟いているアイリーンを宥めるように髪を優しく梳きながら、またすぐに温かくさせる――だが今はまだ冷たい彼女の素肌に、深く自分の体を重ね合わせた。 暗殺者@女王様の愛人ってすげえ萌えました。 この二人の愛し愛され方に、周囲がハラハラしてればいいと思う。 |