ティーチ とん、とソファに押し倒したら、セロ君はきょとんとした顔で見上げてきた。 無粋なシャッター音ももう聞こえない。 その代わり、ヨーヨーが背中を蹴飛ばすどどど、という音が煩くなったけど、振り向かずに片手で捕まえると、抽斗に押し込んだら聞こえなくなった。 「っわー!ヨーヨー!」 「大丈夫。こんなこともあろうかと、ヨーヨー用にクッション敷いてある抽斗だから」 「あ、そうですか……って、何でそんなに用意周到―― ――ていうかこんなことってどんなことですか」 ちらちらとペア鳥の行方を気にするセロ君は、この状況で随分余裕があると思う。 流石にシャッターから指は外しているみたいだけど、またセロ君のいうところの『かわいい顔』にでもなったら、すかさず撮られそうな気配を醸し出している。 そんなヘマをするつもりもないけど、それでもこの立場は面白くない。 仮にも好きだと告白した異性に圧し掛かられて、赤くもならないのはどういうことさ―― 「――もしかしてセロ君、オレのこと仮だとか思ってる?」 思わず眉間に皺がよった。詰め寄ったオレに、セロ君がぱちぱちと目を瞬かせた。 「はい?え、ちょ、なんなんですか。いきなり不機嫌――……て、グエル先生?」 「何」 わからないといった風の彼女に顔を近づけて、その瞳を覗き込む。 じっと視線は合わせたまま、セロ君の目にかかる前髪をそっと指先で払い除けた。 「いや……あの、それは私が聞きたいというか……グエル先生? その…何か、雰囲気違います、よ?」 そうすると、ようやく少しだけ緊張を含んだ声音になったセロ君がオレからぐっと顎を引いて距離をとった。 セロ君を大切に思っていることとか、だからこそのやるせなさとか、そういうオレの目に見えない気持ちは、彼女には体の一部に触れでもしないと、まだ色々伝わりきらないのかもしれない。 追い詰めて――というか押し倒して――互いの体温が触れ合わなくても分かるくらいの距離にまで近づいて、髪に触れて。 それでもそこまでしてやっと出た答えが「雰囲気違って何か不安」くらいの危機感みたいだから、この先へ進むには結構長く険しい道程を簡単に予想できてしまって、ちょっと嫌だ。 というかどうしたらいいかというか、待てるのかとかそんな重大な問題だ。 後悔なんてするはずがないけど、いつまでオレはセロ君の先生でいればいいのか、考えると苦しくなる。 セロ君の目に映るオレは今、どんな表情をしているだろう。 心情の焦燥や葛藤がもっと表に出るタイプなら、きっと今のセロ君のように困った顔をしたかもしれない。 色んな意味で困ってるのも確かだし。 おずおずと伺ってくる彼女を見下ろす距離をぐっと縮めて、鼻先が掠めるほどの場所で止まる。 まだ髪以外、体のどこにも触れてはいないのに、セロ君がびくっと体を固めたのがわかった。 ここらで止めるのが潮時か―― 「――グエル先生…?」 「………」 上気した頬で、困ったような上目遣い。 ――に、この先のことを考えた。 やっぱりここは先生らしく、少し先まで教えてあげてもいいんじゃない? 「そう? 雰囲気違う?」 「はい、かなり――」 「どこが?」 「どこがって……えー…、と」 いつもの学生らしい明け透けさはどこへやら。 視線を彷徨わせて、オレの言葉にセロ君が試行錯誤しているのが良くわかる。 カメラで追い掛け回したから怒らせたのかな、と的外れなことを考えてばかりのセロ君からは脱却してくれたらしい。 それでも困惑しきりの彼女は、オレの下からあわよくば逃げ出そうとしている。 本能が彼女にそうさせているのなら、ほんの少しの前進だろう。 「そ、そろそろ寮に戻ろうかなあとですね!」 「急がなくても。目と鼻の先なんだし」 「……!」 すかさず退路を断ちながらまた距離を縮めると、セロ君の喉が鳴るのが見えた。 顔の横に両肘をついて、逃がさないように身を屈める。 自分からキスとかしておいて、次の段階はお預けなんてあり得ない――とかは考えないんだろうな、セロ君だし。第一オレにしたキスの理由だって「可愛いから」だし。 ギ、とソファに体重をかける。 軋んだ音で、さらに身を固めたセロ君の横についた肘に、ぐっと自分の体を寄せる。 「ちょ、待っ――先生!」 身を捩ったセロ君は赤い。 まだ触れないでいたオレにかわって、セロ君の両手が白衣越しに押し退けようと突っ張った。 この細い腕の突っ張りは、果たして抵抗になるんだろうか。 「待ったよ」 お返しに、焦点がぼやけそうな近さにまで接近しながら、そこで初めてセロ君に触れた。 ゆっくりと、でもしっかりと頬を包む。 そのままの指で唇をなぞった。 一瞬びくりと体を揺らして目を閉じたセロ君が、怖々と瞼を開けきるまでじっと待つ。 ほら。あの時のキス。 君はオレに目を閉じるまで待ってくれなかったけど、オレはこうして待ったじゃない。 「だからそろそろさ――」 「グ、グエル先生…あの…っ」 「ちゃんと男だってわからせようと思って」 「え――ンッ」 ……今、セロ君がちゃんと目を閉じたかまでは待たなかったけど。 とりあえず自分で閉ざした視界は暗くなって、セロ君の表情はわからなくなったけど、そのおかげで少し癖のある彼女の髪を掻き回してると案外感触が気持ちいいこととか、苦しそうに上手く息継ぎの出来ないらしい彼女が漏らす声は余計深みにはまりそうになることとか、押し退けようとしていたくせに今はしっかり胸元を握り締めて離さない手が震えているとか、そういうことが良くわかって少し危険かもしれない。 苦しいのか、息を吸おうと喘ぐ口を、噛み付くように奪って覆う。 角度を変えて、ぎこちなく逃げる舌をやさしく強く絡めとる。 これより先に進むのはまだ――というかここじゃマズイ……かな、さすがに。いや、どうかな。 「――セロ君……」 熱い吐息を吐き出しながら、唇を重ねたままで名前を呼ぶ。 「グ、グエル…っ、先生……」 胸を大きく上下させながら、セロ君もオレを呼ぶ。 呼ばれるままに、潤んだセロ君の瞳を捉える。 赤い顔は、これ以上ないくらい熟れて、いっそ扇情的だ。 離したはずの唇が、また自然と引き寄せられる。 そのまま距離が重なって―― ―― ガタッ。 「――!」 不意打ちで響いた音に、思わずベリッと音が聞こえそうな勢いで、セロ君から顔を離した。 同時にセロ君の腕もオレを押し返して震えている。 ガタッ、ガタガタガタガタガタッ。 突然の邪魔者の発生源はすぐ横だった。 ……入り口や窓や、人間じゃなくて本当に良かった。 「ヨ、ヨーヨー……?」 少し乱れた息声で言うセロ君の上から退いて、体を起こすのを手伝う。 それから視線の先で不自然にも盛大に揺れている抽斗を、ゆっくりと開けた。 光が差し込んだ隙間をこじ開けるようにして飛び出してきたピンクのかたまりは、一直線にセロ君の胸元に飛びつくと、ついさっきまでうっかり這わせるためにオレが無意識に外しかけてた上着のボタンを目敏く見つけてぎっと睨まれた。 ヨーヨーに限って、鳥目は絶対ウソだなと思う。 「……我慢してるんだよ。これでも」 呟いた台詞は、彼に向けてのものだ。 「こ、――これで……っ?」 でも答えたのはセロ君だった。 今更ながらに胸元を隠して、だけどオレを見る目に非難はない。 ただそのまま倒れちゃうんじゃないかと心配になるくらいには真っ赤だ。 「そ。だから今日は帰るといいよ。先生からの優しい助言」 今ならちょっとだけセロ君の気持ちがわかるかもしれない。 ――可愛い、っていうのは十分キスの理由になるかも。 ただしオレの場合、それだけじゃ止められなくなることがあるんだけど。 「え、先生? 急にどうし」 「待てなくなるでしょ――――って痛い痛い、ヨーヨー痛い」 思い切り真正面から容赦なくつつかれて、結構な痛さが、今のセロ君とオレの距離くらいなんだと思う。 真意を理解してるのは、きっとこの場でヨーヨーだけだ。 当の本人はといえば、つっつくヨーヨーを止めようとした途端、ひっ掴まえて「止めてよヨーヨー」と言っているオレに「ヨーヨー!先生!?」と慌ててるくらいで精一杯らしい。 「嫌でしょ。ヨーヨーの大好きなセロ君をオレの傍に置いとくの。 だったらオレに突っかかってないで、さっさと部屋に戻った方がいいよ」 ひとり、男同士の話について来ないセロ君のかわりに、羽を一生懸命バタつかせて抵抗を示すヨーヨーにも的確なアドバイスをする。 不敵な笑いが口の端にのったのはわざとじゃないけど、邪魔してくれたお礼だとでも思ってくれればいいと思う。 「……!!」 「早くしないと、オレも自分を止める自信と理性がね。それに、今度は鉄の箱に入れちゃうよ。防音の」 「……!!!」 ――すごいよ、セロ君。 ヨーヨーに今、視線だけで『ケダモノ』と罵られたことを確信できたよ。 解放すると、セロ君の頭に素早く飛び乗る。 「え、何で先生、ヨーヨーとだけ会話してるんですか」 「セロ君にはまだ早い大人の会話だから気にしないで」 「はぁ、そうなんですかー……うわっ!」 さらりと言うと、頷きかけた素直なセロ君をヨーヨーが前面でガードするようにと羽を広げて必死になった。 大好きなパートナーを守りたい。 ヨーヨーのひた向きさを尊重して、今はセロ君の背中を押す。 「セロ君」 「は――はい?」 でもやっぱり少しはオレの意思も示しとかないと。 警戒しつつも出口に向かうヨーヨーの隙をつくと、ドアを出る一歩手前で引き寄せて、額に最後のキスをひとつ。 「――!?」 「せ――」 「またね」 驚いて額を押さえながら口をあけたままのセロ君に、微笑んで軽く手を振ってみる。 それからバタン、とドアを閉めてしばらくすると、遅まきながらドアにヨーヨーの足蹴りの音が響いた。 グエル×セロ、という夢を見ました。 自分相当キてますね。 |