本当に、本気で、まったく、信じられない。




マッリジ・グレー




数えるのも厭きるほど、きらびやかな指輪を片手に何度も膝をついて、あんなにしつこくプロポーズをしてきたくせに。
結婚前夜に独身最後のシングルパーティーなんて、今更驚きもしないけど、まさか、部屋に連れ込むとは思わなかった。
「――っは……」
純白のウェディングドレスで着飾った姿を鏡の中で見もせずに、もとかは知らず握り締めていた両手の力を、肩で息を吐きながら抜いた。
それを見たのは偶然だった。
内家の、というより、内家の四兄弟が羽目を外す為に主催されたパーティーの派手さと馬鹿馬鹿しさは想像がつく。
男同士で、長男に最後のバカ騒ぎをさせてやるから、というような適当な理由を、事前に梅久から聞いてはいたけれど、たぶん絶対に女が大勢いるんだろうとは思っていた。
彼らが――三男の竹弘を除いて――男だけで何かをするなんて、それこそ土台無理な話だ。
家族ぐるみで小さな頃から付き合いがあって、彼らの底抜けの大胆さも嫌と言うほど知っている。
それに女好きの梅久のことだ。
どうせ可愛いのから綺麗なのまで存分に侍らせて、ちやほやしているようでされて悦に入るに決まっている。
その様子が簡単に浮かんで、もとかは内心で息を吐いたものだった。

一度は自分の女癖の悪さで婚約を破談にしておいて、もう一度自分に婚約を了承させた梅久の一途さに、本当は少し驚いていた。どうせ家同士の繋がりだとか後ろ盾だとか、一緒にいて楽だとかそんな理由が大半で、結婚前にまた破談もありかと思っていたのに、そこだけは昔の彼とは違っていた。
なんだかんだと忙殺に等しい仕事の合間を縫っては、まめに連絡は欠かさないし、記念日にかこつけてサプライズをくれたりもする。
それでも過去の罪滅ぼしだろうかという疑念が拭えないでいたのが、顔を見たくなったと言って夜中に突然押しかけられた時に、もとかは負けたと思ってしまったのだ。
むっつりが代名詞のような男のくせに、疲れきった体でわざわざ自宅より遠いもとかの部屋に来て、何もしないで安心しきって寝るだなんて。「傍にいて」なんて寝入り端に呟くなんて反則だ。
自分だけが本気になって、報われない恋なんてこりごりだと思っていたのに。
熟睡している梅久を起こした朝、まるで初めての女の子のように慌てた顔が可愛いと思ってしまったのだから仕方ない。
そのくせ、あれだけ懇願してやっと漕ぎ着けた婚約者のもとかに対して、最後まで浮気をしないと誓えていない気概は、ある意味嘘をつけない誠実さで、信じられるかもという気さえした。
だけど――。
「さすがに、ナイ。」
シングルパーティーでカードの限度額をすったとか、シャンパンタワーの二日酔いで結婚式をドタキャンだとかならまだわかる。やりそうだ。けど、さすがに結婚式前日、気軽に女を部屋に持ち帰られる花嫁はない。どんな新婚スタートだ。

もとかも独身最後の女子会と銘打った友人達との食事を終えての帰り道だった。
訪ねるつもりはなかったが、さすがにもう戻っているだろうかと何の気なしに迎えの車を、梅久の部屋へと続く道沿いに走らせてもらっただけだ。
少しふらついた足取りで、けれども腕はしっかりと細身の女の腰に回した梅久の姿に、運転手が気づくより早く、もとかは違う道を指示していた。

「……」
昨日の記憶をまざまざと思い出して、もとかは眉間の皺を深くした。
ふと視線を上げた先で、鏡の中に気づいて揉み解す。
そうだ。今に始まったことじゃない。
梅久は浮気をしないとただの一度も言っていない。わかっていた。わかっている。わかっている、はずなのに――。
「……バカみたい」
優しくされすぎて忘れていた。
自分が彼を思うようになんて、きっと一生思われないのに。
私だけじゃ満足できない男と一生一緒にいるなんて、もう本当、どうしようもない。

 ******

「――もとか? 準備できてる?」
遠慮がちに叩かれた音に続いて、ドアの開く音がした。
確認せずともわかる、聞きなれた梅久の声だ。
気遣いだけではない緊張を孕んだ口調は、もしかすると今日が結婚式だからか。
そんな精神の細さが、今はまるで微笑ましく思えない。
一応の仕切り越しに立ち止まり、もとかの返事をきちんと待っている様が、紳士的でいやになる。
「……できてるけど、なに? 見るの?」
「見ちゃだめか」
鏡越しにちらりと覗く頭に向かってそう言えば、苦笑混じりの梅久が衝立に手を掛けた。
わざわざ見に来なくても、すぐに式場でわかるのに。
どうせいつものように似合うとか綺麗だとか言われるだろうが、今の気持ちでは何を言われても上滑りして聞こえそうだ。
「――」
「……なに?」
そう思うもとかと鏡の中で視線を合わせた梅久が、そのまま呆けたように口を開けた。
その表情を訝しく思いながらも、しばらく言葉を待ってみたが、一向に繋がらないことに焦れて、もとかの方が口を開いた。

「――ねえ、梅久」
「ん?」
一人悶々としているのは性に合わない。
自分の立場はわかっている。家同士の繋がりも、今更茶番じみた式を衝動に任せたくらいで取り止められるはずがないことも。だから、昨日と今日で、それでももとかはここにいるのだ。
「アンタの浮気ってどこからどこまで?」
せめて鏡の中での視線は外さないままそう言えば、梅久がぽかんとした表情で返した。
生涯で一番着飾った華々しい花嫁の口から出る台詞としては、シュール過ぎる自覚くらいある。
「昨日楽しかった?」
「なに――」
「可愛いワンピース」
更に言えば、やはり一瞬わからずに首を傾げかけた梅久の顔がさっと青褪めた。
途端に仕切りに手をかけて、もとかの方へと歩み来る。
ドタバタと上がったせいだろう。磨き抜かれた白の革靴が、ゴツンとぶつかった音が少し遅れて聞こえてきた。
「え、な、――みっ、見て……、ち、違う違う! もとか、誤解だ! あの子は――」
「で、どこからどこまで?」
「も、ももももとか、ちゃん?」
今更弁解は必要ないのだ。何がどう誤解なのか、納得できるはずがないと知っている。
だから、あの時別れたのに。
二度と同じ轍を踏みたくなかった。が、もう一度同じ男に引っかかった自分が全ての元凶だ。

「二人きりになること? キス? 最後まで?」
「ちょ――待て。落ち着け」
「落ち着いてるわ。知りたいだけよ。アンタが落ち着いたら?」
両家の一族も、得意先の重役達も放って出て行くとでも思っているのだろうか。
ラメの入ったボディオイルのおかげで、花嫁姿に相応しい輝きを放っている剥き出しの肩を梅久に掴まれて、もとかはそれでもまだ鏡の中で梅久を見ていた。
「いや、だから……そんなこと知って、どうするつもり」
「浮気しないって誓えないのよね。わかってる。でも、私と結婚するの?」
梅久の方から破綻になどできるわけがないことも知りながら、随分ずるい聞き方だ。
こういうとき、感情が表に出にくい人間で良かった。
もとかはいっそ冷淡にも見える自分の眼差しを自覚しつつ、内心出そう苦笑した。
しかし梅久はもとかの言葉に、す、と表情を引き締めて、彼女の肩から手を離した。
その仕草にまさかと思う。

婚約を破棄した時分から、梅久は確かに変わった。だから――口惜しいが――もとかは梅久に惹かれたのだ。
いつもいつも周りを気にして、ストレスで倒れるほどに自分を追い詰めて、弟達と比べて劣るところを自分で認めて。
そんな彼が、もとかの拒否に懲りず、何度も膝を折ったのは、やはりただのプライドで、ここまできてしまった時分は、後は他の多くの女性達のように、上辺で優しくされるだけの、ただの人になるのかもしれない。
離された肩が冷えていく。
――と、過ぎった気持ちを遮るように、梅久はもとかの傍に膝をついた。
「なにして……」
「もとかがいい。俺は、もとかじゃないとダメだ」
何度目か知れない、しかし今までで一番真剣な眼差しで、化粧台に置かれたままのもとかの手を取り、自分の唇をしっかりと寄せる。
口付けられた箇所が、痺れたように熱を持つのが、手袋越しにわかってしまった。
ずるい。式前日に浮気しといて、その態度も表情も、何もかもが本当にずるい。
もとかはきゅっと唇を噛みしめて、梅久から目を逸らした。
「私は……私も梅久がいい」
「うん」
「だから結婚する」
「うん」
「それで私も浮気する」
「う……ん?」
「……」
「……」
「……」
「……――はぁ!?」

もとかの宣言にたっぷり数十秒の間をおいて、梅久が大きな声をあげた。
握られたままだった手が痛い。離そうと引いたが、梅久にその気はないようで、もとかは仕方なくそのままにした。
「なん……、なんだそれ! は? 俺がいいから浮気する? 何言ってんだ、そんなん許すわけな――」
「私が許さなくても、アンタは浮気するんじゃないの」
「バ――ッ……違……! だからアレは誤解で――!!」
「安心していいわよ。私はアンタと違って、ちゃんとバレないようにするから」
「バレ……!? は、はあ!? ふざ……ふざけんなよ!? 誰がお前を他の男に触らせるかー!!」
結婚当日の新婦控え室で、ありえない大声が響き渡る。
青褪めていた梅久の顔は、いつの間にか真っ赤になっていた。
自分の浮気は棚に上げて、妻の浮気は許さないとは、なんて典型的な男の言い分だ。
もうこの話は埒がない。
梅久に「浮気するの?」と聞いても、いつもだんまりを決め込んで視線を逸らされるのと同じことだ。
また鏡の中に視線を戻したもとかを追って、梅久も鏡の中でもとかを捉える。

「……昨日のは、アレだろ。俺が帰りに肩借りてたあの子」
「腰抱いてたじゃない」
「いや、うん、位置的に仕方ない――てそこじゃなく!」
もとかの指摘に咳払いをして、梅久は大声を出した自分をバツの悪そうに顔を顰めた。
「あれは、ほら、アレだ。蘭丸の友達で、ほら、ふう子ちゃんの彼氏の……。前にもとかも会ってるよ。桐賀くん。目つき悪いけど細っこい、本当に男かっつー。あの後すぐに蘭丸来たし。そこは見てないの? ていうか、もとか近くまで来たんだろ。だったら何で声掛けない――」
「……桐賀、くん? だってワンピース……」
彼のことは知っている。いや、知っているというほどでもないが、蘭丸の友人の彼氏、というおかしなオプションで紹介されたので覚えていた。確かに成長期でぐんぐん背が伸びた蘭丸とは対照的に、彼は随分細かった気がする。
「蘭丸コーディネートだ。罰ゲームだよ。昔いちえちゃんにも貸してたやつ。覚えてない?」
記憶の隙間から抜き取るように靄を分けて、浮かんだ柄には見覚えがなくもない。
梅久は注意深くもとかの様子を窺いながら、漸うと息を吐いた。

「さすがの俺でも、式前後に他の女に目を向けられる余裕なんかないよ。もとかしか見えない」
ならそれ以外は見られるのか、と思っても、聞ける余裕はそれこそもとかになくなっていた。
勘違い。
それで気分が塞ぐほどだった自分が、面白くない。
「もとかは違うの?」
きゅ、と手を強く引かれて、困ったように眉を顰めた梅久が聞いた。
くやしい。本当に、タイミングを計るのがなんて上手い男なのだ。
こういうところが昔から、本当の本当に大嫌いだ。
もとかの誤解を追及しない優しさも何もかも。

落ちた沈黙を優しく壊すように、梅久がもとかの手を離して、そっと頬に触れた。
「――浮気、しないで。な?」
優しく、優しく懇願して、跪かれたままの梅久の唇がもとかに近づく。
あと少し――というところで、もとかは自由になった手の平をさっと間に差し入れた。
「もと――」
「誓えないわ」
「な、ちょ――」
せめてもの宣言をして、もとかは梅久を退けていた手を離す。
今度こそ本気で青褪めて、慌てて立ち上がりかけた梅久のタキシードの襟を引いて、もとかはその唇を強引に奪ってやったのだった。




梅もとは、本当もとかがシュールでシュールでたまりません。梅久になりたいw

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