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3.バード・キス 学校帰りのリザを見つけたのは、偶然だった。 スクールバスの通らない道を、少し心ここに在らずな表情で下を向いて歩いている。時折考え込むように歩調が緩んでいるくらいだから、今、私の前を通り過ぎたことには気づかなかったに違いない。他人とはいえ、もう短くない時間を一緒に過ごして、気づいていたと言われたら、それはそれでかなりショックだ。 「……あ」 鳥の声が空高く響いて、両脇にある奥の雑木林に消えた。 リザがそれを追うように顔を上げたのに合わせて、声をかけた。 「リザ――リザ?」 「――……え?あ、マスタングさん」 本当に気づかれていなかったらしい。驚いた彼女の鳶色の視界にようやく私が映って、少しホッとした。 「今から父のところですか?」 「うん。君も帰るところだろう?」 「はい」 なら一緒に。わざわざ許可を得なくても、並んで歩く距離にいる。 頷いたリザの歩幅に合わせて、私はゆっくりと隣を歩き始めた。 *** 「考え事?」 「え」 「さっきから上の空だ」 無口はいつものことだが、今日のリザは何故だか空を見上げることが多いように思う。気になる鳥でもいるのかとリザの視線の先を追っても、それは毎回違う鳥で、あっという間に視界から遠ざかっていく。それらに執着するでもなしに、鳴き声が聞こえたらまた顔を上げるといった繰り返しだ。 鳥を見やるリザの視線は、愛玩動物を発見したという優しさよりも真剣で、まさか食材に数えるほど困窮していただろうかとさえ思ってしまうほどだった。 「あ……すみません」 「いや、いいんだ。ただ何か、私でも役に立てることはないかと思って」 今の私に収入は期待できないが、悩み事を聞くことなら出来る。そう思っての提案に、リザは私を見つめ、少し考えた後、意を決したように口を開いた。 「あの、マスタングさんは鳥の生態に詳しいですか?」 「鳥の?ええと……構造や構成成分については基礎的な知識はあるはずだけど、生態と言われると自信はないな。学校の宿題?」 それで鳥を見ていたのか。しかしリザは頭を振って、心なし口を尖らせた。 「いえ、ただクラスの子に知らないって言ったらバカにされて」 「知識はひけらかすものでなく、教授するものだ。その子は間違ったな」 まったく、馬鹿な子供がいたものだ。しかもそれがリザのクラスメイトで、浅い知識で彼女を傷つけたのかと思うと、何だか無性に腹が立った。自然と半眼になってしまったことを自覚しつつそう言うと、リザが驚いたように私の横顔をじっと見つめてきた。 「……」 「……なに?」 「マスタングさんの方が何か言われたみたいですね」 花がほころぶような、という三流小説真っ青のちんけな文言が脳裏を掠める。 「――」 どうしてそこで笑顔になるんだ。 いつもは断然表情を崩さない彼女の珍しく屈託のない笑顔に、うっかり言葉に詰まってしまった。 可笑しそうに笑うリザに、咳払いで誤魔化して、私は続きを促した。 「どんな生態を聞かれたんだ?」 どうせ子供の付け焼刃的知識だろう。知らないことなら、今日中に調べてしまえばいい。 師匠の愛ある資料整理を命じられた時を思えば、朝飯前だ。 「生態だと思うんですけど。……マスタングさん、バード・キスって知っていますか?」 「――は?」 しかしリザの口から出た言葉に、私は真っ先に自分の耳を疑った。 聞き間違いか。鳥の話をしていたはずでは。 一瞬呆けてしまった私を訝しんで、リザが丁寧にもう一度口にしてくれる。 「バード・キスって――」 「いやいやいや!……リザ?」 慌てて言葉を遮って、リザの肩をガシッと掴む。 聞き間違いではなかったようだ。 と、リザは私の態度に見る見る目を輝かせると、逆に掴みかからんばかりに私に迫ってきた。 「知っているんですか?知っているんですね!なら教えてください!それって何のことなんですか?」 しまった。この体勢では彼女の勢いから逃げ切れない。 「まさか考え事はそれか……?」 「だってクラスで知らない子は他にいなくて……。普通鳥はキスをしないでしょう?だから単語から推測するにも、どんな生態行動なのか限界があって――あ、キスってつくくらいだから、生殖行動なのかも……巣作り……求愛……?」 惜しい。いや、全く惜しくはないが、さすが師匠の娘さんだ。頭の回転が別方向に早回りだ。 口惜しさを滲ませた語調は可愛らしいが、話してる内容は可愛くない。 「……鳥じゃなくて、例えだよ」 リザにこの話題は少しばかり早い気もしたが、誤魔化しは不可能と判断して、私は溜息混じりにそう告げた。 「例え、ですか。鳥の?」 「キスの」 「……」 何でもない風を装って、視線も合わせずさらりと答える。 リザは、しかしようやく得られたら解答に目を見張り、それから僅かに居心地悪そうに私のシャツから手を離すと、下でじれったく両手を組んだ。 くすぐったいというより、私も随分居心地が悪い。このまま無言のままか、せめて違う話題でもって振ってくれと切実に願った。少なくとも、行為の詳細を聞くのだけは止めてほしい。しかし。 「……どんな?」 やはり聞くのか。 聞くだろうなとは思っていた。ああ、思っていたさ。 けれどここは少し羞恥心だとか――――いや、彼女の質問は知識欲だ。探究心から出たものだ。 分かっている。リザが悪いわけじゃない。もっと他の、悪い男に聞かれるよりはマシじゃないかと自分を全力で励ました。 「鳥はこう――つつくだろう?そういう動きの例えでだな――」 「…………それは…………随分攻撃的なキスのことだったんですね」 分かりやすく、何となく手持ち無沙汰の指同士を小刻みに合わせるようにして見せてやると、リザが俯きがちに視線を逸らした。ようやく照れてくれたのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。 赤らめるというよりは、些か青褪めた表情で右手で口元を覆っている。 「いや……たぶん君が想像しているような可哀想なキスじゃない」 「でもつつくんですよね?」 上目遣いで問われて、私は苦笑で彼女に返す。 「例えだよ。雰囲気的には啄むとかそっちの方があってると思う」 彼女の口元にある指へ、ととんっと突くように指を当てた。 その動きにどうやら納得してくれたらしいリザが、そっと手を外した。 良かった。彼女の間違ったイメージは払拭できたようだ。これで妙なトラウマにでもなったと言われたら、私はどう責任を取ればいいのか悩むところだった。 「詳しいんですね」 「えっ!?」 しかし次に言われた台詞に、私は今度こそ喉が詰まりそうな声を上げた。 この質問に答えて、まさかそう返されるとは思っていなかった。 「マスタングさんは経験が?」 ――それも聞くのか。 年頃の男に、そんなことを聞くものじゃない。 言いたかったが、それを言えばまた何故と問われそうで、私は天を仰ぎたくなった。 もちろんと去勢を張りたい気持ちが擡げてはいる。が、真っ直ぐ見つめてくる鳶色の瞳に、ちゃちなプライドは意味がない気がした。 「……ええと……あー……いや、知識的な意味で」 だが思春期に足を踏み込んでいる男が、正直な告白をするには、勇気のいる内容だ。 しどろもどろになりながら、頭を掻き乱したい衝動を抑える代わりに、先程のリザのように、私も右手で口を隠した。ギリギリ、微妙な男心だ。 「ないんですね」 だというのに、はっきり断言してくれる。悪意のない呟きが恨めしくて、片眉を上げて見下ろせば、何故だかまたリザが微笑んでいて、毒気を抜かれてしまった。 彼女の笑顔のツボが、私にはまだよく掴めていない。 「……リザ?」 「私も」 「え?」 今度は私の指に、リザの私より一回り以上小さな手が触れた。指を上からとととん、と突く。 「私もないんですよ」 あってたまるかと、瞬間巡った感情は、いったいどこからわいたのだろう。 バード・キスなんて、こんな行動を何のてらいもなくしてしまうような初々しい彼女にさせてなるものか。 「まだ早いよ」 余計な話題を振ってくれた、見も知らないクラスメイトに内心で舌打ちして呟いた声は、リザに届く前に、天高く鳴いた鳥の声に飲み込まれた。 子ロイアイ楽しいですハァハァ。 |