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論理の外側 上っ面の手管だけで生きてきたのだろうと想像できる下卑た優雅さで、男の手が大きく開いたスリットから女の太腿に触れた。 気づいていないわけのない彼女が、まるで先を促すように足を組み替えたのを確認して、ロイは無意識に発火布ではない白手袋を嵌めた拳を握り締める。 犯罪者の巣窟のくせに、格式だけは無駄に高く、正装に白手袋がドレスコードなど、任務でなければ馬鹿馬鹿しくてやっていられない。 『大佐ぁ、堪えてくださいよ』 火花すら出せないというのに、インカム越しに牽制されて、ロイは眇めていた視線をほぐすように眉間を揉んだ。 緊張ではなく息を吐いて、合図を送る。 『アイ・サー。早めの美女奪還、お待ちしてまッス』 黙れ、と内心で毒づいて、ロイはフロアに踏み出した。 照明が極限まで落とされて、妙に鼻の奥に残る甘い匂いの充満したフロアを、人待ち顔で適当に進む。 楽しそうに肩を揺らす女の唇を軽く指で戯れのように下げさせて、優男が自身のグラスを宛がうのが見えた。 紛れさせている軍人からの給仕ではなく、捕縛対象その人からのグラスには、何の細工も出来ていない。 男の手法は知っている。 女に濃厚な薬物入りのアルコールを飲ませ、脳内から天国へ飛ばす。 この一度くらいなら、時間を掛ければ排出可能であるとはいえ、中毒性の強いそれは、一滴たりとも飲まないで済めばこしたことはない。 だが背の低い間仕切りがあるとはいえ、席を立てば全てが見渡せてしまう狭いスペースでぴたりと密着した状況で、グラスを上手くかわせというのが、いかに困難かは明らかだ。 彼女の気質からいっても、疑われることを天秤にかけて、ぐいっといってしまう気がするから厄介だった。 小走りになりそうになるのを理性で抑え、素知らぬ顔で傾きかけていたグラスに指を掛けて止めさせる。 そのまま指の腹で赤いルージュの乗った唇をなぞるが、まだ濡れてはいないらしい。何とか間に合ったと、顔には出さず、ロイはほっと胸を撫で下ろした。 突然の闖入者へ警戒を露わに腰を浮かしかけた男は見えないふりで、ロイは女だけに艶めいた声を向けた。 「やっと見つけたと思ったら浮気中か? ダメじゃないか、エリザベス。今日は私が最初の約束だ」 「だってロイさん遅いんですもの。早く気持ち良くなりたくて、つい」 戻されたグラスをつまらなそうに視線で追った女が、妖艶な仕草で小首を傾げてロイを見る。 「悪かった。うんと気持ち良くしてやるからおいで――――ああ、すまない。いいかな」 その拗ねたような態度に苦笑して細い腕を引きかけて、そこでようやく気づいたように、ロイは隣の男に視線をやった。 今更上辺だけのお伺いに、しかし男は二人の慣れた会話から警戒を解いたらしい。鷹揚に肩を竦めて了承の意を示して見せた。 エリザベスが口の端に笑みを浮かべる。 「また後でね」 ロイに引かれて立ち上がりざま、男の頬を掠めるように指でなぞった。 あまりに手馴れた別れ際に、苦笑より先に思わず感心させられる。 「……男の扱いが上手くなったね」 「あら、貴方が教えてくれたんでしょう?」 「そうだったかな」 不自然にならない程度に移動して、それでも男の動向をはっきりと視認出来る近距離のソファに座る。 しな垂れてくる身体を、腰に腕を回して抱きとめると、そうよ、と可笑しそうにエリザベスが笑った。 二人の邪魔をしないようにと、背の低いボウイが顔を赤らめてテーブルの端に置いていったグラスを取ろうと、ロイはもう片方の腕を伸ばしかけ、 「待って」 エリザベスは言うと、素早くグラスを取り上げて、そのままロイの膝に馬乗りになった。 「何――」 「飲ませてあげる」 「――んぐ」 有無を言わせず流し込まれて、喉の奥を色のついただけの液体が滑り落ちる。 「気持ち良くなってきた?」 飲み込んだのを確認して、エリザベスは甘えるようにロイの耳元に唇を寄せた。彼女の真意がわからない。 「エリザベス――」 「――じっとして下さい。インカム、直しますよ」 無駄に緊張した自分を思い切りどつきたい。 耳元から首筋に掛けてを悪戯に刺激するふりをしながら、ずれていたらしいインカムを、近くの男から見えないように器用に隠してくれているらしい。 悪戯に応じる素振りで先程の男同様、スリットに手を這わせたが、ロイにだけ聞こえるように近づけた唇から、底冷えしそうな声で「やりすぎです」と耳朶に直接吹き込まれて、背筋が凍りそうになった。ひどい差別だ。 喉の奥では楽しそうにくすくすと笑って、首だの何だの食んでくるくせに、誰がこんな身勝手な彼女の囮捜査を許可したんだ。 推した挙げ句に許可した自分を、やはり思い切りどつきたい。 違法な麻薬密売ルートの摘発ついでに、裁き口と化したこの店に来る構成員を打尽しようとする計画自体はありきたりなものだったはずだ。 囮捜査に演技力は不可欠で、減るもんじゃなし、特訓の成果を見せたまえよ、としたり顔で告げたロイに、一瞬心底嫌そうな表情を見せたくらいだから、と高を括っていたのも事実だ。 だが、しかし。 ボウイに扮したフュリーですら、目のやり場に困る徹底した演技力を、まさか誰が想像した。 『――すんません。そろそろいいッスかね』 諸手をあげて答えられるわけもない状況で、予定にないインカム越しの伺いも、さもありなんと言うべきか。 幾つか打ち合わせていたゴーサインの内、この場で最も自然に見えるものは、グラスを一息に煽るというものだ。 準備は万端、後は合図に従って突入を待つだけという状況で、グラスはエリザベスの手中にある。 そのまま一息にいくかと思いきや、彼女は自分の腰に回されていたロイの腕を取った。 グラスを持たせ、強請るように唇を寄せる。 「ロイさん」 「……うん?」 「約束」 「約束?」 「うんと気持ち良くして」 ――焦れたように。 ――強請るように。 これは任務だとわかりきっているというのに、ロイは誘われるまま、エリザベスの唇にグラスを宛がう。 ロイの手に手を重ねて喉を鳴らす彼女はまだ馬乗りのまま、もっととせがむように、ロイに体を押し付ける。 傾けたグラスより、リザの身体が上にくる。 ロイの髪を撫でる指先は、飲ませた液体が本当に細工済みだったか疑えるほど緩慢だ。 飲みきれず零れた液体が唇の端から覗くのを合図にしたかのように、インカム越しの秒読みが聞こえる。 『3、2、1、――』 *** 怒号や銃撃の応酬も止み、客に紛れた構成員たちの摘発も収束に向かう雑踏の中、ロイは馬乗りで自分を押倒したままの格好のリザに、思い切り眉を寄せていた。 視線に気づいたリザが、ロイよりも更に深く眉間に皺を刻んで、少しだけロイの上から身体を起こす。 「仕方ないでしょう」 「仕方ないことあるか。思い切り頭を打った」 ソファの上とはいえ、剥き出しで必要以上に細工の施された肘置きに打ち付けた後頭部が、じんじんと痛みを訴えている。 衝撃の直後は、せっかくの柔らかさを感じる間もなく、目の前に白い火花が散ったくらいだ。 「ハボック少尉からインカム越しに突入の合図があったんですから、もう少し身構えるべきでしたね」 「どう考えてもそれは君の役目だろう。何で私が押倒される側なんだっ」 そうだ。当初の計画では、突入の瞬間は、ロイがエリザベスを庇う役割だったはずなのに。 後で言い逃れが出来ないように、変装したリザが相手に近づく。 薬物入りの飲み物を手ずから注文したのを見計らい、ロイが常連客を装ってリザを連れ出し席を離れ、ハボックの合図で突入する部隊の様子を見つつも、近すぎる状況上、伏せての指示となる手筈が、まったくどうしてこうなった。 しかしリザは、ロイの主張に困ったように息を吐いた。 スリットの大きく開いた太腿が、ロイの両足をしっかりと挟んだままで、座り心地の良い場所を求めてか、無意識に上へ少しずれる。 「……、中尉、少し、だな――」 「ですから仕方ないじゃないですか。私の側から少尉の隊が見えたんです。無理に貴方に引かれるのを待つよりも、私が押倒す方が確実で安全な――」 職務に真っ当に、正当性を主張する為意気込むリザの顔が近い。 「わかった!わかったから、それ以上身を乗り出すな!」 慌てて身体を起こしたロイだったが、余計に当たり所が悪くなった気がする。 中途半端な傾きになったリザが、ロイの腕を支えにと掴んだせいで、前のめりだった重心が、少し下がってぴたりと当たる。 「はい?」 まるで無自覚に怪訝な声を出したリザへ、ロイは喉の奥から搾り出すような声を出した。 「………………………………当たってる!」 まさか反応はしていない。 いない。が、常にない色気を振りまいて、頼んでも絶対に着ないようなドレスで着飾った彼女に、ほとんど素肌で乗り上げられたこの状況。 意識が向くのは自然の摂理だ。 ロイの指摘に、リザはやはり一瞬きょとんとした表情でロイを見つめ、それからすっと目を眇めた。 「――何を考えていらっしゃるんですか、任務中に」 「仕方ないだろう!」 君が悪い。確実に悪い。 敢えて揶揄も制止もしてこない男所帯の面々からも、ロイへの同情の視線を思い切り感じる。 うっかり滑らせそうになる両手を強く握り締めて、馬乗りで冷たい視線で見下ろしてくるリザを、ロイはぎっと睨み上げたのだった。 がんばれマスタング大佐ww |