Knock,knock,knock




―――この状況は、なんだろう。


「エルドは?」
「周りを見ることができる。場の空気を和らげる気質もまとめ役に向いている」
「じゃあグンタ」
「少しばかり理論武装がすぎるきらいはあるが、判断は早い」
「オルオ」
「……舌を噛まなきゃ腕はいい」
「ははっ! 慕われてる証拠じゃない」

調査兵団の宿舎一階に設けられている、幹部用の少し手狭な食堂に呼ばれたペトラは、それからずっとこんな会話を聞いていた。淡々と、けれど渋々と言った雰囲気を隠そうともせずに答えるリヴァイに横の席を示されて腰を下ろしたはいいが、二人の一問一答にどうして自分が呼ばれたのか。

「……あの、兵長、ハンジさん」
「ん?」
「どうした」

ペトラの斜め前、長机を挟んでリヴァイの前に陣取るハンジ・ゾエとリヴァイが、おずおずと手を挙げたペトラへ、ほとんど同時に視線をやった。真っ当な質問をしたいだけなのに、何だか妙に居たたまれない。自分を見遣る二人の上官へ、ペトラは肩を竦めるようにして言葉を絞り出した。

「私は何故ここに呼ばれたんでしょうか……」
「ああ。酔っ払い鑑賞会だよ。面白いから見せてあげようと思って」
「兵長、酔ってるんですか!?」

あっけらかんとして告げられたハンジの答えに驚いて、ペトラは思わずリヴァイの顔を見直した。
ものすごくしっかりした呂律で班員の評価を口にして、服装にもヨレ一つなくきっちりしていていつも通り。通常装備で寄った眉間の皺も、驚いて目を丸くするペトラを長机に片肘をついて見つめてくる視線にも、酔っ払い独特の澱みも赤らみもまるでない。

「酔ってねえよ」

いつもと何も変わらない表情が、いつもより少しだけ近い距離でそう吐き捨てる。

机の上には、もう中身のない空き瓶が何本も転がっている。
ペトラがここに来た時にはもうそのほとんどが同じ状況で、このご時世にどこに隠し持っていたんだろうと思ったけども、少し前に中央に呼ばれたエルヴィンのお供で行った時に商会からくすねてきたものだと、さっきハンジが教えてくれた。「見つかっちゃったから口止めしとこうと思って」と悪戯っ子のようにウィンクしながら、リヴァイが酔うまでしこたま注いだとも笑っていた。
それでも目を白黒させているペトラに、ハンジは手酌でグラスに注ぎながら言った。

「信じられないなら、試しにペトラ。自分のことを聞いてみなよ」
「えっ」
「聞いてあげよっか!」
「ええっ!?」
「ねえリヴァイ。じゃあさ、ペトラは?」
「あァ?」

ペトラが答えるより早くハンジにそう聞かれたリヴァイが、いかにもうるさそうにそちらを見やる。

「や、やめましょう! ね? 兵長もそろそろ部屋に戻られた方が―――」
「自分の評価、気にならない?」
「いやそれは、そう……ですけど」

ハンジは痛いところをついてくる。
エルドやグンタ、それにオルオの評価は正当だと端で聞いていたペトラでも思う。なら自分は―――?
尻すぼみになってしまったペトラを見てにこりと笑うと、ハンジはぐいっとテーブルに身を乗り出した。

「ねえリヴァイ? ペトラはどんな感じ? 討伐補佐の勘が良いって前に言ってたよね」

そうなんですか!

又聞きでも十分舞い上がりそうな評価にリヴァイを振り向くと、そんなペトラを視界の端で捉えているだろう彼は、意図の掴めない長い息を吐き出した。それから置かれたボトルを拐うと、「私が」と言う間もなく、空いたグラスに注ぎきってしまった。
静かに一口喉を鳴らす。

「……連携への反応が早い。小回りもきくし、良く指示を守る」
「あ、ありがとうございます!」

全霊を込めて最敬礼で返したいくらい幸せな気分だ。
リヴァイが何もかもを言葉でくれる人ではないことは知っている。
だからこそ、彼の采配には嘘がなく無駄がない。実戦が、配置が、態度が、リヴァイ班に選ばれたということこそが兵士としての全ての評価だとはわかっていても、改めて言葉で貰える評価はまた別格だった。
緩んでしまった頬を隠そうと両手で擦りあげていると、しかしハンジは物足りなさげにグラスを手の中でくるくると遊ばせながら口を尖らせた。

「ええ〜、それだけなの? 他には??」

もう十分すぎるほど十分な評価を頂けました、と叫びたい。
リヴァイに絡み出しそうな雰囲気を察し、ペトラは慌ててニヤけ笑いを引っ込めて立ち上がった。

「ハンジさん! もう十分で―――」
「他?」
「そうそうそーうっ! ペトラはどんな感じ?」
「……ペトラは」
「うんうん、ペトラは?」
「もうっ! もういいですから、ね?」

慌てすぎて、―――そのせいか、最初何を言われたのかわからなかった。

「―――可愛いだろが」
「ぶわっはははは! リヴァイすげー仏頂面ーッ!! 台詞と全然合ってねー!!」

「皮、いい……?」

「だーよねー。わかるわかる。ペトラは可愛い!」
「―――かわいい……って、え、かわ、か、かかかっ!?」

それが世間一般で言うところの『可愛い』だと認識した途端、ペトラの体温は一気に上昇した。
口が上手く回ってくれない。

(待った待った、え、なんで、ちょっと待ってどこからその単語が出たの!? ていうか今は兵士としての評価の話をしてたんじゃなかったっけ、ていうことは何? もしかしてこの前の壁外調査の戦い方に何か問題が……? 危なっかしいとか立体機動の動作にもたつきがあるとかそういう意味の比喩表現……て、ないないない兵長そこは絶対甘くないっ!)

代わりにめまぐるしく働きだした頭をフル回転させてはみるが、目の前のリヴァイが酔っていると告げられた時よりも強い衝撃を受けたせいで、ペトラの思考はいまいち追い付いてこなかった。

(―――いや、そっか。リヴァイ兵長、今酔ってるから…………いやでも!)

「知ってる。お前が言うな、クソメガネ」
「んじゃ知らないペトラ教えてよ」
「……知ってどうする」
「めちゃくちゃ可愛がる」
「ザケんな。俺がする」

まだ混乱の続くペトラを尻目に、そう言うが早いか、リヴァイはまたグラスを空けてハンジを睨んだ。
会話の内容はとまるでそぐわないその視線は、新兵ならそれだけで竦み上がってしまいそうな鋭い眼光を放っている。
しかしハンジはそんなリヴァイを物ともせずに、飲んでもいないのに真っ赤になってしまったペトラと彼を、壊れた信楽焼のタヌキのような顔でにたりと口角を吊り上げながら交互に見遣った。
その表情に思い切り眉を寄せたリヴァイが、パクパクと言葉にならない言葉を紡ごうと必死なペトラに向き直った。
その手がおもむろに頭に伸びる。

「―――あと髪質がいい。見た目どおり触り心地もいい」
「あ、あり、ありがと、う、ございま……へ、兵長? ち、近いですよ……?」

いわゆるイイ子イイ子をし始めたリヴァイの顔が近い。
この様子を今まさにニヤニヤして見ているだろうハンジに視線を向けることさえ出来ない距離感に、ペトラの心臓は口から飛び出てしまいそうだ。

「へえ? そうなんだあ。知らなかったなあああ。あとは? あとペトラの何がいいの?」
「……あと?」

それでもまだ何か聞きたそうなハンジの声が聞こえてきても、ペトラはすぐには返せなかった。
リヴァイに注がれる視線が強すぎて、逸らすことも簡単に出来ない。

でもこれ以上は身がもたない。

「そう、他に。ペトラのいいところ」
「ハ、ハンジさ―――」

リヴァイから目を逸らせないまま、それでも何とか口を開いて―――

「―――あぁ? んなもん―――」

ひたりと頬に滑りおりたリヴァイの手に、言葉が喉元に張り付いてしまう。

「全部だろが」
「……ッッッ!!!」

当然のように言い切って、それからようやくリヴァイがペトラから視線を外した。
だからと言ってすぐに動き出せるほど、ペトラの心は切り替えられない。頬にはまだリヴァイの手が触れている。
動きは完全に停止したまま、轟々と巨大な台風のように吹き荒れてはまとまらない思考の波に捕われてしまったペトラとは裏腹に、その髪越しにハンジを睨んでいるらしいリヴァイにはまるでいつもと変わった様子は見られなかった。

けれどもリヴァイは酔っているのだ。
だからこそ、常にない距離でペトラに触れ、言うはずのない言葉でペトラを困惑の極みに追いやっている。
これのどこを鑑賞するゆとりが出来るものか、と固まった身体とは裏腹に大声で叫んで走り出したい心境だ。

この状況に対して、それこそまた爆笑しながら爆弾発言を投下するだろうハンジからは、しかし何故か何も言ってはこなかった。それを気にしようにも、それよりリヴァイの親指がゆっくりとペトラの頬骨を撫でていることに完全に気をとられてしまう。
逸らすことも動くことも出来ないでいると、やがて深々と息を吐きながらリヴァイが視線をゆっくりと伏せた。
眉間には深い皺が寄っている。

「……やっとか」
「へ?」

呟かれた言葉に促されるようにして、ペトラはどうにかこうにか横を見た。
と、ついさっきまで散々煽りに煽ってくれたはずのハンジが机に突っ伏している姿が目に入った。
規則正しく上下する肩と、時折鼻を詰まらせたような息も聞こえる。

「ハンジさん……?」
「酔っ払いは俺じゃなくアイツだ。……ったく。ああなると下手に動くより潰れるのを待つ方が早い」

―――まさかの事態だ。

酔っ払いを指摘していた方が酔っ払いだったなんて、本当にまったく想像すらしていなかった。
それなら今までの事は――たぶん適性の評価は別として――彼女が大人しく寝るまでのリヴァイの演技だったということか。なるほど、それなら納得がいく。けれどもそう理解した瞬間、ペトラはリヴァイの目の前で一喜一憂してしまった自分にますます赤くならずにはいられなかった。
恥ずかしい。あんな言葉を本気にして喜ぶなんて。

「そういうことだ。ペトラ、付き合わせて悪かったな」
「あ、いえ! お力になれて良かったです」

そんな自分を気遣ってくれたのだろう。ハンジをして仏頂面と言わしめたリヴァイは心なしいつもより和らいで見える眉間をペトラに向けた。謝罪の言葉にぶぶぶんと首を振った頭をポンポンと優しく叩かれて、うっかりするとまたぞろ心臓が飛び出しスタンバイを始めそうなのを、どん、と胸を叩いた敬礼で宥める。
この状況を作り上げた張本人は、憎々しいほど健やかな寝息を立てている。

ペトラは誤魔化すようにそちらを向いた。

「でもどうしましょうか。起きてはもらえなさそうですし……ハンジさんの隊舎までありますから、こちらで用意した方がいいですよね」

さすがに客間はないが使っていない部屋はある。
ここから一番近い空き部屋を思案しているペトラにリヴァイが言った。

「いい。モブリットを呼んでくる」
「じゃあ私が―――」

呼んで来ますと言いかけて。
不意に額につけられた熱に、ペトラの口から出かけた言葉が湯気も出さずに蒸発した。



―――ちゅ、と。



ペトラの額に、立ち上がりしなの、リヴァイの唇が押し当てられていた。

いや、押し当てられている。

唇が額に押し当てられて―――つまり、それは―――



(……………………へ?)



頭の中が真っ白だ。
身動ぎひとつ出来ず、硬直して椅子に座ったままのペトラの後頭部を、もう一度強く自分の唇に押しつけるように引き寄せてから、リヴァイの手があやすように髪を撫でる。

「お前は先に寝てろ」

指で遊んだ髪にも口づけてから覗き込むようにしてそう言うと、リヴァイは食堂を出て行った。

「……え?――あ、え?」

ハンジの寝息だけの聞こえる食堂で一人、ペトラの口から声にならない声が出る。
今、何が起こったのか、頭がまるでついてきてくれない。
ペトラはおそるおそる、横に流した前髪の先に指を伸ばした。それからそっと、額に触れる。
自分で触れているだけなのに、指先が痺れているようにぎこちなくて、やたらと熱さだけが伝わってくるようだった。


(……兵長が……いま……ここ、に……)


撫でられた髪が、頬が、額に落とされた唇の感触が、じわりとペトラに現実だと告げてくる。

「〜〜〜〜ッ」

今日一番の衝撃だ。
ペトラは両手で額を覆うと、ゴンッと勢いよく長机にぶち当てた。
そのせいで、机上に転がっていたビン同士が軽やかな音を立てて動きを止める。
どくどくと激しく鳴り響く鼓動に、自分の身体が揺れているんじゃないかと錯覚しながら、ペトラは必死で頭を働かせようと努力した。

二人がいったい何時から飲んでいたのかは知らない。
だがペトラがここに呼ばれた時には、もうそのほとんどが同じ状況で、ハンジはくすねたワインの口止めにと、リヴァイが酔うまでしこたま注いだとも笑っていた。

だから、たぶん。


「……へいちょうも、酔ってます、よ、ね……!?」


そうじゃなかったらどうしたら。
リヴァイが戻ってくるまでに、食堂に漂う酒気だけで自分も酔えてしまえばいいのにと、ペトラは願わずにはいられなかった。


【end】


ハンジ一人置いて帰れるわけないペトラちゃんは、たぶんこのままリヴァイと食堂で鉢合わせして、真っ赤で噴火しそうになって、モブに「あー」って思われたり、「寝てろっつっただろ」と兵長に送り狼されちゃったりしても美味しいとか思ってしまいました……。ペトラかわいいよペトラ!
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