まだ恋じゃない(04)




 ひとまず、このまま裸喰娘々のカウンターであられもないカナメを晒すのはまずい。仮にも――いや、仮ではなく、事実カナメはワルキューレのリーダーだ。ファンも多い。おかしな噂が立ってしまっては、恩人である彼女に対して申し分けなさすぎて顔向けが出来ない。
 そう判断したメッサーは、椅子に置かれたままだったカナメの帽子を深く被らせ、ふらつく体を支えてどうにか二階の自室に匿うことにした。
 ああは言っても、おそらくアラドはミラージュを呼んできてくれるだろう。彼女がダメならフレイア辺りか。そうなればハヤテも来るだろうから、その頃までにカナメも少し酔いが醒めてくれればいいのだが。

「とりあえず、ここにどうぞ」
「んー……」

 簡素な室内の脇に置かれたベッドへとメッサーはカナメを誘導した。
 私物の類は少なくない。机に合わせたアーム付きチェアよりベッドの方が、倒れたとして安全だろう。そう配慮してカナメをベッドに座らせる。自分は距離を取って、むしろ部屋を出た方がいい。
 離れかけたメッサーの腕を、しかしカナメがぐいっと引っ張った。

「カナメさん、あの……離してもらえませんか」
「もうちょっと、メッサー君、だめ?」
「いえ、あの、ちょ――」

 ぐいぐいと力任せに引っ張るカナメを引き離すのは、軍人であるメッサーには簡単だ。けれど押しつけられる柔らかな体温と、潤んだ瞳で見上げてくるカナメに、メッサーは根負けした。

「あのね、メッサー君」
「……はい」

 メッサーがおとなしくカナメの横に腰を下ろすと、カナメは腕を絡めたままで難しそうに眉を寄せた。

「聞いてもいい?」
「……どうぞ」

 カナメが自分に聞くことで、何をそんなに悩む必要があるのだろう。思い当たる節のないメッサーは先を促した。
 カナメはしばらく逡巡するように視線を彷徨わせ、それからメッサーの腕から手を抜いて、膝の上で祈るように指を重ねた。

「……メッサー君が私のこと、その、嫌いなのって、どうしてかなって。私、何かあなたに嫌われるようなことしてた?」
「き――嫌いなわけないでしょう!」

 思いも寄らない質問に、メッサーは弾かれたようにカナメの顔を見返した。嫌い? 嫌いとはどういうことだ。何でそんな話になった。

「……そうなの?」
「そうです」
「メッサー君、私のこと嫌いじゃない?」
「嫌いじゃありません」

 むしろ命を賭してでも守りたいと思う相手で、恩人で――……
 酔っているらしいカナメが何をどしてそんな勘違いをしてしまったのか見当もつかないが、もしかしたらアラドとの会話でそんな流れになったんだろうか。

「そうなんだ……」

 誤解を解くべく即答で返していたメッサーを、まじまじと真正面から見つめていたカナメが感じ入るようにそう言った。「メッサー君は私のことが嫌いじゃない。嫌いじゃない。嫌いじゃない」と口中で確かめるように何度も呟き、それからこてんと小首を傾げる。
 まだ何か聞きたいことがあるのだろうか。
 真剣にカナメの様子を窺っていたせいで、うっかり同じ動きで首を傾げてしまいそうになったメッサーは、慌てて首の筋肉を硬化させて踏みとどまった。
 この際だ。カナメは酔っている。明日になれば覚えていないこともあるかもしれない。けれど、今だけでも、彼女がメッサーに対して思うことがあるならば受け止めたいと思った。何でも正直に答えたい。と、カナメが大きな双眸にメッサーを映して口を開けた。

「じゃあ好き?」
「すっ」

 それは――どういう意味だ。
 何でも、と思った心に思い切りコントロールを失ったジークフリードが突撃してきたような気分になる。一文字目で固まってしまったメッサーを気にせず、カナメがはにかんだ笑顔を向ける。

「私ね、メッサー君とこうして一緒にお話したいなって思ってたんだ」
「……」
「メッサー君の近くに行きたかったの。でもいつもメッサー君、私が誘っても断るから、嫌われてるのかと思ってた。でも違ったってわかって、すごく嬉しい」

 いつもの自分の部屋が急に明るさを増したような気がして、メッサーはパチパチと目を瞬いた。どうしたことだろう。カナメの周囲だけ、光の粒子が乱反射して見える。クラゲ酒どころかバナナ酒の一滴も今日はまだ飲んでいないというのに、カナメの酒量にあてられたとでも言うののだろうか。そんな、バカな――

「ふふ。こんな都合のいい話、やっぱり夢でも嬉しいな」
「……」

 カナメが笑うと、視界の明度がまた一気に上昇した。
 視力の問題が、それとも知らない間に頭でも打ったか。今日はそんなに激しいフライト訓練はなかったはずだ。
 メッサーの心臓がとくんとくんと主張を始める。どういうことだ。訓練直後でもないというのに、自分で自分の心拍音の上昇を感じてしまうだなんて。
 戸惑うメッサーの肩に、カナメがとんっと額を寄せた。心臓がそこに移動したかのように大きく跳ねる。

「カナメ、さん」

 呼んだ声が、まるで熱に浮かされた譫言のように聞こえた。
 額をずらし、けれども離れないまま見上げて答えるカナメの綺麗な碧い双眸に、メッサーの顔が移り込む。代わり映えのしない細面の男の顔は、見慣れているというのを差し引いても、カナメが興味を持つような人相には思えない。だというのに、カナメはメッサーの姿を認めると、本当に嬉しそうにまた目元を緩めた。

「夢から覚めても、メッサー君が傍にいてくれたらいいのに」

 メッサーの視界が焼き尽くされんばかりに白く輝く。もうダメだ。このままカナメを直視していたら、パイロットとして致命的な視力のダメージを負うかもしれない。
 メッサーの手が動いた。
 発光の原因たるカナメを無意識に腕の中に閉じこめる。
 一瞬驚いたように息を飲んだカナメは、しかしすぐにメッサーに体を預けてきた。柔らかい、ほっそりとりた体が、メッサーの胸に体重をかけ、すうっと息を吸い込む音が聞こえる。
 カナメの腰を更に抱き寄せ、その赤い髪をメッサーは撫でた。すると、もっとと言うかのように、カナメも抱きしめられたメッサーの腕の中で、すり、と胸板に頬ずりをする。
 頭の心が痺れたようにぐらりと揺れた。同時に甘ったるい香りを感じる。かつてこの部屋に、こんなに甘い香りが充満したことがあっただろうか。甘ったるい匂いはそれほど好きでもないはずのメッサーだが、この香りは麻薬のようにもっと深く嗅ぎたくなる何かがあった。
 まさか嗅覚までおかしくなってきたのではあるまいか。

「……カナメさん」

 彼女を呼ぶ声音はやはり随分熱っぽく、粘っこい。咽喉もやられたのかもしれない。
 風邪か。風邪を引いたのか、とメッサーは思った。
 そうだとしたら早くカナメから離れた方がいい。次のワクチンライブもすぐにある。大切な彼女の大事な仕事を、メッサーのせいで穴を開けさせるだなんて言語道断だ。けれど上手く動かない手のせいで、メッサーはカナメから離れられなかった。代わりのように髪を梳き、首筋を撫で、そうすることで余計に立ち籠もってきた香りに頭の奥が痺れ始める。
 体が自分のものでないような動きで、ゆっくりと傾いで、気がつけばメッサーはベッドの上で、カナメの体に乗り上げていた。

「カナメさん」
「うん――……」

 言葉が出ない。まるで既定路線のように、距離が縮まる。
 カナメの手は力なくシーツの上に投げ出され、メッサーの手が、そのほっそりとした手首を押さえる。ゆっくりと瞳を閉じたカナメの顔を、今度はメッサーが瞳の奥へと焼き付けた。

 もうほんの少しで影が重なる――その時。

「メッサー中尉! ミラージュ・ファリーナ・ジーナス少尉! アラド隊長の命により、ただいま参りました!」

 バンッと豪快な音と共にドアが開いて、室内の光の粒子か掻き乱れた。
 何が起こったのか、メッサーは速やかな現状把握を試みる。
 目の前には、カナメがしどけなくベッドの上に横たわっていた。つい先程までメッサーを吸い込まんばかりに見つめていた瞳は穏やかに閉じられ、すうすうと落ち着いた寝息が、薄くあいた唇の隙間からこぼれている。ああ、寝てしまったのか、と少しばかり落胆しているらしい自分に首を傾げ、それからメッサーはノックもなしにドアを開けた人物に顔を向けた。ミラージュが直立不動で敬礼をしたまま、入り口で呆然と突っ立っている。
 やはりアラドはきちんとメッサーの願いを聞いてくれたらしい。

「ミラージュ、わざわざすま」
「なんっ! は、あ、あの……っ!!!」

 ぎ、と膝を立て体を起こそうとしたメッサーの言葉を遮り、ミラージュの顔が見る間に赤く染まっていく。

「ん……、め、……っさーくん」

 自分の下でたどたどしい発音で名前を呼ばれ、メッサーの意識がカナメに戻る。起こしてしまったかと思ったが、どうやら単なる寝言らしい。やはりチカチカと眩しさを散らされている視界は、別に不快でもない。むにゃむにゃと小さく動いた唇に思わず触れそうになったメッサーは、

「――は、は、は、破廉恥な!!!」
「は?」
「そっ…………、ですから! そ、そういうご関係でしたら、呼ばないでください!!」
「何、を――……」

 これでもかというほど大きな声で叫んだミラージュの言葉に、メッサーは眉を顰めてもう一度彼女を見た。
 首まで可哀想なくらい赤く染まったミラージュは、怒っているらしい。今にも飛びかからんばかりに威嚇して見える。
 何がどうなっている。
 メッサーは努めて冷静に、今一度自分の行動を振り返る。
 ここはどこだ。――自室だ。そうして自分はベッドの上にいるのだと気づき、そしてカナメに乗り上げて――乗り上げている?

 ハタと気づいた途端、メッサーは長身をバネの如く跳ねさせて、カナメの上から床に落ちた。

「ち、違――」
「何がですか! そういうプレイですか! そういうことは、ふ、ふ、二人っきりで、っその! とにかく! 見損ないました、中尉!!」

 ビシッと激しく指を突きつけ怒鳴るミラージュに、メッサーは本日二度目となる全身から血の気が引く音を聞いたのだった。


                                   【END】


いつも誘いに乗ってくれないメッサーに嫌われているんじゃないかと考えているカナメさんと、そんなカナメさんにクラゲをエサに相談に乗るアラドと、
酔っ払ったカナメさんを見てたら輝いて見えてどうしようと思っているメッサーの片想い未満の話です。