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朝焼けの待つ夜に(3) 「……だからぁ! 私はっ! ハヤテもフレイアも大好きなんれすよぉっ!」 「うんうん」 もうソファになど座っていられない。 ぐってりと力の抜けた身体を肘をつくことでどうにか支えながらだらしなく床にくずおれ、ミラージュはドンッとグラスをテーブルに叩きつけた。 隣に下りてきたカナメが頷きながら、そのグラスと自分のグラスに琥珀色の液体を注いでいく。溶けた氷の代わりに新しい氷が足されていくのを黙って見つめながら、ミラージュはぐしゃりと顔を歪めた。 「でもぉ……ハヤテのことはそういうんじゃなくて大好きだったんれす……」 「うんうん」 「でも私がハヤテ少尉の立場だったら、絶対にフレイアを選ぶんれす!」 「そうなの?」 カラカラとウィスキーを氷と馴染ませてくれていたカナメの手から奪うようにしてグラスを取って、ミラージュは半分ほどを一気に喉の奥へと流し込んだ。 「らって、ふわふわで明るくておいしそうで、かわいいじゃないれすか」 フレイアの弾けんばかりの笑顔を思い出して、力強く説明する。 そうだ。フレイアは可愛い。初めて会った時から、なんて愛らしい子だろうと思っていた。あの時はまさか不法入国者だった彼女がワルキューレに選ばれ、こうして一緒に過ごすことになるだなんて思ってもいなかったけれど、天真爛漫で真っ直ぐで、眩しいくらいだった。自分にはないものを持っている同年代への憧れとやっかみだ。 最近では大人びた微笑も増え、愛らしさとは別の美しさも感じるようになってきたフレイア・ヴィオン。それは――誰の為に見せるようになった表情なのだろう。そう思えば、痛みを感じる胸をアルコールを流し込んで黙らせる。 「ミラージュも可愛いと思うけど」 「違うんれす! フレイアは! ピンと筋が通ってて! それでいてふわっとしてて! なんていうんれすか!? こう、守ってあげたくなるような!」 「主観の問題よね。フレイアにもミラージュにも、私から見ればそれぞれいいところはあるもの」 「違うんれす! なんか、こう……カナメさん、わかりませんか!? フレイアの可愛さは、こう、こう……マキナさんで言うところの『きゃわわ〜』な部分で、それでいて一筋縄ではいかない頑固さと、でも素直で、こう……なんというか……ゴリゴリかわいいんれす!!」 本当にそう思っている。フレイアは可愛い。自分にはないものをたくさん持っている。その一つ一つがキラキラと輝いていて、ミラージュもそこに惹かれて止まない。彼女がワルキューレに選ばれて良かったと思う。あの魅力は必要だった。今も、それにこれからも。 「……ミラージュが男だったらハヤテ君大変だったわね」 ミラージュの本気の説明に、カナメが呆気に取られたような顔になった。グラスの中の氷を揺らして苦笑する。そうだ。カナメはよくわかっている。ミラージュはぐらりと揺れるように頭を大きく前後させた。 「そうなんれすよ……私が男だったらフレイアだったんれすよ……」 「よしよし」 その頭が揺らいでカナメの肩に当たった。 それを厭うでもなく受け止めて、支えるように肩を抱かれる。そんなことをしてもらったのは、一体いつ以来だったろう。ミラージュは顔を上げずに、カナメの方へと甘えるように擦り寄った。 「でも私は男じゃなかったので、私を選んでもほしかったんれすよ……」 「……うん」 顔が熱い。アルコールのせいだ。飲み過ぎた。ちょっとだけ目の奥も痛い。アルコールのせいだ。血流が良くなりすぎて皮膚が薄い所へ集中しているように感じるからだ。 「でも、そうするとフレイアがすごく傷ついて、そういうのは嫌なんれすよ」 「そっか」 カナメの手がぎゅっと肩を抱き寄せて、もう一方の手がふわりと頭に乗せられた。ぽんぽん、と優しいリズムで叩かれて、絶対に言わないはずだった言葉がぽろぽろと口からこぼれ出す。 「フレイアはウィンダミア人で、結晶化も、あって……」 あの小さな手に広がる白い痕。目に見える命の刻限。 もう自分達の前で隠すことなく笑うフレイアの強さがとても眩しい。 「カナメさん……」 「なあに?」 「……私も、オフレコにしてもらえまふか……」 「うん。約束する」 カナメの静かな声が耳から入り、身体を中から温められているような気になった。肩を抱く手に少しだけ力が添えられたせいかもしれない。ミラージュはその手のぬくもりに押されたように、ゆっくりと大きく息を吐いた。 アルコールのせいだ。アルコールのせいで、心が弱くなっている。与えられなかった優しさは誰のせいでもないのに、誰かのせいにしている自分が嫌なのに、そんな自分を認めて吐き出してしまいたくなっているのも全てはアルコールのせいだ。身勝手な懺悔をしたくなるのも、全部アルコールのせい。 カナメの手が、そうよ、と優しく同意するかのようなリズムを作って頭を撫でてくれるのも、その背中を押されてることにする。 「……ぜったい、かなわないじゃないれすか」 「……」 「ぜったい、ぜったい、フレイアになんてかなわない」 「……」 だから、ずっと心の奥底に落としこんで蓋をして、絶対開けてはいけないと思っていたことをミラージュの口が許してしまう。 「ゼントラーディの血を受け継ぐ私に命の儚さなんてない。ずるいれす。そんなの、明るくて可愛くてしっかりもので、でも抜けてて、……命の期限があって、強く生きてて……!」 「……」 そうだ。これが本音だ。 フレイアは可愛いと思う。素直で純真で、ころころと表情が変わって。フレイアはすごい。芯が強くて努力家でもある。彼女の生き方を尊敬している。 それも本当のことだけれど、今言った気持ちも本当だ。 彼女がハヤテを好きだと知ったとき、彼に選ばれたいという気持ちよりも、自分は選ばれないだろうなという気持ちの方が強かった。その理由の一端に、この想いがなかったと言い切ることができない。フレイアの結晶化を知ったとき、その思いはたぶん無意識下に更に芽吹いた。そして、それがどんなに酷く醜い考えかということも知っている。 嫌だ。こんな汚い感情を知りたくなんてなかった。 理由を、自分の弱さを、誰かせいにしたくない。わかっている。わかっているのに、この気持ちも確かに自分の一部なのだ。 こんなことを思う人間だと誰かに知られてしまったらどうしよう。その恐怖で、自分があまりにも情けなくて、もうずっと隠して隠して、なかったことにしていたのに。 余計な言葉を挟まずに傍にいてくれるカナメが、叱るでも蔑むでもなくただひたすらぬくもりを与えてくれるから、汚ない感情と一緒に涙が後から後から溢れてきて止まらなかった。 「こんなこと、違うのに、言い訳につか、つかって、そ、そんなこと今、言っちゃっ……っく、自分が、嫌です。最低です。ひどい女れす……っ」 「ミラージュ」 「幸せになってほしいんれす。二人には出来るだけ長く。本当れす。これも、ほん、本当……っ。いっそフレイアに私の寿命をわけてあげたいくらいなのにっ」 どれもミラージュの本心だ。 好意も嫉妬も、命に対する憐憫という傲った考えも何もかも。 「そういうんじゃないってわかってるのに……、っ、ふ、二人が好きで、でもまだやっぱり忘れられなくて……、でも幸せな二人も本当に大好きなんれすよおぉ……っ」 相反する気持ちのどれもこれもが本当で、心のなかがぐちゃぐちゃになる。 けれどこうして言葉にして吐き出すことで、戸惑いと共に複雑なこの感情が繋がっているのだという妙な実感も沸いてきた。 ハヤテが好きだ。まだ。だからつらい。胸が痛む。でもフレイアのこともやっぱり好きだ。出来るだけ長く一緒に空を見ていたい。笑顔でいてほしいと思う。私は、二人がとても好きだ―― 「わかってる。ミラージュ、あなたはがんばってる。わかるもの」 ぽん、と頭に置かれた手のひらから染み込むような声に、最後の堰を切られた。 立場も環境もまるで違う人なのに、二度と手に入れることのない大切な想いを知っている人。そのカナメにどうぞと腕を広げられてしまったら、もう飛び込む以外に選択肢がないではないか。 「カナ、カナメさぁぁん……!」 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになるのは、本当にいつ以来だろう。 まるで幼い子供の頃に戻ったようだ。ミラージュはしゃくりあげながらカナメの胸にすがって声を上げて泣き続けた。 どれくらいそうしていたのだろう。 泣きすぎて少し頭がいたい。冷やさなければ、明日の目蓋はきっとひどいことになると思える程度には、頭がはっきりしてきた気がする。 言葉にならない声でわんわんと泣いていたミラージュをずっと抱き締めていてくれたカナメの胸からもぞもぞと頭を浮かせると、カナメは何事もなかったかのように「はい」とすっかり氷の解けたグラスを渡してきた。受け取って一舐めする。思っていた以上に渇いていた喉に、ぬるく薄まったアルコールが沁みた。 「……カナメさん」 「ん?」 「私にも、いつか、私がいいっていう人が現れてくれますかね……」 「絶対に」 根拠も何もないそんな言葉でもやけにきっぱり言い切られれば、それがとても心強い。 本当にそうなるといいなと思う。彼への想いも、今夜のことも、懐かしさで笑って話せる日がくるといい。カナメが「絶対」と言うと、なんだか本当になる気がした。明けない夜はないというから。まだはっきりとは見えない朝焼けの足音に耳を澄ますように、ミラージュは目を閉じた。 「……カナメさんは、恋、しないんれすか」 「私にはメッサー君がいるからなあ」 いつか誰か、と思わせてくれた当のカナメは、おかしそうにそう言って笑んだ。 思わず目を開けると、カナメはソファの下におりたまま、身体を小さく抱くようにして両膝を抱えて座り直した。手首に見えるシルバーのバングルを、袖の上から愛おしそうに優しく撫でる。 「でも……メッサー中尉は……」 「メッサー君はね、きっとさっさと誰かと恋をして幸せになれって言うんだと思うのよね。そういう人」 メッサーなら言いそうだとミラージュは思った。 言い方は悪いが、死んだ人は戻らない。ヴァールの罹患をカナメは知らされていなかった。再発も、本当の本当にギリギリまで伝えなかったメッサーは、最初からカナメとどうにかなる自分を想像していなかったのではないかと思った。幸せなカナメの未来に、ヴァールを抱えた自分を最初から切り捨てていた。 けれど――それでも彼はカナメを想っていたのだ。ずっと。きっと。カナメと想いが通じる前から、アルブヘイムでの出来事からずっと、ずっと、カナメのことを考えていたのだろうと思う。あのバングルに登録された一曲だけで、籠められた想いの一端がミラージュにも見えたくらいだから間違いない。その彼のカナメを大切に想うが故の幸せな未来への希望を、カナメは知っているはずなのに。 「でもいくらメッサー君にだって、勝手に私の幸せを決められたくないのよね」 「え?」 けれど不意にそんなことを言い出したカナメは、少しむくれたように唇を尖らせた。 その表情がいつものしっかり者のリーダーより幼く見える。 「だって私幸せなのよ」 「……はい?」 また根拠もなく言い切って、カナメがフンッと胸を反らせた。 「歌があって、歌えて、銀河中にワルキューレの歌声を響かせることができて、こうやってメッサー君に話しかけることができて。……きっとメッサー君はこうしていることも良くないって思ってそうだなとか考えて、でも文句は後でまとめて聞くから待っててねって思ったりして」 「……」 バングルを腕から外し蛍光灯に翳しながら語る姿は、まるで祈りを捧げているようにも見えた。眩しそうに見上げるカナメの青い瞳が、そこにいる誰かを確かに見つめてふるりと揺れる。 「たまにね――ううん。白状しちゃうとやっぱり結構頻繁にね、会いたいなあとかぎゅってしてほしいなあとか、声が聞きたいなあとか思っちゃったりもするんだけど。でも、やっぱり幸せなの。その思い出も、想う相手も、全部がメッサー君じゃないと意味がないの。メッサー君じゃなきゃダメなんだから、これはもう仕方ないなって」 「……」 腕を下ろしたカナメが、悪戯な子供のような笑顔を見せてバングルを指先でつついた。なんとなく、――本当になんとなく、そこに仏頂面をした上官の姿が見えた気がした。 きっとカナメと彼はこんな風に過ごしていたのかもしれない。真っ当で常識的なメッサーの苦言は、カナメの意外と頑固な主張で押し通されて、困りながらもそれ以上強く言えない上官が眉を寄せる光景が見えるようだ。 ざまあみろといわんばかりにバングルにちゅっと口付けたカナメが、挑むような視線になる。 「メッサー君に愛を持ち逃げされてしまったので、生涯を掛けて追いかけて捕まえて返してもらわないと、次の恋はなかなかできません!」 まるで彼がそこにいるかのように宣言したカナメがミラージュを振り返る。 この人は本気だ。彼を想って話すとき愛しさと切なさの混じった瞳を見せるカナメはミラージュと同じ――いや、想像もできないほどの夜を抱えた末に、きっとその結論を出した。 こんなに本気の恋も愛も、ミラージュはまだきっと知らない。 フラれたことは辛くて悲しくてまだ胸の奥は鈍い痛みを思い出すけど、生涯を天秤に架けて想い続けはしないだろう。今夜カナメの胸に吐き出した想いは、自分の中で折り合いを探そうとしていたのだから。 「……私、そこまでじゃないかもしれません」 「うんうん。だからミラージュはきっと運命の人がこの先で待ってるわ」 カナメは――もう見つけたのだ。 先のことはわからない、そう人はいうけれど、この人は――この人達は対だった。風を纏う少女が、風に乗る少年と出逢ったように。共に過ごす時間の長さだけでは測れない想いを覚悟する相手と出逢ったのだ。 それは少し切なくて、でもやっぱりとても羨ましい。 「カナメさん!」 ミラージュは、グラスの残りの一息に飲み干すと、ダンッと乱暴にテーブルに置いた。半分以上なくなっているウィスキーのボトルを引っ付かんで、カナメと自分のグラスにドボドボと継ぎ足してやる。 「今日は! 飲みましょう! リンゴ娘が帰ってくるまで! メッサー中尉に見せつけるように! 盛大に! あと私の運命の相手にも未来に向かって乾杯してくらさい!」 「いよーっし! 乾杯! 飲むぞ飲むぞー! 私のとっておきも開けちゃう!」 空のビンや缶を身軽に飛び越えたカナメが、自室から一升瓶を抱えて颯爽と戻ってくる。ここにはいない二人は今頃どうしているだろうかなどと考えればまだ胸はちくりと痛むけれど、きっと今夜は酒が焼いて流してくれる。そうやって少しずつ溶かして流して、心とからだが一つになって、いつか彼らのように、カナメのように、想う誰かと巡り逢う。その朝焼けは、きっと、この夜の先にある。 「乾杯!」 高々と掲げられたカナメのグラスに負けじと腕を伸ばして、ミラージュは未来の自分にエールを送った。 【END & wish your happiness!】 アル・シャハルも本編ままでウィンダミアとの戦争終結一年後くらいのミラージュとカナメさんのお話。 ハヤテへの想いの最後の本音を吐き出させてあげるカナメさんがいます。 フレイアもミラージュもどちらも大好きなんですが、ミラミラ……っ!ミラミラあんな公開処刑みたいな告白の後、あれでガス抜き完璧なのかな!? 大丈夫かな!?折り合いつけられた!?じじじじじじゅうはっさいだよね!!?(;:´°;Д;°`:;)!?という想いからorz カナメさんはきっとどんなにもがき苦しんでも、一人折り合いつける術を身につけている人なイメージ……クモクモやマキナの胸で泣いても欲しい……けど、本当はそれメッサー君の役目……くっ、ああああそこも妄想止まりません!(∩∩)!早く戻ってきてメッサーァァァ!!! |