One Day, One Night, We Spent Especial Time.




 パチパチと薪の爆ぜる音がする。
 今夜の寝床にと場所を確保し、長めの綱で馬達を繋いだ場所は、他に静かな動物達の気配を時折感じるだけで、特にない。
 ここに来るまで、出掛けにはちょっとしたハプニングの連続だった。嵐のような天気に当たり、厚手の兵団ジャケットの下まで文字通りびしょ濡れになった。まったく、雲の動きで天気を読むというのは難しい。穏やかな顔を見せたと思ったら、そうやって突然知らない顔を見せてくるのが大自然だ。
 けれど、幸いにもそれからすぐに雲の切れ間は広がって、少し走らせた先の景色にモブリットとハンジは、はっきりと息を飲むこととなった。
 樹木の隙をこぼれるように降り注ぐ太陽の光はとんでもなく美しかった。夏に向かう陽光が雨に濡れた身体を優しく包み込むように乾かして、水気を切ったシャツが自然の熱で温められる。

「んー! 気持ちいいね。身長伸びそう」
「その感想は思いつきませんでした」
「冗談だよ冗談」
「わかってますよ」

 水捌けの良い大地からは、湿り気を帯びた青い土のにおいがした。馬から下りて自分の足で歩いた大地は、繋がっているのだと実感出来る。遠慮なく恵みを注いでくれる太陽をいっぱいに浴びて、ぐんと腕を伸ばしていたハンジは、モブリットの目に本当に生き生きとして見えた。
 今はもう太陽はすっかり夜に姿を隠しているけれど、見上げればこれでもかというほど輝く星の煌めきは、兵舎で見えるものとはまるで違う気がする。

「……綺麗だね」

 モブリットの隣に腰を下ろして暖を取っていたハンジがぽつりと言った。
 同じものを見ていたのだとわかって、モブリットも「はい」と同意する。見上げすぎて痛くなってしまった首を戻してハンジを見れば、焚き火の熱で頬を赤く照らした彼女が、一心に夜空を見上げている横顔があった。
 眼鏡に映る炎の赤と、蒼い夜空を照らす白い星が反射して、まるで子供のように瞳をキラキラさせている。
 たったそれだけのことで、モブリットの意識は満天の星空からハンジへと向けられてしまった。

「本当に。綺麗です」
「うん。ねえ、モブリット。思ったんだけど星の光って昼間は――」

 モブリットの溢れた本音に気づかないまま頷いたハンジは、それから早速星の考察に入り、不意に顔を元に戻した。そのせいで、まだしばらくは見上げているんだろうと高を括って見つめていたモブリットの視線とかち合う。
 その途端、ハンジはバッと立ち上がった。

「み、見てなかったろう、今! 星!」

 声を張り上げ指を空に突き上げたハンジの頬が、焚き火から離れたはずなのにしゅっと赤に染まって見えた。

「……見てましたよ。兵舎で見るより綺麗だなと思って」

 けれども隣を見たら、モブリットにとってはもっと目を奪われる景色があっただけだ。
 晴れている日、雲一つない青空を見上げると吸い込まれそうに錯覚することがある。それと同じ引力を、夜空を見上げるハンジに感じた。それだけだ。

「空が高い気がします。同じ空のはずなのに、不思議ですね」

 高い分、どこまでも自由に続いていける気さえして、モブリットも地面に下ろしていた腰を上げる。光源として側にあった火が離れたせいで、一瞬視界が少しぼやけた。
 モブリットの焦点が戻る前に、ハンジは焚き火を回って歩き出してしまったようだ。どこかへ行くつもりだろうかと訝しみながら、モブリットはハンジを追いかけた。

「明日には戻らなければいけませんし、今夜何かしておくことはありましたか」
「な、ないよ」

 そうだろうとはわかっていた。
 こんな真夜中、どこまで続くかわからないような深い森の中を二人きりの行軍で探索するのは、いくらなんでも無謀にもほどがある。それなのに焚き火から離れ、ずんずんと奥へ進もうとするハンジは、つまりモブリットを避けたのだ。

「どこに行くんです? 馬達が静かだとはいえ、さすがに夜歩きは危険です」
「別にどこも行かない。ちょっと、その、散歩というか!」

 言い訳にしてもベタ過ぎだろう。そんなに離れたいんだろうか。
 好意は―少なくともモブリットの好意に気づいていて、それでもこの二日間を共にと望んでくれたことに、そういう意味は欠片もなかったんだろうか。

「俺も行きます」

 振り向いてもくれない背中に声を掛ける。
 けれどやはりハンジは振り向かない。

「いいって」
「行きます」
「一人で行ける」
「危険です」

 頑なに拒絶を繰り返すハンジに、モブリットもほとんど意地になってきた。
 個人としての気持ちが迷惑だというのならはっきりそう言ってくれればいい。子供じゃあるまいし、そんなことで今後の任務に支障を来すような真似はしない。
 それくらいの信頼はあると思っていた。

「分隊長」

 それでも、彼女も同じ気持ちがあるんじゃないかと思う場面は幾つもあって。距離の近さを感じたのは、今日だって多分にあったと思っていた。
 でもそれはモブリットの独り善がりに過ぎなかったんだろうか。

「危険なほど奥に入らないよ」

 ひらひらと後ろ手に手を振られて、モブリットは大股でハンジとの距離を詰めた。
 それを言うなら、せめてこっちを見てほしい。
 満天の星空を映した瞳に、もう一度自分のことも映してほしい―

「ハンジさん」
「ちょっとだけだ。すぐ戻るし、だからモブリット、本当に一人で」
「何で俺を避けるんですか!」

 しまったと思った。
 追いついたハンジの手を掴まえた瞬間、思わず口が勝手に本音を口走ってしまった。危険だから一緒に行きましょう、と言えばそれで済んだはずなのに。
 子供みたいに素直な文句をぶちまけてしまったモブリットに、ハンジは驚いたように振り返った。後ろで馬の嘶きが聞こえる。あの声はたぶんハンジの愛馬だ。主人に迫る不逞の輩に苦言を呈しているのだろう。
 モブリットはハンジを見つめたまま、気持ちを落ち着かせようと細い息を吐いた。

「――さ、避けてない」

 けれどハンジの見え透いた嘘に、思わず奥歯を噛みしめる。

「避けたじゃないですか。……夜の森は危険です。本当に。巨人じゃなくても、野生動物は十分な脅威だ。立体機動もブレードもない。丸腰で馬も連れず、それでも何となくちょっと散歩に? あんた、そんな馬鹿じゃないでしょう」

 その判断を誤らせたのがモブリットの言動だと言うのなら、距離を取るべきは自分の方だとわかっている。
 ハンジがとても大切だ。人類の為にも、モブリット個人にとっても今更隠す必要もないほど必要で、守るべき存在だと思っている。
 けれどそれがハンジにとって迷惑でしかないのなら、彼女にとって最前の方法を採るべきだ。

「……すみません」

 矛先を失ったモブリット手から、ずるりと力が抜けた。二人で馬を駆れるということで浮かれすぎていたのだ。優先順位を見失うな。そう自身を叱咤して、モブリットはふっと眦を下げた。ともすれば自嘲気味な苦笑が浮かびそうな自分の顔を、困惑しているらしいハンジから隠すように逸らす。

「俺が離れますね」
「違うよ!」

 と、ハンジがそう言って、モブリットの腕を強く引いた。焚き火の側へ戻ろうと動かし掛けていた足が止まって、思わぬ力に息を飲む。

「え――」
「違う。そうじゃなくて、ちょっと頭を冷やそうとだな……」
「頭を、冷やす?」

 鸚鵡返しに聞き返せば、ハンジはぐしゃぐしゃと前髪を掻き上げながら、苛立たしげにモブリットを睨みつけた。焚き火の明かりを背にしているせいで、自分の影で隠れたハンジの表情は見えにくい。モブリットが首を傾げることで僅かな光源を届けると、ハンジは今まで見たこともない顔をしていた。
 たぶん、赤い。それに、何だか今にも泣き出しそうな、驚くほど情けない顔になっている。
 何で。どうして彼女がそんな表情をする必要があった―

「ハンジさ」
「モブリットが!」

 呼びかけたモブリットを遮って、ハンジは掴んでいた腕を思い出したように離した。
 それからビッと指を突きつける。

「星じゃなくて私を見ていたんじゃないかとか言っちゃったじゃないか! 夜だし! なんか、もしかしてそういうことになるのかも? みたいなことを思って―……いたわけじゃないけど! だから、その、なんだ……ちょっと、お、おおお思い違いをだな、訂正しようと思って―って言わせるなよ、嫌がらせか!」

 肩を怒らせハァハァと荒い息でモブリットを睨みつけながら、ハンジが一息にまくし立てた。

「思い違いって……」
「いい! もう、皆まで言うな! 気まずい!」

 何を言っているんだこの人は。
 突きつけた手をバッと顔の前に広げて言葉を止めさせたハンジを、モブリットはマジマジと凝視してしまった。
 無言が二人の間に落ちて、ぱき、と薪が後ろで爆ぜる音が聞こえる。

「あ〜……もー……」

 広げていた手を頭に置いて、ハンジは唸るように頭を掻いた。後ろで揺れる焚き火の明かりが、寄せた眉に陰影をつけている。
 ハンジが表情を隠すように片手を頭に置いたまま、モブリットの横をすり抜けようと動いた。

「もう寝よう。明日の移動は早くから――」
「思い違いって何ですか」

 その手をモブリットはしっかりと掴んだ。行き掛けたハンジが咄嗟に腕を振るうが、モブリットが更に強い力で掴まえて許さない。
 太い木の幹に背中を当てたハンジが、モブリットから顔を背ける。

「だからもういいって」

 いっそ不機嫌にすら思える陰りのある表情に、モブリットは剣呑に眉を顰める。
 もういいことなどあるものか。

「思い違いというのは――」

 ハンジの右手首を押さえた手に無意識に力が篭もる。忌々しげに見上げてくるハンジを真っ直ぐに見つめて、モブリットは声を低めた。

「――俺があなたを好きで、大切で、星よりも星を見ていたあなたに見惚れていたことですか。それとも、俺ももしかしてと、今夜に期待していたことですか」
「だからそういう――っ、て、…………は?」

 ムッとして顔を上げたハンジが、ぱちくりと大きく瞬く。表情の変わらないモブリットを、信じられないというかのように眉を寄せ、瞬き、視線を逸らしては戻すを繰り返す。

「え? す、好き? いや、モブリットの期待って――わ、ちょ、モブ――」

 混乱したように早口になったハンジを、モブリットは顔を寄せることで動きごと封じた。片手をするりと頬に添えて上向かせ、重ねた唇は存外冷たい。背中に感じる焚き火の熱に反して、ひやりとした感触が気持ちいい。味わうように優しく食んで、モブリットはゆっくりと目を開けた。
 少しでも、ハンジに拒否の色が見えたら全力全霊で謝罪するしかない―覚悟の上で見つめた先で、ハンジはぎゅっと目を瞑ったままだった。
 掴まれていない左手が、モブリットの腕をジャケットの上から掴んでいる。その指先が食い込んで痛いくらいだ。
 が、その行為は拒絶ではなく、むしろ必死に応えようとしているようにしか見えなかった。
 添えていた手でハンジの頬をゆるりと撫でて、モブリットは親指でハンジの唇をなぞる。そうすると目蓋を開けたハンジが、思い出したようにパクパクと口を動かす姿さえ、無性に可愛くて仕方がない。

「モ、モブ」

 今、自分はどんな顔をしているだろう。
 モブリットはハンジの唇をなぞっていた指先で下唇をゆっくりと下げた。
 おそらくは、未だかつて誰にも見せたこともないほど情けなく、物欲しそうな男の顔をしているに違いない。

「こういう期待をしていたことに気づかれて、避けられたんじゃないかと思いました」
「ち、ちが、んっ」

 やはりどこか泣きそうな顔で否定の言葉を紡ごうとした唇を、モブリットは再び塞いだ。
 違わない。知っている。期待していたのだとハンジがさっき言ったのだ。
 それはつまり――だから、同じことを考えていたのだということで―

「好きです」

 唇の間に囁いた声音が、自分でも聞いたことのないほど甘い響きを伴っていた。
 パチパチと爆ぜる薪の音がどこか遠い世界のように錯覚する。
 一瞬動きの止まったハンジを窺うように覗き見て、モブリットはまたハンジの左頬を包み込むような動きで撫でた。

「モブリット――」
「あなたが好きです、ハンジさん」

 そうしてまた唇を重ねる。

「ん、ちょ、待って。モブリッ――」
「好きだ」

 無意識か抵抗か、モブリットに掴まれた手首をハンジが持ち上げた。それも離さず背中と一緒に幹に押しつけ、モブリットは角度を変えて何度も何度も口づける。
 名前を呼ぼうと開いた隙間から吐息が混じり、深さを増して口腔を舐る。

「ま、ぁっ、――んん、ぅ」

 鼻に抜けるハンジの声を初めて聞いた。他の誰にも聞かせたくない。
 歯列をなぞり上顎を舐め、再び戻ってハンジの舌に舌を絡ませる。粘着質な水音が耳に響いて、もっとと強請るように身体を寄せる。と、ハンジの身体が徐々に幹の上を滑るように低くなった。
 消えかけた理性の狭間で気づいたモブリットが、支え直そうとハンジの背中に手を入れる。僅かに離れた唇の間を、唾液が伝って顎に落ちる。
 咽喉を鳴らしたハンジが、短く荒い息を吐きながら、きっとモブリットを睨みつけた。キスのせいで潤んだ瞳が炎を反射して、モブリットを映している。星空の入り込む余地のない近さで、モブリットのジャケットを掴んでいたハンジの手が胸元に触れた。

(ああ、もう)

 心臓がドクドクと期待に高鳴っているのがわかる。ハンジの指先からも同じリズムが聞こえてくる。
 手首を離し、けれどなぞるように手のひらに触れて指を絡めれば、ハンジの指がそれに応えた。離れない。離したくない。引き込まれるように顔を寄せるモブリットに、ハンジはムッと眉を寄せたままで顔をずらした。

「……こ、告白の返事、邪魔するなよ」

 ダメだ。その言い方がなんてずるい。
 拒絶じゃないとわかってしまった。
 その顔はずるい。ダメだ。可愛すぎる。

「ください」

 返事を。
 あなたを。

 唇に触れる寸前そう言って、モブリットは再びハンジに唇を重ねた。
 焚き火を浴びて熱い背中のジャケットに、ずるずると頽れるハンジの指先が回されるまで、何度も何度も。
 満天の星空も、彼らの馬の嘶きも、互いの熱で溶けるほど混じり合った気持ちの行方が、この先も無限に広がるようにと祈りを込めて、モブリットはハンジの身体を地面にそっと縫い止めたのだった


【FIN】


大好き絵師さんのきゃらさんに送らせていただいたSS本です。
後日まさかの表紙絵までいただけてしぬかと思った第一弾!