Gotta Be You




冷たい地面に直接ついた耳が振動を捉える。
鼓膜を揺するのは空気ではなく、土を踏む靴底の音のようだった。

「リヴァイ、ちょっと外してもらえるかな」
「あ? 何言ってやがる。お前――」

兵長のあからさまに怪訝な声音に同意する。こんな時にそんな許可がおりるわけもないでしょうに。
けれども彼女はいっそ愉しそうにすら聞こえる調子で声を高めて、兵長の言葉を遮った。
口の端だけを持ち上げたとき特有の調子だ。ある意味興奮しているらしい。

「逃がしたりしないよ。まさか大丈夫。こいつは敵だ。私達を散々欺き、裏切り、嘲笑っていたクソ野郎だ。万死に値する」

その通り。真をついた評価だと思う。
もう自分の意志では身体の向きを変えることすらままならない暴行は実に的確だった。手馴れているなんてものじゃない。サネスの時とは雲泥の差で、よくぞこの短期間に上達したものだと感心するほどの手際だった。
これは目を盗んで研究したな、と内心何度も溜息を吐いてしまったほどだ。
寝てくださいとあれほど毎回言っていた俺の努力は出し抜かれていたわけだ。

「……放っておけば死ぬ。そういう風に痛めつけた。だが万が一ということがある。念には念をってやつだ。だから優しい俺達で確実に死に水を取ってやろうって話だった。わかってるはずだ」
「わかってる。ほら、どう見たってもう虫の息だろう? コイツに何も出来やしないよ」

顎でしゃくるように一瞥してから兵長に視線を戻す。肩を竦める仕草に、彼の眉間の皺が深くなったようだった。俺の位置からではよくわからないが。

「……そのクソ野郎に、何をするつもりだ」
「話だよ。聞きたいことがあったのを思い出したんだ。今。突然。内緒話だからあなたにも内緒」
「……」

こんな時にふざけた言い方もあったものだと、兵長に同情してしまう。
でもそれがハンジ・ゾエというひととなりでもある。
それを存分に理解しているだろう彼は、それでも無言で彼女の言葉を促した。
話がしたいから席を外せだけでは、到底許可できるはずもない。当然だ。転がっているのは最低のクソ野郎で、彼女の言うとおり何が出来るわけではないが、それでも完全にその息が絶えるまで、気を抜くには早い相手だと、今までの経験で彼らは十二分に理解させられているのだから。
兵長の無言に、はは、と本当におかしそうな笑い声が、また俺の鼓膜を揺らした。
大丈夫だよ、約束する、と彼女が笑う。

「手枷は外さないし緩めもしないし触りもしない。――触れたくもないけどね虫唾が走るから」
「……ハンジ」
「頼むよ。どうせもうすぐ死んじゃうんだろ?」

ざ、と目の前の床が土埃を上げて、薄く開いた視界を覆った。
見慣れた兵団支給のロングブーツの靴底が見える。

「……異変を感じたらすぐに開ける」
「ありがとう」

少し遠ざかった彼の声へ振り向きもせず、彼女は平坦な口調でそう言った。


***


「最期に、何か言い残すことは」

ギ、と木製の椅子が軋む音を上げた。
どこにあったものか考えて、そういえば入口の側にそんな椅子があった気がした。
最初に自分が拘束された椅子より随分簡素なものだったと記憶している。

「何でもいい。恨み辛みでも自身の正当性でも伝言でも――ああ別に伝えてやるって親切心なわけじゃないさ。けど言うだけはタダだ。どうせこのまま死ぬんだし、気持ち的には僅かばかり軽くなるんじゃないか?」

その椅子の背を前にして跨っているらしい彼女の言葉は優しい。が、当然と言えば当然に、声音に優しさは欠片も見当たらなかった。そんな線引きがいいと思う。兵長の去った後で、急に変わったりしない。そこがいい。
彼女は自分の役割を本当にきっちり理解しているのだ。そんなところを俺はとても尊敬していた。
ひとつゆっくりと瞬きをして、ああ、まだ瞼は動かせるんだな、と自分の肉体の限界を試す。
首は――無理だな。持ち上がらない。

「まだ話せるだろ」
「……」
「話せるはずだ。口を開けろ」
「……」
「モブリット、口を開けろ。命令だ」

無言を抵抗と取ったのか、少しだけ語気の強まった彼女にふと息を吐く。
眼球を出来るだけ彼女の方へと向けてみると足が見えた。下履きの白と、ベルトも。顔は見えない。何故なら位置が近すぎるからだ。もう少し離れた場所から聞いてくれれば、視界に全体が見れたかもしれない。
少し残念に思いながら、唇をゆっくりと動かしてみる。

「……なた、の、命令を聞く必要は、もう……ないんです、よ」
「なら何で話してる」
「あなたが――……」

話せと言ったから。
単純な答えが口をついて出そうになって、自分がとても可笑しくなった。
嗤おうにも頬に変化をつけられない状態に、肉体の終わりが近いのを感じる。それを惜しいと思うくらいに、久し振りに心の底から嗤いたい気分だった。

「笑い事じゃない」

しかも、だ。
ぴくりとすら動かせていない表情を、あなたは完璧に汲み取るんだ。これが嗤い事じゃなくて何なんだ。

「いくつか聞く。答えろ」

ざり、と爪先が地面を蹴ったらしい。
俺の内心の笑いが届いた彼女は、一層低めた声でそう言った。

「……もう、話せる事は、全て」

そもそも、王政についてはサネスが粗方告白している。
俺の知っていることといえば、そこに付随する組織の末端くらいのもので、それも捕えられてから今に至るまで話せることはもう何もない。話す気のない真実は、このまま肉体と一緒に朽ちていくだけだ。
それを理解しているから、兵長もこれ以上の拷問を俺に加える気はなかったのだと知っている。
いや、端から「拷問」という意味だけでいえば、サネスの方がよほど拷問らしいといえただろう。
俺へのそれは、拷問というより報復に近い。それもそうだ。何年一緒にいたと思う。その間ずっと素知らぬ顔で仲間を装いきっていた俺が、今更そこいらの憲兵と同じ軽さで口を割るわけがない。
その理解は、ある種の信頼というべきものだ。
皮肉な信頼を勝ち得るほどの関係を築いていたのだと思うと、また可笑しくて仕方なかった。

「モブリット」

声にも顔にも乗らない嗤いを抱えたままで言った俺に彼女は、す、と空気を変えた。
目線を上げる。やはり彼女の顔は見えない。



「君は私を好きだったろ。すごく好きだったろ」



その質問に息が止まりそうになった、というのもおかしな表現か。
あと少しで本当に息が止まる人間の、しかし正直な感想だった。

「……自分で言いますか」

答えにならない言葉で答える。
決して「はい」と言わないのは、真実が「はい」ではないからだ。過去形での質問に答えるのなら、それはノーだ。
答えろという彼女の命令に、明確ではない拒絶を示せば、しかし容赦なく俺の意を粗方汲み取った彼女は言葉を続ける。耳を塞げないのは厄介だなと今更頭の片隅で考えてしまった。

「何でそのままでいなかったんだ」

いましたよ。いますよ。
そんなこと言えるわけも、言うつもりもないだけで。

「……あなたは、結構、俺を……嫌いじゃなかった……ですよ、ね」
「好きだったよ」

代わりに放った言葉には迷いなく過去形で返してくれた彼女に、心がホッと息をした。それでいい。
今に至るまでの過去で、好意を交わした瞬間があったのを、それなりに気づかなかったわけじゃない。それは肉体的な触れ合いではなかったけれど、溢れてしまった俺の言動に彼女が許容するといった程度で。
だがこうなった以上、それらは全て過去の出来事でいい。
あなたは俺を赦さない。決して赦してはいけない。嫌って、憎んで、侮蔑すべきだ。そうすべき相手を見極めるために、こうして最期を過ごす時間を取ったのなら、あなたは正しい。

「まさか一種のハニートラップのつもりだった? 他に比べて随分お粗末すぎるけど、君のお偉方の計画の一部か?」
「……なた、に……そんなリスキーな真似、誰が、計画するんです……?」

恋愛するより殺す方が絶対に楽なあなたに、本当に誰がそんな無謀な事を立てるものか。
さすがの発想を展開してくれる彼女の斜め思考は健在らしい。笑うだけの力もないのに、どうにかして笑いたくさせられるのも拷問に近いものがある。わかってやっているのなら、本当にあなたは天才だ。

「なら君の独断先行か。惜しかったな」
「……大失敗ですよ。最初から」

フンと鼻を鳴らした彼女に正直に答える。
本当に大失敗以外のなにものでもない。
あなたに愛しさを感じてしまった瞬間から、俺の破滅は決定したも同然だった。
静かに、音もなく、降り積もってしまった感情で、こんなに身動きが出来なくなるなんて、全く思ってもいなかった。愛しさだなんて夢想の世界に身体が埋まっていることに気づくのが遅れた――いや、気づかないふりをしていた俺が、まったく愚かの一言に尽きる。
欠片でもその懸念があったなら、そもそも傍にはいなかった。慎重に寝首をかけば済んでいたのに。
息を吸うようにブレードを振るったのは、巨人のうなじを削ぐ時と、不規則で不健康なあなたが食べやすいようにと、栄養バランスを考えに考えて軽食を作った時だけなのだから救えない。

「何で助けた」

自嘲する俺に、彼女は次の問いを投げる。
いつの話か考えていると、彼女の足が俺を蹴った。
蹴るといっても壁に吹き飛ばす為でも、痛みに呻く姿を見る為でもなく、もうほとんど肉体的な痛みを感じることのない俺を仰向けにさせる為だけの行為のようだった。
いつの間にか椅子はやめて、転がる俺の側に立っていたらしいことを、上に見えた姿で知る。

「皆は君がミスをしたと思っている。でも違う。私は知ってる」
「……」

ここに転がされた時からずっと地面ばかりが視界に入っていたせいで、電球の明かりが目に痛い。
痛いと思う程度の痛覚はまだあったのか、と場違いな感想を抱いてみる。そんなことに気づくわけもないだろうに、彼女の影がふっと間に入ったおかげで、明るさが少し和らいだ。

「あの時、私を見ただろ。目が合ったはずだ。何故振り返った。どうして……あのまま馬で駆けてしまえば、ここで終わらない未来があった、かもしれない、のに」

そうしてどこかで殺し殺される関係で合間見えた未来があったかもしれないのに、と言いたい彼女の言い分はわかる。
彼女の言う「あの時」が、まさに俺が今ここに転がされている原因なのだから、その疑問ももっともだろう。

いつもすぐ傍にいたのに、彼女の処分に失敗した。
籠絡も処理も間に合わなかった。首をかき切る――たったそれだけの事が出来なかった。
兵長や仲間達がすぐに追いつくことはわかっていた。俺の実力では全員を相手にすることは出来ないこともわかっていたから、だから自分が一人逃げられる道を計画したのに。
失敗したのだ。何に――――――全てに。
それなら後は退却あるのみ。簡単な一択のはずだった。
爆発のはぜるに任せて地面に転がした彼女から大きく退く。馬に跨り腹を蹴る。嘶いた愛馬の馬首を巡らし脇目もふらず暗闇に紛れてしまう簡単な動作をするだけだった。

「……手枷、外してもらえませんか」
「は? ……ふ、ざけるな! そんな条件飲むと思うか。聞いてるのは私だ! 答えろよ!」

ふうと息を吐いた俺に、彼女がとうとう激高した。
ダメですよ、と副長の部分で諫めてしまいそうになる。正直はあなたの美徳だけども、たまに子供っぽくもなるのは、少し堪えた方が後々得です。そういうところが危なっかしくて放っとけなくて、繊細な部分を慈しんでしまった俺が、もう補佐をする事は出来ないのだから。
だん、と地面を踏みつけた足の振動が背中に響いた。

「答えろ!」
「……ぃます」
「何!?」

違います、条件とか、そんなつもりはありません。
少しだけ逆光の彼女が、それでも眦をひどく吊り上げて俺を見下ろしているのがわかる。憎しみでギラギラとしていて美しいなと、場違いな感想が胸にわいた。ああ、そんな目であなたが見つめるから、俺は答えてしまうんだろうな。答える必要のない事実まで。巨人とも王政ともまるで無関係なただの言葉を。
力なくふるえながら開いてしまう自分の唇に情けなくなる。

「……なたは、あそこで死ぬはずでした。計画では――そう、なっていた」
「それをお前が助けた。何故」
「……目の前で、惚れた女に危機が迫って、……手を、伸ばさない男なんて、いる……ん、ですか」
「ッ!!」
「――――がッ」

おそらく太股を彼女の足で踏み抜かれて、俺の口から小さくない悲鳴がこぼれた。痛さに、というよりは衝撃にだったのかもしれない。まだそんな声が出るのかと驚いたくらいだが、痛みが続くということはなかった。やはり単なる衝撃に対する反射らしい。
縛られている足首のおかげで足が大きく跳ねるという心配もない。

「……っざけるなよ……!」

怒りが過ぎて顔を真っ赤にした彼女が、獣のように咆哮して、二度目の衝撃は地面に足を打ち鳴らした。
痛みによる告白を期待できないとわかったからか、それとも実は甘い彼女の性格によるものだろうか。たぶんその両方だろうなと判断して、そんなところをきちんと補える副長を、彼女には就けるべきだと兵長か団長に進言しておけばよかったとチラリと思った。



「……ごに――……」
「何だよ!」

こんな人だと知っていたから、俺はあの時振り返ってしまったのだと、自分自身の愚かさを十分に理解している。
あの時――振り返ったら、まだ彼女は俺を見ていた。怒りと絶望と悔しさと悲しみと、それから縋るような色を全て綯い交ぜにして。
その後ろで爆発がもう一度起こることを、そしてそれにおそらく兵長達が間一髪で間に合わないことも知っていた。
何故ならそうなるように綿密に設置して起爆した主犯が自分だからだ。
あの場で彼女は俺の背中なんてものを追わずに、退却すれば良かったのだ。けれども彼女は俺を見ていた。間に合わない。彼女は死ぬ。計画通りに。もう二度とその瞳に俺を映すことはないはずだ。
――そう確信した途端、俺は馬を走らせていた。彼女の方へ。彼女の息を止めるべく背後で氷爆石の起爆する音がした。瞬間、馬上から飛び降り彼女の上に覆い被さる。抱いた腕の感触を覚えることすら出来ない衝撃で、視界も意識も暗転する直前まで、彼女は確かにこの腕にいた。

「……最期に、なるかも、しれないのなら、あなたを……、抱きしめてみたかったのかもしれません」

どうして、など、言葉にすれば何て陳腐で他愛のないことだろう。感情で動きましたなど、兵士としても戦士としても価値がない。脱落者の烙印は、おそらく彼女を想った時からじりじりと肉を灼き骨を断ち、そうしてゆっくり時間をかけて魂にまで到達した。

「それで、守りきれなかったとしても、自分が身代わりに、なったとしても……役割は、巡るから。だから……誰の目も気にせず、誰に遠慮することもなく、この手で、あなたを、つかまえてみたく、なったんだと」
「くだらない」

彼女がその目をすっと眇めた。これでもかという程、嫌悪の混じった視線が俺をじっとりと睥睨する。
そろそろ呼吸をするのも苦しい俺に、少し休めとでもいうかのようなタイミングで、彼女は同じ言葉を繰り返した。

「くだらない。くだらない! 抱きしめたかったならすれば良かったんだ。もっと早くに。つかまえたかった? つかまえろよ。簡単だったろ? モブリットになら出来たはずだ。私はもうずっと、君の前では無防備だった」
「隙だらけで、……大変でした」

本当に。
寝首をかくのがたやすすぎて、心臓を抜き取るのが簡単すぎて、俺以外の誰に先を越されてしまうんじゃないかと、毎日毎秒あなたから目を離せなくなってしまったほどに。

裏切者に、簡単に部屋の合鍵を預けて出入りの自由を与えてしまうあなたが心配だった。
疲れたと言って、どうぞと広げた腕の中で、すやすやと寝息を立ててしまうあなたを見てると不安になった。


「抱けば良かったろう。多少無理矢理にされたところで、君をどうこうしないくらいわかってたくせに」

だから余計に出来なかったのだと、俺は内心で苦笑した。それこそわかっていたくせに、と。
例えば彼女を欺き、抱いて、刹那的な欲望を満たして、あの時決して振り向かず――

「それで、選ばなかったもう一つの未来で、あなたのいないこれからを、俺に、生きれば良かったと?」
「君のいないこれからを押し付けるくせにか」
「……」

震える瞼を持ち上げた先で、彼女が細い息を吐いた。
それから顎を持ち上げ、ふん、と冷笑を浮かべた顔と眼が、真っ直ぐ俺に降り注ぐ。
感情を廃しきれない瞳がほんの僅かに皮肉気に歪んで、瞬きの奥に姿を潜めた。

「隣にいない未来を生きろと強制するお前が言うな」

小気味よい容赦のなさに、笑えない身体が本当に惜しい。
すみません、と苦笑出来たならきっと眉を寄せるんだろうな。
せっかく少しだけ落ち着いたのに、謝罪ですむかよ!と勢いで蹴られることになったかもしれない。
そうなればさすがに兵長が来るか。

「…………」

それでいい、と瞼を下ろす。
あなたの暴走を止められるのは限られている。団長に、兵長に、――ああ、勿論司令もそうだ。
同期は少ない。ハンジ班の他の面々では、全てのフォローは難しい。
だから彼がいてくれることに安心する。良かった。

ああでも――――あなたのそばにいるのは、そうか、俺じゃないのか――――クソ――――

クソ、……何でこんな言葉が浮かぶんだ。ふ、と動かない筋肉の代わりに胸中で嗤う。どうしようもないな。
今更何にしているかもわかりたくない後悔を抱ける程の人間性は、おそらく彼女によって育まれた。

「……ット」

思いながらゆっくりと閉じた瞼の裏でさえ、脳が彼女を映さなくなった。
そろそろだと理解する。

「……ット、……リット!」

最期の最後に二人きりなんて、ロマンチックな逢引きでしたね。しかもあなたからのお誘いだった。
拷問の続きでも俺はまったく構わなかったのに、本音の淵を泳がされるとはまさか思いもしませんでしたが。
俺の事はどうか憎んで。忘れることはきっと出来ないあなただろうから、最低のネズミだとでも思ってください。それならきっと容易でしょう。だって本当にそうだったから。

「モブリット!」

意識が遠退くだけの胸にどすんと重たい衝撃を受けて、一瞬意識が浮上した。

「まだだ!」
「……」

彼女の声がすぐ傍で聞こえた気がして不思議に思う。
見下ろされている距離じゃない。聞きなれた音量、近さ。夢かと力の抜けかけた俺の胸にもう一度強い衝撃がきた。
意識と無意識の判然としない痙攣で瞼を上げようと最後の力を振り絞る。
膜の張ったような視界の向こう、俺の視線のすぐそこに、彼女の顔が見えた。俺の胸ぐらを掴みあげて、血と土で汚れた剥き出しの地面に膝をついて、何してるんですあんたホントに。

「まだだ。最期の言葉を聞いてない。言え、モブリット」

触れないじゃなかったんですか。虫唾が走ると言っていたのに。
眉を寄せて、奥歯をぎりりと噛み締めて、敵愾心も顕わにされた命令に、俺は最後の力を振り絞る。唇が戦慄いて、まだ数度打つことを許された鼓動に押された息が口腔を通って消えた。
ひたりと、俺を見据える彼女だけを視界に捉えた。


これで、終わり。これが俺の本心です。



「――……あなたに、出逢わなければ、良かった」



そうすればこんな感情を知らないでいられた。
誰かを想い、思考し、絶望し、歓喜して、こんな愚行を犯さなかった。
ねえ、馬鹿ですね。出逢わなければ、あなたが苦しむことも、今より少なくいられたはずなのに。
もう眼しか動かせない。それすらも自由に出来るわけでなく、彼女を映す機能しか残ってはいなかった。
ただただ見つめる視線の先で、俺を見下ろす彼女の瞳が、残念なことに、おそらく俺と同じ色を滲ませていて、本当に馬鹿だと心底思う。


「同感だ。……まったく、同感だよ」


それが額面通りの台詞なら良かったのに。
まったく同じ感情が上から下から溢れ出して、俺たちの間に交錯する。
本当に、分隊長と副長が揃いも揃って大馬鹿ですね、笑えない。

出逢わなければ良かった。
そうすれば傷つけなかった。
傷つけたとわかってしまうほど懐深く入り込んで、――だけど、それが――……すみません、俺には微かな生きる歓びだった。

もう彼女は俺を呼ばない。
ひたすらに、黙して俺を送ってくれるつもりだ。すみません、ありがとう。

――分隊長、ハンジさん。

もう呼べない名前を俺は何度も繰り返しす。
この思考が尽きるまで。そうして、ずっと。何度も、何度も。



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はい、カーット!
て監督からコールかかって、爆笑しながら血糊をモブリットの頬に塗りたくってるハンジさんが「うわっ、ちょ、止めてくださいって!もう終わり…あ、ちょっともー!」って床に転がりながらモブリットとじゃれてるよ!小屋外待機中だった兵長に「……汚ねえな。さっさと流してこい。お前もだ、クソメガネ」って睥睨されて、「リヴァイ出番ないから拗ねたんだろ」「削ぐ」「わー!兵長ストップ―!すみません!ほら、ハンジさん行きますよ!」って周囲のスタッフさんに頭下げながら、シャワールームに連れ立っていくモブハンのお話でした!


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