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副長、労いのタイミング ここ数日、少し無理をさせ過ぎているとは思い始めていたところだった。
それでも折につけ彼には休憩を勧めていたし、それを何やかんやと理由をつけて傍で世話を焼き続けたのは須らく彼の意思で、私には全く――とは言わないけれど、非は限りなく少ないはずだ。 「いい加減にしてくださいよ」 「うるさいな」 「そんなこと言ったら、俺だってどうするかわからないじゃないですか」 「へえ? モブリットが?」 今の言い方はマズかったな、とチラリと脳裏を過ぎったけども、それを訂正するより先にモブリットに腕を掴まれて、私はムッとしてすぐ近くにある見慣れた顔を睨み上げた。 この会話の切欠なんて忘れてしまった。 ただ、二人の間に流れた不穏な空気と、珍しく困惑以外の視線を真っ直ぐに向けてくるモブリットを取り成せなかった時点で、私も相当限界が近かったのだと今ならわかる。 彼の顔が一瞬何かを堪えるように引き締まり、掴まれた腕に力が篭った。 「……そうですよ。上官侮辱罪を承知で申し上げるなら――俺だって、今この場であなたを無茶苦茶に抱くかもしれないってことを忘れています」 その台詞にほんの一瞬驚いたのは否めない。だけどすぐ、ないと脳が判断を下した。 だってそうだ。本気でそんなことを思う奴が、上官侮辱罪やら「かもしれない」なんて言葉を間に挟んで、冷静に言えるわけはない。 モブリットにしては選択を誤ったなと思う反面、そういう類の揶揄の範囲に入れられたことに、つい頭の芯がカッとした。 掴まれた腕もそのままに、目を眇めて彼を見上げる。 「あ、そう」 「そうですよ」 「じゃあすれば」 「なっ――に、言ってるかわかってますか」 「わかってますー」 私に向かって荒げかけた声を素早く抑え、意識的に低めた口調で問われたのも癪に障る。 ほら、やっぱり。 出来もしないことを口走ったに違いない彼を、内心で嗤う気持ちが顔に出たのかもしれない。 見上げた先でモブリットが奥歯を噛み締めたのがわかった。 「……いいんですか。本当にしますよ」 私を見下ろす色素の薄い瞳が微かに揺れて、掴んだ腕を引くではなしに、何故かモブリットの方から半歩確かめるように距離を詰める。強情者めと思いつつ、私も後ろに引いてはやらない。 「だからすればいいじゃん」 「本気ですよ」 「だからいいよって言って、る――」 言い終わらないうちに、掴まれていた左腕を強く引かれた。 さすがに驚いて、思わず抱きとめられた彼の胸に手を当てて、けれどもモブリットの腕はしっかりと私の腰に回されていて身動きが取れない。 「ちょ」 モブリットの右手が押さえつけるように私の髪に差し込まれ、抗議の声も封じられてしまった。 梳けるような清潔さとは無縁だろうに、頭の形を確かめるつもりかと言いたくなる執拗な指の動きに耐えかねて、辛うじて自由になる足の先をまごつかせる。 と、乱されて頬に落ちた髪を、モブリットの指が掬って耳朶に流した。 そうして隙間のない動きで首元に顔を埋められて、耳元に熱い息がかかる。 「ハンジさん――」 「……モブリ」 「寝てください。お願いですから。本当に。マジで。本気で。いい加減」 「い――ッダダダダ! ちょ、モブ、モブリット、たんまっ、息、苦しい!」 背筋を震わす呪文のような懇願を耳朶に吹き込むモブリットの強すぎる抱擁に、私はとうとう悲鳴を上げた。 完全に絞め上げられた格好で叫んでも、モブリットの拘束はまるで緩んでくれそうにない。 「当たり前です。できればこのまま寝てほしい。俺がベッドに運びます」 「永遠の眠りにつかせたいのか!」 回されたのが首だったら、簡単にポキリとやられていそうだ。 彼の物騒な発言に堪らず返せば、ふとモブリットの気配が変わった。 「そんなわけないじゃないですか……」 「……モブリット?」 今度は一転、不安げに溢された言葉が聞き取りにくくて、私はモブリットの名前を呼んだ。 腕の力を緩めはせずに、ただ、絞めるというよりも抱き寄せるような動きに変わる。 「そんなわけないじゃないですか。だから、そうなったら困るから、ちゃんと寝てくださいと言うんです。無茶しすぎなんです。するなとは言いません。言っても無駄ですし、でも、せめて、俺の見てるところでしてください。あなたの傍に――傍で……、俺は、本当に、心配して――」 耳朶に鼻梁を埋めて擦り寄るモブリットの声はやはり小さい。掠れて途切れがちな言葉が、それでもするりと私の中に入り込んでくるのを感じる。それがたまって、胸の奥にじわりと火が灯るようだ。 「……ちゃんと食事も摂ってください。考えながらでも読みながらでも何でもいいです。手が空かないなら俺が口に運びますから。口開けるくらいは出来るでしょ」 そしてさらりと結構酷い。 ごめん、と言いかけて思わず飲み込んでしまったのを、返事がないと受け取ったのか、モブリットは何かを堪えるように細い息を吐き出した。首筋に感じる吐息がくすぐったい。 「――……気づいていますか」 「何――」 独り言のような文句から、不意にそう囁かれて聞き直すと、腰に回っていたモブリットの腕が、きゅ、と脇のラインを抱いた。 さらりと上下に掌で触れられ息を詰めてしまった私に構わず、モブリットは耳元で続ける。 「少し痩せました」 「そ、んなに別に変わってな――」 「痩せました。わかりますよ。どれだけ俺が、あなたを抱いていると思ってるんですか」 「――は!?」 いきなり何言い出すんだこの人。 ここにきて、私はようやくモブリットの様子がおかしい事に気づき始めた。 小言の中身はいつもとまるで同じだけれど、全体的に言動がおかしい。 もしかしてと考える間にも、脇の同じ箇所を触れられる。 「こことか、もうちょっと、絶対にあった……!」 「あー……」 ぐっと強く置かれたモブリットの手の位置には覚えがある。 一足飛びに駆け出す私を、背後から、そして時には担ぎ上げてまで制止する彼の定位置だ。 いつも体当たりで駆け出してしまう私を、正に身体を張って止める彼が言うのだから、痩せたというのならそうなのだろう。 涙ぐましい献身的な彼に感謝と謝罪を捧げたくなる。 ――なんか、ごめん。モブリット、ごめん。 「聞いていますか」 「……うん、聞いてる。ごめん。ちゃんと寝る。食べるよ」 「本当に?」 割かし素直に言ったのに、かなり疑心に満ちた声で返されてしまって苦笑がこぼれる。 私は腕の中で身を捩った。 本当は頭を撫でて伝えたかったけれど、縮こまった身体を自由にしてくれない拘束のせいで、辛うじて指先だけを徐々に伸ばす。 「うん。心配してくれてありがとう。だから――モブリット、あなたも寝よう。多分私より疲れてる」 「はい?」 だから、いつもより熱っぽいんだよ、モブリット。 疑問を呟く彼の顎に指の先がようやく触れる。 「とりあえず、抱くと抱き締めると捕まえるの使い方を間違えるくらいは疲れてる」 マジここで無茶苦茶に抱かれんのかと思ったわ、と嘯けば、モブリットがほんの少しだけ腕を緩めた。 緩慢な動作で出来た隙間から覗き込むように私を見つめる色素の薄いきれいな目が、思い切り怪訝そうにパチリと瞬く。こんなに近くで彼を見たのは、もしかして初めてかもしれない。 「何、言ってるんです? 俺そんなこと言っ――……」 「……」 「……」 言いかけたモブリットがそのまま固まる。 やっぱりな。無意識だよね。相当疲労がたまっていたんだろう。本当にごめん。 腕の中からじっと様子を窺っていると、思い至ったらしいモブリットは、あんぐりと口を大きく開けて、それからすごい勢いで私の後頭部をがっしりと自分の肩口に抱え込んだ。 「――ぅぷっ!? 何、どうし――」 「……言いましたね。ちょ、っと、すみません。今、顔見ないでください」 見るなも何も、表情の変化に気づく間もなくこうされたんじゃ、どんな顔なのかわからない。 わかるのは、あわよくば絞め落とそうとされたさっきの抱き締め方とは違うなということくらいだ。 肩口に押し付けられた目線だけを逃がしてこっそり盗み見てみれば、ちらりと覗いたモブリットの耳が大分赤くなっていた。 (あー……) どうしようか。本当にどうしようか。この状態でモブリットが可愛いなんて。 やはり上手くかわせない私も、相当限界が近いようだ。 逡巡して、「――とりあえず」とモブリットの肩に呟いてみることにする。 「見ないから、離すのはどうだろう」 「それも無理です。すみません」 「……」 即答かよ。 言った先から更に強められた腕のせいで、密着する身体が熱い。 本当にどうしようかと瞑目していると、トクントクンと皮膚を踊る鼓動のリズムと、私の頭を――たぶんこれも無意識だろう――無造作に撫でるモブリットの掌が、だんだん心地良くなってきてしまった。 私達は今互いにとても疲れていて、正常な行動が取れていない。 少しだけ冷静になったはずなのに、モブリットが私を抱き締めるのを止める事も、私がモブリットを突き放す事も出来ないのは、だから、きっと、そのせいなのだ。 それなら今日はもう仕方がないか。 「モブリット」 「……はい?」 私はモブリットの腕の中でもぞりと動くと、彼の肩に頬をすりと寄せて、それからゆっくり力を抜いた。 「このまま寝たら、ちゃんとベッドまで運んでくれる?」 言えば息を飲んだようなモブリットは、それでも私を離したりしない。 何故か更に強まった気のする腕に抱き寄せられて、彼の唇が耳朶にそっと触れたのがわかった。 微かな吐息がくすぐったくて、背筋が小さく粟立ったのは、きっと睡魔に襲われたせいだ。 「――任せてください」 わかった。任せる。 囁きに似た返事を口中で呟いて、もう一度モブリットに擦り寄ると、私は大人しく瞼を下ろすことにした。 【END】 デキきってないモブハンでのハグ妄想でした |