鳥籠は甘く、鍵もなし



【5/23 05:30】

じんわりと重い熱さを感じて腫れぼったいような気のする目蓋を持ち上げる。部屋の中は、まだ早朝の薄蒼い空気に満たされていた。肌寒さは気温のせいではなく、何も身につけていないせいだろう。シーツの中、触れ合った部分はしっとり馴染んで温かい。

少し前の壁外調査からモブリット含む第四分隊は概ね帰還し、分隊長として、またその副長としての残務は滞りなくこなしていた。
浮き彫りになった問題点、個別に気になる事案や可能性、改善点とその提案――
それらに一応の段落を着けられたのは、一週間ほど前のことだ。
分隊全体の休暇を調整し、希望者には順次帰省の許可も与えた。自分の休暇はまあおいおい……等と考えていた私に、団長直々に一日休暇命令が発せられたのは昨日のことだった。
休むのも仕事の内。それは十分にわかっているつもりだ。だけどそこまで大袈裟にしなくても、と一応抗議はしてみたものの、エルヴィンにあっさり却下された。ここ数日、睡眠や研究に耽る私の一日の時間配分を事細かに算出し、書面で休暇申請を申し出てくれた優秀な副長のおかげだそうだ。いつもほぼ同じ時間を共有していたはずなのに、いつの間にそんなものを作っていたのか。モブリットをぎりりと睨むも、全く意に返さず、むしろ「ありがとうございます」なんて飄々と礼を言う彼に、完全に裏をかかれた気分だ。
憮然とする私の前で、団長執務室のソファを我が物顔で占領していたリヴァイが、モブリットにも命令を下した。
曰く、「おまえも休め。命令だ」
分隊長とその副長が同時に休むなんておかしいでしょう、という彼の真っ当な抗議は、けれど「代理は俺だ。文句があんのか」というほとんどチンピラまがいの物言いにより封じられた。
仕方ない。こうなったらせっかくの休日。古書店巡りでも行くとするか。
けれど今度はそんな思考を読んだかのようなタイミングで、二人の口から新たな命令が発せられたのだ。


――『明日は一日部屋から出るな』
――『今日の内に入浴を済ませ、必ず休め』
――『隊外への外出は禁止』
――『これは団長/兵士長命令だ。』


理不尽だ。理不尽すぎるだろうそんな命令。職権乱用も甚だしい!
しかも完全に私だけに向けて発せられた命令への抗議は、はいそうですかと受け入れ難い。
とはいえかなしいかな。私は縦社会に属するしがない人間だ。命令に従わないわけにはいくまい。
かくして哀れなハンジ・ゾエ分隊長は、命令の施行される日付変更間際に自室を抜け出して、モブリット・バーナーのベッドへ潜り込んだのだった。

「おはよう」

そうして迎えた軟禁の朝。
二人分の体温で馴染んだシーツの中、私は身体を反転させる。昨日、突然の襲来に目をみはりつつ、どうぞと招き入れてくれたのは、入浴後だったからだろうか。そう邪推してしまうほど抵抗なく甘やかしてくれた昨夜を思い出して、コノヤロウとほっぺたをつつく。

「……ょうございます……まだ早いですよ」

しょぼしょぼと目を瞬かせてようやく私と視線を合わせたモブリットは、それでも随分眠そうだ。普段寝起きの良い彼にしては珍しい。

「太陽は昇っているみたいだよ?」
「競う相手が違います……」

きっちり閉められたカーテンの向こうに感じる陽射しを恨めしそうに眺め、モブリットは腕を上げて目の上を覆ってしまった。やっぱりとても珍しい。休みの日でもあまり普段と変わることなくきっちりしていることの多い彼が、起床をこんなにぐずるなんて。そんなに疲れていたとは思わなかった。そんな素振りも見せなかったのに、と思い掛け、私ははたと思い当たる。
そういえば昨日は久し振りで、つい何度もしちゃったしな。昨日というか、もう今日だったし。
よしよし、と頭を撫で、ふと彼の首筋に赤い跡を見つけてツとなぞった。

「あ、キスマーク」
「……」

こんなところにつけたんだっけ。
最後にしたかも。いやどうだったかな。
記憶を辿るように他の場所を指先で確かめていると、不意にモブリットが私に覆い被さってきた。

「う、わ――ン」

チュッと音を立てて唇を奪われ、強引に言葉を奪われる。
そのまま私の上に腕を回して力が抜けてしまったかのように、モブリットが眠そうな声を出した。

「もう少し寝たら、朝食持ってきますから……」

先に起きるという選択肢は、彼の腕の下で甘く封じられている。

「眠いの君だろーもー……重いって。ねえ聞いてる? ねぼすけー。おーい」

薄い布団が、温かくも重い布団に変わってしまった。
さすがにこのまま寝たら私の夢見が良くなさそうだ。もぞもぞと頑張り、ぐにゃりとしたモブリットを押し退けて、横向きに落ち着かせることに成功する。
すぐ傍で頭をつけて寝顔を見つめる。穏やかな寝息の聞こえる距離に、私の目蓋も次第に重くなってきた。まあいいか。たまにはこんな甘い惰眠を貪っても。
どうせ今日は一日ここから出てはいけないそうだから。
自分にそう理由をつけて、私は眠りに落ちていった。



【5/23 09:28】

何だか美味しそうな匂いがする。
夢の中で匂いを感じたことはないから、きっとこれは現実だ。
しかしベッドの中まで漂ってくるってどういうことだ? と思っていたら、スプリングがギと軋む音がして、私の身体が僅かにそちらへ沈み込んだ。

「おはようございます。そろそろ起きませんか」
「う、んー……んん?」

枕を抱いて突っ伏していたらしい私の後頭部をくしゃりと撫でる手つきはモブリットのものだ。ああそうか。あのまま完全に寝入ってしまったのは私の方だったようだ。くそう。先を越されてしまった。
こんなに眠ったのは久し振りだ。思った以上に身体は睡眠を欲していたらしい。

「……起きる」
「朝食持ってきました」
「食べる」

ベッドにもそりと起き上がり、しぱしぱする目を擦って答える。と、肩にシャツが掛けられた。清潔な匂いのするそれからは、少しモブリットの香りがする。そういえば昨夜はあのまま、まだ何も着ていなかったなと思いながら袖を通す。モブリットはというと、さすがに全部着替えていた。Tシャツの上からシャツをラフに羽織った姿は、いかにも彼を休日せしめている。

「……下もはいてくださいね。はい、着替え」

いつの間に用意したんだろう。下着を含む替えの服を一式手渡されて、もしかして眠ってる間に私の部屋から持ってきてくれたんだろうかと考えた。上官の部屋から服を――下着を持ち出す。さぞかし人目を忍んで持ってきてくれたことだろう。だけど何でシャツだけは君のを羽織らせてくれたのかな。

「――へんたい」
「なっ、何でですか!」
「シャツからモブリットの匂い移っちゃいそうだなー」

からかいながら下着だけつけて、もう一度ボスンとベッドに突っ伏す。
素肌に直接当たる洗い晒しのシャツの感触は悪くない。今日はどうせこの部屋から出ないんだから、服はもうこのままでいい。

「……移してるんですよっ」
「おわっ!」

拗ねたような声と共に、唐突に髪をぐしゃぐしゃと撫で回され、私はベッドの上を逃げるように転げ回った。追いかけるモブリットの手が乱暴に私の腕を掴んで抱き起こす。

「ふはっ! 髪ぐっしゃぐしゃだよ!」
「いつもよりマシです。やっぱり洗髪してると違いますよね」
「ひどいな――んっ」

突然のキスに会話が止まる。両腕を押さえられてベッドの上で、モブリットのシャツを着たままされるキス。もしかしたら、休日の朝にこんなにゆっくり過ごすこと自体初めてかも。

「……おはようのキス?」
「朝食にしましょうのキスです」

そんなキス、聞いたことないよ!
目を丸くした私の髪を手櫛で整えてくれた彼が、それから手を引いて立ち上がらせてくれる。ベッドから朝食のパンと紅茶が乗った小さなテーブルまではほんの数歩。そのたった数歩の距離を手を繋いで私達は歩く。可愛いエスコートのような、秘密のおままごとのような。
向かい合わせで席に着き、私はモブリットと彼を呼んだ。

「はい?」
「おはようのキスがまだなんだけど」
「……必要ですか?」
「重要」

こくりと頷いた私に少し考えて身を乗り出したモブリットは、私が顔を寄せてもさすがに足りない距離に逡巡する。それからおもむろにパンを取ると、それに軽く口づけてから私に寄越した。

「?」
「届かないので、これで我慢してください」
「無精! キザ! 無精!」

突拍子もない発想のキスだな! びっくりするわ!
喚く私を聞こえないふりで、モブリットはさっさと朝食を始めたのだった。



【5/23 13:20】

昼食も済ませ午後の陽気に包まれた部屋は暖かい。ずっと読み溜めていた本を私の部屋から持ってきてくれたモブリットの背中に凭れながらページを捲っていると、ついウトウトしてしまいそうになる。
眼鏡を上げて眉間を揉み込み、うーん、と欠伸をすると、モブリットが身体をずらした。そのせいでゴロンと転がった私の頭は、誘導されて彼の膝の上に落ち着く。

「えー……固い……」
「枕にしますか?」
「いい。珍しい硬質な筋肉枕を楽しむことにするよ」

布枕に手を伸ばそうとする彼の太腿をがっしと掴んで、俯せになると、私は額をそこへ押しつけた。呆れたような溜息と一緒に、手のひらが頭の上に落ちてくる。優しく髪を梳いてくれるその動きに、ついうっかり目蓋が重くなり始めた。もぞもぞと頭の位置をずらして収まりのいい場所を見つけた私の頭を、モブリットが撫で続ける。

「……そんなにされたら眠くなるってば」
「それだけ疲れが溜まっていたんですよ。今日くらいゆっくりしてください」

甘やかす低い声音が心地良くて、悔しさに唸る。

「皆大丈夫かな」
「兵長がいらっしゃいますから平気でしょう」

ああそうだった。今日一日分隊長と副長が不在の第四分隊(特に第一班)にはリヴァイがついていてくれるんだった。うちの子達と彼の姿を思い浮かべて、それから勝手知ったる研究室を思い浮かべて――浮かんだ想像に眉が顰まる。

「……絶対掃除させてるだろ」
「……まあそうでしょうね」

目を開けて仰向けに転がると、おそらく同じところに行き着いたモブリットも眉を顰めているところだった。
そうだよ絶対そうしてるよ。困るなあ! 資料は乱雑にしていると見せかけて、私なりの法則があるのに。ニファもいるから全部捨てられるとは思わないけど、やっぱり家捜し的なそういうのは良くないだろう。良くないよ。

「どこに行く気ですか」
「うお――っ」

ガバリと起き上がった私は、後ろからモブリットに抱き竦められてしまった。

「ちょっとだけ様子を見に――」
「駄目です」

ぎゅうっと強引に抱いてくる腕を退かそうともがいて、けれども緩めてくれる気はなさそうだ。

「ちょっとだって!」

「駄目です。昨日の内に粗方片づけておきましたから、掃除をするといっても室内清掃くらいだと思いますよ」
「い、いつの間に……!」

ジタバタする私の耳元に囁くモブリットが優秀な副官だということを思い知らされる。出歩く理由にまでまさか先手を打たれていたとは。

「モブリットだって心配だろう!?」
「今はあなたの方が心配ですから」

そうあっさりと言ってきたモブリットから身を捩る。逃げを試みる身体は、けれどもしっかりと回された彼の腕で腰を掬われ、私はベッドの上に横倒しになってしまった。

「――っ!」

思わず目を閉じ、すぐに開けた私の頬にモブリットの手が伸びてくる。
わ、と思う間もなくかぶりつくようなキスが上から降ってきた。
身体はモブリットの上半身だけで覆われて、乱暴なキスに息継ぐだけで精一杯だ。待ってという言葉すら言わせくれない強引な舌に、思考が諸手を上げはじめてしまう。

「今日は出歩いたら駄目だと言われていたでしょう」
「……わかっ、ん」

熱く篭もる吐息に乗せた言葉への回答すら、すかさずすっかり飲み込まれて、やれることななんてほとんどない。モブリットの首に腕を絡める僅かな動作で、応えるように、彼の指先が私の隅々を暴き始めた。



【5/23 16:45】

いつもは私が指示した対象に向けられている真剣な瞳が、私とスケッチブックを往復する。
数歩離れた椅子に座り止まることなく動かされる手の先で、どんな私が描きあがろうとしているのだろう。
それに興味をそそられるが、私も今は自分の作業で手一杯だ。
シャッシャ、と聞こえる鉛筆の走る音にチラリと視線を上げるだけに止めて、私も自分の持つ用紙に筆を走らせていた。
ベッドと椅子と。
二人で向かい合わせに座り――と言っても私はベッドの端から下ろした片足を組み、貰った一枚の白紙を板に留めて描くというズボラなスタイルだけども――絵を描き上げる。
どっちから言い出したのかは忘れたが、絵のこととなると真剣になるモブリットをじっくり見ることはあまりない。
任務の性質上、私は率先して支持を出している事がほとんどだからだ。
だから少しでも早く描き上げて滅多に見られないその表情を拝んでやろうと、私もなかなか必死になった。

「出来た!」
「早くないですか? というかほとんど俺を見てませんでしたよね?」

下敷きにしていた板から外した紙を裏返して宣言した私に、モブリットが一瞬動きを止めて私を見た。

「心の目で描いたから大丈夫。モブリットはどう? 終わりそう?」
「もう少しです」

私の出来栄えに興味深そうに視線をくれてそう言った彼は、また作業に戻っていった。
普段私を見るどんな視線とも違う色を宿した瞳が、私を捉えるのがわかる。静かに、真剣に、けれどもどこか情熱的だ。
おそらく被献体を相手にする時ともまるで違う瞳の色。
何と言うか、実験時の彼の素描は完璧だ。私の行き過ぎがちな動きに適格な苦言をくれつつ、重要なポイントを逃すまいと形状の変化を瞬時に捉え記録してくれる。瞬間記憶とセンスが抜群なんだろう。けれども今、私を見る目に、そういうある種の必死さはなかった。変わりのように、瞳の奥に情熱が見え隠れして見える。

「出来ました」

私に遅れること約十分といったところで、モブリットはそう言って席を立った。私の隣に腰を下ろす。
描いた表面を下に向け私に渡してくれながら、私が差し出した紙を受け取ったモブリットは、楽しそうな瞳をそこに向け、

「……ちょっと。これチカチローニじゃないですか」

私の会心の作をぴたりと言い当てた。

「上手く描けてるだろう?」
「そうですけど、俺じゃないですよね」

お互い絵を描こうとは言っていたけれど、お互いの絵を描こうと言った覚えはない。
そもそも特別絵が得意でもない私が、こんな即興で彼のように描けるわけがないじゃないか。
モブリットの描いてる姿が見たかったから出来るだけ素早く描けるモデルを選んだ、なんて本音は言わずにふふんと胸を張った私に、モブリットは拗ねたように僅かに唇を尖らせた。それに気分よく笑いながら私もスケッチブックを裏返す。

「……ちょっと」

そこに描かれていたのは私だった。間違いない。
眼鏡も髪の跳ね方も、瞳も鼻も、私のものだ。よくもこの短時間でここまで描けるなと唸ってしまう出来栄えではある。
だがしかし。

「あなたこそ、何でこの私ジャケット着てるの」

完全に兵団服を纏っている私がそこにいた。場所こそベッドの上だが、しっかりとベルトまで装着して、一心不乱に何かを書き付けている様子は、さっきまでチカチローニを描いていた私をモチーフにしていることは明確だ。だけど何でわざわざ髪まで結い上げて、仕事モードにする必要があったのか。

「心の目で描いたので」

私の指摘に、モブリットはしれっとそう言った。

「何でだよ。ものすごくこっち見て描いてたじゃん!」

私と違い、私を見ながら私を描いていたくせに。
そもそも兵団服を着せるより、ずっと描きやすい格好のはずなのに。
ぶすくれる私からスケッチブックを抜き取ると、モブリットはチカチローニの絵を間に挟んで閉じてしまった。
手を伸ばしベッドの頭にある台の上に置きながらため息を吐く。

「残せるわけないでしょうがそんな格好」

そうして言われた言葉に、私はきょとんと瞬いて自分の恰好を見下ろした。
そんな格好って――うん? それってもしかして――

「あなたのシャツを着てるから? それとも下穿いてないから?」
「わかってるなら着てくださいって」

隣から半眼を向けられる。
いいのに別に。どんな姿の私を彼が残そうと、見られて困ることもないのに。
だいたい今日のスケッチブックは彼のプライベートの自由帳で、彼以外が許可もなしに見ることなんてほとんどない。
それでも万一見られた時に、からかわれるのが煩わしいというやつだろうか。

「別にいいのに。そこまで気にしないでしょうよ」

私とモブリットの関係なんて別に隠すようなものでもない。
わざとらしくピラリと裾を持ち上げて見せた私の手を抑えて、モブリットが、あんたね、と唸った。

「何でわざわざ他人の目に見せなきゃならないんですか」

――ああ、そっち。
万が一の可能性でも駄目なくらい、意外な独占欲の強さを見せつけてくれる。

「でも着ちゃったら、さっきみたいなこと出来ないよ?」

あんな、いきなり膝を持ち上げてすぐ、なんて。
暗に数時間前の性急な行為を示唆して言えば、たじろぐかと思ったモブリットは、反対に抑えた私の手の上から、更に力を込めてきた。え、と思う私の唇を掠めるように奪っていく。

「出来ますよ。時間が少しかかるだけですし、もどかしいのもそれはそれで」

至近距離で、さっきの比ではないほどの熱視線が私を射抜く。

「……今日は攻めるなあ」
「独り占め出来るなら男なんてそんなものです」
「うっわ!」

言うなりゴロンと倒されて、後ろからモブリットの腕が私を拘束しに掛かる。

「副長による軟禁事件!」
「団長と兵士長による指示です」
「陰謀!」
「シー」

大きく叫んだ私の口を、モブリットの手が塞ぎにかかる。
がっしりと足まで絡めて閉じ込められてしまいながら、私はその手に内側から歯を立てたのだった。



【5/23 19:30】

「お、珍しい。肉が入ってる」

夕飯は固いパンとジャガイモ中心のスープ。それに食後用のワインが一本。
夕飯を運んでくる途中で、モブリットがエルヴィンから貰ったものだそうだ。

「これは配給ではなく、兵士のご家族のご厚意があったそうですよ」
「へー。誰だろう。ありがたいね」

いつもはくず野菜が王様のようなスープの中に、肉汁染み出すソーセージが入っている。商会と繋がりのある調査兵団員はそう多くなく、今頃当たりをつけられた兵士は周りの仲間から神の如く崇められていることだろう。
久し振りの肉の味を噛みしめながらパンを咀嚼し、私も数人の顔を浮かべて推測してみた。モブリットも同じことを考えていたのだろう。「ランディですかね……?」と首を捻りつつ、美味そうに肉に噛じりついている。
小さなテーブルでも向かい合わせが妥当な距離とは思うけど、今夜は角を挟んですぐ隣にモブリットは座っている。
朝食時パンでキスされたことを揶揄した私に、「隣がいいなら言ってください」と嘯いた彼がそうしたのだ。ふてぶてしい物言いに隠された照れがとても可愛いと思う。
食事にありつけるだけでも今のご時世幸せなのに、こんなに豪勢で穏やかな時間を持てるだなんて奇跡のようだ。実験や研究を滞らせてくれた恨み辛みを横に置いて、その部分にはエルヴィンとリヴァイに感謝しておこう。
スプーンでジャガイモの切れ端を持ち上げたモブリットが、そういえば、と話し始めた。

「昼間話していた研究室の片付けですが、やはり半日程掃除に費やされたようです。ニファがやり切った顔をしていました」
「うっわー」
「窓枠の桟までピカピカに磨かれて見違えるようでしたよ」
「桟まで? さすがリヴァイ……まるで小姑みたいな目の付け所」

人差し指でなけなしの埃をなぞり、眉を顰める姿が浮かぶようだ。
研究室に入るなり掃除が第一業務になっただろう班員の彼らには、さすがに申し訳ない気になってくる。次の非番に街で甘い土産でも買ってこようか。

「午後は兵長直々に立体機動の訓練をしてくださったそうで、ケイジとゴーグルがアンカーの射出角度と出力の再検証を行いたいと」
「あ、それ私も考えてた。整備班とも連携したいから、検証はリヴァイにも何回か付き合ってもらいたいな」
「打診しておきました」
「いいって?」
「団長の許可が出るなら良いそうです」

壁外での生存率向上に繋がりそうな案件なら、理由もなく却下されることもない。頭の中で段取りを組みながら食事を済ませると、食器をまとめて端に片してくれたモブリットがワインを開けた。
「舎前も綺麗になってましたよ」
「え、立体機動の訓練後に舎前の掃除もさせられてたの!?」
「さすがにリヴァイ班と合同だったようですけど」
「リヴァイめえぇ」

どこまで清掃に費やすつもりだ。ただでさえ体力を使う訓練の後に猫の額ほどとはいえ花壇の整備もしていたのかもしれない。加減を知らない兵士長の潔癖症には困ったものだ。

「皆意外と楽しそうでしたから大丈夫ですよ」
「え〜……それはそれで何か寂しいじゃん……」
「焼き餅ですか」
「子離れがツラい」

テーブルに肘をついてむくれた私に微笑したモブリットが、二人分のグラスにワインを注ぐ。礼を言って受け取り軽く上げると、カチンとグラスを合わせてくれた。

「そういえばさ」

早速喉を鳴らすモブリットを横目に、私はふと疑問に思った。

「貴族の食卓ってやたら長いテーブル使ったりするじゃない? こういう時グラス合わせられないよね」

乾杯と言いながら軽くグラスを持ち上げるだけだ。それが悪いとは言わないけれど、こうして隣に座れる距離に着きたいと思うことはないのだろうか。

「もし自分が広い家を建てることになったとしても、すぐに手を伸ばせるくらいのテーブルでいいな」
「……パンでキス出来るくらい?」
「そうそう。ベストだよね」

だらしなく片肘をテーブルの上に延ばしながらふひひと笑うと、モブリットも苦笑して「そうですね」と同意した。こういう表情を間近で見て言葉を交わせるくらいの大きさで良いと思う。

「あとさ、部屋数もそんなにいらない――あ、でも書斎は必要かな。あなたはやっぱりアトリエ?」
「そんな立派な部屋はいりませんよ。庭で自由に描ければ充分です」
「それでいいの?」

てっきりいつか専用の部屋を持ちたいという希望くらいあるのかと思っていた私は、無欲な希望に驚いた。それくらいなら今と大して変わらない。唸る私にモブリットはちらりと後ろのベッドへ視線をやって、簡単そうにもう一つの希望を口にした。

「眠っているあなたを起こさないように描ければもっといいです」

――うん? つまり?

「……何も着てなくても?」
「いいですね」

妙に真面目ぶった顔をして頷きながらモブリットがグラスを空ける。
手酌で注ぐ彼に目顔で促されて私も飲み干すと、彼が次を継ぎ足してくれた。仕草は常に穏やかなくせに、言ってる希望は明け透け過ぎだろう。本当に今日は驚かされる。

「モブリットのえっち」
「そうですか?」
「……」

そうだろうよ。何をいきなり言い出すのかと思ったら。
じとりと隣を見据えていると、モブリットがテーブルの上で満たしたグラスをかちりと合わせる。
それから慣れた動作でついと腕が伸ばされ、身を乗り出した彼が頬にキスをした。

「――な」
「そうですね」

思わずガタリと椅子ごと引いてしまった私に、モブリットは堪えきれないと言うかのように肩を揺らして噴き出した。



【5/23 22:00】

「っは〜。二日も連続で入浴するとかないよね」

十分に水気は拭い終え、ほとんど乾いた髪でベッドに飛び込むと、代わりに重くなったタオルをモブリットが私の肩から抜き取った。

「あなたは入らなさ過ぎなんです」

言いながら椅子の背に掛け、部屋の明かりを消した彼が私の隣にやってきた。シーツを捲り、私にもしっかりと掛けてくれる。湯船に浸かり血流の良くなっている今の身体に正直必要ないというのが本音だけども、「湯冷めしますよ」とすっぽり包まれてしまったので仕方がないと諦める。
すぐ隣に感じるモブリットの身体も私に負けず劣らず温かく、清潔な陽だまりのような匂いがした。

「自由の身まで後二時間くらいかな」
「お疲れ様でした」
「うん――ってあれ? それ何かおかしくないか?」

トイレと入浴以外、まったく外出のない一日で、疲れなんてたかが知れてる。本を読んで話をして、満喫した休日の締め括りにはあまり相応しくない言葉だ。
首を捻る私の言葉でモブリットも少し考えて「そうでしたね」と苦笑したような気配がした。確かめようと横を向き、手探りで彼の頬に触れてみる。

「笑った?」
「……反省してるんです。さすがに少し無理をさせたなと」

何だ。自覚はあったのか。
バツが悪そうに身じろぐ彼に、今度は私が思わず笑ってしまいそうになる。

直属の上司に内緒で綿密な休日申請の上申を行い、強引な休暇を取り付けさせて、そのくせ食前食後の運動の誘いもなかなかに強引だった。
だけども別に体調不良の休暇でもない。
ものすごく久し振りに時間を共に過ごす恋人達が一つ部屋で触れ合えば、そうなる方が健全だろう。むしろ後二時間の猶予を残して、一人だけ物分かりのいい部下に戻るモブリットは、少し気が早いと思う。
次いつこんな時間が取れるなんて保証はないんだから。

「そうでもないよ。あなたは疲れた?」

それでも残り時間は僅かだから、確認するのもやぶさかじゃない。
ベッドマットに肘をついて体勢を変え、頬をひたりとなぞりながら聞いてみる。
指先を耳朶へ遊ばせると、モブリットの吐息が聞こえた。

「……問題ありません」

誰が聞いているでもないのに声を潜めての回答に、私はとうとう噴き出してしまった。
あれだけ強引にしたくせに、夜の帳で隠れた今、妙な緊張を見せるなんておかしいだろう。
それでも、まあ、疲れていなようで何よりだ。

「そっか。じゃあさ」

くすくすと笑いを溢す私にされるがままなモブリットの前髪をくしゃりとかき上げて、伸び上がって額にちゅっと唇を落とす。それからシーツをがばりと捲った。

「わ」
「じっとして」

そうして上に乗り上げて、ようやく暗がりに慣れてきた目で私はモブリットを見下ろした。

「最後は私がしてもいい?」
「……お手やわらかに」
「こちらこそ」

星にも秘密にするかのように囁く私に、モブリットがゆっくりと腕を伸ばしてきた。頬を撫でる彼の手に静かにすり寄ると指先を取る。
そこへ開始のキスをした。



【5/23 24:00】

規則正しい寝息を横に聞きながら、私はそっと上半身を持ち上げた。時計の針は丁度真夜中を指している。
上官命令は解けた。
もうどこに出歩いても文句を言われる筋合いはないし、食事は食堂でとることも出来る。
寝る部屋も自由だ。
だから。

(……よく寝てるなあ)

寝ているモブリットの髪の毛に触れる。
生え際は、少し前まで薄っすらと汗ばみ張り付いていたことが嘘のようにさらりと指先から零れ落ちた。
私の身体を伝った汗もすっかり引いて、むしろ夜気の肌寒さを感じ始める時間になった。

「付き合ってくれてありがとう」

小さく告げて、前髪を掻き上げた額に感謝のキスをする。
彼のおかげで、久し振りの休息を取れた。多少強引にでもそうしなければ、突っ走ってしまう私を誰よりもわかっている彼だからこそ出来たこととタイミングだった。いつもギリギリの瀬戸際で、私を踏み止まらせてくれる人。
お陰で今日からまた元気にしばらく頑張れそうだ。

(とか言ったら、適度に休めとか言われそうだけど)

むにゃ、と口元を動かしたように見えたモブリットの唇を指先でそっとつついてみる。
それでも起きる気配のない彼の横に、私はもそもそと身体を収めた。
行動に制限がなくなった今、今夜の居場所は私自身がここだと決めた。
少し冷えた身体を彼の体温に馴染ませようと寄せてみる。と、モブリットの腕が私を抱き寄せた。

「あれ、起こしちゃった?」
「……ぐぅ」
「最初から起きてたな?」

わざとらしい寝息を立てた彼に笑って、私もモブリットの背中に腕を回す。

「また明日からよろしくね、モブリット」

胸一杯に彼の匂いを吸い込んで、私はゆっくり瞼を下ろした。そうすればカーテンの隙間から溢れていた月光は消え、モブリットの気配だけになる。
起きていないらしいモブリットが、さっきの私と同じように額に落とした唇の動きで、こちらこそ、と答えてくれた。




2015/05/23『モブハンでキスの日』記念SS

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