何が――起こったのか。




裏切り者のうらぎり




自分に向けられて放たれたはずの銀の切っ先が、黒い影に遮られたと思ったのは一瞬だった。
「ク、ワン…?」
黒い影は、こんな絶体絶命のチャンスを逃す理由なんて欠片もないクワン・キリその人で、シャクヤはいったい何をどう取ればいいのかわからず、ただ茫然と彼の名前を呼ぶ。
ハァ、とクワンの深く息を吐く音がやけに近くに感じた。

どうして――――。

「どう、しました、シャクヤ様」
「あ…」
その声が呪縛を解いたかのように、周りがまた動き始める。
「シャクヤ!」
はっとしたハクライの刄が鋭敏な動きでアマランスの頸動脈にあてられた。咄嗟に反応したアマランスが懐から小刀を取り出したが、キン、と響く音と同時に空に浮いた。それを受けて、すかさずルシンが動きを封じる。敵の頭は捕らえられた。
ただ一人、まごうことなき人質としてのシャクヤを文字通り盾にするはずのクワンは、しかしその身をシャクヤの前に差し出すように膝をついた。

「――クワン、何故!?」
アマランスが咽喉のかぎりと疑問を叫ぶ。
そう、何故だ。シャクヤは同じ疑問を心の中で反芻した。
クワンは裏切り者ではなかったのか。数多を裏切り、謀り、踏み躙ったとさっき認めた。見る目がないのが悪いと笑った穏やかな顔が、目蓋に熱い涙を宿したのは勘違いなどではない。なのに何故――
「……シャクヤ様、ご無事で?」
「平、気」
「良かった」

何故私の心配をして、身を呈してアマランスの刄から守ったりしているのクワン――――。

以前、自分を庇って刄に倒れた時と同じ、いや、いまだその腹から見える鈍い銀の切っ先が、あの時よりずっと近くにあった。
ずり、と滑るように肩を落としたクワンを思わず受け止めようとして、両肩を掴まれ阻まれた。
「危、ないですよ。……私には刄が……っ」
「な……なんで、クワン」
なんで。どうして。
「どうして私を庇ったりなんか……!」

「ひどい人ですね、あなたは。私は……、っ、あなた、の……婚約者、でしょう?」
守りますよ、と蒼白な顔を笑みの形に歪めてクワンが言った。
「クワンッ!」
叫んだのは、アマランスだった。
自分で貫いた男の背中を怒鳴りつける。それは、怒気に似た悲痛な声にも聞こえた。
彼女にしても疑問はまるで消えていない。
しかしクワンはそれを微かに視線で追っただけで、振り向くことはしなかった。
すぐにシャクヤに戻すと、小さくつぶやく。
「――意外です。私に本命がいた、なんて」
苦笑だった。

「クワ、ン」
大きな手が、シャクヤの頬に触れる。
「もう、ここで私の役目は終わりになるのでしょう…ね、それなら――……」
途切れる声が怖い。
一旦目を伏せて、苦しげに息を吐き出したクワンは、それでも不敵に口の端を吊り上げ。
「最期は、あなた、の為がいい」
「クワンの最期なんて欲しくない……っ!」
思わず怒鳴り返したシャクヤに、目を瞬いて、クワンは笑った。おかしい、というより困ったような、なのにそこに少し嬉しさを滲ませたような表情だ。それはシャクヤの初めて見るクワンだった。
こんな状況でさえなければときめけたはずだ。しかし今のシャクヤは焦りと苛立ちを隠し切れずに、苦笑するクワンを涙のたまった瞳で睨み付けている。
そんな台詞は聞きたくない。だから耳を塞ぎたくて、けれども大切な言葉を聞き漏らしてしまうのが嫌で、シャクヤの瞳から涙が溢れる。

泣いちゃダメ。
泣いちゃダメだ。こんな時に泣いたりしたら、それは何かを認めているみたいで――だからダメ。
ふいにクワンの大きな手が、シャクヤの頬を引き寄せた。
わずかに震えて感じるのは、自分のせいかそれとも――。

「わがままな人ですね……男が、命を捧げると言っているのに、それでは不満ですか…っ」
自分の胸から出た鈍い光を放つ凶器の辺りを無意識にか探りながら言うクワンに、シャクヤは泣き出したくなった。
やめて。そんなの悪すぎる冗談。今は聞きたくない。
「シャクヤ様」
「な――なに……」
クワンの血に濡れた両手が、シャクヤの頬に触れた。触れた、というより、痛いくらいにわしづかみにされた感じで、シャクヤの上体が思わず傾く。それで触れた唇は、今までになく冷たくて、だけどまだ。確かにあたたかい。
「――最後の口付けも、あなたのものですよ」

そんなもの――。

「クワン――!!」
いらないって言ってるじゃない。
ぐらりと揺れて崩れたのは、どちらなのか。
視界の隅には父やルシン。
目の前にはクワン。血だまり。
確かに出した叫び声は、クワンに呼ばれた自分の名前と混じって、弾けて、感覚の麻痺した体で、シャクヤはクワンの名前をただ叫び続けた。




続編出る前にY良さんとめっちゃきゃっきゃしながら考えてたのを形にしてみた今更SS。

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