ONLY ME 〜second sentence〜
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執務室の扉を開ければ、昼に脱走を図りモノの10分足らずで捕獲された上官が
机の上に置かれた書類の横でぐったりとうつ伏せているのが目に入った。


「どうかされましたか大佐」
「少し、頭が痛いのだがね……」
「使いすぎるほど本日の業務は進んでいませんが」
わざとらしくこめかみを抑えてのロイの台詞はリザに寸断された。


「一応私は上官なんだが…・・」
仮眠室で惰眠を貪ろうと計画しての演技は、目の前の副官には通じなかったらしい。
これがフュリー曹長辺りなら簡単にその扉を開けただろうに、と思うと切なくなる。
ロイが自分で『一応』と言ってしまったことにリザは軽く眩暈を覚えるが、当の本人は全く気付いていないらしい。
何食わぬ顔で話を続ける。


「私の具合が本当に悪ければ、もう少し労わってくれたのかな」
「本当に調子の悪い時の大佐は、怖いぐらい勤勉ですからすぐに分かります」
「……暗に今を責めるのはやめたまえ」


しっかりと瞳を見据え話すリザを見ていると、昨夜の出来事が自分の夢だったのではないかと疑いたくなる。
否、昨夜に限らず、今までの関係は全て自分の妄想で、実際は単なる上司部下の間柄ではないかとすら思う。
それを払拭できるのは、黒いハイネックのアンダーに隠された自分の証だけだというのが悲しい。


「中尉」
「はい」


柔らかさの欠片もない凛とした声音を頭上で聞いて、ロイは書類にペンを走らせる。


「君、昼と夜では性格違わないか?」
「……人をジキルとハイドみたいに言わないで下さい」


声に苦笑が含まれた。
ちらりと視線をやれば、かち合う瞳。
宵闇時の艶っぽさはないが、鳶色の瞳が少しだけ柔らかく目尻を下げている。


「……ああ、そうだ」


褥を共にするようになって、ときたまリザは就業中でも柔らかな表情をするようになったとロイは思う。
おそらく無意識なのだろうけど。
それでもそれが見えると、ついリザが自分に心を許しているのではないかという
勘違い甚だしい錯覚に陥ってしまうのは男の性だ。仕方ない。
決して自分から腕を絡ませる事をしない彼女が、もしかしたら自分を想ってくれているのかもしれないという
優越感を抱いてしまう。


あまり視線を合わせていると、なんだか一人だけその気になりそうで、ロイはわざとらしく咳払いをすると
一瞬止まっていた手を再び動かしながら言った。


「昨日ピアスを忘れていっただろう。持って来ようと思って私も忘れた」
「……気が付きませんでした」


自分の耳に手をやって、リザは初めてそのことに気づいた。
今日は明け方近くにロイの家を出たから、身支度の時間があまり取れなかった。
終わった書類をリザに向けて差し出すと、


「今日終わったら取りに来るといい。勝手に入ってていいから」


不備がないか確認のため受け取った書類に目を落とすリザに言った。
言われて一度扉が閉まっているのを確認してから、リザは小さく頷いた。
本来なら執務室で交わされるべきではない会話に眉を顰めるが、
どうせ言ったところでロイがやめるとは思えない。


それにいまさらといえばいまさらな気もする。
書類を机の上で揃い直して一度敬礼をすると、リザは踵を返した。
その後ろにロイが立つ。


「大佐?」
「顔色が悪い」
訝しんで振り向いたリザの頬をおもむろに挟んで上向かせる。


「君の方こそ体調が悪いんじゃないのか?」
「平気です」
「本当に?」


少し驚いて引き気味にした顔を、しかしロイは眉間に皺を寄せて覗き込む。
こんなところを誰かに見られでもしたら、先程の会話よりもマズイではないか。
何を考えているのだこの男。


「本当です。本当ですから手を離してください。近づきすぎです。セクハラです」
「心外だ。部下の心配をしたらセクハラかね」
「ハボック少尉やブレダ少尉にもしますか」
「何が悲しくてむさ苦しい男の顔を覗き込まねばならん」
「………………」


そういうのをセクハラというんです。
胸中で大きく溜息をついた。






―――――
−−−−−−
―――――――






「よーっ!ロイ!シケタ面拝みに……ってあら?お取り込み中だったか?」


突然後ろからかかった声に、反射的に書類ごとロイの身体を押しやって振り向けば、見知った顔の男が一人。


「いやでも仕事中はマズイんじゃねえか」
「違います、ヒューズ中佐」
「取り込み中だ。邪魔だ。失せろ」


冷静に取り繕ったリザの努力を無に帰すロイの物言いに、流石に軽く眉根を寄せる。
が、無理に引き離されたロイは顔に「不本意」と貼り付けたような渋面で、ヒューズに視線を投げていた。
それに臆する事のないヒューズは「まあまあ」と軽く手を振ってロイに近づく。


「何しに来たヒューズ。第一上官の部屋だぞ。ノックくらいせんか、馬鹿者」
「そんな怒るなよ。イイ男が台無しだぜ〜、ロイ」
東方へ来たついでにエリシアの愛らしい写真を拝ませてやろうと思ってな。


そういってロイの肩を組み、胸ポケットから愛娘の写真を出すと、ロイの目前へと突き出す。


「つけ過ぎだ!見えるものも見えん!」


怒鳴るロイの口調は嫌々だが、果たして彼は今の自分の表情を知っているのだろうか。
何のかんのといいながら、ロイが一番心を許し信頼を置いている本当の意味でのパートナーである彼。
女の自分とは違い、性別で枷になる事を怖れずに、余計な感情を一切抜きに本音でぶつかり合える存在。
その立ち位置にリザは自分が決してなれないことを知っている。


ロイに抱かれてしまう自分を止められず、ベッドに自分をしがみ付かせる事でしか抵抗を示せない女の自分では。
望む先を知り、その為にこの身体を骨の髄まで彼に捧げることを誓ったというのに、
心のどこかでいつも高みに到達するあの瞬間に燻り続ける、
自分を欲しているのだという想いにとらわれてしまうことを、リザはいつも怖れていた。


ただの女になり下がってはロイを守りきれない。
だけど熱い視線に囁く低音に体の奥までどっぷり浸かって甘えてしまいそうになる自分が心底卑しい。
余韻に浸る疼きを抑え、ロイに背を向けることで何とか均衡を保っているリザには、
どんなに望んでもなり得ない位置にヒューズはいる。




それがたまらなく羨ましい。




「お茶をお持ちいたします」


気の置けない友人に見せる砕けた空気を身に纏っているロイに複雑な胸中を抱えたまま、敬礼をした。
書類を抱えた腕に無意識のうちに力を篭めて、リザは今度こそ執務室の扉を後にした。






―――――
−−−−−−
―――――――






「相変わらずイイ女だな、リザちゃん」
「……やらんぞ」
「俺には愛しいグレイシアがいるからいらんけどよ」


リザのいなくなった執務室。
部屋の中心に置かれた応接用のソファに勝手に陣取ってヒューズは笑った。


「その言い方。リザちゃんは俺のモノですってか」
「さあな」
「オイオイ、情けねぇぞ、マスタング大佐ともあろう者が。付き合ってんだろが、リザちゃんと」
「中尉が?俺と?」


揶揄するようにいわれたヒューズの言葉に、思わず自嘲がロイの口をついて出た。
付き合っている、リザ・ホークアイと。
言葉には出さずとも、東方司令部で、特にロイの側近たちにとって、二人の仲は暗黙の了解といえる。
深い絆で繋がった、最も信頼のおける優秀な部下。仕事の上でもプライベートでも。


そしてロイは抱いている。合意の上で、求めている。
だが果たしてリザの気持ちは――?
行為の最中、一度も自分を求めてこないリザの真意をロイは測りかねていた。
拒絶もせずに従順に抱かれるそれは純粋な愛情からか、それとも崇高な忠誠心か。




「――ロ、」


コンコンコン




規則正しいノック音に、ヒューズは言いかけた言葉を飲み込む。
ロイの許可を待って開かれたそこには、トレーを持ったリザの姿が。


「失礼します。お茶をお持ちいたしました」
「おう、悪いな。ありがとさん」


テーブルに置かれたコーヒーが静かに揺れる。
ロイの前にも置き、退出しようとするリザをヒューズが呼び止めた。
立ち止まり向き直るリザに近づくと、不意に片手をリザの頬に置く。


「――ヒューズ!」

「顔色悪いな。どうした?」


後ろで椅子を蹴り上げるような勢いで怒鳴りつけるロイから視線を戻して、リザは内心で苦笑した。
親友とは、こんなところまで似てしまうのか、と。


「平気です・・・・少し寝不足のせいかもしれません」


付け足されたリザの言葉に、そうか?と言いつつも顔を少し上向かせたあと、
ヒューズはその頭をぽんぽんと撫でた。
突然の子ども扱いに一瞬呆けて、今度こそリザの表情に苦笑が乗る。
気恥ずかしさにもう一度「平気です」とだけ言って、リザは執務室を後にした。



敵わない、と思う。



ロイを、そしてリザでさえも、その全てを包み込んでくれるヒューズの絶対的な大きさには。
ロイの強力な支えの素晴らしさに安堵し、同時に口惜しさが胸に淀む。
これが世にいう嫉妬というものなら、何て厄介な代物なのだろう。
先程撫でられた頭に手をやって、リザは小さく息を吐いた。













リザの足音が遠ざかるのを聞きながら、ヒューズがコーヒーカップに手を伸ばす。
ロイは未だ渋面のまま、しかしどこか拗ねたような仕草でどっかと椅子に腰をおろした。


「……お前のせいだろ」
「何がだ」
「リザちゃんの寝不足」


さらっといわれたその言葉に、まだ熱いコーヒーで喉の奥を火傷した。
むせ返るロイの様子ににやりと笑って更に続ける。


「あんま無理させんなよ。仕事でもプライベートでも」
「うるさい!」


ムキになるロイに「ごちそーさん」とカップを傾げ、飲みかけのコーヒーを一気に呷った。


「じゃ、仕事頑張れや。俺はお偉いさんに挨拶回りしてくっからよ」
「あー行け行け。そのまま帰れ」


娘の写真を大事そうに胸ポケットにしまうヒューズにぞんざいな態度でシッシと手を振るが、
もちろんそんなことを気にも止めずに、扉の前で伸びをする。


「おっ、ちなみに今日の宿はお前んちな。お家の前で待ってるわ、マスタング大佐v」
「――な!んでそうなる!経費出るだろう!」
「喜べ、経費削減だ」


笑ってドアノブに手をかけるヒューズは、ロイの怒鳴り声など我関せず、といった表情だ。
なおも言い募ろうとするロイを片手で制して、ヒューズは自分の首筋を示した。


「……?何だ?」


訝しげに睨みつけるロイに、片目を瞑ってにやりと笑い、


「俺にはつけんなよ。キスマーク」
リザちゃんのココさっき見えちゃった、と言ってするりと扉の外に体を反転させた。


「気色の悪いことを言うな!!」


分厚い扉を通りこしてビリビリとロイの怒声が伝わり、ヒューズは腹を抱えて笑いをどうにか堪えると、
涙の滲んだ目尻を拭い歩を進める。


「女のことでアイツがムキになるとはねぇ」
可愛くなったもんだ、と思うとまた顔がにやけてきた。




ONLY Me   >>> 2






押しかけ女房…もとい、親友ヒューズ中佐登場。
次も彼は出張ります。頑張ります。たぶん。



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