まだ恋じゃない(01)




 ワルキューレメンバーへの全体訓練も滞りなく終え、カナメは満を持してラグナ名物クラゲの高級ソフト燻製を手に取った。午前中に行われたプロモーションビデオ撮影の時に、スポンサーが厚意でくれたものだ。個人ファイルに今後のスケジュール用紙を挟み、クラゲの袋と一緒に抱える。
 今夜こそ、と決意を新たに踵を返し、開錠のタッチパネルに指先をかざすと、シュン、と空気を切る音と共にドアが開いた。

「じゃあみんな、今日は19時までにきちんと退出すること。忘れないでね」
「ほいなー!」
「了解」

 元気なフレイアと朴訥なレイナの返事に続き、マキナがふんわりとした笑顔をカナメに向けた。

「カナカナ、張り切ってるね〜」
「――そんなこと」

 邪気なく微笑まれて、カナメは手にしたクラゲをファイルごと胸元でぎゅうっと抱き締めた。誤解だ。別にカナメは張り切っているわけではない。けれどそう思われるような雰囲気を出してしまっていたというならあまり良くないように思った。そんなに意気込んでいると思われては、この作戦はまた失敗してしまうだろうからだ。
 ミーティングに手を抜いたつもりはさらさらないが、終わった途端いそいそとクラゲを抱えて退出しようとしたのがいけなかったのかもしれない。
 そもそもこのクラゲのソフト燻製だって、ラグナのスポンサーがワルキューレにとくれたもので、それを皆の厚意でカナメが独占させてもらったものだった。少しずつ小分けにしようかとも考えたのだが、これからのことを考えると、食べ掛けと取られかねないクラゲを餌にするのはどうだろうと思ってしまった。それを察したのかどうかはわからないが、「カナメさん、お酒のお供にいいんじゃないかね?」とフレイアが背中を押してくれ、「カナカナ燻製好きだもんね〜持ってけ持ってけ〜」「私は生がいい」とマキナとレイナも譲ってくれた。美雲は端から興味がなさそうに率先して話題には入らず、視線で窺ったカナメに微少で頷いてくれたのだ。

(でも)

 もしかして皆と少し食べて、ものすごく美味しかったから是非とも一緒にと誘った方が勝率は高まるのかもしれない。クラゲの入った袋を左右に開こうと動いたカナメの手に、いつの間にかすぐ側まできていたらしい美雲がすっと手を重ねた。

「美雲?」
「これはあなたの切り札でしょう?」
「え――」

 小さく首を振ってカナメの動きを止めさせた美雲は、人差し指を唇に当てて、ふ、と妖艶な微笑を見せる。
 欲しいとは思った。でも、何のためにとはカナメは誰にも言っていない。
 現にフレイアはカナメ自身が楽しむためだと思ってくれていたというのに。

「釣れるといいわね、今夜こそ」
「ち、違っ」
「早く行かないとバッタリ会えなくなっちゃうわよ」
「え? ま、美雲――」

 反論のチャンスもくれない美雲に背中を押される。慌てて振り返れば、薄く笑みを浮かべた美雲の顔が、シュン、と小気味良い音を立てて閉まったドアで見えなくなってしまった。
 ――ああ、なんだか彼女にはきっと見透かされている気がする。
 カナメがどうしてクラゲを欲しがったのか。これを持って、今から誰を誘おうと思っているのかを。もしかしたらマキナにも薄々勘づかれているのかもしれない。
 そう思ってしまうと、別に疚しいことをしているわけではないのに、何だか妙に気恥ずかしくなってきてしまった。
 今夜はやめようか。でも今日を逃したらまたいつチャンスが巡ってくるかわからない。それに前回のチャレンジから、かれこれ一週間のインターバルがある。しつこい女だと思われる期間でもないはずだ。
 それにこのクラゲのソフト燻製は本当に稀少だし美味しいのだ。だから――

「――よしっ」

 誰にともなくそう言って、カナメは彼がいるであろうブリーフィングルームへと続く廊下へ足を向けた。

***

「カナカナ、ちょっと赤くなってたね。か〜わいい〜」

 カナメの去った室内で、マキナがレイナの肩に後ろから腕を回してもたれながら、楽しそうな笑顔を見せる。こくりと頷くレイナの横で、フレイアは大きな目を瞬き、心配そうに首を傾げた。

「カナメさん風邪でも引いとったの? 大丈夫かね……」

 さすがチームリーダーだ。全くそんな素振りは見せなかったと感心しきりなフレイアの様子に、レイナが否定を呟く。

「違う。アラド隊長のところに行くから」
「へ? ……え、それって、ええぇっ!?」

 頭のルンがぴこっと跳ねたと思ったら、一瞬で赤すぎるピンクに染まってしまった。カナメの姿を追うように何度もドアとレイナを交互に見つめパクパクと口を開閉しているフレイアは、とてもいい反応だ。

「ねー、クモクモ」

 そんな彼女の様子を満足げに見ていたマキナが、美雲にそう呼び掛けた。三人のやり取りを黙って見つめていた美雲は、ふと唇の端に浮かべていた微笑をそのままに、カナメを自ら押し出したドアに視線を流した。
 マキナの言葉を否定しない代わりに同意もしない。

「……クラゲとアラドで釣れるといいのだけど、ね」

 けれど、代わりのようにそう呟かれた美雲の言葉に、三人は不思議そうにそれぞれ目を合わせて首を傾げたのだった。



                                    【 ⇒ 】

いつも誘いに乗ってくれないメッサーに嫌われているんじゃないかと考えているカナメさんと、
そんなカナメさんにクラゲをエサに相談に乗るアラドと、
酔っ払ったカナメさんを見てたら輝いて見えてどうしようと思っているメッサーの片想い未満の話です。