Just Miss You.(1)




1.


――ringring

 緊急スクランブルの呼び出し音とは違う軽快な音が、胸ポケットから聞こえてくる。浜辺を走る足を緩めて、メッサーは携帯端末を取り出した。もしやと思った人物の名前が表示されていることに気づいて、返信のタップをさせつつ頬が緩む。

『メッサー君、あけましておめでとう!』
『おめでとうございます』
『あ、返信早い。起きてた?』

 暗に、いつも返しが遅いと思われていたのだとわかる返しは素だろう。その証拠に「早い」の末尾に笑顔を模した顔文字が作られているのが厭味ではなく、まるで彼女そのものだ。
 申し訳なさと共に苦笑が溢れる。
 パイロットという職業柄に加え個人的な性格から、個人端末を四六時中持ち歩く習慣がメッサーにはない。今までは――少なくとも任務に関してなら、今でも業務用端末があれば事足りることがほとんどだし、可急的案件なら艦内放送の方が早い。
 それ以外の急を要しない個人的な伝言なら、日に何度かまとめて見ればいいと思っているのは、今も基本的に変わっていない。

『はい。海岸沿いを走っていました』
『え? 今? どうして? ランニング?』

 そのメッサーが、すぐに意思疎通の測れる通話ではなく、会話のような単文のやり取りをわざわざスタンプまで交えて使うようになったのは、完全にカナメの影響だった。とはいえ、彼女以外とこういうやり取りをするつもりは今のところないので、目下カナメ専用ツールになっている。
 そもそも個人デバイスに単体でこういったやり取りが出来るアプリをインストールしたのだって、カナメに勧められたからだ。そんなことでもなければ、一生使わない機能だった自信がある。
 メッサーは元来不必要なおしゃべりが好きな性質でも、特に用のない案件でダラダラ過ごすことも得意ではない。電話で話せば一瞬で終わることを画面上で続けることに、何の利点も感じてはいなかった。だから、パイロットうちでそんなツールがあると話題になっていた時も、仲間からアプリのインストールを勧められた時も、適当に流してきたのだ。

 面と向かって話す言葉でも相手に伝わらないことは多々あるのに、文字では更に誤解が生じやすいと思ってもいる――はずなのだが、カナメから送られてくる文字は、まるで音声化でもされているように馴染んで、無視をする気にはなれないのだから仕方がないのだ。
 これを『惚れた弱味』とでも言うのだろう。

 ――ringring
『新年早々トレーニング?』

 また軽快な音が流れる。
 カナメがあまりやる気のなかったメッサーの為に設定してくれたこの音は、アプリ内に元々入っていたものから選んでくれたらしいが、場違いな音楽でもなければ、必要以上に急かされる気になるミキサー音でもないのがありがたかった。
 が、既にこの音が鳴れば反射で画面に視線をやってしまう癖がついている自分は、今更どんな着信音でも変わらない気がする。
 クエスチョンマークが頭の回りに浮かんでは消えるウミネコのスタンプが表示された画面を見ながら、メッサーは画面上に指を乗せた。

『それも兼ねて』
『かねて? 買い出し?』
『カナメさんはカウントダウンパーティだったのでは?』

 カナメの返信には答えず、メッサーは自分の疑問を打ち込んだ。
 「か」と打てば「カナメさん」と第一候補にあがるようになっている辞書ツールのおかげで、カウントダウンを二度打ち直すはめになった。が、メッサーの返信の粗さは今に始まったことでもない。カナメは既読の文字をつけたまま待ってくれているようだった。
 今夜のランニングはもののついでだ。
 けれど、本来の目的はカウントダウンパーティの行われているらしい海岸沿い近くに立つホテルの明かりを、遠目に、一目だけでも見たかったからだ、などと口走るつもりは毛頭ない。

『終わっていないですよね?』
『もうちょっとやるみたい。明日はオフだし、みんな盛り上がってたから』
『メンバーと一緒ですか? 隊長とか』
『抜け出して私も海岸沿いを散歩中☆ デス☆』
『は?』

 思わずその言葉だけでエンターキーをタップしてしまった。
 短い言葉は寂しいからスタンプも使ってくれると嬉しいな、と以前カナメに言われたことが思い出されて、素早く適当に呼び出したスタンプを押す。猫だか犬だかわからないくらいデフォルメされた生き物が机を勢いよく叩いて憤っているような絵柄になったが、今の気分はそう間違ってもいない。
 すぐに着信音がなったと思ったら、メッサーのスタンプのすぐ後に、言葉ではなく、ぺろりと舌を出して頭を撫でるウミネコのスタンプが表示された。わかっていない。
 メッサーは更に剣呑な気持ちになった。

『一人でですか? 今?』
『お酒に当てられちゃって』
『一人で? こんな時間に? 今すぐ戻って』

 語尾を最後まで打つのももどかしい。
 カナメが今夜いたはずのホテルの場所を頭の中に思い浮かべて、メッサーは思わず舌打ちをした。カナメの前では滅多に出ることのないあからさまな苛立ちの態度だけれど仕方ない。
 今夜は――というより昨夜遅くから―ワルキューレメンバーは全員がスポンサー主催のカウントダウンパーティに出席していたはずだ。
 護衛にはアラドとチャックが駆り出され、去年末にスクランブル待機を割り当てられていたメッサーは、幸か不幸か今年は非番を賜っていた。構いませんが、と一応申し出てはみたものの、勤務体制に偏りが生じるのは長い目でみれば良いことではない。察しているだろうアラドから揶揄を含んだ苦笑でそう説明された辺りで身を引きながら、内心で自分の意外な欲に閉口したくなったのは十二月の初旬だった。
 納得したはずなのに、カナメにそう説明したら「……じゃあ今年は一緒に年越し出来ないのね」などと眉の下がりきった表情でそう言われ、せめてこれがカウントダウンライブであったならデルタ2として傍に控えられただろうに、などと頭を掠めたことは言っていない。

 良いお年をと帰り際にありきたりな年末の挨拶をして別れたのは、約一日前のことだ。
 どうせ年明け二日には職場で顔を合わせる。互いの仕事始めだ。
 大晦日から元旦すぐまで仕事の付き合いに忙殺されるだろうカナメには、パーティの後くらいゆっくり休んでもらいたいと思っている。
 だから、メッサーは何も約束をかわしていなかったというのに。

 ――ringring
『大丈夫。美雲には言ってきたから』

 何が大丈夫なものか。しかも伝言役は美雲・ギンヌメール。
 せめてマキナに言ってくれれば、なんだかんだで護衛の二人にそれとなく伝えてくれそうなものを、彼女では本気で誰にも言っていなさそうだ。わかったわ、などとクールに請け負った女の顔が浮かんで、メッサーは苦虫を噛み潰したような気分人なった。
 女同士の絆といえば聞こえはいいが、カナメに対する美雲のイメージでいえば、無駄に少女じみた同盟のようで気が気じゃない。

『カナメさん』
『お酒はウソです。本当はね―』

 アラドとチャックの護衛なら安心だと、高を括っていた面もある。
 まさか彼女がその目を掻い潜ってしまう可能性を考えていなかった。そうだった。彼女はその外見に似合わず意外と行動力がある人なのだ。子供の頃はさぞお転婆娘で名を馳せていたに違いない。
 護衛の任についている二人は、今頃リーダーの出奔に気づいてい慌てているのではないだろうか。それともアラドなら、こんな事態も折り込み済みか。いや、それなら気づいた時点でメッサーに何らかの連絡がありそうなものだが何もない。
 呑気な着信音は、先程からカナメのメッセージしか伝えてはいなかった。念の為、業務端末も取り出してみたが、画面はなしのつぶて。つまり彼女の不在はまだ上手く隠されているようだ。どうなっているんだ。仕事をしろ。美雲に絡まれでもしているのかアラド隊長。チャックは―マキナとレイナが酔っ払っていれば、確かに大変だろうが、いや、だがしかし。

 問題は今だ。メッサーは業務端末を乱暴にジャケットに突っ込み直して息を吐いた。
 カナメをどうやってホテルに戻せばいい。
 ここはメッサーからアラドに連絡を入れた方が早いか。どうなんだ。そもそもカナメの真意がわからない。海岸沿いと彼女は言った。どこの海岸沿いだ。ラグナは周辺がほぼ海岸沿いだし、ホテルの目の前にも海は一望出来る場所がある。


 ――ringring


 必死で巡らせていた思考に、軽快な着信音が届く。
 メッサーはに苛立たしげに視線を落とし、

『メッサー君に会いたいなって思ったら、いてもたってもいられなくなって』

 頭を抱えたくなった。

 ――ringring
『少しだけでも会えそうかな? 今どのあたり? 私は三番街の近くをウォーキング中』

 まったく、なんなんだこの人は!
 頭にハチマキを巻いたウミネコのスタンプが一緒に添付され、画面上をジタバタと忙しなく動いては止まった。その呑気さがメッサーの気持ちを逆撫でしたことに、きっとカナメは気づいていない。思わず端末に怒鳴り声をあげそうになって、代わりにメッサーは駆け出した。
 三番街なら、ここからそう距離はない。メッサーの足で走ればすぐだ。
 願わくばその場から動かないでくれカナメさん。

 ――ringring
『メッサー君?』
 はい、と心中で返信しながら、メッサーは画面を睨む。

 ――ringring
『怒ってる?』
 怒ってないわけないでしょう。今何時だと思ってるんだあんた。
 通常の勤務でもこの時間に終われば仮眠室を勧められる。
 そうでなくとも、そもそもパーティ出席で護衛がつけられる立場だという自覚を思い出してほしい。

 ――ringring
『おーい!!』
 語尾に怒りマークらしい「♯」をつけた顔文字がつけられているが、それを送りたいのはこちらの方だ。
 メッサーの太腿の筋肉が思わず強張り、スピードが上がる。

 ――ringring
『……帰っちゃった?』
 微妙にカナメのメッセージを受信するまで間が空いた。
 クエスチョンマークを浮かべたウミネコのスタンプが再度押されている。

 ――ringring
『かえろうかな……』
 前に一度「これはショボンとした時を表しているの」とカナメから教えてもらった顔文字が末尾に添えられていた。

 ――ringring
『メッサーくーん』

 断続的に届くメッセージは視界の端で追うだけで、返している余裕はない。
 日付が変わったばかりの浜辺はただ暗く、そんな中にカナメが一人でいるのかと思うと、メッサーは生きた心地がしなかった。
 カナメからのメッセージは、最後にメッサーの名前を間延びして呼び掛けるものから約一分のインターバルがあった。彼女の言うとおりホテルに戻るというならそれでいい。
 ただ無事に、戻ってくれさえすれば。
 いや、けれど三番街からホテルの会場までそこそこ距離があったのでは?
 会えないまでも、安全を確かめる必要はある。
 今ならきっと、アラド達を呼ぶより自分の方が近いだろうから。


 ――ringring


 頭の中で無駄に試行錯誤を繰り返しながら駆けていたメッサーは、間を置いて届いた着信音にハッとして視線を向けた。
 今度は何が書かれているのか。いじわる、とでも詰られているのかもしれないが、それならそれで。いじわるで結構だとメッサーは思った。
 あなたはもう少し自分の価値を気にかけるべきだ。ワルキューレのカナメ・バッカニアという立場がなかったとしても、あなたはそんなにも魅力的な女性なのに。
 だというのに。
 そこに送られたメッセージを見て、メッサーの足が思わず止まった。

『会いたかっただけなの』

 カナメのお気に入りのスタンプも顔文字も何もない。
 ただ、ぽつりとこぼされたかのような文字に、メッサーの胸が痛切に締め付けられる。

 ――ringring
『わがまま言ってごめんなさい』

 やはり添付されないスタンプに、カナメの真剣な表情が簡単に脳裏に浮かんで、メッサーは息を飲んだ。
 違う。そういうつもりじゃない。違う。いや、違わない。確かにこんな時間に一人で抜け出すなんて非常識で、万一何かあれば我儘だったと非難されるだろうことは間違いない。護衛についていた小隊にも迷惑がかかる――けれど、今はそういうことを言いたいのではなくて、そもそもそちらへかかる問題点など、メッサー自身の頭からすっぽり抜け落ちていたので今更だ。

 ――ringring
『どうかしてた』

 会いたくて、どうかしてた?
 どうにかなるほど会いたかった、とも取れる文面だ。
 ほら、だからメッセージのやり取りは苦手なのだ。都合良くも悪くも、気分次第でいくらでも受け取れてしまうのだから。
 カナメの困ったような笑顔が浮かぶ。

 ――ringring
『ホテルに戻るね』

 それからすぐに着信音。

 ――ringring
『だいすきです』

 最後に届いた着信音に目を落として、メッサーは頭を抱えて叫びたくなった。



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2017.01.01のお年賀コピー本としてちゃりんこさんに送らせて頂いたメサカナssになります。