おてがみ、です!



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 まだ辿々しい筆跡は一生懸命で丁寧だ。

「と、いうような手紙が、大量に届きます」
「え。何これ。クッソかわいくね?」
「…………………………」

 必要な提出文書でさえクセが強く、読解にコツを要するハンジさんの筆致とは欠片も似ていないから、ここはあの人に似ているのかもしれない。
 彼の書き文字など、あの頃新兵だった私が見知っているわけがないのでわからないけれど、ハンジさんは私の見せた彼からの手紙を愉快そうに口角を上げて読んでいる。

「あの」
「んー?」

 そんな彼女は今まで見てきた彼女と、特に変わったようにも見えない。
 私の呼びかけに顔を上げたハンジさんは、眼鏡の下でやはり楽しそうに私を映した。

 そもそも彼女が子供を生んだという事実が驚きだった。
 父親は誰だと邪推の広がった私達と違い、リヴァイ兵長はさもありなんな顔をして「そうか」とだけ言っていたし、壁内に残っていた他の近しい仲間達も訳知り顔で、誰も問いただそうとしていなかったから、あの人と彼女の関係はきっと周知の仲だったんだろう。

 何度手紙に書かれても、私は彼の父親に当たる人物と親しかったわけではないから、望む答えを持ち合わせていない。
 私の知っている彼といえば、いつもハンジさんの傍らにいて、全力でハンジさんを止めている人、といった程度だ。
 その彼のことをハンジさんが初めて語ったのは、おそらくあの壁外での最後の戦いの時。
 それも後から「今にして思えば」というものに過ぎない。あの時は、まさかそれがハンジさんと彼の最後を示していただなんて思いもしなかったし、そもそもあの人との関係を知らなかったのだから仕方がない。
 ただあの時、色々な感情が綯交ぜになり、直情的に飛びかかりそうになっていた私が、強くない拘束にも関わらず受け入れた理由が今ならわかる。あれは、もっとも近しい感情の共有だったんだろう。形は違えど、大切なものをもぎ取られる慟哭に似て静かな魂の叫びを、私の心が知ってしまった瞬間だったのだと思う。

「ミカサ? どうかした?」

 自分から呼び掛けたきり黙りこくってしまった私の顔を、ハンジさんが覗き込んだ。
 その気遣わしげな表情は、年長者なんだと改めて感じさせるには十分な柔和さが見てとれた。相変わらず仕事に対する少し――ではきかないけど――飛び抜けた言動は健在だし、周囲にある身としてはいい加減落ち着いてほしいと思う面は多々あれど、普段の彼女が理知的で思いやり溢れる人間なのだと気づかされる。
 ただやはり、こうして彼女の息子からの手紙を何度手にしても、ハンジさんがいわゆる『母』という種類に分類されるらしいということを認識するのが、私にはとても難しい。

 私の知る『母』とは、例えば実母であるし、エレンのお母さんだ。あとは今でもジャンボと愛称で呼ぶジャンのお母さん。
 そのどこにも属した部分が無いように思える彼女は、どこまでも「ハンジさん」に思えてしまう。
 けれどその彼女と共に暮らすあどけない少年の顔が不意に浮かんで、私は意を決して彼の聞きたがっていた質問をぶつけてみることにした。

「あの、ハンジさんは再婚の意思があるんですか?」
「は?」

 けれどハンジさんは随分間の抜けた声をくれた。一つした瞬きに、事実を指摘された驚愕も不快さも見当たらない。
 現時点では取り越し苦労のようだと心の中で返信をしたためながら、私自身もどこかホッとして息を吐いた。

「ミカサまで何言ってるの。隣のご婦人が言ってるだけだろう?」
「彼があまりにも心配しているようなので、もしかしてと思っただけです」
「よくある隣人の親切なお節介ってやつだよ。いやいや、それにしても外堀から攻めてきたかー。相手もなかなかの策士だな」
「……」

 まるで他人事のように笑うハンジさんに思わずジト目になってしまった。が、そんな私をきにするでもなく、ハンジさんはしみじみとした声を出した。

「それにしても、周りの声が聞こえてくる歳になったなんて、自我の目覚めってやつだよね。大きくなるのは早いって本当だな」
「……そうですね」

 初めて手紙の主を見たのは、まだ目も開いていない赤ん坊の頃だ。誰も彼も、どっちに似ている似ていないと盛り上がっていたけれど、正直髪の色が濃くなさそうだから父親似かなくらいの感想しか私はなかった。そんな彼がこうして近況報告のような手紙をたくさん送れるようになっているのだから、時が経つのは本当に早い。
 何度か家にお邪魔して、その度に弾けんばかりの笑顔で迎えてくれれば、自然とこちらも表情が和らぐようになった。淡い髪色と深みのある渋いグリーンの瞳は、彼が父親似なんだとわかるようにもなってきた。が、素直な表情や言動は、紛れもなくハンジさんだ。頭の回転が速く、不安をどうにか解決しようとこうして現状の中で探るのは、どちらに似ているんだろう。ああ、でも、これは二人ともにある気質かもしれない。

「でもさ、再婚なんて正直考えたこともないんだよね」

 そんなことを考えていると、ハンジさんがおかしそうに笑いながら言った。
 さもありなんだ。団長職を引き継いだ彼女は多忙を極めていたから、新たな関係やら感情やらを、そういった意味で育む暇があったようには思えない。そうこうしている内に、彼女のお腹が目立ち始め、まさかと思っている内に彼が生まれて今に至る。
 周囲の助けがあってこそだが、必要最低限の休暇しか取らず職務を全うしているハンジさんの今後の幸せは勿論願うが、私は――きっとエレンやアルミンだって、その方面での幸せは考えていなかった。

「ていうかさ、そもそも初婚もまだなのに、再婚なんて出来るわけないんだってね」
「――え?」

 クツクツと心底おかしそうに咽喉を鳴らすハンジさんに、今度は私が間の抜けた声を出してしまった。そういえばそうだ。子供はいるけど、ハンジさんは今もずっとハンジ・ゾエのまま。けれどそんな揚げ足取りのようなことを言って笑うハンジさんが、本当は何を考えているのかわからない。だからきっと、彼も不安になってこんな手紙を私に寄越したりしたんだと思う。

「そういうことじゃ――」
「あの子が大きくなって、私や彼の出会った歳を超えて、いつか誰かと出会って恋をして結婚して、子供なんか出来ちゃったりしてさ」

 一言言ってやろうかと身を乗り出した私の手に、きちんと畳まれた手紙が返される。
 相変わらず楽しそうに、幸せそうに微笑するハンジさんを前にして、私は口を噤んだ。どこか懐かしそうな声音で話すハンジさんは、悪戯っ子のようににんまりと口元に弧を描いてみせた。

「もういいかな? って頃にきっとプロポーズしに来るだろうから、待っててあげないと可哀想だろ。再婚はその後で考えることにするよ」
「……初婚直後に再婚なんて言ったら、卒倒しますよ」
「大丈夫。今度はきっと離してくれないから」
「……」

 ああもう。これは確実に大丈夫そうだ、と早く返信してあげないと。
 読みながら零れんばかりの笑顔で喜びそうな彼の顔が想像できそうだ。

「それよりも!」

 急く気持ちで、便箋の入っている棚に視線を向けてしまった途端、ハンジさんがずいっと私の前に人差し指を突き出した。ついさっきまでの表情とはまるで違い、片眉を上げてツンと唇を尖らせている。拗ねている――というのに近い表情だが、そうされる覚えがない。
 考えあぐねていると、ハンジさんは腕組みをして顎を上げた。

「ずいぶんうちの子と仲が良いみたいだね、ミカサ」
「え」
「昨日も出来たらあなたにあげるんだって楽しそうに絵を描いてたよ。クッソ下手だった。可哀想に私に似たな」
「いえ、あの」

 まさかの攻撃に、上手い言葉が出てこない。
 そんな馬鹿な。あの子はほんの子供で、字だってまだ全然書けていないくらいで――……なるほど。今度の手紙には絵が入っているのか――……って、そうではなくて。

「ミカサ」

 私を呼ぶハンジさんの目が怖い。
 一歩、また一歩とゆっくりとした動作で近づいたハンジさんが、私の肩に手を置いた。
 力は決して強くない。けれど、ニッコリ、という擬音が浮かぶほどの笑顔で、眼鏡の奥の目が全然笑っていないのが笑えない。

「泣かすなよ?」

 あの子の言うとおり、いつも彼が見ているというのが本当なら、どうか今すぐハンジさんを落ち着かせてください。
 はいと言ってもいいえと言っても満足してくれなさそうなハンジさんの手を肩に置かれながら、私はそこにいるらしい彼に向かって呼び掛けたのだった。

                                      【END】


まだモブハンには生存ルートのワンチャンあると思ってるけど(笑)、あれで終わりならこういうルートがあるはずだって信じてもいる。
つまりモブハンなんだって確信している。(譲らないww)