その声はあなたの耳にだけ01 キスをして左腕で背中を抱き寄せ、右手に腰を遊ばせながら、下へと伸ばす。 太腿のベルトを一つ二つと外し、焦らすように触れると、ハンジの手も、モブリットの太腿に触れた。 身体を押しつけると、邪魔をしたのがわかったのだろう、ハンジに艶めいた瞳で睨まれてモブリットの欲が疼いた。いつもの揶揄するようなものとも、命令を下す時のような凜としたものとも違う、女の拗ねた甘さに嗜虐心が刺激される。 「――ん、ぅ……っ」 ハンジが思わず目を瞑るほど後頭部を強く抱き込み、舌を差し込む。喘ぐ吐息に絡ませながら、反対側の太腿に触れた。ベルトに指を這わせ、小さなバックルに指を添わせた丁度その時―― 「――分隊長、いらっしゃいますかー?」 ノックの音に続いた声に、二人の動きがぴたりと止まった。 「……ニファ?」 「……ですね」 まだドアの近くで立ったまま、いざこれからと高め合っていた距離で、二人の小声が僅かな間に囁き合う。 二度目のノックは遠慮がちにされて、奥からもう一人の声が聞こえた。 「ハンジさんいなかった?」 「そうみたい。お昼出来たらご一緒にと思ったんだけど」 「モブリットさんと行ったのかもよ?」 「副長、今日はまだ技術部行ってるはずなんだけど……」 早上がり出来たんだよ、と腕の中にハンジを軽く囲いながら、モブリットは内心でニファに答えた。一緒にいるのは、どうやらペトラのようだった。まだドアの前で考えているらしいニファと一緒に唸る彼女は、いつもはリヴァイ班の仲間で行動を共にすることが多いから、今日の訓練は終わったのかもしれない。 「……でもそしたら、分隊長は絶対食べてないと思う……」 「じゃあ後でサンドイッチ持ってきてみたら?」 「そっか……そうだよね。うん、そうする!」 画期的とばかりに声を踊らせたニファとペトラの足音がようやく遠去かって、二人は知らず詰めていた息を、どちらからともなくホッと吐き出した。 中途半端に片足だけベルトを外した太腿にちらりと視線をやって、モブリットが言う。 「食べてなかったんですか」 「忘れてた。いいよ、今から君を食べる――」 「栄養になりませんよ」 今日は午前中から試作機の調整で、モブリットは技術部支援で出向していた。モブリットの案で採用された、新しいワイヤーの射出にかかる圧縮ボンベの細かい位置確認の為だ。従来のものより射出スピードが速くなる分、立体機動時の負荷に影響がある。最初は細かな注文に辟易したいた感のあった技術部も、会議の席でハンジがプライドを刺激してくれたおかげで奮起したらしい。 微調整も兼ねた機動調整は、滞りなく終了していた。 「さっき食事したって言いましたよね」 「朝食は。一緒に食べたろ」 「あなたは……」 思ったよりも早く帰隊出来たので、報告も兼ねて研究室を覗いてみたら、班員はどこにも見当たらない。 会議でも入ったのかと思いつつ、ひとまずと寄ったハンジの部屋で、こんなことになっていた。 自案の採用もさる事ながら、思い描いた機動を得られたのが、自分でも思いの外嬉しかったらしい。 「ご機嫌だなあ」と微笑んだハンジに、一瞬隠すように唇を引き結んだら笑われて、おそらく少し見せつけたくなったのだ。 今にもイイコイイコと言い出しそうな上官の顔をじっと見つめる。 「あのさ」 「はい」 「私、14時まで仮眠申請してるんだけど」 まったく寝る気のない瞳が悪戯っぽくきらりと光って、モブリットは机上の置き時計を見た。時間はある。腕を伸ばす。ハンジが笑いながらそれに答えて立ち上がり、背中を壁に預けて、モブリットは膝を足の間に割入れた。 それが、ついさっきの出来事で―― 久し振りで、少し箍が外れていたかもしれない。 場所と時間は選ぶべきだった。それに、ハンジの栄養摂取と睡眠時間も。 「わかってて言いましたね?」 「どうだろ。君が熱い目で見つめてくるから、何も考えていなかったかも」 「そういうのいいですから」 くしゃりと後頭部を撫でられて、モブリットは唇を尖らせた。 肩を揺らすハンジに溜息を溢して、外した太腿のベルトを、今度は丁寧に付けなおしていく。 「やっぱりやめるんだ? ――……んっ」 わざとではなく、指先がハンジの内股に触れた。際どいという程でもない位置で、だが関係がなければ触れない場所だ。 視線を落としていたモブリットの耳朶に、詰めたハンジの吐息が届く。無意識に出たらしい息声に、いつもの彼女の雰囲気はなく、動きを止めて、モブリットは目の前のハンジをじとりと睨んだ。 「……出来ない時に限って、そういう声出すの止めてくださいよ」 「出来ない時の触り方がいやらしいんだよモブリットは」 まだ完全に離れきらない距離で睨み合う二人は、どちらも譲る気配は見せない。 直し掛けた太腿のベルトを指先で弄りながら、モブリットはじりじりとぶり返してきた熱を溜息に乗せた。ハンジの手も、片手はまだモブリットの太腿にある。 「あの調子だと、絶対戻ってきますよ」 「……」 ニファのことだ。自分たちの食事を終えたら、ハンジの為に選り分けたスープとサンドイッチをトレーに乗せて、意気揚々とノックする。今度はきっと、はっきり意思を持って触れたモブリットの手が、ハンジのどこにあるのか想像に易い頃に。 さすがに真っ昼間から、蔑みを湛えた目で部下に見られたくはない。 「あられもない声で答えます?」 それはハンジも同じだろう。 艶めいていた視線に理性を取り戻しながら、太腿から手が離れた。それでも少しだけふざけるように、ベルトの上に掌を当てる。 「あられもない声出すのはモブリットだろ」 「俺はささやかなものです」 「嘘だね。結構声出てる」 「そんなことありません。あなたの方が」 カチャリカチャリと調整を再開させた金具の音の下で、ハンジがすっと視線を細めた。 何だか会話の方向が少しおかしい――と、思ったその矢先。 「他の男の声なんて知らないくせに」 突きつけられた言葉に、モブリットは自分でもはっきりわかるほど、胸の内が冷えた気がした。 最後の金具を元に戻して、視線を戻す。ふんと眇められたハンジの明るい瞳の色に、自分の姿が映って見える。 「――あんただって、他の女の声なんて知らないでしょう」 売り言葉に買い言葉。 いい歳をした男女が、昼間から昂ぶってしまった感情を燻らせたら、碌なことにならないのだといういい例だ。 途中で強制的に持て余した感情が、こんがらがって、一番厄介な不時着をした。 物理的な距離はほとんど変わっていないのに、互いの睨む視線の中に、熱と、険と、バカみたいな澱が淀んでいる。 そのまま無言で身体を離す。 上司の部屋を出るにはあまりに不遜な態度で厭味なほど完璧に敬礼をしたモブリットへ、ハンジも近年稀にみる完璧な返礼でそれに答えた。それから同時に「フン」と声に出そうなほどに勢いよく顔を背けて、二人は部屋を出たのだった。 【→2】 |