酒の失敗は蜜の味




初めて酒の味を覚えてから十数年。
いわゆる酒の失敗というのを、モブリットはしたことがない。
決して酔わないわけでもないし、血流が活発になって体温は確かに上昇もする。だんだん正体をなくし始める仲間達と共に、陽気な話題に乗ってそこそこ羽目を外すこともなくはない。
ただ、それが酒のせいなのか、仲間の陽気さに釣られているのかが判然としないだけだ。

「一回くらいは失敗しておけ。若い内じゃねえと笑えねえぞ」
「もう笑えるほど若くもないですからね。兵長はあるんですか?」
「なくはねえな」

意外な返答に、モブリットはごくりと咽喉を鳴らしてアルコールを流し込んだ。

「しこたま飲んだ翌朝に、覚えてないといえば大抵どうにかなる。酒に酔うのは悪くない」
「……いや、え? いやいやいや。それ全く酔ってませんよね? 酒のせいにして何やったんですか……」
「酒は諸悪の根元だな」

咽喉の奥でクッと笑った悪童めいたリヴァイの様子に、モブリットは片眉を上げた。
この言い回しでは、おそらく自分の身内にはあまり近づけたくない性質の悪いことをしたに違いない。

「酒に酔ったふりをすることで、自分に素直になれることもあるからな」
「……意外ですね」

だが、続けられた台詞にモブリットは少し考えを変えた。
酒のせいにして愛の告白でもしたんだろうか。寡黙な外見とは裏腹に意外と話好きで綺麗好きすぎなきらいのあるこの人が。
モブリットの脳裏に浮かんだのは、最近何かと気にかけている節のある小柄な少女の姿だった。小回りも利き、討伐数も着実に上げて、更に数度の壁外から五体満足で帰還もしている。実力と運はなかなかのものだ。
以前新しい班員候補にも上がった彼女を、どういう経緯でかリヴァイに横取りされた記憶も忘れかけていたのだが、もしかするともしかするのかもしれない。

「可愛い男だろう?」

けれど、ニヤリと悪い笑みでカラリと鳴らした氷を傾けて見せたリヴァイに、モブリットは呆れたように息を吐いた。どこがだ。そういう関係だったというならまだしも、酒のせいにして迫る上官など可愛いの対極にいる。

「誰に言われたんですか。ずるい男の極地ですよ」

今でも頻繁に後ろをついて回っている彼女の様子を見るに、始まりがどうあれ合意は取り付けられたらしいが、結果論はいただけない。
グラスを呷って吐き捨てたモブリットに、リヴァイは酒を注ぎ足しながら鼻で笑った。

「はっ。優等生な発言だな。たまにはお前も酒のせいにしてやらかせばいい」

その言い方にムッとしてしまったのは、同じ男として少し小馬鹿にされたように思えたからか。それとも、酒の力が働いたからか。

「別に、俺だって何もなかったわけじゃありませんよ」
「――ほう?」

思わず口にしてしまった台詞は、酒のように飲み込まれて消えることはなく、リヴァイは面白そうにグラスにつけた唇を舐めた。しまったと思ったのが少し遅い。

「いえ、あの……そんなに期待されるようなことはしてませんけども」
「気にするな。で?」

今更ながらの取り繕いは、やはり歯牙にもかけられない。
続きを話すまで解放するつもりのないらしいリヴァイの灰青色の不思議な色味を帯びた目が、モブリットに先を促し続ける。
観念して、モブリットは溜息と共に吐き出した。

「――単に、キスをしただけです」
「それだけか」
「ですね」

そう、キスだ。それだけで、しかも相手も酔っていた。
状況がノーカンだと告げている。
カラカラと氷を鳴らして溶けだした色味を見つめていると、リヴァイがちびりとグラスに口を付けた。

「相手は」
「彼女の名誉にかけて黙秘します」
「なら俺も知ってる奴だな」
「……」

嫌なところをついてくる。
リヴァイの酒の話題に踏み込まなかったモブリットのデリカシーは、こちらには持ち越されないらしい。
今こそ酒の力で酔い潰れたいと思うのに、潰れないことを知っている相手と飲んでいるのでは無理な話だ。

「いつ」
「詮索は趣味が悪いですよ」
「いつだ」
「ですから」
「モブリット、言え」
「………………一昨日」
「ほう?」

尋問に近い口調はずるい。
今までの経験から、こちらの実験に協力を仰ぐ条件の提示を断られる可能性が一瞬頭を過ぎってしまうではないか。
酒好きで酔わない仲間、というカテゴリーが瓦解する音が聞こえる。

「一昨日といったらアレか。お前のとこと俺とミケのところで適当に騒いだ後の――」
「勘弁してください」

だが最後の一線は死守しなければ。
彼女の名誉と、それからモブリット自身の今後の重要な身の振り方の決心を鈍らせないために。なかったことにすると心に誓ったのだから。

「本人は覚えてないんですよ。だから、二度としませんし。事故です」

キッカケは彼女からだった。
だが受け入れたのはモブリットだ。途中で何度も笑い飛ばすことも、いなすことも出来たのに、その選択を放棄したのはモブリットだ。それどころか、相手のせいにして深く繋げたのも自分だったと覚えている。
気を抜けばすぐに甦る生々しい吐息の感触を忘れようと、モブリットはグラスを乱暴に呷った。溶けた氷のせいで薄まっているはずのアルコールが、けれど思った以上に咽喉を焼く。噎せる前にと咳払いで誤魔化して、モブリットはつい一昨日の始まりを思い出した。


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