まだ恋じゃない(03)




 人で賑わう夕食帯を少し過ぎ、人混みはそこそこに落ち着きを取り戻していた。

「かれこれ20回くらいでしたか、死神捕獲作戦の失敗は」
「38回目です」
「……」

 裸喰娘々のカウンター席の端に座り、アラドの質問に被せるように答えて、カナメはクラゲに噛みついた。歯応えがあって、噛めば噛むほど味がでる。芳醇な香りが鼻から抜けてとても美味しい――はずのそれを、カナメはぶちりぶちりと噛み切って豪快に飲み込んでいた。
 薫製クラゲが乗った皿をそっと自分側に引き寄せて、アラドは代わりにクラゲサラダの入った深皿をカナメの方に押してみる。

「アラド隊長」
「……はい?」

 クラゲを返せと言われるのだろうか。
 何でもない風を装って返事をしたアラドは、多めのクラゲを片手に隠し持つ。けれどカナメは大人しくクラゲサラダをつつきながら、ふう、と深い息を吐いた。

「やっぱりメッサー君、私のことが嫌いなんでしょうか……」
「それはないでしょう」
「でも――……」

 落とした視線が自信なさげに揺れている。そんなカナメの表情をアラドはどこかで見たことがあると思った。
 そうだ。出会った頃の――まだワルキューレが戦術音楽ユニットとしての地位を確率出来ずに暗中模索していた時期のカナメは、いつもこんな顔をしていた。
 まるであの頃に戻っているかのようだと内心で思いながら、アラドはもう一度きっぱりと否定した。

「あいつはああいう奴なんです。カナメさんにだけというわけじゃありませんし、真面目ですからね。今日も本当にやり残した事があったんでしょう」

 メッサーが自分から食事や休憩に誰かを誘ったり、誘われて二つ返事でついていくタイプではないのは事実なのだ。カナメに限った話ではない。

「俺とだって、滅多に一緒にメシなんて行ってくれませんよ」
「一昨日行ってたじゃないですか」
「何でそれを……」

 けれどカナメの素早い追及に、アラドはごくりと咽喉を鳴らした。口にくわえていたクラゲを取りこぼしそうになって、慌てて両手で受け止める。
 行った。確かに行った。
 でもそれはパイロットのグリーフィングが終わった後に急遽決まったもので、その場にはメッサーしかいなかったはずだ。ちょっと付き合えと誘ったアラドにメッサーが従っただけで、仕事の延長と勘違いしていた節がある。

「ワルキューレを舐めないでください。うちには天才ハッカーがいるんですから」
「ああ、そうでしたね――……って、え?」
「行きましたよね。アラド隊長が誘って、メッサー君が『はい』って。回答までに二秒ありませんでした」
「え? あ、はい。え?」

 どうしてメッサーの返答まで知っている。しかもそれに要した時間まで。ハッカー? レイナか? というか、何故ブリーフィングルームで交わした会話がハッキングの対象になっているんだ。そもそもハッキングは犯罪じゃなかったか。

「アラド隊長とは簡単に行くじゃないですか。メッサー君の尻軽……」

 けれど、その疑問を問う前に、カナメの口から小さくないため息が溢れた。同時にずるずると体が沈み、カウンターテーブルに向かってがくりと頭が下がった。

「カ、カナメさん?」
「いいなあ。アラド隊長羨ましいです。いいなあぁ……」

 絞り出すような声音が、付けた頭から地響きのようなうねりを伴って聞こえる。様子がおかしい。アラドは慌ててカナメの飲んでいた酒のボトルを手に取った。
 クラゲ酒。クラゲの幻想的なイラストがボトルに描かれているのが特徴で、ラグナ名物の一つでもある。コラーゲン入りなどという謳い文句や澄み切った色、で女性人気も高いが、度数のえげつなさは、バナナ酒の比ではない。合コンにこれを勧める男がいたら蔑め、という意味でも定評のある酒でもある。
 普通はカクテルやロックで飲むだろうそれを、こともあろうにカナメはほぼ原液で流し込んでいたらしい。

「カナメさん、大丈夫ですか。ほら、水です。飲んで。明日に響くと困るでしょう」
「大丈夫です。二日酔いしたことないので」

 肩を揺すって水の入ったグラスを差し出す。けれどカナメは少しだけ頭を起こしてカウンターテーブルに片肘をつくと、据わったような視線をアラドに向けた。これは大分酔っている。気づかなかったのは申し訳ない――が、この酒でそんな飲み方をするなんて予想外過ぎた。
 カナメは酒に弱くない。が、これはさすがに人として危険だ。

「クラゲ酒を原酒でいくなんて、メッサーでもしませんよ」
「メッサー君……? そうなんですか?」

 まだ飲もうとしていたカナメの手からグラスを引き抜き、代わりに水を持たせると、カナメはぱちくりと目を瞬いた。

「お酒強そうなのに意外……。あ、でも弱いメッサー君も見てみたいですね」

 ふふ、と笑うカナメは水に替えられたグラスに口を付けて、美味しそうに半分ほど飲み干した。
 もう酒と水の違いもわかっていないのかもしれない。

「弱くはないですよ。結構イケる口だと思います」

 メッサーの話題を出しておけば大人しく水を飲んでくれるらしいカナメに、アラドはピッチャーからまた半分を注いだ。グラスに揺れる水を裸喰娘々の明かりにかざして揺らしながら、カナメは感心したように頷いた。

「へえぇ……いいなあ、アラド隊長。私の知らないメッサー君をいっぱい知ってるんですね……」
「妙な言い方せんでください」

 これではまるで自分がカナメの恋敵みたいではないか。アラドは薫製クラゲを奥歯で噛みしめながら、顔を顰めた。けれど当のカナメは全くこちらの意図など気にせずに、グラスの縁を人差し指でくるりとなぞった。

「チャックやミラージュも、訓練終わりにみんなで一緒に食べに行ったことがあるみたいで。私だけいつも断られちゃうんです」

 呂律はしっかりしているようだが、グラスを見つめるカナメの視線はうっすらと膜を張ったように潤んで見えた。
普段から素直で人懐っこいように見えて、一番年長でマネージャーを兼ねている性格上からか、カナメから自分の内面に迫った話はあまりしない。どちらかと言えば上手な聞き役と行った彼女が、こうして自分のことを話しているのは、おそらくクラゲ酒のせいなのだろう。

「その辺りはチームとしての親睦的なもんじゃないですかね」
「チーム……」

 グラスの表面に出来た水滴を指先で掬ったカナメが、ふ、と小さな息を吐く。

「私、知らない間にメッサー君に何かしてたんでしょうか。私だって仲間じゃないですか。でも、私がいたらそんな仲間内での食事の誘いにも乗りたくないくらいの何かを……」
「いえ、そういうわけじゃないと思いますよ」
「じゃあどういうわけなんですか」
「それは――……」

 何と答えたらいいものか。アラドは咄嗟に言葉に詰まってしまった。
 個人的にカナメをどう思っているのか、などとプライベートな質問をメッサー本人にしたことはない。けれど彼の経歴を知っている身としては、カナメへ向ける感情に嫌悪がないことくらいはわかる。むしろワルキューレの中で、カナメにこそある種の特別な感情を持っているのはメッサーの方だろうと思う。だがそれはアラドの口から言うべきことではない。
 アラドの答えを待つようにじっと見つめていたカナメは、やがて諦めたように視線を落とした。

「別に私、メッサー君をいじめたりしないのに……」
「……はい? ええ、まあ……いじめるつもりだったとは思っていませんでしたが」

 やはり酔っている。発言の端々に見え始めた子供っぽい物言いに、アラドは苦笑を禁じえなかった。ワルキューレのリーダーが、靡かない同僚に手を焼いて拗ねている姿など、なかなか見られるものではない。何だか小さなお姫様を相手にしているような気になって、アラドはカナメの頭をポンポン、と撫でた。

「たまたまですよ。次、タイミングが合えば行きますって」
「39回目ですか? ご飯がイヤなら休憩時間にただ一緒に話をするのでもいいのに。何でメッサー君はあんなに私を避けるんでしょう……」
「避けてるというか、むしろ逆なんじゃないですかね」
「逆?」

 大人しく頭を撫でられながら、カナメがグラスに口をつける。こぼれそうになった滴を自分の袖で拭ってやりながら、アラドは言い過ぎてしまいそうな自分に気づいた。
 少し反省してカナメから離れる。

「だから――つまり、そう、あいつはワルキューレの大ファンで、だからカナメさんと一緒じゃ緊張しちゃうとかですね!」
「美雲によく耳打ちされてますけど、ものすごく平然としてますよ。私がメッサー君、耳貸してって言ったら後ずさられたのに」
「あー……」

 カナメの返しに、アラドは天を仰ぐ気持ちで唸ってしまった。フォローのつもりが墓穴を掘った。美雲の距離の近さは今に始まったことではないのでカナメもそこを気にしているわけではないらしい。けれどメッサー。お前は態度が違いすぎる。内心で部下に指を突きつけたい衝動に駆られているアラドに、カナメはちびちびと水を飲みながら、唇を尖らせた。

「それに、レイナやフレイアが落ち込んでた時に頭ポンってされたことあるって」
「……」

 そんなことをしていたのか、メッサー。アラドをしても想像のしにくいメッサーのその態度に、頭を抱えたくなった。けれどあのメッサーに、彼女達への下心があったとは考えにくい。

「あー……。メッサーはああ見えて子供好きですからねえ」

 マスタング家の子供達と、意外なほど打ち解けているらしい姿を思い出して言ったアラドに、けれどカナメはまるで聞き分けのない子供のようにぶんぶんと頭を振った。

「私もメッサー君にされたいです。頭ポンって。今すごく落ち込んでるのに。メッサー君からするのが抵抗あるなら、この際肩を貸してくれるだけでもいいです。私からします。それでもハードルが高いなら、もういっそ壁ドンでもいいのにっ」
「……」

 無機物にドンするとはいえ、一般男性にはそちらの方がハードルは高いと思われる。カウンターテーブルへ乱暴に置かれたグラスへ、宥めるようにアラドはまた水を注いだ。
 とくとくと鳴る水音に、カナメの視線が向けられる。それからまたため息が溢れた。

「マキナとはよく機体の話で盛り上がってるようなんです。私とじゃ会話もつまらないってことですよね……」

 言いながらまたぞろ潤み始めたように見える瞳に気づいて、アラドはガシガシと頭を掻いた。いつも気丈に見えていたが、メッサーがカナメの誘いを断り続けていたことで、彼女はアラドが考えていたよりも傷ついていたようだ。
 これは、今後の戦隊を組むのに下手をしたらおかしな支障が出ないとも言い切れないのではないか。

「つかぬことを伺いますがね」
「何ですか?」

 まだ二人の間に何が起こったということもない。ないが、あってからでは色々と問題がある。事は命に関わってくるのだ。
 ここからは、デルタ小隊を預かる隊長として把握する必要のあるところだと冷静に判断して、アラドは真剣な口調になった。
 カナメが僅かに首を傾げる。

「今後の任務に関する懸念があると判断して、プライベートな質問をします。答えたくない場合はそう言ってください」
「わかりました」

 カナメも真剣な表情になってアラドを見つめた。アラドは揶揄半分で相談に乗ると言ってしまったことを、今更ながら少しばかり後悔した。
 確かにメッサーには抱えた大きな事情がある。けれど、それと色恋の話は、第三者に話さないままわかれというのも難しい。もしもカナメの気持ちがアラドが考えている以上に真剣なら――

「あなたは、その――メッサーをどう思っているんですか?」
「メッサー君をですか? 好きですよ?」

 裸喰娘々の静かな喧噪の中、意を決したアラドの質問に、カナメはあっさりと即答した。

「…………好き…………?」

 今、自分はかなり踏み込んで質問をしたつもりだ。けれどカナメはアラドの質問に戸惑う様子は微塵もなかった。酔っているからなのか、それとも意図が伝わっていないのか判別のつかないところがもどかしいが、間違いなく「好き」と聞こえた。

「だってデルタ小隊の仲間じゃないですか。頼りにしています」
 
 真剣な眼差しでそういうカナメの言葉には嘘がない。
 なるほど。どうやら意図したはぐらかしではないようだが、アラドの真意がカナメには伝わっていないようだ。
 そう判断して、アラドは質問の言葉を換えてみることにした。

「カナメさんはメッサーとどうなりたいんです?」
「どうって――……」
「……」

 カナメが一瞬言葉に詰まり、それから仄かに頬を染めて下を向く。
 やはり、そういう意味での「好き」らしい。アラドの隣で、もじもじと指先をいじらしく合わせているカナメは、照れているように見える。ファンが見たら炎上ものだ。そいういう面でも、さて次はどの方向へ向かってもらおうかと考えていると、カナメはクラゲ酒のせいだけではなく染めた頬をアラドに向けて、若干の上目遣いではにかんでみせた。

「メッサー君と、ただお話がしたいんです。一緒にご飯を食べたり、予定を聞いたり、たまに笑った顔も見てみたい。買い物とかも楽しそうです。あとちょっとだけあの髪型も触らせてもらえないかなあって」
「……」

 言いながら、それをしている自分を想像でもしたのか、カナメは「ふふふふ」と頬をぐにゃりと緩ませながら、それはもう楽しそうに眦を下げた。その表情があまりにも純粋に嬉しそうで、アラドは頭を抱えたくなった。

(――わからん……!)

これは、いわゆる、恋なのか。違うのか。
それともアラドが汚れた大人なだけで、本当にただ単に仲間と仲良くなりたいだけか。

(わからん。わからんぞ、これは。カナメさんがメッサーを好きなことはわかった。メッサーもカナメさんを殊更意識しているのは知っている。――が、だ。片想い……いや、これは本当にもう少し仲良くなりたいだけか? いや、だが、メッサーの笑顔…………うーん……あいつ、本当に笑わんからなあ。気持ちもわからんでもない。だがなあ……)

 もし本当に仲間として親睦を、というのであれば、メッサーにそれもまたチーム連携の一つだと説くことは可能だ。けれどそこに恋心が含まれるのだとしたら、おいそれと取り持つような真似はアラドには出来ない。立場上、メッサーの心の傷を知る者として、簡単に立ち入れる範疇ではないからだ。
 他にもメッサーとしたいことを指折り数えていたカナメは、「ハヤテ君の二股疑惑を二人でつっこむ」まで言った後で、不意に両手を下に落とした。

「……カナメさん?」

 そのまま無言になってしまったカナメの様子に気づいたアラドが呼びかける。けれど微動だにしないカナメを訝しみ、アラドは顔を覗き込んで驚いた。膝の上でさっきまで楽しそうに指を折っていた両手をぎゅっと握りしめて、カナメはボタボタと涙を溢していた。

「でも、メッサー君は私のことが嫌いみたいで……だから、どうして、どこがそんなにダメなのかなあって……」
「カ、カナメさん!? いやいやいや! 大丈夫ですよ!? あいつは本当にあなたを嫌ってるわけじゃなくて――」

 たぶん、どちらかというと気にしている方です。いつも目で追っているし、戦闘中もあなたののピンチとあらば小隊の誰よりも数段早く機首をそちらへ向けています。それはむしろ何が何でもあなたを守ると全身全霊で言っているようにしか見えない――

「だってもう私だけ、ずっと断られてますしっ。め、面倒くさいってメッサー君に思われてたら……っ、今日だって、目、合わせてくれなくて……ッ」
「……あー……それは誰に対しても単に失礼ですからね。そこはきつく言っときます」

 アラドの知っているパイロットとしてのメッサーの事情は、やはりこの場で言うことは出来ない。
 けれど声を押し殺し、唇を噛みしめて今までため込んできたのだろう不安を口にするカナメを、放っておくことも出来そうになかった。
 なんだかんだと、まだ二十歳を少し超えたばかりの女の子なのだ。
 仲間を思う気持ちか、はたまた恋心かはまだわからない。
 けれどメッサーの心なく見える態度に傷ついている。

「とりあえず、あいつは少し言動をクラゲを見習って柔らかくした方がいいですね」

 マスタング家の小さな弟妹達にするような気分で、アラドはカナメの頭をポンと撫でた。

「……ずるいです」
「はい?」

 ポン、ポン、と二度三度撫でていると、カナメががばりと顔を上げた。涙に塗れた碧い瞳が、身を乗り出して至近距離で困惑するアラドを映している。不意にカナメの手が伸びた――と思ったら、アラドの胸倉を掴みあげる。突然のことに首が締まって、潰れたウミネコのような声が出てしまったが、それにも構わず据わった瞳で睨むカナメは容赦がない。

「アラド隊長ばっかりメッサー君独占してずるいです!」
「メッサー独占しても別に、」
「私も頭ぽんってされたいのにっ!」

 つい先程、無意識にしてしまったアラドのポンはカナメにとって無効だというのはよくわかった。それより首が苦しい。ワルキューレは伊達じゃない。酒のせいでリミッターの外れたカナメが「ずるい」と何度も繰り返して、徐々にアラドの胸に突っ伏していく。落ちたか?

「カナメさ――……」

 名前を呼びかけて、アラドは不意に背後に気配を感じて振り向いた。

「メッサー」

 裸喰娘々の入り口を入ってすぐ、長身の部下がそこにいた。
 何を考えているのかわからない無表情はいつものままで、けれどその鋭い視線が舐めるようにアラドの手を見たのがわかった。
 そうしてそのまま素通りする。

「って、うおおおい! メッサー!?」

 時間外とはいえ、仮にも上官へあるまじき態度だ。思わず声を上げたアラドを、しかしメッサーは聞こえていないかのように足を早めた。真横を通り過ぎようとした彼へ思わず手を伸ばそうとして、すっかり力をなくしていたカナメがアラドの腕の中でずり落ちそうになった。

「っと!」

 それを慌てて抱き込むように支え直すと、ちらりとこちらの様子を見たらしいメッサーと目が合う。が、またすぐに逸らして二階の自室へ向かおうとするメッサーの背中に、アラドは大声で呼びかけた。

「メッサー! こら、無視すんな、メッサー!!」
「……そんなに叫ばずとも聞こえます。裸喰娘々の営業妨害になりますよ」

 そこまでして、ようやっと立ち止まったメッサーが振り返る。その視線が、またぞろさっとアラドの手元に注がれて、僅かに不快を滲ませたように見えた。
 カナメが椅子からずり落ちてしまわないよう片手で支え、もう一方の手で手招きをすると、メッサーはしばらく逡巡した後、アラド達の方に戻ってきた。

「終わったら顔出せって言われてただろうが。上官無視して部屋に戻ろうとしてるんじゃないよ」
「……話が弾んでいるようでしたので、邪魔をしてはいけないかと」
「違う。誤解だ」

 どう見ても寝落ちているだろうカナメの様子から何を邪推したのだろう。可愛げのない言葉を発するメッサーは、切れ長の瞳を決してカナメに向けないようにしているようにアラドには見えた。

(ふむ……メッサーも意識はしてるんじゃねえか)

 彼に全くその気がなく、むしろアルヴヘイムでのことが思い出されて必要以上の負担になるようなら考えなくてはいけないかとも思っていたのだが、どうやらそちらの心配は大丈夫そうだ。
 視界から意図的にカナメの姿態を排除しようと努めるだなんて、むしろ悪くない方の好意にしか見えない。むしろメッサーはもう少し自分の感情に素直に向き合っても良いのだ。

「もっとこっちに寄れ」
「……何故ですか」
「いいから」

 まだ距離のあったメッサーに命令口調でそう言って、アラドは胸に突っ伏しているカナメの肩に手をかけた。視界の端でメッサーの気配が尖るのがわかる。
 アラドはカナメの頬を優しく叩いた。

「ほら、カナメさん。メッサー来ましたよ。待ってたんですよね」
「何を言って――」

 今度こそはっきりと不快感を滲ませたメッサーは、しかしもぞりと動いたカナメの様子に言葉を止めた。アラドの呼び掛けで首をあげたカナメは目を擦り、ぼんやりとした表情で周囲を見回す。
 それからハタとメッサーに目を留めた。途端に、とろけるように相好を崩す。

「あー、メッサーくんらぁ!」
「………………カナメ、さん?」

 程良い以上に酒が回ったのだろうカナメの呂律が若干怪しい。
 アラドから起こした体をふらつかせたまま、おいでおいでと手招きされて、そんなカナメの見たこともない様子に戸惑いを隠せないメッサーは、それでも誘われるまま足を進めた。その様子は、まるで飼い主の命令に逆らえない大型犬だ。胸にこみ上げてきた笑いを必死で押さえるアラドの横で、カナメのすぐ傍までやってきたメッサーは、手を伸ばされても動かない。
 力の入っていないだろう細い指先がメッサーのライダージャケットを掴み、引き寄せる。抗うことなく屈ませられたメッサーに、カナメは満面の笑顔を向けた。

「えへへへ。メッサー君お仕事終わったの? お疲れ様でした。いいこいいこ」
「あ、の」

 真ん中に特徴的に立ち上がった髪の横をやわやわと撫でられたメッサーが、あからさまに戸惑った声を出した。けれど嫌がっているわけでないとわかるのは、その手がカナメに触れようとして立ち止まるを繰り返しているのが見えるからだ。
 アラドはジャケットのポケットから少し多めの紙幣を取り出して、そっとカウンターテーブルに置いた。

「こういうとき『きゃわわー☆』とか言った方がいいかな? 『メサメサ、可愛い〜』の方がいい? メッサー君はワルキューレのメンバーだと誰が一番好きなタイプ?」
「いえ、自分は別にタイプかどうかでワルキューレメンバーを見たことは」

 生真面目に答えようと努めるメッサーの頭の真ん中に、カナメの手が触れた。梳くように動かして、手のひらで押しつぶし、それからまた優しく整えるように髪を撫でる。

「ふふっ、髪の毛は意外と柔らかいんだね」
「……カナメさん、もしかして酔ってますか?」
「ぶふぉっ」

 もしかしなくても酔っているだろう。今更何の確認だ。
 そっと立ち去ろうと算段していたというのに、思わず噴き出してしまったアラドの存在を遅ればせながら思い出したメッサーが、慌ててカナメから距離を取ろうと立ち上がる。が、ぐらりとバランスを崩したカナメに更に慌てて腕を伸ばし、ぼすんと倒れ込んだカナメを胸に抱き留める格好になってしまった。

 いまだかつて、無表情にこれほどの焦りと困惑を乗せたメッサーの顔を、アラドは見たことがない。
 腹が捩れるほど笑ってやりたいところだったが、それは辛うじて上官の矜持で持ちこたえる。
 メッサーの胸にしっかりと抱き留められたカナメが、アラドに満面の笑みを向けた。

「アラド隊長、メッサー君が髪の毛触らせてくれました!」
「それは良かった。次は会話をして、笑顔をみせてもらえるといいですね。じゃあメッサー、後は任せたぞ」
「は!? ま、待って下さい! こんな状態の彼女をどうしろと!?」

 はーい、と元気に返事をしたカナメは、驚くメッサーを無視して、その胸元にぐりぐりと頭を押しつけている。そんなことをされたくらいで多々良を踏むようなメッサーではないが、されている行為としている人物を認識して、僅かに踵が後ずさりかけた。が、やはりそのままずるずると落ちてしまいそうなカナメに気づいて踏み止まる。
 しっかりしてくださいとでも言って椅子に座らせ、離れる手段だってあるだろうに、心配そうにカナメの様子を窺うメッサーに、そうする気はなさそうだ。
 メッサーは若い。過去もある。だが今、酔っ払いになった面倒くさいカナメを困ったように見つめている視線は、贔屓目に見ても随分緩んでいるようにアラドには見えた。
 
 相手への礼節を尽くすのと、慮るのと、理不尽な甘えを許容するのとでは、向ける感情が多分に違う。
 それくらいは是非とも自分で気づいていただきたいものだ。そう思いながら今度こそ席を立ったアラドは、カナメにしがみつかれたままのメッサーの肩に手を置いた。

「部屋に連れ込むか送っていくかは自分で選べ。俺は残りのクラゲと共にそろそろ帰るな」

 バチン、と片目を瞑ったアラドに、メッサーの顔がさっと音を立てて青褪める。

「ちょ、待っ、アラド隊長!?」

 この場に置いていかれる現状を理解したらしい。カナメを片手で支えたメッサーが、もう一方の手をアラドに伸ばす――が、大きくステップを踏んだアラドにあっさりと指先が空を切った。

「メッサー君、どこか行っちゃうの……?」
「いえ、俺ではなくアラド隊長が――……カナメさん、落ちますっ。しっかり!」

 ふにゃふにゃとずり落ちそうになったカナメに慌てて両手で腰を支えている間に、アラドは鼻歌交じりで裸喰娘々を出ていきそうになっている。

「せめてミラージュを! ミラージュを呼んで下さい! お願いします!」

 後ろ手に手を振る背中に向かって、メッサーは万感の思いで声を張り上げたのだった。




                                    【 ⇒ 】

いつも誘いに乗ってくれないメッサーに嫌われているんじゃないかと考えているカナメさんと、そんなカナメさんにクラゲをエサに相談に乗るアラドと、
酔っ払ったカナメさんを見てたら輝いて見えてどうしようと思っているメッサーの片想い未満の話です。